53.脱出の為の作戦
培養液フェイトは様々な実験を行う上で細胞の増殖を助ける為にと開発されたモノ。
生きた人間が摂取すれば副次的作用である
SARS-CoV-3.1を抑えるだけでなく、細胞を活性化させ増殖させる事で本来あるべき健康な身体へと戻してくれる一種の薬にもなる。
傷付き、倒れてしまった芽衣裟達一人一人の元に赴き小瓶に入ったフェイトを飲ませて回ると、咳を患う玉城の元に向かう途中、抱き合う剛と絵里をいつまでも眺めていた克之達4人を呼び寄せた。
「うぉぇっ!くぅぅぅっ……滅茶苦茶効いてる感じするけど、これがフェイト?」
出口が見えて熱が入りパソコンに集中していたとしても、渡された物が自分の命を救うかも知れないフェイトだと知れば一時的に手を休めて一気に飲み干した。
だが強烈過ぎる刺激に耐えかね目を丸くすると喉を押さえて菜々実の顔をまじまじと見つめる。
「そうね、健康な人間が口にすれば効果が強すぎて身体に毒だけど、君は末期症状が現れ始めていたから大丈夫よ。
なんならもう一本行っとく?」
シンプルなデザインのガラス製の小瓶を自分の頬に付けて小首を傾げる様は、CMになりそうなほど絵になっており ドキュン と心を撃ち抜かれた玉城。
思わず手を伸ばしオカワリを頂戴してしまったが、つい今し方の身体の内側から焼かれる感じを思い出し躊躇するも、命の為には仕方なしと意を決して一気に飲み干す。
「もう一本?」
「いや、ごめん、もう無理っ」
世界最強だと思っていた玲奈にも勝るとも劣らない極上の微笑みに心が揺らぐものの、これ以上飲めば死んでしまいそうな予感に自制心が働く。
実際、3本目は渡すつもりはなかった菜々実ではあったが、飲んだらどうなるのかと興味が唆られる事案であった事は彼女の心の奥底にしまわれることとなった。
「そんなに不味ぃのか?」
自分も飲まないといけないと理解した上で玉城の様子を見て嫌そうな顔をした克之、だがそれとは対象的に楽しそうな顔で渡された小瓶は素直に受け取る。
「別に変な匂いはしない……って言うか、この匂いリンゴ?」
横からそれを摘み上げると蓋を取り匂いを確かめる千鶴、本当に毒では無いのかと疑いの眼差しを向けてはみるものの帰って来たのは欠片程も悪意の感じられない清々しい笑顔だった。
「正解! 最新版はリンゴ、ミカン、バナナにグレープ、あとはメロンがございますわ、お客様。
けど残念な事に、ここに保管されているのは飲料用に味付けした初期のだからね、リンゴばっかりだと思うわ」
千鶴から取り戻した小瓶を一気に煽ると一口分の液体が口に収まり美味しいリンゴの香りを放っていた。
安心してそのまま飲み込んだのはいいが、そこからが本番だ。
水など普段口にしている飲み物と比べたら少しばかり粘度の高い液体はしっかりと喉にも絡みつく。
しかもそれが度数の高いアルコールのように喉を焼く感覚を残したまま留まるものだから、そんなものに慣れていない克之は目を丸くする。
「ゴホッゴホッ……かぁぁあっっ!こりゃすげーな!」
暖かい物が食堂を伝わり胃の中に落ちるのが見て取れるようにハッキリと感じる。
腹に染み渡って行くところまでよく分かり、身体の内側が温泉に入った後のように暖かい。
「まぁ、おこちゃまには刺激が強いわよね? けどお薬ですからねぇ、我慢して頂戴」
玲奈と咲にはフェイトは与えられなかった。
それは剛に恋人と認められた他の二人が
SARS-CoV-3.1と適合を果した超能力者であったのが理由だ。
もし適合を得られなかったとしても玉城のように肺炎の症状が出てからでもフェイトを摂取すれば死ぬことはないと説明されればすんなり納得し、「剛と同じく超能力者になりたい」と自らの意思で提案を受け入れる事にしたのだ。
そこで意外だったのは千鶴の行動、「克ちゃんは私が守る」とフェイトを拒否し、自分もSARS-CoV-3.1適合の可能性を試してみたいと言い出したものだから克之との口論が始まってしまう。
だが結果として押し切られ、克之が大きな溜息を漏らしたのを合図に、動きを止めたままの剛と絵里に向けて菜々実が歩き出したので4人もそれに付いて移動を始めた。
「SARS-CoV-3.2を置いて行った理由は分からないけど、三柿野琴音と一番大切に思っていた卵を揺り籠から出したいう事は八木はパンドラを捨てるつもりでいるわ。
そうしていたい気持ちは分からなくはないけどそろそろ立ち上がる時よ、でないと菅野美香が人生をかけて護った六條絵里という存在もここで土に埋もれて塵となるわ。
貴女は彼女の意志を、命を無駄にするつもりなのかしら?」
「みか……の、いのち?」
剛の胸に擦り付けるようにゆっくりと回された絵里の首は菜々実の言葉に視線を向けるが、瞳に宿る光は弱々しく今にも消えてなくなりそうだ。
抱き合う二人の隣に蹲み込むと絵里の手を取り、握っていた何かを手渡す。
「元来た道を辿り地上に出れば、この間の男同様強い放射能を受けてすぐに死んでしまうでしょう。 かと言って放射能が消えるまでここに留まるには食料が少な過ぎる。
元々の計画でも限られた人数を従えてパンドラを脱出するつもりだったはずよ?
その為の潜水艇が用意されているけど、八木に使われたら私達は脱出の手段を失う。
でもそれを奪う為には大きな障害を一つ乗り越えなければならない、それには貴女の力が必要不可欠なのよ。
さぁ、立って! 美香の雪辱を晴らす時は今しかないわよ?」
手のひらに載せられた小さな塊、それは生気があるとは言えなかった絵里の心を揺さぶり起こすだけの力を持っていた。
断片的に浮かぶあの瞬間
一陣の風が吹き抜け立ち込めていた靄が吹き飛んでいく感覚、やるべき事を見つけ虚ろだった瞳に光が宿る。
(剛と幸せになりなさい)
求めて止まなかった剛は自分を心配し、今もすぐ傍に寄り添ってくれている。
顔を上げれば間近に心配そうな顔、首へと腕を回しその目を覗き込む。
真っ黒な瞳に映る自分の顔は酷い有様で、到底好きな人に見せていいようなモノではなかった。
(笑って?)
自分の膝で眠る美香の声が聞こえて来た気がしたが、それは気のせいだと理解し自分自身で戒める。
それでも美香が目を覚ましたとしたら絶対言うだろう言葉に努力はしてみせた。
だが心の整理が追いつかず、美香にも叱られたように思うような笑顔が作れない事に悔しくて涙が溢れてくる。
「たける……くん」
元気が欲しくて求めた剛の唇、触れ合うだけで心が安らいで行くのが自分でよく分かる。
吸い込んだ酸素が底をつくくらいの長い口付け
顔を離せば眩しいばかりの笑顔をくれる愛しい人
『この人の傍に居たい』
美香の艶々とした黒髪に指を通しサヨナラを告げると、静かに見守っていた菜々実へと気概に満ちた瞳を向け力強く頷く。
その顔は涙に濡れながらも絵里本来の笑顔を取り戻していた。
「でもどないするん? アイツの力は圧倒的や。 みんなボロボロにされてもぉて、いくらフェイト飲んで多少マシになったかてすぐに戦え言われても無理どすえ?
例え絵里はんが戦う言うたかて太刀打ちできんのと違いますの?」
疑問をぶつける美菜水を始め集まって来た秞子達も動けるようになっただけで戦える状態ではなかった。
しかしゆっくりと一人一人を見渡した菜々実の顔は自信が溢れている。
「もちろん計画は幾つかあるわ。
例えば、未来が飲んでいる超能力を底上げする薬を絵里にも飲ませる、とかね?
けどあれは未完成の試作品、どんな副作用があるのか分からないからそんなことはさせたくないのよ。
そこで建設的なおすすめプランが……」
緩やかに、されど強い意志を感じさせるほど真っ直ぐ伸ばされた細い指、その向かう先には胸にべったりと寄り掛かる絵里を片腕に抱く剛がいる。
「えっ!? 僕ですか!!」
何の力も無い自分がアレと戦えと言われたと思い、自分を指差し本気で驚く。
当然のように全員が同じ事を思い驚きを露わに菜々実に向かい「正気か!?」と視線で訴えるが、誤解を招いた事に気付き コロコロ と軽い笑い声を上げるので逆に場が和んだ。
「ごめんごめん、何も貴方が直接戦うんじゃないわ。
あくまで未来と戦うのは絵里よ、けどそれだけじゃ足りないのは明白。 そこを補うのが剛くんに宿った超能力、精神感応なのよ。
貴方、三柿野琴音と仲良しなのよね?」
「どうしてそれを?」
琴音の事は克之達以外には話していない。 考えられるとすれば今も八木の側にいる笹野が剛と琴音のやりとりを覚えていたからか……だとすると、当初から剛の事を分かって接していたと考えるのが自然だ。
「そんなことよりあの子はほぼ間違いなく絵里と同じ念動力を使いこなすわ。 威力も同程度かそれ以上とくればいくら薬物使用で力を倍増された未来とて敵わないはず。
つまり貴方の役目は、未だ目覚めていない琴音を起こして味方に付ける事、出来るわよね?」
「出来る出来ないは分かりません……」
「分かりませんじゃないわ、やるのよ。
もし琴音を起こせなかったのなら絵里は死に、私達も後を追う事になるでしょう。 その結果を貴方は良しと出来るのかしら?」
微笑みを消した真剣な表情に気圧され言葉を失う。 彼女の言う事は正しく、拘りの強そうな未来がわざわざ追って来てまで自分に歯向かう絵里を許すことは無いだろう。
しくじれば全員死亡。
絵里の、玲奈の、みんなの命を預かる重責に喉を鳴らせば、いつの間にか隣に座っていた野乃伽の手が剛の肩に添えられた。
「剛なら大丈夫……きっとやれ……るわ。 自分……信じて」
超能力が使えるかもと知ったのもつい先日、自分の意思でなど使った事も無かった。
そんな自分に全てが託されてしまい生まれた焦り。
だが触れ合う野乃伽の唇からは勇気が流れ込んでくる。
「ありがとう」
微笑む野乃伽の髪を撫でて感謝を伝えると、全てを知るだろう菜々実に心残りをぶつけてみる。
「行く前に美月を……」
未だ巨大試験管の中を漂う神宮寺美月、実の妹を置いてここを去るなど有り得ない行為だった。
「SARS-CoV-3.2は貴方の呼びかけにも応じなかった。 未来と戦うには邪魔になるだけだから、あの娘にまかせて置いて行きましょう」
「あの娘とは姉さんの事ですか?」
「姉さんって……剛くん、まさか!?」
純恋が生きている!
死んだと思っていた人が生きていると聞かされれば驚いて叱りだろう。
菜々実と純恋の会話までは能力の覚醒が間に合わず聞いていなかった剛だが、死んだはずの美月が囚われており自分も同じ運命を辿る事に疑問を感じていた。
更に何処かで見覚えがあると思えたあの人の背後姿は菜々実の答えで確信へと変わる。
「あの試験管で眠るのは神宮寺美月、剛の実の妹で
SARS-CoV-3.1とは違った進化を果たしたウイルス
SARS-CoV-3.2を身に宿す娘よ。
そして剛の姉である神宮寺純恋こそがこの悲劇を生む発端となったSARS-CoV-3.1の発祥母体だわ。
パンドラでの臨床試験を良しとしなかった純恋は自ら看護師として八木に使われる事を望み、弟である神宮寺剛と、親友である西脇玲奈を監視しながら脱出させる機会を窺っていた。
そんな感じなんだけど、心当たりはないかしら、水無玉城くん?」
パソコンをしまった玉城も側で話を聞いていたのだが、感じていた違和感の正体が内部からの援護だったとは思いもしなかった。
「そこそこ新しいシステムでありながらセキュリティーの低さは異常だった。 特にこのイニーツィオのパソコンは覗いてくださいと言っているかのように防御がされていない。
最初は罠かとも思ったけどね、サーバーもそうだし全てのパソコンが一律似たような感じだったからこんなもんかと思ってたけど、そう言うカラクリだったんだね」
フェイトに関する情報や潜水艇の存在、菜々実を連れて逃げるしかないと判断させるに至るまで、全ては純恋の思惑通りに踊らされていた事を知るとやるせ無くなる。
「悲観しないで? 貴方という存在が居てくれたからこそ、バレる事なくスムーズに事が運べたのよ。 後は仕上げをするだけ。
さぁ、悪の大幹部を倒してパンドラから脱出しましょうっ」
「本当に美月は姉さんが助けてくれるんですよね?」
怒りすら感じられる静かな口調、せっかく生きているのを見つけたのに見殺しになどしたくないと主張するのは肉親として当たり前の感情だろう。
「もし彼女が助からなかったら、代わりに私を殺していいわ」
純恋を信じて指示に従う、そこに自分の命まで懸けると言われればそれ以上かける言葉などない。
それでも思い通りに行かぬ現実に拳を握りしめるが、野乃伽の頷きに後押しされ菜々実の言葉を信じる事にした剛は顔を上げ、力強く頷いて納得を示す。
「そうと決まれば急ぎましょう。
水無くん、扉をっ!」
ここに来てからずっと玉城が苦戦していたのは、イニーツィオの奥にあるとされていた地底湖までの扉の確保。
入り口の扉が三重になっていた事を考慮して改めて確認してみれば、すぐそこの扉でさえ二重のロックがかかっており、更に奥の発電所へと続くエレベーターの使用にも10分置きに書き換えられる暗証番号が必要なのが分かった。
そこで今更隠す必要などないと大胆にシステム自体を書き換えいつでも開けるようにと準備していたのだ。
「了解、司令官殿」
走り出した菜々実に釣られて扉へと向かう玉城、それに従い克之達が動き出せば、ダメージと疲労から足取の重い秞子達も歩き始める。
膝に乗っていた頭を静かに下ろすと安らかに眠る美香を見つめて動かない絵里。 その頭を抱き寄せ髪を撫でてやれば「サヨナラ、美香」と小さく聞こえてくる。
「行こうっ、剛くん。 美香の仇は私が討つわ!」
心配を余所に、立ち上がった絵里の目は闘志に溢れていた。
差し出された手を掴み立ち上がると、いつもの笑顔がそこにある。
少し幼さを感じる童顔が作り出す屈託の無い清々しい微笑み、自分の気持ちを受け入れたからか可愛くて仕方がなく思える。
絵里に微笑み返すのと同時、自分の手を頼りに立ち上がり始めた野乃伽。
「ひゃぅぅっ」
撃ち抜かれた肩はある程度癒されても奪われた体力まではすぐには戻らず、歩くのはおろか立ち上がるのさえ辛そうだと感じ取ると、脇の下と膝の裏とに腕を差し入れ抱き上げる。
「何その可愛い声、惚れてまうやろ〜?」
「ん……サービス……惚れていい……よ?」
「野乃伽、ずる〜いっ!」
「怪我人……の特権、役得」
仲の良さげな二人のやりとりを聞きながらも歩き出してみれば、目の前にはフェイトに包まれた美月が眠っている。
「美月……」
今目を開いたのなら連れて行く口実になるのにと思うがそう都合よくは行かず「また後で」と心の中で呟きすぐに歩き始める。
目が覚めずとも今すぐ水槽から出して一緒に連れて行きたいのは山々だが、純恋に何か考えがあるのならそれに従った方がいいだろうと断腸の思いで仕方なく一時の別れを告げた。




