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パンデミック  作者: 桜桃なる猫
第五章 生きる道
55/59

55.奥の手

 突然降りかかった死の予感、次の瞬間には落下する感覚も無くなっており暗闇の中で四つん這いになっていた。


「ここは……」


 見覚えのある真っ暗な空間、立ち上がってみれば10mほど向こうに裸のまま倒れる赤髪の少女の姿がある。



「琴音ちゃんっ!」



 駆け寄り抱き起こしてみるが反応は無い。

 しかし生きているのは直感で分かる。



「琴音ちゃんっ! 迎えに来たよっ、起きて! 琴音ちゃん!!」



 必死になって揺さぶれば張りのある若い眉間に皺が寄る。

 期待を込めて見守っていればゆっくりと開く琴音の目。 寝起きで頭が働いていないのか、剛を見返すものの ボーッ としており虚ろな目を向けてくるもののなかなか反応がない。


「琴音ちゃん? ごめん、待たせたけど迎えに来たよ。 僕が分かる?」


 ゆっくりと伸ばされた手が剛の頬に到達し、顔を触って感触を確かめる。

 完全に開かれた目が剛を認識すれば弾かれたように目を丸くし、驚いた表情へと変わった。



「剛お兄ちゃんっ!」



 勢いよく起き上がったかと思えば首へと手を回し飛びつく琴音、バランスを失った剛は押し倒される形で寝転んでしまう。


「お母さん……は?」


 しばらくそのままで動こうとしなかった琴音を胸に抱き髪を撫でていたのだが、頭を上げると周囲を見回し母親の存在を探す。


 しかし琴音が居たのはAパケッツ、その唯一の生き残りが彼女であるという事は考えるまでもなく母親も、連れていた幼子もこの世にはもう居ないという現実。


「大丈夫、琴音知ってた。 本当はお母さんがもう居ないことは、分ってたよ……」


 それをどう伝えようかと悩んでいれば、自分を見下ろす琴音の顔が歪み、涙が溢れ始める。

 唇を歪めながらも必死で泣くのを我慢する様子に居た堪れなくなり頭を抱き寄せれば、堰を切ったように泣き声が漏れ出した。




 どれくらいそうしていただろう。 感情の全てを吐き出すように泣きじゃくる琴音の頭を撫でるしか出来ない辛い時間。

 剛に非がある訳では無い、だが母親を連れて行くと約束したのにそれを違えた。


 罪の意識は大きく、琴音が声を上げる度に重く折り重なって行く。



「剛お兄ちゃんは琴音と一緒に居てくれる?」



 か細くも落ち着いた声は剛の耳を突き抜ける。 全てが償えるわけではない、だがそんな簡単な事で少しでも償いが出来るのならと選ぶ返事など他にはなかった。


「もちろん……」

「琴音を置いて天国に行ったりしない?」


 被せられた言葉と上半身を起こして覗き込んで来るのとは同時だった。

 赤く泣き腫らした目、縋るような顔、かつての美月と取って変わったような錯覚に守ってあげたいと庇護欲が湧き上がる。


「琴音ちゃんが誰かのお嫁さんになるまでずっと側にいるから大丈夫だよ」


 “後10年は側を離れたりしない” そういうつもりで吐き出した言葉だったのだが、身体は急速に成長すれども、頭や心はまだ4年しか人生を送っていない幼き琴音には別の捉え方をされてしまう。



「本当!? じゃあ琴音、剛お兄ちゃんのお嫁さんになるっ!」



 ただでさえ4人にまで増えた恋人問題を抱えた剛。 その上、結婚宣言までされてしまい「まじか!」とは思うものの、小さな子供の言う事などそのうち変わるだろうと今は受け入れておく事にした。



「その為にはパンドラから逃げて安全な所に避難しなきゃいけないんだけど、悪いお姉ちゃんが邪魔してくるんだ。 その人を懲らしめるのを琴音ちゃんにも手伝って欲しいんだけどお願いできる?」


「悪いお姉ちゃんにお仕置きするのねっ? 大丈夫! 琴音出来るよっ、琴音の魔法でめっ!てする!」



 魔法とは琴音に宿った念動力サイコキネシスの事だろう。

 説明するまでもなく理解していた事に驚くが剛では説明出来ないので大いに助かる。


「うん、悪いお姉ちゃん懲らしめてみんなでここから逃げよう。

 頼んだよ、琴美ちゃ……」


 突然襲いかかる目眩、掠れ行く意識の中、嬉しそうな顔が近付き唇が触れ合ったような気がしたがそれを理解するだけの気力は与えられず、テレビが消されたように全ての感覚がシャットダウンされた。






ゴッ!


 意識が戻ると同時に目に入ったのは、苦しそうな表情の絵里が膝を突いた場面。

 長い時間を琴音と過ごした気がしたが、精神世界の時間など現実では一瞬の出来事だった。



「琴音ちゃん!!」



 状況を理解するなり発せられた、助けを求める心からの叫び声はせめぎ合う二つの大きな壁を通り越え彼女の心へと届けられる。



「はぁぁっ?」



 何を今更と馬鹿にする未来だったが、一瞬後には驚愕へと変わる。


 それまで ピクリ とも動かなかった琴音の上半身がゆっくり起き上がると、自分を見ている剛を見つけるなり満面の笑みへと変わった。

 直後、消えて無くなった琴音の姿は剛のすぐ隣に現れ腕を取り抱きつくと、驚く顔を見上げて満悦する。



「悪い事する子はお仕置きだよっ!」



 笑顔のまま未来に顔を向けると、振り下ろされた右手は力をイメージするため伸ばされたままで止められる。



「ぐぉっ!?」



 突然伸し掛かる重さの増した空気。

その圧力は凄まじいの一言に尽き、未来の体重を数十倍にするほどの力で床へと押し付ける。


 常人ならば一瞬にして身体の機能が停止し死亡していたところだが、未来とて超能力を有する人間を超越せし選ばれた者。 すぐさま自分の能力を使い相殺させようとするが軽減させるのが精一杯、軽い動作にも関わらず琴音から発した力は未来の能力を凌駕したモノであった。



「このっ……糞ガキ……がぁぁぁぁぁぁっっ!!!」



 一度は片方の膝を突いたものの、最強の自分が負けるなどあり得ないと歯を食いしばり顔を歪める。

 女性とは思い難い鬼の様な顔、プライドを賭けた反撃は在らん限りの力を振り絞り自らを捻り潰さんと襲いかかる念動力ちからを押し返していく。



「そんなぁ……でも!琴音だって負けないんだからっ、剛お兄ちゃんと一緒に居るんだからっ!」



 剛から離した左手も振り翳せば更なる重圧が未来へと襲いかかる。

 倍増された圧力に耐えきれず両膝を突き、それでもまだ堪えようと全身を震わせながらも両手を伸ばして耐え続けるものの徐々に地面へと近付いて行く。


 琴音の猛撃に意識が向かうあまり絵里に向けられていた集中が乱れれば力が削がれ均衡も崩れる。



「はあぁぁぁぁぁああぁぁぁああぁっ!」



 ここぞとばかりにありったけの念動力ちからを注ぎ込むと、絵里達の前3mで均衡を保っていたせめぎ合う空気の壁が未来に向けて前進をはじめる。



「てめぇら……こうなりゃ奥の手……」



 このままではじり貧だと察すると手で支えるように抗っていた圧力をおんぶするように背中で受け持ち、空いた手を懐に差し込み緑色の液体の入った小さな試験管を取り出した。


 それは自分の身を持って開発にこぎつけた超能力を増幅させる薬。

 二本目を飲んでどうなるのかは分からなかったが光明の見えないこの状況で他に選択肢は無かった。


 蓋を開けようと素早くキャップを口に咥えるが、その瞬間、試験管が割れて中身が零れ落ちる。



「なっ!?」



 持ち運び用にと耐久性に優れた容器に入れていた、にも関わらず前触れも無く砕け散った容器。

 まさか!と顔を上げてみれば、予想とは違う人間が得意げな顔をしていた。


 人差し指と親指とで見立てた銃を跳ね上げる真似をする菜々実と目が合い意味有りげにウインクなどしてくる。

 そのままの手を口に当て人差し指に息を吹きかける姿は、銃口から立昇る燃焼ガスを吹き飛ばす様子を模していた。



「どれだけ強力な奥の手でも使い方を間違えれば形勢が覆ることはない。 貴女の敗因は最初からその薬を使わなかった事、本当に空気が詠めないのは誰なのかしら……ね?」



 菜々実がSARS-CoV-3(クロト).1の適正を得ていたなど完全に予想外の出来事。

 しかもその能力が自分と同じ念動力サイコキネシスだと知れば「何故!?」と運命を呪いたくなる。



 同じ大学に通っていた菜々実は一つ年上の勉強も研究も容姿でさえ自分より勝る憧れの先輩。 研究室に来るようになった八木が菜々実目当てだと気付くのにも時間はかからなかった。


 全てが彼女より劣る自分、SARS-CoV-3(クロト).1がもたらした念動力サイコキネシスは唯一勝る最高の力であり、八木の気を惹くただ一つの武器であった。


 だが、それすら手に入れてしまったのならば、せっかく邪魔者を排除し手が届くかと思えた八木が再び菜々実の説得に乗り出すかも知れない。

 そうなれば例え能力増強の薬が採用されたとて自分はただの道化人、実験体であり従順な研究者の一人にしか見てもらえなくなるのは簡単に想像がつく。



「糞がぁぁっ!! 舐めやがって!!!!」



 八木の側に並び立つ菜々実の姿、想像しただけで爆発した怒りは力となり右腕に集まっていく。



「死ねやああぁぁぁぁあぁああぁああぁぁぁぁぁぁあっっ!!」



 赤児を背負う老婆のような姿勢ながらも振り上げられた腕は鋭く、同時に解き放たれた超圧縮された空気が衝撃波を生んだ。

 イニーツィオで血の雨を降らせた『コンプレッションブラスト』、三日月型の白い靄が二人の間にある空気の壁を突き抜け菜々実へと襲いかかる。



 しかしそれを見越していた菜々実もまた同じように右腕に超圧縮された空気を纏わせていた。


 優雅さを感じさせるように柔らかく振られる手、ほんの一瞬だけ未来に遅れて放たれた衝撃波は寸分違わず真っ直ぐにぶつかり合いお互いに消えて無くなる。



「なっ!?」


「必殺技ってね、対峙する相手に見られた時点で必殺ではなくなるのよ? ましてや名前に捻りの無い必殺技なんて原理を詠んで対処して下さいって言っているようなもんでしょ?

 力に傲るからそんな結果になるのよ、おばかさんねぇ」



 信じられないと目を見開く未来に向かい左手が伸ばされれば、琴音の念動力ちからによりただでさえ身動きの取れない身体が菜々実の発する念動力サイコキネシスにより拘束されてしまい完全に動けなくなる。



「サヨナラ、未来。 絵里っ、出番よ!」



 さらに右手が突き出されると、絵里の念動力ちからで押し戻しかけていた圧縮空気の壁を肩代わりして攻め込み始めた。



 力比べから解放され身軽になるとポケットから小さな塊を取り出し手のひらに載せる。



「これは貴女が美香に送ったプレゼント、でももう彼女はこの世に居ない。 だから……これは貴女に返すことにしたわ」


「おっ、お前……まさかっ!?」



 それは美香の生命を奪った鉛の塊。 菜々実が彼女の身体から抜き取り、形を再生させた未来の放った拳銃の弾丸だった。

 絵里の想いを受けてゆっくり浮かび上がる僅か9㎜の弾に全ての力を注ぎ込む。



「美香の味わった痛み、思い知れ!!!!」



 集められた力だけで強風を受けたように栗色の髪が靡く。


 絵里の意志おもいの籠もった弾丸はせめぎ合う空気の壁など無いかのようにいとも簡単に突き抜けた。

 その速さたるやSARS-CoV-3(クロト).1により強化された肉体を持ってしても目にも止まらぬほどで、音速など遥かに凌駕している。


 見開かれる目、一瞬で距離を縮める弾丸。

雁字搦めにされた身体は指の一つも動かすことを許されず、狙い違わず未来の胸へ吸い込まれて行く。


 そんなものが人の体を穿てばいくら強靭な肉体であろうとも一溜りも無く、耐えかねた胸の中心部に直径20cmの大きな穴が口を開けた。



「ゴフッ……」



 押さえ込んでいた二人の念動力ちからから解放されると反動で尻餅を突く。

 そして心臓を失った身体が生命を維持できる道理は無く、既にコト切れていた未来は憎たらしい言葉を発っすることもなくそのまま床へと倒れて行った。


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