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パンデミック  作者: 桜桃なる猫
第一章 快適な避難生活と友達
7/59

7.ジム

 すっかり冷めてしまったご飯を掻き込み、ギリギリながらも時間内に食べ終わることが出来た。


 早く食器を片付けねばと視線を回せば、咲が飲み残して行ったコーラのペットボトル。 誰にも構ってもらえずポツンと佇んでいる姿に教室に居た頃の自分を重ねるが、その教室ですら今はもう無い筈だ。


 そんな妄想をしていれば、昨晩の克之ではないがもう家族は居ないのだとセンチメンタルな気分に侵されて来る。


 頭を振る事で気分を入れ替えれば、再び認識される目の前のペットボトル。 次なる妄想は180°路線を変え、剛の鼓動を高鳴らせるものだった。


 再び走り出した鼓動を感じながら恐る恐るペットボトルを手に取ると、空いたままになっている口の部分を マジマジ と見つめる。 それは今しがた咲が半分飲み干したばかりのコーラの入ったペットボトル、つまりその飲み口は彼女が口を付けた場所だ。



『こういう人が彼氏だったら……』



 昨日そう言われたときの妄想が甦ると剛の男の子としての本能が呼び覚まされ、先ほど面と向かって言ったように “今まで会った中で一番の美人” である彼女の魅惑的な唇が頭の中を占拠する。


(誰も見てない……よな?)


 訪れる緊張の波、不審に思われないよう目だけを動かし周りを確認するも人影は見当たらない。


(コーラを飲む、ただそれだけだろ?)


 罪悪感すら感じる本心からは目を逸らし、二重になった心の声の都合の良い部分だけを見て自分自身に言い聞かせると、ペットボトルを握る手がゆっくりと動き始める。



 ドッドッドッドッドッドッドッドッ



 不自然なほどゆっくりと持ち上げられて行く剛が手にした桃源郷。 きょうび、間接キスで喜ぶのは中学生くらいなものだろう。

 だが、世間の波に飲まれていない剛の純情なる心は一世一代の大勝負の最中、これほどまでに勇気を振り絞ったことなど未だかつて無い。


 だが、凝視するソレがあと10㎝まで近付いた時の事だった。


「まーだ食ってたのか? どんなけ食うつもりだよ」



「ぅわああぁああっっ!!」



 突然かけられた声に桃色の世界から帰還した剛は、手にするペットボトルを放り投げる勢いで慌ててふためくと、あわや落下というギリギリのところでキャッチする事に成功した。


「おっ、イイもん飲んでんじゃねーか。 俺にもくれよ」


 運命とは残酷なもので、桃色の世界など味わっていないでさっさと口を付けていれば念願叶ったものを、チンタラしている間に期を逃す羽目となる。


「っくぁああっ!なんか知らねぇけど今日のは格段にうめぇな、気分の問題か?」


 コーラを奪った克之は、腰に手を当て一気に飲み干してしまう。


 その様子を悲痛な面持ちで見ていたものだから、たかが飲みかけを掻っ攫ったくらいで泣くなよと言いたくなっても仕方ない。


「んだよ、半分飲んだんだろ? 俺にも分けてくれてもいいじゃねぇか。 お前、そんなにコーラが好きなのか?」


「僕も貰った物だから飲みたかっただけだよ、気にしないで」


「そうか、そりゃぁわりぃ」


 金髪ヤンキーの癖に素直に謝る克之の姿に二度目の驚きを見出せば、咲の唇は頭から消えて無くなり、口付けのチャンスが無くなった事など忘れてしまう。


「いいんだ、それよりこれから何して過ごそう?」


「あー、それなんだけどよ、昨日のちびっ子の話だとジムがあるって言ってたよな? どうせ他にやる事なんてねーんだし、俺はちょっくら様子見て来ようと思ってるんだけど、お前はどうする?」


「あははっ、同じ事思ってたよ。 実はこう見えても毎晩筋トレしてたんだ」


「マジでかっ! 人は見かけに寄らないとは言うけど、まさかネクラと呼ばれていたお前と趣味が合うとはなぁ。 良いぜ、勝負すっか!」


「望むところだけど、その前に着替えに行かない? この格好、旅館に来たみたいで楽でいいけど、運動するには向いてないよ」




 パンドラに暮らし始めた人々が身に付ける為に用意されていた衣服は全て、病院で入院患者が着るために貸し出される『病衣』

 その種類は大きく分けて2パターンあり、一枚布を羽織るガウンタイプの物と、上下の分かれた甚平タイプ。


 思わぬところで意気投合した二人だったが、今着ているのはガウンタイプの病衣。 このままジムに行ってしまえば見えてはいけない物を晒す羽目になりかねないので、咲の着ていた甚平タイプに着替えてズボンを履く事を提案したのだ。


「こんなに沢山あるんだ」


 壁一面の棚に用意されていたのは、服屋さながらに畳んだ状態で綺麗に並べられた10種類を超える様々な病衣。


 同じガウンタイプの物でも襟の合わせ目が正面の物もあれば、身体を斜めに横断する物、真横で留めるタイプなど好みに合わせて選ぶ事が出来るこだわり様は他の病院ではなかなか見られるものではない。


 ご親切にハンガーにかけられた見本で微妙に違う形を決めると、無地、格子、ストライプの3種類の中から柄を選び、好みの色の扉に付いているチップリーダーに手をかざせば服が取り出せる仕組みとなっている。


 ただ、それぞれに数量が決まっているようで、サイズによっては在庫切れとなり歯抜けになっている物もあった。



 その隣の小さな棚にはカーディガンやポンチョと言った明らかに女性用の物と、旅館に置いてある様な厚手の羽織りが何色か置いてあり、病衣の下に着るシャツやキャミソールに加えて下着も同じ棚に置かれていた。


「脱がせて丸まったのならまだしも、女のパンツもああやって置いてあると味気ねぇよな。 やっぱりアレば履いてるのを見てナンボだぜ、そう思うだろ?」


 克之が蹲み込んで顎で刺すのは、俵型に丸められた “女性用” と書かれた札の貼ってある下着の棚。

 使い捨ての物にしては耐水性、耐久性に優れた不織布という素材で作られ履き心地も悪くなく、衛生面の管理が出来る事から防災グッズとしても広まっている物だ。


「えぇっ!? そ、そうなの……かな」


「んだよ、生で見たこと無くてもビデオくらいは観てるんだろ? スケスケの紐パンとか唆られねぇか?」


「ぃ、いやぁ、あはははは……」


 そもそも友達がいなかった事が原因でそう言った話をする機会などは無く、自分の好みを曝け出すのが恥ずかしいと感じる剛は後頭部を掻きながら照れてしまう。


 その様子に興味はあるくせに下ネタトークは駄目なのかと白い目を向けた克之だったが、だからこそ “ネクラ” と呼ばれていたのかと納得しつつも受け入れてやるしかないのかと溜息を吐いた。


「さっさと着替えちまおうぜ」


 言いながら服の紐を解くと惜し気もなく裸体を晒した事で剛が固まった。


「ちょっ!こんなところで着替えるの!?」


「女じゃあるめぇし、見られても別に構わねぇだろ? だいたいよぉ、今なら誰もいねぇぞ?」


 服の置かれた棚は衝立で目隠しがされており、誰かが服を取りに来なければ他からは見えない状態にはある。

 だからと言ってその場で着替えるのは常識を逸脱する行為ではあるが、わざわざ部屋に持って帰って着替えて来るのは面倒と考えたようだ。


「脱いだ服もここに返却らしいから一石二鳥だろ? おめぇもさっさと着替えちまえよ」


 テキパキ着替える克之はもう既に膝丈のズボンを履いており、人に見られても嫌煙される一線を超えている。


 自分だけ戻るわけにも行かず意を決すると服の紐を外しにかかる剛だったが「誰か来る前に!」との焦りは手元を狂わせ、解いた筈の服紐は蝶々結びから固結びに変わっただけ。


「くっ……」

「何遊んでんだ?」


 服の紐一つ満足に解けないのかとは声に出さずに呆れて見ていた克之だったのだが、良い事を思い付いたとばかりに口の端を吊り上げた。


「ほらほら、モタモタしてると人が来るぞ? 若い女でも来ようものなら変態呼ばわりされるなぁ、おい」


 キツく結ばる前の固結びをどうにか解き、服の襟を広げたところでそんな煽りを入れられれば火に油を注ぐように剛の焦りは階段を駆け登る。


 留紐の無い被るタイプの服を選んだのは面倒臭がりな性格の現れ。 だが何を思ったのか、着ていた服を勢い良く脱ぎ捨てるとパンツ丸出しのまま上の服から着始めるではないか。



「キャッ!」



  「おいおい」と、内心思いながらも何も言わずに見ていれば、服の襟から顔を出した所で動きを止めたのと克之の背後から短い悲鳴のようなものが聞こえて来たのはほぼほぼ同時だった。


  振り向いてみれば、顔全部を覆うように両手で鼻と口を押さえる20代の女が立ち尽くしている。 だがしかし、その目はしかと剛の下半身へと向けられており、克之の笑いを加速させる光景であった。




 無事かどうか定かではないが、着替えが終わった二人はジムにいた。


 都合よく2台ずつ置いてあるトーニングマシンの空いている物を使い “いざ勝負!” となったまでは良かったが、慣れている様子の克之とは違い剛は何分初めての事。


 使い方自体は見ればなんとなく想像が付くし、各マシンにぶら下げられた取説を読めば写真付きで分かりやすく解説されていたのだが、見兼ねた克之がジムトレーナーの如く指導を始めたのだった。


「ぷっ、くくくくくっ。 笑えて力が入んねぇぞっ、これもお前の作戦か?」


 交互にトレーニングマシンを使い競い合う二人だったが、事ある毎に思い出し笑いをするのであまり身が入らない様子。


「もぉっ、いつまで笑ってるのさ! ちゃんとやりなよっ!」


 胸の辺りにあるバーを押し出し胸を鍛えるチェストプレス、頭上のバーを引き下げ背中を鍛えるラットプルダウン、重りの付いたバーを垂直に押し上げ肩を鍛えるショルダープレスが上半身用のマシン。


「だってよぉ、可能性があったから言ってみたけど、まさかあのタイミングで本当に姉ちゃんが来るなんてよぉ、何のコントだよっ。

 しかも顔隠してる癖にバッチリお前の股間見てたんだぜ? これが笑えなきゃ何で笑うっつぅんだよ」


 フットプレートを足で押し上げ脚とおしりを鍛えるレッグプレス、片足でバーを押しながら膝を曲げる事でももの内側を鍛えるレッグカール、両足でバーを押し上げ膝を伸ばす事でももの前側を鍛えるレッグエクステンションが下半身用のマシンだ。


「そ、それは……でもっ、笑い過ぎだよ!」


  他には、座った状態で腹筋を鍛えるアブドミナルクランチに、片足ずつのパットを交互に踏み込み持久力を鍛えるステアクライマーや、使い方次第で各所を鍛えられるダンベルなんかも置いてある。


「わりぃわりぃ。 でもよ、笑えるものは仕方ねぇだろ? 止めたくても止まんねぇよ」


 なんと言っても人気なのは、自転車という馴染みのある形の物に座りペダルを漕ぐだけの説明書すら要らないようなフィットネス器具、エアロバイク。

 そしてもう一つの人気器具は、ベルトの上で走ったり歩いたりと、ジムと言えばコレでしょう!と豪語出来るほどに誰もが知っているルームランナーだ。


 それぞれ10台ずつ置いてあるのだが剛達が来た時には既に満席で、一日15分のノルマをこなす為の人には人気のようだ。


「それにしても、鍛えてたってのは本当だったんだな。 別に疑ってたわけじゃねぇけど、イメージ湧かなくてよ。 まぁでも、俺様には敵わないって事がよく分かったろ?」


 克之は1000人超えの学校で1、2を争うヤンチャな青年であった。

 事あるごとに喧嘩に明け暮れた彼は当然のように運動神経も良く、その上自分の肉体を鍛える喜びを知り、努力も怠らない勤勉さも兼ね揃えていた。


 毎晩欠かさず筋トレをしてきた剛ではあったが、義務とも言える学校が終われば逃げるように家に帰りネットやゲームに明け暮れる引き籠り寸前のごく普通の高校生。 外で暴れた上に鍛えてきた克之には遠く及ばなかったようだ。


「はいっ、すみません。 僕如きでは克之様には敵いませんでした」


「ぷっ、なんだよそれ。 お前、そう言う冗談言える奴だったんだな」


 にこやかな笑顔で頭を下げた剛に少なからず驚いた克之。

 学年でも有名なネクラとは知っていたものの蓋を開けてみれば他の奴等と変わりなく、癖はありそうではあるがどちらかと言えば好感の持てそうな普通の男。


「僕だって好きでネクラしてたんじゃないよ? ただ……なんて言うんだろ。 人とどう接していいのかが分からなくて誰とも喋れなかっただけ?」


「お前のことだろ? 俺に聞くなよ」


「あははっ、そうだよね」



 昨日までの友達は皆居なくなったらしい。



 だが、こいつが居てくれれば寂しさは紛れそうだと口には出さないが、生き残った同じ学校の仲間に感謝の念を抱いたのは秘密だ。


「そろそろ腹減ったな。 ちょっと早いけど昼飯行こうぜ」

「ええっ!? 僕さっき食べたばっかり……」


「つべこべ言うなっ。 どうせ食わなきゃ叱られるんだ、少しくらい食えるだろ? 付き合えよ」

「へいへい、分かりやしたよ、克之様」


「んだよ、それ。 感じ悪っ!」

「あははっ、ごっめーん」


 まるで古くからの友人のようなやりとりをする二人には、物影に隠れて遠くからその様子を観察する一人の幼女がいたことには気付くよしも無かった。







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