52.自分に出来ること
惨劇から目を逸らし咲へと寄り掛かる玲奈、千鶴を肩に抱く克之でさえ青い顔をしていた。
「はいはーい、こちら愛の下僕……えぇっ!? お楽しみはこれから……いえ、何でもないっス……はい……はい……了解っス、はい、失礼しゃーーっス」
ドーム状に張られた空気の膜で血の雨を回避すると、ポケットから取り出したスマホで会話を始めた未来。
桃色のスマホの繋がる相手は八木であることに間違いだろうが、それはサディズムの強い彼女の性格には似つかわしくない可愛い色の物だった。
「っつーわけであっしは用事が出来ました。 もうちょっと遊んでやりたいのは山々ですがダーリンの機嫌を損ねると後が大変なのでこれにて御免するっス!」
友達にでもするように軽く手を上げ退出する旨を伝えると琴美の眠る大水槽の前でしゃがみ込んだ。
小さく聞こえる電子音を鳴らして操作パネルを弄れば、満たされていたフェイトが見る見るうちに退いて行く。
圧倒的な力を見せつけあっさり片付けた看護師達など最早眼中にない様子で鼻歌交じりに意気揚々とパネルを叩き続ければ、今度は大水槽の台座に当たる部分が自動的に迫り出てくる。
「よっと」
フェイトが減り、浮力のなくなった身体が立ったままでいられたのは未来の念動力が支えていたからだろう。
白く見える冷気が溢れ出す引き出しの中、保管されていた銀色のアタッシュケースを掴み立ち上がるついでに琴音の腹に肩を押し当て担ぎ上げると、奥の扉へ向かって歩き出した。
力無く垂れ下がる両手と床に着きそうになる赤い髪を揺らす琴音は、会いたいと望んだ剛と話す機会もなく運び出されて行く。
「それじゃあサヨナラです、菜々実先輩」
開いた扉に手をかけると顔だけで振り返り、普段通りの笑顔で別れを告げる。
しかしその裏にあるのは八木に捨てられた菜々実に対する嘲り、八木の元に居られる選択肢を与えられたにも関わらず自分の意志を突き通し別れを告げられた愚かなる者に対する侮蔑だった。
傷付いた身体を推して這い、少しずつでも剛へと向かい進んでいた野乃伽だったが失血により奪われた体力は多く、途中で力尽きて動かなくなっていた。
閉められた扉で未来の姿が見えなくなると同時、弾かれたように動き出した菜々実が倒れ伏す野乃伽に駆け寄り首元に指を当てる。
ずっと気掛かりだったのだが、自分が不用意に動けば気分屋の未来に目を付けられトドメを刺されかねないと動けずに我慢していたのだ。
(まだ間に合う!)
慌てて階段を駆け上がり、未来がやったのと同じように剛の入る大水槽の下にある操作パネルを叩き始める。
「手伝って! 神宮寺剛をっ!」
その声に反応した克之達はフェイトが抜かれて行くのを見て何を言いたいのか理解すると慌てた様子で駆け寄る。
それは今にも倒れそうなほど顔面蒼白だった玲奈も同じで、魔法が解かれたかのように「剛くんっ!?」と咲に預けていた顔を勢いよく上げると、我先にと必死になって走り出す。
「くそっ、何でだ!」
ただ一人残されたのはパソコンと格闘を続ける玉城。
克之達が離れた事で敵対する者が居なくなった事を知ると、堂々と床に座り込み難しい顔でキーボードを叩く。
自分の役割を正確に理解する彼は脇目を振らず自分の戦いを繰り広げ続けていた。
冷気漂う引き出しから銀のアタッシュケースを取り出すと床に置き、手早く開けたその中には数多くのガラスの小瓶が割れないようにクッション材で仕切られ整列していた。
小瓶の頭へと手を置き、指の間で挟めるだけの数を素早く引き抜くとすぐに次の行動に出る。
「マジか……」
その速さたるや目を見張るモノがあり、剛の事で頭がいっぱいだった克之達でさえ、入れ違いに飛び出した菜々実が10mの距離を一足飛びで移動して野乃伽の横に滑り込む姿に目を奪われ息を飲んだ。
1m程下に下がっているのを考慮しても常人離れした身体能力。 だがそれよりも、後ろ髪の全てを使い一つに束ねられた緩い三つ編みと白衣とを靡かせる様子が美しく見惚れてしまう。
徐々に減っていく水色の液体、頭が出始めれば支えの無い身体は折れ曲がり徐々に丸まりながらガラスの壁へと身体を預け始めた。
だが残念な事に、皆の注目は菜々実の抱き抱えた野乃伽へと注がれている。
剛を助けるんだと自分達をここまで案内してくれた人、当然のように八木に撃たれるのを目撃した。
あまり知らない彼女よりも剛を優先してしまった事に少しばかり後悔をしながらも、助けようと尽力してくれている菜々実へと「お願い!」と他人任せに祈るばかり。
意識の無い身体には力も入らず、支えられていない頭は人工呼吸でもするかのように顎を突き出し軽く仰反った。
それを利用し体内までの道を確保すると、持ってきた小瓶の蓋を噛んで栓を開ける。
蓋を吐き捨て中に入っていた液体を傷口に直接かけると続けざまにもう一本開栓し、今度は自分の口に一気に流し込むと瓶を適当に放り投げ、代わりに野乃伽の小さな鼻を摘んで唇を合わせた。
無理矢理流し込まれる液体、呼吸が止まった訳ではないので意思に関係無く飲み込まざるを得ない状況。
ゴクリと動く喉、咳き込む野乃伽。
予測された反応に対処すべく頭を肩に乗せ、抱き起こして寄り掛からせると背中をさすり始める。
「ゴホッ、ゴホゴホ…………たけ……る……」
少しだけ間を置けば、まだはっきりしないながらも意識が戻り重い瞼を押し上げ少しだけ目を開いた。
「安心して、彼ももうすぐ出てくるわ」
それすらも計算されていたのか野乃伽の顔は剛の入る大水槽へと向けられており、顔を動かさずとも視線を向けた時には丁度ガラスの外枠が持ち上げられて行くところ。
閉じ込められていた剛が解放されれば目的を思い出した4人の視線もそちらへと向く。
「「剛!」」
「「剛くん!」」
ガラスの支えを無くし、座り込んだ姿勢で倒れかかる剛を受け止めたのは今にも泣きそうな顔をした玲奈だった。
玲奈の腕に抱かれる剛、頭を突き合わせて覗き込む4人。 だが当の剛は安らかな寝顔をしているだけで一向に目を開かない。
血色の良い顔は到底死人のモノではなかったのだが、焦れる感情は悪い方向へと予感を向けさせこのまま目を覚さないのではないかと錯覚させる。
「剛くん! 剛くん! 剛くんっ!! 目を覚まして!剛くんっ!!! お願いっ!!」
不安は焦りを呼び焦慮へと変わる。
首が捥げるのではないかと言うほどに揺さぶられ流石にやり過ぎだろと止めようとしたとき、そこまでされてようやく眉間に皺が寄り生きている明確な反応が見受けられた。
実際には呼吸はしていたのだから生存の確認と言う点では確かめられたはずではあったのだが、焦りと言うものは正常な思考を阻害し、小学生でも分かりそうなごく普通の当たり前の事ですら頭から抜け落ちてしまっていた。
「れ、な……さん?」
「うんっ!うん! 良かった! 無事で良かった!!」
目を開けた剛を見て安堵から涙が零れ落ち、一緒に見届けた三人の顔にも笑顔が花を咲かせる。
渾身の力で抱きしめられた剛は急速にはっきりしてくる意識の中で状況を理解すると、心配をかけた事に「ごめん」と謝りながら玲奈を抱きしめ返した。
「どこか痛いところとか、おかしなところは無いの?」
「うん、大丈夫だよ。 心配かけて本当に悪いとは思ってる、わざわざ来てくれてありがとう」
少しだけ玲奈を堪能すると起き上がり、咲の問いに笑顔で答える。
人心地がついて笑顔を向けてくる千鶴に感謝を込めて頷くと、伸びてきた克之の手を叩いて感謝の意を伝える。
「ごめん」
立ち上がり今度は剛の方から玲奈を抱きしめると、耳元に呟き4人から離れて行く。
それは玲奈達同様自分の所為で此処へと足を運び、身体に、心に、取り返しのつかないほど深い傷を付ける結果となってしまった二人にどうしても謝りたかったからだ。
フェイトに包まれ眠りながらもイニーツィオで起こった事を見ていた……いや、正確に言えば、剛の内で進化したウイルスSARS-CoV-3.3の力が培養液フェイトによって増幅され、増大した精神感応によりイニーツィオで起こった出来事の全てを感じ取っていた。
駆け付けたは良いがどうすることも出来ずに葛藤していた克之達
負傷する身体を圧して床を這う野乃伽
親友である美香の死を受け止めた絵里
己の意志をぶつけ合い散って行ったSARS-CoV-3.1というウイルスに運命を翻弄された30数名の看護師達
飲みなさいと渡された瓶を両手に床にへたり込み、剛の無事な姿を眺めていた野乃伽。
一糸纏わぬ姿でも堂々たる歩みで自分の方へと近付いて来る事にも驚いたが、すぐ隣にしゃがみ込み、膝を突いた途端に抱きしめられた事は今までの剛を考えたら意外過ぎる行動だった。
「たけ……」
「野乃伽さん、ごめん」
飲まされたフェイトの働きにより弱まった能力でも痛いほどに感じる心からの謝罪。
自分の為に、自分の所為でと己を責め、どうしたら償えるのかばかりを躍起になって考えている。
男性として一皮向けたかのようになんだか雰囲気の違う剛により一層心惹かれるモノを感じていたが、内面は優しい彼のままであることに気持ちが安らぎ、まだ少し痛む手を背中へと回して力を込めた。
「野乃……」
「剛のモノにして……それが私の……唯一の望み」
答えが見出せず直接問おうとすれば、その前に返事が返ってくる。
心を詠める彼女からすれば至極当たり前の事だが、テンパるが故にすっかり頭から抜け落ちていた剛が驚いて顔を離せば「返事は?」と問うように少しだけ首を傾げて微笑みを浮かべていた。
謎めいた雰囲気を醸し出し、目に、髪に、白い肌にと異国情緒を漂わせる物静かな女性、積極的にアピールをされていれば鈍い剛とて好意を寄せられていた事に気付かぬはずもない。
玲奈や咲、絵里とはまた違ったタイプの女性に興味が無かったと言えば嘘になる。
加えて、生き死にに関わるような怪我をさせてしまった事に対する罪悪感。
答えなど分かっていると自信有りげな野乃伽の顔に微笑みを返せば、ゆっくりと重ねられる唇の感触。 それはオアズケにされていた分を取り戻すかのような勢いで舌を求められる口付けだった。
玲奈や咲を裏切る背徳的な行為ながらも晒されたままの男性自身を刺激する興奮を得てしまうのは生物としての本能。
「続きは後……行って?」
大きくなってしまえば流石に恥ずかしい上に待たせている人に合わせる顔がなくなる。
そんな心の叫びを分かってしまう野乃伽は絶妙なタイミングで顔を離すと力無く剛の背中を押した。
(いいなぁ……)
立ち上がろうとすると頭に直接響く心の声、びっくりして顔を向ければ悶々とした顔で興味深々に見ていた菜々実と目が合う。
心の声である事は感覚的に理解したのだが、それは菜々実が発信しようとしたものではなく、フェイトの効果により剛の感受性が高まっていたため勝手に届いてしまった声だった。
左肩から胸へと回された毛先を指に絡めて弄び、物欲しそうな目で見られたとしても、野乃伽の一命を取り留めてくれた事には感謝はすれど菜々実の希望にお応えするわけにはいかない。
臭いものには蓋をしろではないが、目が合ったにも関わらず気付かなかった事にして野乃伽より更に気掛かりな人の元へと向かう。
「絵里さん……」
普段からは想像もできない感情の無い絵里の顔。
「これは私のもの」と主張するように美香の亡骸を抱える姿は痛々しいが、それでも視線だけは水槽から抜け出た剛の動きを追い続けていた。
どう切り出そうかと迷いに迷った挙げ句、すぐ隣に立て膝を突いて自分の胸へと頭を抱き寄せれば、何の抵抗も無くされるがままに倒れ込んでくる。
かける言葉すら見つからずただ黙って栗色の髪を撫で続ければ、静かな水面のように波一つ無かった感情が細波立ったのを感じたと思いきや、突然激しい嵐のように荒れ狂う。
悼み、孤独、悲愁、不安
それは再び頬を濡らす涙として現れ、感受性の高まる剛の内側を穿つ。
肌に突き立てられたスプーンに肉を抉られる感覚、絵里から伝わってきただけとはいえとてもではないが平然とは耐えられぬ心の痛みに肩を抱きしめ撫でていた頭に頬を擦り寄せる。
そんな事で癒されてくれるとは思ってはいなかったが、歯を食いしばり痛みを分かちながらも何度も何度も「ゴメン」と心の中で謝るしか剛が出来る事などありはしなかった。




