静子
拉致被害者は空母”かが”に移動し全員の聞き取り調査が始まった。
そこで思わぬことが・・。
「あの突き当りの部屋にいる」 と、ジンがいったその部屋の方を見ると、部屋というより中広間のような大きめのドアがある。
とうとう拉致被害者に会えるのだ。 感動のあまり瞼が熱くなってくる。
カチャ。 ドアが開けられた。 そこには、確かに拉致被害者がいた。
みすぼらしい身なりを想像していたが、違った。 皆、そこそこ立派な服装を着ている。 だが、何となく似合っていない。 とってつけたような着こなしだ。 北朝鮮当局が、あまりにもみすぼらしいのはまずいと考えたのだろう。 急ごしらえの感がする。 サイズもあっていない。
拉致被害者を目の前にして、「お~!」 日本側全員が歓喜の声を上げた。 しかし、次の瞬間、拉致被害者のやつれた顔を見て喜びから一転、同情とも憐れみともつかぬ、何やら、やるせない感情が湧き起こるのだった。 長年の辛酸が顔に出ている。
ドアが開いた瞬間に、拉致被害者は狂喜乱舞して我々に駆け寄って来るだろうことを想像していたが、それはなかった。 それどころか、日本人もそれ以外の外国人の拉致被害者にも笑顔が無い。 当てが外れた。 拍子抜けした。
皆一様に、怯えるような、疑うような顔で立っているだけだ。
もし、素直に大喜びで飛びついて行ったら、ひょっとして後でとんでもない罰が待っているのかも知れない・・。 そういうシーンを彼らは何度も見てきたのだろう。 何事も疑心暗鬼にさせる国家なのだ。
滝司は何気なくとなりの浜溝の顔を見ると、浜溝は瞬きもせず前に並んでいる拉致被害者の中の一人を凝視している。
「浜溝さ・・」 言いかけて浜溝の視線の先に目をやると、そこには初老の女性がいた。
滝司は一瞬で全てを理解した。 「驚いた。 そうか・・、奥さんが・・。どおりで、今まで奥さんの話題が出なかったわけだ。 それに、家にも生活感が無かった。」 声には出さず二人の顔を見やった。 だったら、浜溝さんも、お互い駆け寄って抱きしめてやればいいのに。 が、それはできない。 多くの人が無念のうちに亡くなってる。 その人たちの家族、縁者のことを考えると自分だけが喜びを爆発させるわけにはいかないのだ。 それに、県連合軍を私的に利用したとも思われかねない。 結果的にはそうなったが、誤解は避けねば。
そして、その浜溝さんの奥さんとおぼしき女性の隣にいる女性に目をやると、「あの人は、ひょっとして・・芽ぐみ・・さん?」 中学生の時の写真しかネットで見てないが、「間違いない。芽ぐみさんだ」
拉致被害者のシンボル的な存在である芽ぐみさんを目の前にして、滝司は感無量で、胸が熱くなってくるのを止められない。
「お母さんはどんなに喜ぶだろう。 早く会わせてあげたい。 残念なことにお父さんは亡くなられた・・」
13歳で拉致されて、現在、芽ぐみさんは還暦を過ぎている。 どんなに心細く、寂しく、辛かったろう。
いったい我が国は今まで何をしてたのか! 少女が誘拐されたというのに半世紀もほったらかしで、それどころか憎い北朝鮮に援助までしていたのである。 誘拐犯にご褒美か・・。 笑い話にもならない。 滝司は腹が立ってしょうがない。
総司令官”いずも”の艦長が、
「皆さんを、今すぐにでも日本に連れ帰りたいと思いますが、皆さんにもそれぞれ事情あるでしょうし、また、ご家族の気持ちも考えなければいけません。 そこで、一人一人に聞き取りをいたします。 要望があれば、どんなことでも聞きますので、何でもおっしゃって下さい」
と言われても、何でも言えるわけがない。 困惑顔でお互いの顔を見あっている。 この部屋には北朝鮮の軍人も、あの親衛隊もいるのだ。 そんな中で本当のことを言ったらどうなる。 拉致被害者はそれを嫌になるほど分かっている。 もちろん、艦長もだ。
「皆さんには軽空母”かが”に移ってもらいます。 そこでじっくりと要望を聞きたいと思いますのでご安心下さい」
北朝鮮側はおもしろくないだろうが、ここまでくると致し方ない。 支援物資と1兆円さえ手に入れば、それでよしなのだろう。
43人の拉致被害者が外に向かって歩き出した。 その列を見ながら滝司は浜溝に、「あの女性は奥さんですね」
「うん、そうだ。 静子という。 30年前突然いなくなってね、私のことがいやで逃げたのかなと最初は思っていた。 ところがどうも腑に落ちなくてね。 ひょっとして拉致されたのでは、と考え始めたのは、ここ3年前頃かな。 まさか、そうだったとは・・」
「そうですか・・」 滝司はあまりのことで二の句が継げない。
浜溝は、自分の女房が無事だったことは飛び上がるほど嬉しいのだが、あることを心配していた。
北朝鮮は拉致した人間をすぐ結婚させようとする。 それは、できた家族を人質にするためなのだが、ひょっとして、静子にもこちらで家族が・・。 浜溝はそれを心配しているのだ。 でも、生きるためにはそれもしょうがない。 生きててくれたことだけが嬉しい。 しかし、この苦界の地に残すわけにはいかない。 どうすれば・・。 浜溝は苦しむ。
「浜溝さん、我々も外に行きましょう」
「あ、そうだな。 外に出よう」 二人は出口に向かって歩き出した。
高麗ホテルの前には、”かが”から飛来してきた2機のオスプレイが待っていた。 拉致被害者はオスプレイの不思議な形を見て怪訝な顔をしていたが、オスプレイの胴体のまばゆいばかりの日の丸を見て、何人かは歓喜のあまり嗚咽をする者もいる
オスプレイに乗る時もキョロキョロと機体の端から端まで見て、恐る恐る機内に入っていく。彼らにとっては、まるでUFOか何かに乗るような気分だろう。
滝司と浜溝も続いて乗り込んだが、浜溝はその時も、すでに座ってシートベルトを締めている静子を見つめ「大丈夫だ。 心配いらない」 と言ってる風に小さくうなずいている。
滝司の方は心配そうに芽ぐみさんを見ていた。 芽ぐみさんは、何やら元気がない。
「どうしたんだろう?」 日本のこと、北朝鮮でできた家族のこと、いろんなことが頭の中で交錯しているのだろうか。 滝司は、もっともっと拉致被害者には喜びを発散してほしかった。 それは滝司に限らず、ここにいる自衛隊員も同じだろう。
「解放されるという実感がまだ感じられないのだろうか? 焦ることはない。 少し時間がたてば・・」
エンジンがかかり、オスプレイはゆっくり上昇していく。 機内の拉致被害者から、「お~!」 どよめきが起こった。 さらに、眼下の北朝鮮の地を見て、やっと解放された実感がわいたのだろう。 笑みを見せる者までいて、お互いしゃべりだした。 「初めて飛行機に乗った」「これが朝鮮の山並みか・・」「あそこに村が・・」 などと、さながらはしゃぐ修学旅行生のようだ。 だが、トーンは低い。
海上に出ると、「海を見るなんて何十年ぶりだろう」 などの声が聞こえてくる。
”かが”が見えてきた。
これまた全員が感嘆の声を上げた。 「お~、空母だ。 初めて見た」「日本があんなものを造ってたのか」「凄い・・」「日本に帰りたい・・」
それぞれの想いを乗せた2機のオスプレイは、着陸態勢に入る。 海は穏やかだ。 スムースに降り立った。
拉致被害者にとって、何もかもが夢のような経験で、まるでSF映画の中にいるような気分だ。 キョロキョロしっぱなしで、しきりと感嘆の声が漏れる。
43人はオスプレイごとエレベーターで、甲板下の格納庫に降りて会議室に案内された。日本人と外国人とに分けられ、聞き取りは外国人には米兵があたり、日本人には自衛官だ。 浜溝と滝司はその様子をじっと見ている。
浜溝は心の中で、「目の前に静子がいる。 30年もあっていない静子が・・」聞き取りなど,まどろっこしいことなどせず、すぐ一緒に日本に連れ帰りたい。 そんな浜溝を見て滝司は心より気の毒だと思うのだ。 もちろん、浜溝にだけでなく全ての拉致被害者に対しても同じ気持ちだが。
聞き取り調査は進んでいた。
「お名前を教えていただけますか?」
「はい。 浜溝静子と申します」
「はまみぞ、さんですね。 え?」 聞き取りをしていた、その自衛官はちょっと驚いて、後ろを振り返り浜溝の方を見た。 そしてまた、女性の方に向き直し、
「後ろの方も浜溝といわれるんですが、何かご関係がおありなんでしょうか?」
「はい、私の主人です」
「え!。 あなた、あの、あそこにおられる島根県知事のお、奥さんなんですか」
「島根県知事?」 静子は、もちろんそんなことは知らない。
その自衛官は浜溝に駆け寄って、「知事、あの方、奥さんなんですか」
「ああ、静子だ」
「なぜ早く仰らないんですか。 ささ、テーブルについてお話してあげて下さい」
滝司も、「浜溝さん。気にしないでそうすれば・・」
「うむ。 そうか、ありがとう」
今回の県連合の中には、もしや自分の身内もいるのではないかと期待して参加した人も数人いたのだが、全て空振りだった。 身元がはっきりしたのは、芽ぐみさんと浜溝の奥さんとだけだ。 今、聞き取りをしている人も日本に帰れば親類縁者や知り合いなどが現れるかもしれないが・・。
そんなわけで浜溝はどうしても喜びの感情が控えめになってしまう。
浜溝はテーブル越しに対面した静子になかなか声をかけられない。 それでもやっと、「元気だったか?」 元気だったはずはないのだが、他の言葉が見つからない。
「ええ、なんとか・・。 あなたは元気だった? 子供たちは?」
「ああ、みんな元気だよ」
「そう、良かった。あなた、知事になったの」
「うん、三期目だ」
「ごめんなさい。 何の力にもなれなくて・・」
「俺こそ、お前を助けてやれなくて申し訳ないと思っている。 さぞ辛かったろうな・・」
話したいことは山ほどある。 でも、言葉はポツンポツンとしか出てこない。
しばらくして、全員の聞き取りは終了した。
「1週間後に皆さんを迎えに政府専用機が来ます。 私たち自衛隊もそれまで北朝鮮にとどまるつもりです。 ですので、1週間の間に皆さんとご家族の気持ちを固めておいていただきたいと思います。 日本では皆さんを万全の体制で迎えるつもりですので、何の心配もいりません。 これは北朝鮮当局も承知していますので、ご安心下さい。 皆さんの方から、何かご質問はおありでしょうか。 何でも言って下さい」
拉致被害者全員に、最初見られなかった笑顔が何人もの間で見られるようになり、”いずも”の艦長もやっと安心した・・が、そんな中、芽ぐみさんがポツリと小さな声で、「わ、私は日本に帰りません・・」 と、言ったきり下を向いてしまた。
それを聞いて全員が驚いた。
「何を言ってるんですか、芽ぐみさん。 お母さんが日本で待ってるんですよ。 一緒に帰りましょう、日本に」
「そうだ。帰りましょう」 皆が一斉に口々に帰りましょうと言うが、芽ぐみさんはそのまま下を向いたきりだ。
滝司と浜溝は怪訝な顔をして芽ぐみさんを見つめた。
「どうしたんでしょう?」滝司が言うと、浜溝も、「解せんな」
その時、静子がボソッと、「私、芽ぐみさんの気持ち分かるような気が・・します」
「何だって!」
つづく




