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パンデミック  作者: 桜桃なる猫
第一章 快適な避難生活と友達
9/59

9.追撃

 普段使っていた枕より高い位置で後頭部を支えられており、少しばかり首に痛みを感じて横を向いてみれば、弾力のある不思議な柔らかさと柑橘系の爽やかな香りが鼻に付く。


(何だろう? 気持ち良い……)


 微睡む意識の中、興味を惹かれる物へと無意識に手が伸びれば、布製のカバーの下にあるスベスベとした手触りの良いマシュマロのような枕があった。


「やはんっ……奥手そうなイメージと違って意外と大胆ね。 やっぱり男の子って事かなぁ?」


 聞き覚えのある声、しかも自分に話しかけられているような女性の声に急速に意識が浮上して行く。


「…………ん?」


 目を開けば黄色い布が視界一杯に広がっていた。


「よく寝たねぇ、体調はどう?」

「んんっ!?」

 

 上から降ってくる声に驚いて目を見開き慌てて首を回せば、栗色の髪を垂らして剛を見下ろす可愛い女の子が居る。 それを認識するや否や、見開いた目をこれでもか!という程に更に大きく開けて驚きを露わにした剛。



「うわあああああああああああああああああああああああああああああああっっっっ!!!!」



 文字通り体を跳ね上げ飛び起きると、その勢いのままに後退りして壁に激突して止まる。


 それでもまだ足りないとばかりに、大きな目をパチパチとさせながらも剛を見つめ続けていた絵里から大慌てで遠ざかろうとするが、壁など突き破る事は不可能なのでとても短い逃走劇は呆気なく終焉を迎える事となった。


「ななななななななななな、なぁっ!?」


「なに?」


 驚きのあまり言葉にならない声を上げ続けるが、それでは何を言いたいのか相手に伝わるはずも無い。


「どどど、どぉーしてここにいるの!?」


「どうしてって……」


 丸みを帯びた顎に人差し指を当てて少しだけ考えると、ニコリと微笑みを浮かべる。



「ヒィィッ!?」



 逃げられないのを理解しながらも、それでも出来るだけ距離を置こうと三角に曲げられた膝。 その間に手を置くと、怯え慄く剛に ズイッ と身を乗り出し近付いた絵里。


 その距離僅か30㎝、頭の中では危険を知らせる警報が鳴り響いていた。


「さっきの続きをして欲しいなぁって?」



「ささささささ、さっきぃ? つ、続きぃぃぃ!?」



 意味の分からない言葉に疑問を持ちつつもそれどころでは無い剛は、嫌々と首を振りながらも壁と一体化でもしようかという程に身体を押し付け尚も距離を取ろうと無駄な足掻きを続ける。


「そう、つ・づ・きっ。 覚えてないのぉ? 私のスカートの中に手を入れてたじゃなぁい?」



「ええええええええええぇぇぇぇええっっ!?」



「早く続きを、しぃ〜てっ♡」


 空いた口が塞がらないとはこの事だろう。

 無意識にとは言えそんな事をしていた自分自身を殴りたい気持ちのままに「勘弁して!」と泣きそうになる。


「ごめんなさいっ!ごめんなさいっ!ごめんなさいっ! 何度でも謝りますから許して下さいっ!!!ごめんなさいっ!」


 これ以上は無理かと悟った絵里だったが、もう少し意地悪していたくなって何も答えず、次なる剛の反応を待っていた。



ドンドンドンッ!

「おーい、剛ぅ? 女とヤルのはお前の自由たけどなぁ、もうチッと静かにしろや。 お前の声がダダ漏れとか恥ずいぞ」



 二人きりに水をさされて興が削がれると、小さな溜息を漏らす絵里。 だが剛にとっては残念な事にそこで終わりでは無かった。


「剛くん、やっぱり可愛いよね。 仕方がないから今日はこの辺で勘弁してあげる」


 その状況を存分に楽しみながらゆっくりと身を寄せて来る絵里から逃れようと目を瞑り顔を逸らせば、耳に着く寸前まで寄せられた唇から小さな囁きが流れ込んでくる。



 身を離しベッドに腰掛けると、ポケットを漁り始める絵里に胸を撫で下ろせば、極度の緊張からか胃が チクチク と痛みを訴えてくる。


「はい、これ飲んで」


 差し出されたのは一包みの粉薬と一つのカプセル薬、そして反対の手には飲みかけのペットボトルが用意されていた。


「胃薬と整腸剤よ? さっきあんな辛いカレー食べたんだから胃が痛くなってるんじゃない? 多分お腹も下ると思うよ?」


 自分を気遣っての薬なら貰わない訳にはいかないと恐る恐る手を出せば、そこに載せられる二つの薬。 だが剛の視線は次に渡されるだろうペットボトルを凝視し、受け取った薬を飲む素振りを見せない。


「あっ……まさかとは思うけど間接キスだ!とか考えてないよね?」


 自分の考えを当てられると「何故分かった!?」と目を丸くするが、対する絵里は小さな溜息と共に軽い苦笑いを浮かべる。


「そこまでウブだとは思わなかったわ。 でもね、それを言うのなら私が使ったスプーンでカレーを食べたよね? つまり間接キスは卒業してるのよ。

 って言うわけでぇ〜、次は間接じゃなくて直接しとく? それとも口移しで飲ませて貰いたい? どっちにする? ねぇっ、ねぇどっち?? た・け・る・く・んっ?」


 どっちも無理!と心の中で叫ぶと、慌てて薬の包装を破り口の中に放り込む。

 剛の選択を予知して差し出されたペットボトルを受け取ると、一呼吸の躊躇いの後に目を瞑り、意を決して口を付けた。


「はふぅ……」


「あ〜あ、しちゃったっ、間接キス」


 薬を飲み込んだのを確認すると、嬉しそうな笑みを浮かべた絵里が剛を茶化す。


 最良の選択をした筈の剛は何も返せず カクッ と項垂れたのだが、その視線の先に差し出されたスマホを認識すれば意図が分からずすぐに顔を上げる事となる。


秞子ゆうこから説明があったと思うけどパンドラ限定のアプリは入れた?」


 彼女が言うアプリとは、パンドラのWi-Fiに接続していれば使えるコミュニケーションアプリの事で、日本で無料通話アプリとして定着していた物の模造品『ヴァービン』


 このCパケッツ内で暮らす人の名前は最初から登録済みなので、ダウンロードさえすれば他の人とのチャット、通話が行えるのだと言う。

 とは言っても自分は勿論の事、相手方もアプリを入れている必要があるので、一方的に連絡を取ろうとしても昨日の今日ではまだ繋がらない人が大半だろう。


  “快適な避難生活を送る為” との謳い文句ではあったが、必要性を感じなかった剛もまだダウンロードしていない一人。


「そっか、じゃあまずアプリを入れなきゃね」


「え? 入れなきゃいけないんですか?」


 秞子ことゆうこりんの説明では任意でのダウンロード、つまりどちらでも構わないと言うことだった。


「ううん、別に入れたくなければそれも構わないけど、私は剛くんともっと仲良くしたいなぁって思ってるのよねぇ」


 膝の上に置かれていた剛の手に絵里の手が重ねられれば、反射的に逃げ出す剛の手。 しかしそんな事は予測済みと、今度はゆっくりとした動きで膝を触る絵里の小さな手。


「ひっ!?」


 それから逃れようと大股開きで膝を遠ざければ、それすら予測していた絵里の身体は剛の膝に釣られて移動し急接近する。


「ウブな剛くんの事だからまずはメールのやり取りからが良いのかなぁって思ってたけどぉ……それが嫌ならさっきの続きをして手っ取り早く仲良くなっちゃう?

 私としては寧ろそっちの方がウェルカムだよ?」


 少し下から見上げる絵里の顔までの距離15㎝。 剛の中で鳴り響く警報に従いその状況から逃れようと顔を逸らせば、背を預ける壁へと頭を打ち付ける事となり意味を成さない。


「わわわわわわ分かりましたっ! 入れますっ! アプリっ、入れます!!!」


「えぇ〜、そうなのぉ? ざ〜んねんっ」


 自分の意図通りに動く剛に満面の笑みを浮かべると、身を退き解放してやる。


 すると、また責め立てられては敵わないと慌てて立ち上がり、ハンガーに掛けて壁に吊るされていた制服のポケットからスマホを取り出し、絵里とは距離を空けてベッドに腰掛けた。


「アプリストアを開けばヴァービンのアイコンが一番上にあるからダウンロードしてね。 分からなければ手伝うけどぉ?」


「だ、大丈夫です……」


 意味深な目を向ける絵里に気圧され、良いように遊ばれている事に気付きながらも慌ててスマホを開くと、パンドラでしか使えないアプリをダウンロードし始めた。



 スマホとは近くにある無線中継基地まで電波を飛ばし、そこに繋がる電話線を介して電話をしたり、インターネットを介してウェブに接続したりするための端末だ。


 だが、核シェルター《パンドラ》は地下150メートルに在り、スマホが交信する為の中継基地など近くに在りはしないので当然のように電話がかけられなければウェブにも繋がらない。

 それを補えるのがパンドラと地上とを繋ぐ通信ケーブルであったのだが、肝心の地上施設が無くなっていてはお話にならない。


 つまり剛達が持ち込んだスマホと言う端末は事実上、Wi-Fiを通してパンドラ内のサーバーに接続してただ一つのアプリを使う為だけの専用機となっており、世間一般では使われなくなったPHSの様な物と成り果てた。




「出来ました」


 剛が顔を上げると、その様子を微笑みながら黙って見つめていた絵里と目が合い ドキッ とする。


 ようやく自分の距離で落ち着いて顔を見ることが出来れば、何故自分に話しかけてくるのか疑問に思うほどにとても可愛い女の子。 間違いなく年上なのだろうが、そんな事を感じさせない幼さ香る顔立ちは剛の警戒心を緩めるのに一役買っていた。


「桃色は一般で登録されてるんだけど、私達黄色は管理者側だからって責任者の秞子以外の名前は載って無いのよ。 ちょっと貸してもらっていい?」


  “続きをして” 二度も言われた甘い言葉は自分を揶揄う為だと思いつつも、こんな可愛い子と大人の関係を持てたのなら……と若い剛の妄想は急激に膨らみを見せる。


「剛くん?……体調悪い??」


 しかしそれをするには間が悪く、反応の無くなった剛を心配して動き始めた絵里の手を見留めて我に返ると、それから逃れようと慌てて身体を逸らしながらも要望に従いスマホを差し出した。


「もぉっ、そんなに必死に避けられると傷付くぅ」


「あ、いや……その、ごめんなさい」


「あははっ、冗談だよ」


 差し出された手に触れない様にスマホを載せれば、慣れた手付きで操作を始める。


 そんな姿を眺めていれば、悩ましく歪んだ彼女の顔が脳裏を横切り悶々とした気持ちになってくるが、手を握ることはおろか近付く事さえ耐えられない剛には、絵里を押し倒すなどと言った暴挙に出られる道理がない。


 妄想の域を出られないと分かりながらも妄想してしまうのは大人へと変わって行く思春期の青年の悲しい性なのだろう。


 しかしそんな剛の暴走に「ええ加減にせいや!」と水を差してくれたのは、腹痛を訴える チクチク とした痛みだった。


「剛くんは特別にCパケ内の黄色全員の名前を入れて置いたよ、まだ知らない人もいるだろうけど気軽に連絡取ってあげてね」


 返って来たスマホを見れば名前の一覧の画面だった。

 そこで連絡を取りたい人を選択すれば、チャットルームを開く事が出来るのだろうと予測は着く。


 その一覧の下の方〈天野あまの 秞子ゆうこ〉こと、ゆうこりんを始めとした5つの名前が他とは違い黄色い文字で表示されているので、それが黄色い看護衣を着ている彼女達の名前なのだろう。


 しかしそこでようやく気が付く事となった。


「は、はい……えっと……」


「……ん? あっ!そうか。 ごめんごめん自己紹介すっ飛ばしたね、あははっ。 だって剛くんってばカレーに夢中だったんだもん、ってまぁいいか。

 私の名前は《六條ろくじょう 絵里えり》だよ、よろしくねっ!」


 画面を見ればゆうこりんの名前のすぐ下に確かに彼女の名前が表示されている。 つまりここ宛てに連絡を寄越せと言うのだと理解すれば、チャットくらいなら別に良いかと自分の得意分野である事に納得した。


「よろしくお願いします、六條さん」


 呼び名とは人との距離を表す重要な要素で、あからさまに好意を表してくれている女の子に対して苗字で呼ぶのは拒絶しているのと同義だ。

 しかし人との関わりを怠ってきた剛にその様な事を気付けと言っても無理があり、絵里の溜息を誘う結果を残した。


「絵里って呼んで……」


 それでも残念そうな顔で溜息を吐く様子を目の当たりにすれば、己の言動が間違っている事に気が付けないほど頭は悪くない。


「っ……絵里……さん?」

「えーりっ!」


 不満で膨らんだ頬に再び ドキッ とするが、それよりも強い刺激が剛の腹を刺激する。


「くっ、ぁ……あのっ!絵里、さん! お腹が痛いのでトイレ行っても良いですか!?」


「あっ! そうやって逃げるの!? ずる〜いっ!」


「いや、ごめんなさい……本当にお腹痛い」


「仕方ないわね、今はそれで勘弁してあげるわ。 そんな事より、急ぐわよっ!」


 剛の手を取り引っ張ると扉のチップリーダーに左手を翳した絵里。


 手を繋いでいる事に照れている余裕がないほどに剛の腹を刺激する痛みは急激に増し、そのままグループルームに連れ出されればソファーに座っていた克之が不思議そうな顔を向ける。


「んあ? もう終わったのか?」


「ごめん、急ぎ!」


 そのまま部屋の扉を開けると、素っ気ない返事をする絵里に手を引かれて飛び出して行く二人を見送るが、青い顔の剛がもう片方の手を腹に当てていれば何が急ぎなのかは察しがついた。


「ぷっ、初体験は成らず、か。 ご愁傷様だぜ、剛」


 扉が閉まり一人きりになった室内、チャンスをモノに出来ない剛の間の悪さに微笑みを浮かべた克之だった。












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