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「ちょ、長官、コーヒーどうぞ」


 オフィーリアがコーヒーの入ったカップをおずおずと机に置くと、クラウディオが書類から目を上げじろりと睨んだ。オフィーリアが肩をびくつかせると、目を細めさらにひと睨みした後すぐに視線を書類に戻した。


「ああ、すまない」


 怒られるのかと思ったが案外あっさり受け入れられた。オフィーリアは軽く頭を下げた後、ぎくしゃくと後ろ向きのまま歩いて自分の席にぽすんと座った。

 長官室の他の面々は皆出かけてしまったので、今はクラウディオと二人きりだ。いつかは建築院に戻るオフィーリアは出向扱いとなっている。機密扱いの書類などは見ることはできないので、取り調べがない時間は掃除と片付け程度しかすることがない。

 オフィーリアは給仕をすることはほとんどない。心にもないお礼など言われてしまえば、手が震えて熱いお茶をぶちまけることになりかねないからだ。

 片付けも一段落し手持ち無沙汰で周りを見回すと、左手で前髪をかき上げ考え込む様子のクラウディオが視界に入った。

 そう言えば長官、お昼ご飯まだ食べてないんじゃないかな。

 そう思い、ふと、お茶でも入れてみることにした。クラウディオにだったらお茶を持って行くことができるかもしれない。彼はお愛想を言う訳もなく、嘘だってつかない。怒っているように見える時は怒っているし、そうでない時は怒っていない。ただそれだけだ。疲れていそうな時は疲れているし、呆れていそうな時は呆れているのだ。まだ見たことはないけれど、きっと楽しそうな時は本当に楽しんでいるのだろう。裏表なく、そのままの分かりやすい人なのだと気付いたら、あまり怯える必要もなくなった。

 給湯室に行くと紅茶の茶葉用の缶は空だった。その代わりコーヒー豆が山ほど置いてあった。給湯室のお茶類は食堂から支給される。そういえばブルーノが、食堂の紅茶はまずい、と言っていた。

 予想通り、クラウディオには無事にコーヒーを出すことができた。

 彼の机にコーヒーを置けた時には、本当は全力でガッツポーズを決めたいところだった。そんな無作法は絶対に怒られるので我慢したが。

 もぞもぞと上着の裾をいじりながらそっと様子を窺うと、やっとクラウディオがコーヒーに手を伸ばした。ふう、とひと吹きしてからカップに口をつけると……絶望的な顔をした。


「まずい」

「えっ」


 オフィーリアが思わず立ち上がると、クラウディオがため息をついてカップを置いた。


「薄い。何だこれ。お前、ちゃんと淹れたのか」

「えっと、見よう見まねで淹れました」

「バカかお前は」


 クラウディオは呆れ顔で立ち上がると、給湯室に向かった。


「来い、コーヒーの淹れ方を教えてやる」

「えっ、長官、淹れられるんですか」

「これくらいはできる」


 コーヒーの粉が入った缶をポン、と開け、クラウディオがこたえた。


「長官て王子様だったんですよね? そんなこともできるんですね!」

「王子様……いや、まあ、確かに王子であったことはあったが……。兄である陛下とは年が離れているからな。陛下に第一王子が生まれてすぐに臣籍降下して城を出たから、それからは自分でできることは自分でするようになった」

「普通の貴族の方だって自分でコーヒー淹れないと思いますけど」

「嘘をつかない誠実な人間を探す手間を考えたら、侍従をつけるよりも自分でやった方が早い」


 確かに普段から自分でコーヒーを淹れているのだろう。慣れた手付きで二つのカップにコーヒーを注いでいる。一人で服を着ることもできない貴族も多いと言うのに。


「王位につくわけでもない王子に傅きたい人間などそういない。しかも俺は口うるさいからな」

「いえ、そんな口うるさいだなんて」

「お前、膝が震えてるぞ」

「はわわっ、いえ、これは、あの」

「ああ、もういい。立ってられないくらいなら俺に気を遣うな」


 クラウディオがオフィーリアの腕を掴んで支えると、震えがぴたりと治まった。


「そんなことよりも、コーヒーの淹れ方は覚えたのか」

「はい、メモもきちんと取りました!」

「暇なら他の奴らにも淹れてやれ」

「はい!」


 立ったままクラウディオは自分で淹れたコーヒーを飲んでいる。オフィーリアは自分の前に置かれたコーヒーをふうふう吹いてから口をつけた。


「おいしいです。お砂糖もミルクも入れなくても飲めそうです」


 温かいカップを両手で持ち、オフィーリアはによによと口元が緩んでしまうのを必死でこらえた。


「長官は、私が初めてコーヒーをお出しした人です」


 オフィーリアがそう言うと、頭の上の方で、ふ、と息を吐く気配がした。見上げると、クラウディオが形の良い口の端を微かに上げていた。


「何だ、それ」


 クラウディオはコーヒーを片手に部屋に戻って行った。

 間近で見たクラウディオの美麗な笑顔に、オフィーリアはしばらく給湯室で固まったまま動けなかった。





「お疲れ、ベルナルド」

「……お疲れ様」


 担当地区の見回りを終え建築院に戻ったベルナルドは、声をかけてきた同僚の顔も見ずに自分の席に戻った。空っぽの隣の席に鞄を置くと、大きなため息をついた。


「オフィーリアちゃんがいないとやっぱ人手が足りないわけ?」

「いや、あいつはたいしたことしてなかったから別にいいんだけど」


 もう一度大きく息を吐き、ベルナルドは机に両手で頬杖をついた。


「オッフィーがさあ、案外楽しそうなんだよ」

「そりゃ良かったじゃん」

「うん……」


 オフィーリアが異動した後も、ベルナルドの修繕実績はトップクラスのままだ。一人になるとしゃべる相手もいないので、歩くスピードも上がり効率はむしろ良くなっている。


「毎日泣いて帰って来るのを覚悟していろいろ心の準備をしていたのに、そうでもないって言うか、むしろやる気を見せているって言うか……」

「二人いつも一緒だったもんな。お兄ちゃんさみしいのかぁ。あはは」

「……そうなのかもしれない……」

「認めんのかよー」


 いつも自分の後ろに隠れておどおどしていた妹が、最近は毎朝笑顔で手を振って馬車を降りてゆく。恥ずかしそうに何度も鏡を見て確認していたズボン姿も、今ではすっかり様になっている。腕や膝を確認したけれど、あざや傷はなかったからきっとあちらでも大事にされているのだろう。


「こんなにもあっさりと、俺の手を離れて行っちゃうなんてさ……」

「お前、父親よりショック受けてるじゃないか。こないだナーヴェ伯爵見かけたけど、いつも通りだったぞ」

「はぁぁ……早く帰ってこないかな、オッフィー」

「そこは妹の成長を願ってやれよー、ベルナルド」


 同僚はベルナルドの肩をポンと叩き、自分の部署へ戻って行った。主のいない隣の机にそっと手を伸ばす。

 オフィーリアは仲の良い人なんて作らなくていい。

 長官室は貴族ばかりで、唯一の平民だって学者一族の中の一人だって言うじゃないか。高位の者なんて嘘をついて世渡りしている奴らばかりなんだ。

 オフィーリアをもう二度と傷つけたくない。

 仲良くすればするほど、いつか裏切られる時のショックが大きくなる。オフィーリアは僕が一生守る。あの時そう決めたんだ。オフィーリアが傷ついて泣いている姿なんて、もう二度と見たくない。





 曇り空の午後、オフィーリアはクラウディオと二人で馬車に乗っていた。彼の長い足にぶつからないように、なるべく隅っこに座っている。もう少しそっち側に足を組んでくれればこんな狭い思いをしなくてもいいのだが。


「今日の視察の内容は聞いたのか?」

「はい、ブルーノさんが説明してくれました」

「ブルーノに聞いたのなら大丈夫そうだな」


 クラウディオは窓に頬杖をついて、外を眺めたままそう言った。

 オフィーリアたちの行き先は国立美術館だ。

 クラウディオたちが現在抱えている案件は、多数の貴族たちが他国の者たちを不法に出入国させているというものだ。その貴族たちは貴族位も様々で、どんなに調べても特に接点がない。クラウディオたちは始めに、彼らが他国と共謀し国家の転覆を企んでいるのでは、と考えたが、どうもその証拠が出てこない。そして、オフィーリアの能力により、それはことごとく否定された。

 では、彼らは一体何を企んでいるのか。同じ時期に他国から不審な人間を少しずつ入国させ、出国させている。これが偶然だとはとても思えない。

 入国後、逃走したという者たちの足取りを追うことはできなかったが、調べて行くうちに近ごろ国立美術館に外国人客が増えてきているのがわかった。


「ただの観光客なんじゃないですか? 不法に入国した人がのん気に美術館の作品を見に行くとは思えないんですけど」


 クラウディオがオフィーリアをじろりと睨む。しかし、怒鳴らないという事は別に怒っていないということだ。さすがに慣れてきたオフィーリアはもう怯えることはない。


「今はこれといった特別展示はしていない。美術館が元から所蔵している地味な常設展示をしているだけだ。そもそも今向かっているのは老朽化した見どころのない美術館だ。観光客がわざわざ見に行くような豪華絢爛な美術館は王都の便利な場所にある」

「常設展示ってどんなものなんですか?」

「この国で育ったくせに見たことないのか」


 クラウディオが信じられないとばかりに眉を上げた。


「人のたくさんいるところは、避けていたので……」

「お前の家は過保護すぎだ。国立美術館が所蔵している美術品のほとんどは、国教ユヴトゥミウス教の宗教画だ」

「はあ」

「興味なさそうだな」

「長官は宗教に興味あるんですか」

「ない」

「そうだと思いました」

「宗教とは道に迷っている者の道しるべとなるものだが、俺には必要ない。俺は迷わないからな」

「……そうだと思いました」


 オフィーリアは窓の外に目をやった。行ったことはないが、美術館にそろそろ着く頃だ。


「あっ、あれ、もしかして大聖堂ですか?」

「もしかして、と言っているってことは、大聖堂にも行ったことがないのか」

「子供の頃に一度行ったきりです……」


 オフィーリアは窓から手を離し、膝の上にきちんと置いた手を見つめた。

 大聖堂にはたくさんの人々が神に祈りを捧げにやって来る。中には後ろめたいことがあり、祈ることでそれを許されるように願っている人がいる。聞こえの良い言葉で自分を擁護し、さも自分は悪くないのだと懺悔する姿に、オフィーリアは体の震えが止まらなくなった。それ以来、大聖堂はおろか教会にも近付くことはしなかった。


「まあ、用もないなら来る必要もないがな。こんなところ」


 クラウディオがさらりと返事をしたので、オフィーリアは目を見開いた。王家が定める国教であるユヴトゥミウス神に祈らない事を、王弟が咎めないとは。


「でもまあ、建物としては立派なものだ。通り道だから寄ってみるか」


 クラウディオは馬車の壁を叩き、御者に大聖堂で止まるように指示した。


「あの、私のためだったら、別に、その、お気になさらずに」

「お前のためではない。教皇にも久しく会っていないからな。少し話を聞いておきたい。付き合え」


 オフィーリアは自分の手を見たが、震える様子はない。クラウディオは本当に自分の用事にオフィーリアを付き合わせるだけなのだ。気遣いのない正直さに、くすりと笑って肩の力を抜いた。


クラウディオ 「まずい」(´┐`)ォェー


ヒロインの淹れたものなら何でもおいしい、とは決して言わない。

それがクラウディオ。

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― 新着の感想 ―
[一言] >コーヒー豆が山ほど置いてあった。 >コーヒーの粉が入った缶をポン、と開け、クラウディオがこたえた。 給湯室にはコーヒー豆とコーヒーの粉の二種類が置いてあった? もしかして、オフィーリアさ…
[一言] メシマズヒロインにマズイ!と切り捨て華麗な調理を見せ付け、 ヒロインを絶望のズンドコに突き落とすイケメンはアリだと思います(ノ∀`)
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