47.イニーツィオ
ーー64日目
剛の部屋があるⅣセクション2グループにはいつもの5人が集まっていた。
だがいつもと違うのは剛が戻らない事により漂う重苦しい雰囲気。
腕を組み、足でリズムを刻む克之は今にも掴みかかりそうな顔つきで玉城を見つめ、玲奈が寄りかかる咲も祈るように手を組み、神妙な面持ちで玉城の作業を見守っていた。
「まだかよっ!」
苛立つ克之は声を荒げて立ち上がろうとするが千鶴に掴まれる。 しかも止めるだけで収まらず引き戻されてしまったのは、それだけ彼女の含む思いが強いという事。
「克ちゃん、水無さんだって頑張ってる。 それは認めてあげて?
それに落ち着いてよく考えてみて、男性で初めての適合者である剛くんは大事な実験体なのよ? 捕まったからってすぐに殺されたりしないわ。 準備も無しに慌てて出て行って失敗する方が愚行と言うものよ。
私達しか剛くんを助けられない、そうでしょ?」
「……わりぃ」
珍しく俯いた克之だったが、自分が駄目な方向に走ろうとしている時に限って止めてくれる千鶴に頼もしさを感じ、改めて自分には必要な存在なのだと理解すると愛おしくなってくる。
本当に大丈夫なのか見極めようと目の奥を覗き込んで来る千鶴の肩を抱き寄せれば、思いが勢い余りそのまま唇を奪う。
「人が必死なのに見せつけてくれるね」
キーボードを叩く手は緩めずチラリと横目で二人を見ると苦言だけを吐き捨て作業に集中する。
肝心のキーは無いが逃げ出す方法は運良く見つかり、万全とは言えないが持ち出す為の非常食は多少なりとも貯めてきた。
地底湖までの扉は玉城のマイクロチップをかざせば開くようにシステムも書き換えた。
今、玉城が必死になって探しているのは剛が閉じ込められている水槽の解除コード。
空だった筈の三つ目の大水槽に何者かが入れられたとの情報を見つけたのは今朝方の事。
このタイミングで『特異体』とされる〈三柿野琴音〉に並ぶような重要な人物と言えば男性初となる適合者、剛である可能性が高いと踏んだのは良いが、助け出す為に必要な “鍵” が見つからないのだ。
シュゥゥゥゥンッ
「何だてめぇっ!」
「克ちゃん!」
扉を開けただけでいきり立つ克之を千鶴が押え込んでいる間に扉を閉め水色の目で全員を見回す。
重苦しい空気と表情を見れば状況を把握しているのは聞くまでもなく、パソコンの前に座る玉城で視線を止めると抑揚の無い声を響かせた。
「剛は中央……研究所、すぐに……行こう?」
「何でてめぇがそんな事を言う!? 何を企んでやがるっ!!」
「待って!」
立ち上がり注意を逸らす事で怒りのあまり暴走寸前の克之を制すると、動じた様子もなく扉の前で佇む野乃伽を品定めするかの様にじっと見つめる。
相手はパンドラの看護師、可能性が有るとはいえ味方とは限らない。
「咲の疑問……間違って……ない。 私……はあの男の手……下、でも望ん……でなったわけ……じゃない。
私は剛……が好き、だから助……けたい。 協力す……る、だから私も一緒……に連れてって」
人が嘘をついていれば瞬きが多くなったり視線が外れたりと何かしら変化があるものだが野乃伽には一切それが無い。
それは抑揚の無い声が物語るように稀にいる “動じない性格” なのかもしれないが、看護師という立場上多くの人間と接してきて人を見る目に自信のある咲でも、綺麗な水色の目からは一切の揺らぎを感じなかった。
「貴女が心を詠めるのは剛から聞いた。 告げ口しなかったのは私達と一緒に逃げ出したかったからなの?」
「心が詠めるだとぉっ?」
「克ちゃん、お願いだから静かにしてて」
口にした事を鵜呑みにするわけではないが野乃伽が敵ではないだろうとは薄々分かった。
だが剛を盗られた怒りは収まりがつかず、パンドラ側の人間である黄色いナース服を見ただけで暴れ出したい衝動が我慢できなかったのだ。
そんな克之の両手を引き寄せる千鶴。 正義感が強く激情型の克之では止められない感情と分かり、一人では無理なら自分も手伝うと固く握り締める。
「絵里も同じ……考え、けど……絵里の方が行動……的、剛の事聞い……てすぐに飛び……出して行った。
お願い、剛……も絵里も助け……て、お願い」
頬を伝う涙が顎に溜まり、大きな塊となって床へと向かう。
光を携えた滴、キラキラと輝く宝石のように綺麗な液体がまるでスローモーションのように宙を舞い机の陰へと消えて行くのを真っ白になった頭で眺めていた。
『美しい』
白人のように白い肌と、好みそのものといえるシャープに整った顔、銀色にも見える薄い水色の髪は人工的に取って付けたようにも見える。
天使の微笑みを兼ね揃えた美人、玲奈が “世界最高の女” だと思っていたし、スーパーモデルのような超美人である咲も “綺麗な女” だとは思った。
だが目の前に現れた女は “玉城の為にあつらえた美女” のような運命的な何かを感じてしまっていた。
(天使ちゃんも、お人形ちゃんも僕のものだ!!!!)
必要最低限しか出歩かなかった玉城はこの時初めて野乃伽を目にした。 一瞬で恋に落ちたのはいいが、残念なことに二人とも剛に想いを寄せているという悲しい現実。
だが、そんなことには目もくれず自分が勝ち取るのだと信じて疑わない玉城であったが、これこそが彼がパンドラから逃げ出す為の推進力であった。
しかし、途中で捨てるにしても今は剛を助けなければ二人ともパンドラを出るとは言わないだろう。
しかしそれには解決出来ないでいる大きな問題が降りかかる。
「今すぐ行きたいのは山々なんだけど、剛を檻から出す鍵が見つからないんだ。 もう少しだけ……」
「それなら大……丈夫、私がコード……知ってる」
同じCパケッツの看護師達にも正体を明かさなかったゴーグルを着けた明らかに怪しい風体の看護師。
心を見透かす野乃伽は最初から彼女が自分達に植え付けられたウイルスの祖SARS-CoV-3.1であり、剛の姉である事には気が付いていた。
その純恋から送られてきた一通のメール、そこには剛が捕まった事実と巨大水槽の解除コードが明記されていたのだ。
その意味を正確に理解した野乃伽は絵里だけにその事を話し、飛び出して行った彼女を見て手順を間違えた事を悟ると慌ててこの部屋を訪れ今に至る。
「知ってる!? それは本当なのかい?」
玉城が驚くのも無理はない。 自分は必死に探したのだ、それも夜通し。
八木のパソコン、イニーツィオ内の全てのパソコンを手当たり次第探してみたがロックが掛けられている事実しか分からず、克之の煽りも有り、いい加減焦りを感じていた矢先の救いの手。 これに縋らずして何に縋ると言うのか。
「出来過ぎだろっ、信用するのかよ! 行ったら罠で俺達は捕まって処分されるんじゃないのか?」
「じゃあ克之はこのままここに残るんだ? それならご自由にどうぞ?
私は野乃伽を信じる……っていうか、信じるしか選択肢なんてないよね?」
罠を仕掛けているとしたらもう既に玉城のハッキングがバレている証拠。 それに超能力者である絵里まで味方してくれるのならこの機を逃す手はない。
「当然だね、僕は行くよ。 克之、君も行くだ……ゴホッ!ゴホッ!」
「水無くん!?」
意思とは関係なく出て来る咳に顔をしかめながらもパソコンを閉じると、タブレットを外して席を立ち、自室へ鞄を取りに向かう。
「やっぱ風邪薬じゃ無理みたいだね。 イニーツィオに行くならフェイトもあるだろ?」
SARS-CoV-3.1の進行を知らせる肺炎、発熱や咳が主な症状だが、それを窺わせる玉城の咳はもう既に時間が無い事を示していた。
「クソッ! 行くしかねぇ!!」
選択肢が無いことなど言われるまでもなく分かってはいた。 だが黄色の服にどうしても敵意が感じられてしまう。
それでも友の為にと自分の不安など横に置き奥歯を噛みしめ立ち上がると、部屋から出てきた玉城と目が合い「行くぞ!」と力強く頷いたのだった。
中央研究室イニーツィオの扉はパンドラ幹部四人のマイクロチップでしか開く事が出来ない。
だが美香も持っていた研究員用のカードがあれば入り口の扉だけは開くことが出来た。
ピピッ ピッ
シュゥゥゥゥンッ
「剛くんっ!!」
部屋へ入るなり叫んではみるが捕まっていると聞かされた剛からの返事など当然のように無く、壁の色と照明の少なさが相まって薄暗い静かな部屋には、巨大な水槽の中で眠ったままのアトロポスが揺れている。
呼び出される度に目にした大水槽、その奥に更に二つの水槽があるのを絵里は知っていた。
「そんなに慌ててどうしたんだい? 六條くん」
周りを取り囲む小さな水槽達をすり抜け美月の水槽を回り込む。
剛の姿が見えて心高鳴るタイミングを見計らったかのように、膝まである長い白衣を壁にしてそれを覆い隠してしまった。
「っ! 剛くんを返して!!!」
話を聞いた時には何の冗談だとも思ったが、言い知れぬ不安から来てみれば紛れもない事実だった。
やっと振り向いてくれた剛が奪われた事は温厚な絵里の理性を吹き飛ばすほどの怒りを湧き起こし、あと一歩、キレる寸前だ。
「人聞きの悪い事を言わないでもらえるかな? 私は人のモノを盗ったりしない」
「ふざけないで!! じゃあどうして剛くんがそんなところにいるのよ!?」
「彼は自らの意思で私の研究に協力を申し出た、それだけの話しだ」
「嘘よっ!嘘!嘘!全部嘘!!そんなの絶対に嘘だわっ! 剛くんを、返してっ!返してよぉっ!!
かえせぇぇぇぇぇぇっっ!!!!!!」
自制をやめた念動力は感情のままに全力で動き出す。
近くにあった二つの水槽が割れて中にいた胎児が肉片と化し、流れ出るフェイトと共に床へと落ちて行く。
そして超圧縮された空気が自分の邪魔をしようと立ちはだかる八木へと襲いかかる。
元々目に見えない力、歪んだ空気だけがその力の存在を見せる唯一の手掛かりではあるのだが、そのスピードは八木のような常人では反応すら出来ないモノであった。
「ハンッ!」
届くことのなかった絵里の力、一瞬似たような空気の歪みが八木の目の前に現れたかと思うと、次の瞬間には消えて無くなっている。
「いつまでも最強と思って調子こくんじゃねぇぞ、小娘がっ!」
まさに瞬きの間のほんの一瞬、それさえも捉え的確に対処してくれた未来に感謝はすれど、これからは女性上位で男には生きにくい世の中になるのだろうと冷静に生き先を悲観していた。
「おらおらおらっ、さっきの威勢はどうしたよっ? もう終わりかぁ?」
元々怒る事が苦手だった絵里、感情が行き詰まりキレはしたものの、すぐに治まってしまったのが押される原因の一つでもあった。
「くぅぅっ……」
連続して襲い掛かる見えない力、だが
SARS-CoV-3.1により強化された感覚はそれすらも捉え反応させる。
小出しに撃ち込まれる未来の力は反撃を許さず、防御に徹するしか無い。
力の行使の練習はした事があっても戦闘訓練など受けた事はなく、対人を想定して修練した未来のようには上手くいかない。
「ほら!ほら!ほらっ! よぉしっ、チェックメイトだ、あはははははははははっ」
歪んでは消える力の込められた空気達、その距離を徐々に詰めると特大の一撃がトドメとばかりき襲い掛かった。
「きゃぁああぁぁぁっ!!」
ギリギリ防いだものの反動で飛ばされる絵里、小水槽の台座に背中をぶつけながらもそれを抱き留めたのは親友である美香だった。
「ケホッ……諦めるなとは言ったけど剛を想うのが過ぎたわね、お馬鹿さん?」
「み、か……んっ」
戦っている最中だというのに不意に塞がれた唇、そんな事をしている場合ではないと分かりながらも身体に力が入らず抗う事が出来ない。
押し入ってくる美香の舌は絵里の思考を更に奪い、自分から美香を求めて絡み始める。
「あふぅ…………美香ぁ……」
零れた涎を口の端に光らせ、トロンとした目で目の前の美香を見つめる。
その瞳には先程までの強い意思は無く、瞳孔が開いて頬が緩んでしまっていた。
「何度見ても素晴らしい能力だね、末恐ろしいよ」
「褒められても何も出ませんよ?」
「そうか、それは実に残念だ」
力無く頬に手を添わせ、名前を連呼して唇を求める姿は、美香の呪縛に囚われ完全なる支配下に成り下がった証拠。
ついさっきまで未来と戦っていた絵里がその状態、これが万人に影響を及ぼすまでに成長すれば向かうところ敵無しだ。
超能力同士の戦いは常人についていける領域でない事は体験出来た。 これならば商品として申し分ないだろう。
それに未来の服用した能力を高める薬。
最高の適正を示し、もっとも強い超能力を得ていたはずの絵里を圧倒した薬の力は目を見張るモノがあり、対人訓練を積んだという差はあれど能力の差の方が大きく出ていた様に思えた。
自分に従順な未来の方が優れた超能力を持つのであれば、反発の強い絵里をわざわざ優遇する事もない。
「先生? 約束は守って下さいよ?」
「ん? ああ、勿論だとも」
絵里を蔑ろにすれば万能ではないとはいえ便利な能力を有する美香を手放す事になりかねない、それは望ましい事ではなかった。
「ふふっ、嘘が下手ですね、先生?
先生は人間の卵を集めてましたよね? SARS-CoV-3発祥の家系であり男性初のSARS-CoV-3.1の適合者である剛と、優秀な女性適合者との受精卵、欲しくはありませんか?」
お腹をさするだけで甘い声を漏らす絵里、意味深な目を向ける美香の言う事などそんな事をしなくても分かる。 惹かれ合う二人ならいとも簡単に子供を無し受精卵を手に入れられるだろう。
SARS-CoV-3.1の適正を得られるのは女性でも40%、成人女性をウイルスで犯し生きるか死ぬかを待つよりも、適正を持つ女性から生まれる子供を育てる方が効率が良いかもと考えて始めた実験。
その能力も母体に影響を受けるとしたら絵里ほど適正のある女はとても魅力的であった。
「魅力的な提案だね。 是非……ん?」
八木の言いかけた言葉、それは扉の開く音で遮られる事となった。




