プロローグ①
「アイエエエエエエエエ!!」
どすんという鈍い衝撃とともに、床が揺れた。
真っ暗闇の中、ベッドの上で寝返りを打った私は床に着地した。仰向けで背中から落下を着地と言うのかはわかんないけど。
「アメリア様、どうされましたか?」
三度の丁寧なノック音とともに扉が開け放たれて、女性が部屋に乗り込んでくる。
私のメイドをしている同い年の美少女。
真夜中にも関わらずきちんとメイド服を身に包み、私の方に駆け寄ってくる。
「え……ビ、ビオラちゃん?」
金髪ポニーテールの彼女は怪訝な表情で私を見下ろしてくる。
その表情と眼差しは決して主に向けるものではなく、どこか冷たげだった。
「アメリア様が私をちゃん付けとは、遂にやっとようやくとうとう頭がおかしくなったのですね。先程も奇声をあげておられましたし、悪霊にでも乗り移られたのでしょう」
柔らかく心地いい声なのに、とってもひどいことを言われている気がする。
いや、違う違う。
そんなことよりも、今この目の前の光景が問題なのよ。
……悪役令嬢アメリア・アームストロングのメイドであるビオラちゃんを、現実世界で見ることになるなんて。
『Five Princes』
五人の王子様、日本語にすると随分シンプルなタイトルだったその乙女ゲームは、前世で私が夢中になっていたものだ。
舞台はヨーロッパをモチーフにしたイギス王国の学園。
王族も勿論、たくさんの貴族達が通うサウスマンスター学園に転入する主人公フローラ。
学園生活を進めながら、魅力的なキャラクター達と恋に落ちていくそのストーリーは、王道中の王道と言ったところだ。
主人公自身は平民でありながら攻略対象の多くは高貴な家柄の出であり、身分による恋の障壁やイベントが盛り込まれている。
このゲームは、高校二年生になったばかりフローラが春先に学園に転入するところから始まる。貴族の学園だからそもそも平民は少ないのにも関わらず、更に転入してくることを珍しく思った攻略対象たちが接点を持つことでルート分岐していく。
攻略対象には王国の第二王子や宰相の息子なども出てくるため、平民でありながら彼らと仲良くするフローラをよく思わない貴族令嬢たちからは嫌がらせされる。
そして嫌がらせを一生懸命行う貴族令嬢の一人が、アメリア・アームストロングである私というわけだ。
作中指折りで数えられるほどの由緒正しいアームストロング公爵家の令嬢であり、その権力を振りかざしてやりたい放題しているアメリア。
殆どの攻略対象のルートで、容姿端麗学業優秀の主人公を認めたくない悪役令嬢は行く手を阻み続ける。最終的には三年生の冬に王族や他の貴族から断罪される。一族もろとも没落するという悪役特有の退場方法。
「……え、本当に悪役令嬢になったの?」
自分の柔らかそうな手を見つめる。
今まで自分がアメリア・アームストロングという令嬢で生きてきたという記憶はある。寧ろ何故今このタイミングで前世の思い出したのだろうか。
「何を仰っているのですか? 妄言を述べるのであれば、そちらで横になられた方がよいかと」
目の前にいるビオラ・コーンウォリスはその冷たい視線を思う存分私に浴びせてくれる。彼女はメイドだけど時たま嫌味を言ってくれる。
正確に言うと丁寧に話しているのに毒を吐くのだ、主にアメリアに向けて。
強気に見えるつり気味な青目、端正な顔立ち。胸は控えめであるもののすらりとしたスレンダー美女で、作中の登場人物の中では攻略対象たちをも抑えて一、二を争う人気がある。かくいう私もあるキャラを除けば、一番の推しはこのビオラちゃんだ。
見惚れちゃうような美形に加えて決してストレートに蹴落とすのではなく、嫌味っぽくちくちくと主を貶すビオラちゃんを見て、彼女に限っては嫌味を言われるのもありかなと思ってしまう。
「ビオラちゃん、ちょっと話を聞いて欲しいの」
たった今前世を思い出して、ここが前世ではゲームの世界だったこと。そして自分達がこのままいけば没落ルート一直線であることを伝える。
「あ、そうですか。アメリア様の日頃の態度を考えたらそうなると思います。大変ですね」
さも普通の表情で返されるから、ビオラちゃんも当事者であることを告げる。
「因みにビオラちゃんも一緒に没落するよ」
「…………はぁ?」
ぎろり、と睨まれる。でもこんな美人に冷たい目で睨まれるのってちょっとご褒美かも。
他人事だと思っていた彼女はため息をつきながら、それを回避する策がないか仕方なさそうに聞いてくる。
殆どのキャラを攻略しているから、アームストロング家が没落しないエンディングはないかと思い出そうとする。
……あれ、そういえば私まだ十五歳だ。
ゲームでの年齢と今の年齢がずれていることに気が付く。
そもそも主人公のフローラが転入してくるのは高校二年生になったばかりの春。ゲーム開始時よりも半年くらい前だ。
断罪イベントが起こるのは高校三年生、十八歳の冬だからまだ二年以上ある!
よかった。この二年ちょっとで主人公に嫌がらせをしなければ断罪イベントは回避できるんじゃないのかな。
「なるほど。ではアメリア様がその大きな口と鼻を塞いでおけば問題ないようですね」
いや、それは遠回しに死ねって言っているよね?
「……あ、違う。それでもダメだ」
思い出した。フローラがどのルートに入らなくても、何故か巡り巡ってアメリアの断罪イベントが起こる。多分イベントを別で作るのが面倒だったからかな。
「仮に万が一百歩譲って、アメリア様の言うことを信じるなら、アームストロング家の没落は回避不可ということですか?」
何かなかったか。
私は必死に攻略情報を思い出す。
「……あ、一個だけある! というかこれしかない!」
パッケージに小さく描かれていたムキムキのマッチョマンであるアレックス・フェルディナントを攻略対象としている通称筋肉ルート。かなりやりこんでいる私でさえ難易度が高すぎて攻略ルートに入れなかった。というかアレックスを登場させることもできていない。一周回ってデマ情報だと思ってしまうってレベル。
ネットの掲示板で情報がちらほら出ているから、単純に難易度がおかしいんだと思う。
ムキムキマッチョが好きで、パッケージを見て衝動買いしたのに……
「筋肉ルート……ですか?」
でも、このルート。そもそも入れないしアレックス様に出会えないし、グッドエンドに行くのも難しい。なぜなら、
「登場人物全員を筋肉モリモリのマッチョマンかウーマンにする必要があるのよね。そしたら登場人物全員がマッチョになって幸せなエンディングになるって書いてあったわ!」
「……そうですか、それでは来世に期待してください。ご愁傷さまです」
ビオラちゃんは私に向かって深々と頭を下げた。
え、なんで。
「その豊満なお身体を今一度確認してから、もう一度同じことを仰って下さい」
自分の視線を身体に向ける。
……そうだった。アメリア・アームストロングは筋肉モリモリとは程遠い、ぶよぶよの体重80kgオーバーの肥満体だった。
「それではおやすみなさい。次起きても世迷言が続くようでしたら、病院に行かれた方がよろしいかと」
アメリアとは対極的なスレンダー美女メイド ビオラちゃんは部屋を出ていった。
……でも私はまだ諦めないぞ。