46.負け犬
パンドラに入所する際に靴は全て袋に入れて “使うな” と指示されていた。
だが事前に持ち込まれた靴を履く黄色い看護師達は、使い捨ての簡易スリッパではなく普通のナースシューズを履いていた。
コッ、コッ、コッ、コッ、コッ……
規則正しいリズムを刻み暗がりを進む女は真正面で目立つ美月の前まで行くと足を止め、その身体を上から下までじっくりと眺めると溜息を漏らす。
それがどう言う意味を持っていたのかは彼女に聞かないと分からないが、明らかな落胆の色が混ざっていたようにも見える。
今度は短くリズムを刻むと、もう一つの水槽の前でガラスに手をつき物思いに耽り始めたようだ。
「立派に成長しおって……」
「ぷふっっ!」
誰もいないかと思った室内、不意に聞こえた声に視線を向ければパソコンの影に隠れるように伏せた女の姿がある。
だが隠れているにしては様子がおかしく、机の下に見える足がバタバタと動いていた。
「はーっおもしろっ!面白過ぎっ!
アンタねぇ、私を笑い殺しにする気? 弟の股間見つめてソレは無いでしょっ!?」
目に涙を浮かべてまで笑う菜々実は必死に笑いを堪えてみたものの、とてもではないが堪えきれずに机をバンバンと叩きまくって最大限に感情を表す。
「お〜きなっイチモツを〜く〜だ〜さ〜いぃ?」
横を向き、ありえないくらい膨らんだ股間を両手で表現してみせれば、遠慮もなしに豪快に吹き出す菜々実。
「ひ〜っ!ひ〜っ!ひぃぃっ!!お腹っ、痛いっ!あーおもしろっ!何よ、それ何なのよっ!!」
背もたれに身体を預けて倒れんばかりにのけ反り、腹を抱えて爆笑しながら足までバタつかせるものだから、バランスを失い椅子から転げ落ちてしまう。
だがそれでも収まりはつかなかったようで、静かな室内には小さな子供のように無邪気に笑う菜々実の声だけが響いていた。
「あんたさ、お笑いとか見ないわけ? 年末の長時間番組でもやってたネタだよ? 知らないとかありえないわぁ〜」
腰に手を当て呆れる女、それはヘルメットにゴーグル、更に背中に垂らす細長いスカーフまで首に巻いたゴーグル看護師、もといクロトだ。
「あ〜、テレビはあったけど全然見なかったからね」
「無いならまだしも有るなら見ろよっ!ってか、普段何してたん?」
「んん〜? 研究?」
「はああっ!? ばっかじゃないの? 家帰ってまで研究とかマジ信じらんない、この気違いっ!」
「うるっさいわねぇ、アンタだって似たようなもんでしょ?」
「ち〜が〜い〜ま〜すぅ〜、研究が友達ってキチと違ってちゃんと人間の友達だっていたしぃ、他の人とコミュニケーションも取れてたっつぅのっ!」
「でも彼氏はいなかった、そうよね?」
「ゴフッ! 貴様、何故それを……」
パンドラで “クロト” と言うコードネームを与えられた彼女の本名は《神宮寺 純恋》
剛の姉である彼女は、その名の通りパンドラにおける臨床試験の基盤となったSARS-CoV-3.1の発祥母体だ。
工学系の大学へと進んだ純恋は成績優秀な上に研究好き。 分野は違えど菜々実とは気が合い、年の差を感じさせないほど仲が良くなるのに時間を必要としなかった。
「それで言うに事欠いて実の弟を狙ってたって?」
「いや、それは無い」
ピシャリと言い放つ純恋だったが弟である剛が可愛いとは思えど、彼氏にするとなるとそれは違うと感じてはいた。
しかし、いいなぁと思うのは何故か剛に似ている人が多いことには気が付いていた。
容姿もさる事ながら、明るく活発な純恋は運動も勉強も出来る剛とは対照的なアイドル系才女。
当然のように男子ウケも良く色んな男から告白をされてはいたのだが、性格に癖のある彼女は付き合ってみると何かが違うと長続きはしないで終わることもしばしば。
だがそれは見た目の所為なのだと勝手に決めつけ、親友である玲奈に「玲奈は良いな、玲奈みたいな顔に生まれたかった」と口癖のように溢していたのは剛の耳にも入っていた。
「ふぅ〜ん、まぁ、それならそれでいいけど?
ところで何しに来たの?
妹の身体に負けを認めるのと、弟のイチモツを見るためにわざわざ来た訳じゃないんでしょ?」
「両方ついでだっつぅのっ! ってか、負けてないしっ!」
「嘘おっしゃい。 大きさも程良くバランスも良い、あんな形のいいバストなかなか無いんじゃない? 私も羨ましいと思うわ」
口惜しそうに舌打ちをするのは本当は自分が劣るのが分かっているから。
男性がイチモツの大きさを気にする様に女性は胸の大きさやスタイルの良さを気にして比べがちなのだが、それを見て好きになるかどうかを判断する者などほんの一握りしかおらず、好きになった異性が持つモノであれば文句など何も言わないだろう。
「剛、どんな状態なの? やっぱりまた亜種なの?」
声色の変わった純恋の様子に楽しい遊びは終わりかと残念がる菜々実ではあったが、そこは年の功、気持ちを切り替え真摯に答える。
「まだ分からない、ってのが今の段階での答えかな。 けど、貴女同様SARS-CoV-3の亜種である可能性が高いわね」
「能力は分かってるの?」
「それがさっぱり。 なんと言っても男性で初の適合者だからね、興味深々なんだけどまだ何も分かってないのよねぇ。
貴女ずっと彼を監視してたんでしょ? 心当たりはないの?」
「あるよ」
会話の流れで口にしただけの言葉に思わぬ答えが返ってきて耳を疑う。
まだ調べ始めたばかりで何も分からない手探りの状態なのだが、能力の心当たりがあると聞けば研究の足がかりとなるので研究者としては例え冗談でも聞き流す事など出来なかった。
「女誑し」
「……え?」
「女を誑し込む力だよ、ハーレムチート?」
「え?何? 日本語話してくれる?」
女を誑し込む能力、それは子孫を残す為には重要な能力ではあるのだが、そんな物があったと分かっても嬉しくもなんともない。
寧ろ、身体能力が飛び抜けスーパーマンのようになった純恋、精神系超能力が飛躍的に特化した可能性のあるサイコニスト美月と比べたら丸めてゴミ箱に捨ててしまいたいくらいの使い道の無い能力だ。
「手始めに六條絵里を誑し込んでぞっこんラブラブにしたのは聞いてる?」
「ぞっこんラブラブって……アンタ、いくつなのよ」
「そして月城咲、西脇玲奈に魔の手を伸ばしながら剛に関わったCパケの看護師へと手を拡げた。
天野秞子、杉浦野乃伽を堕としながら秋篠芽衣裟、堀田美菜水の心を惹く様は魔性の女ならぬ魔性の男、これが剛の能力でなくて何だと言うのだっ!?
こいつは悪魔だっ!
今はまだ自制心という良心があるようだが、タガが外れればセッ◯スマシーンと化し手当たり次第に女を孕ませることだろう」
「アンタ実の弟に対してその物言いは……」
「羨ましい、実に羨ましいっ。 出来れば私もそこに加えて欲し……ハッ!?」
「ハッ、じゃないわよ。 調子に乗って本心曝け出し過ぎでしょ? いい大人なんだから自制しなさい? じ・せ・いっ」
黙りこくる純恋は唇を噛みしめ悔しそうではあったが、すぐに気持ちを切り替えれる辺りが彼女の良いところではあった。
「でも、それが本当なら全然魅力に感じない能力よね」
「分かってないなぁ……SARS-CoV-3.1の特徴を忘れたの?
女は総人口の60%を減少させ特殊能力を与えて凶暴化、けど男は100%居なくなるのよ?
仮に世界中全ての男が死滅したとしたら、適性を得た剛だけが種の保存の為の最後の砦となる。 つまり、人間が人間としての社会を継続していく上で剛という存在は絶対的に必要とされ、全ての人間が崇める唯一無二の存在となるのよ!」
「う〜ん、そう言われればそうよねぇ。 でもそれだったら尚のこと女を惹きつける能力なんて無くても寄ってたかってになるんじゃないかしら?」
尤もな事を言われてキョトンとするが、男が一人しか居ないのであればそこに頼るしか種の保存は不可能であり、仕方なくでも身を差し出し子を儲けようとするのが生物としての本能だろう。
「まぁ、良いわ。 それで、結局何しに来たの?」
手のひらを拳で叩くとポケットを漁り小箱を取り出す。
入る者を制限する部屋で盗聴器があるとは思えなかったが、信用など出来ないパンドラ内ではどこでも必ず調べてから聞かれたくない会話をしようと決めていた。
「裏切る決心はついた?」
「ちょっ! 話の流れとか言い方とかってもんがあるでしょ?」
「私、そういうまどろっこしいの面倒臭いから嫌いなのよね〜」
「はっは〜ん、アンタが男にモテない理由はソレ、か」
「なんですとっ!?」
「一見サバサバしてて付き合いやすそうに感じるけど、その実、効率を重視し過ぎて合わせきれない。 同じ考えの男ならいざ知らず、世の男から見たら何考えてるか分からない掴み難い奴か、ただのガサツな女に見えるんでしょうね。
可愛い顔して性格も明るい、けど蓋を開けてみたら変人と感じるか男女と感じるかの二択。
取り敢えず一、二ヶ月なら我慢してみるけどやっぱり無理って逃げ出されることがしばしば……違う?」
膝から崩れ落ちると胸を押さえて四つん這いになる。
愕然とする顔を見れば自覚はあったのかと呆れてそれ以上何も言う気になれなかった。
性格とは生きてきた人生が映し出されるものだから変えようと思ってもおいそれと変えられるものではないのだが、多少なりとも努力すれば良いのにと思いながらも動きの止まった純恋に近寄り肩を叩いた。
「どんまいっ」
「ちくしょう……」
唇を噛みしめ本当に悔しそうな顔をしていたのでそれ以上攻めては駄目だと感じながらも、会ってたったの数ヶ月なのに妙に気が合う彼女とはずっと友達でいられたらなどと考えていた。
「私の答えはもう示したはずよ? 今更確認なんて必要ある?」
「確認は重要よ? 特に人間の意思なんてコロコロ変わるものだからね、土壇場で手のひら返す奴までいるから気を付けないと」
「う〜ん、気になるコメントだけど今は聞かずにおくわ」
「…………」
「だいたいそれ、私に言っちゃ駄目じゃない?」
「………………」
「わーかったわよ、分かった! そんな捨てられた猫のような顔するの止めなさいよっ。
旅行に行く準備は出来てる。 でも船の事は聞いたことなかったし、当然鍵の在りかは知らないわ。 算段はあるの?」
「ったく、役に立たないわねぇ……貰った地図は彼に見せた、剛もここに捕らえられた、となれば多分すぐに動きがある筈よ」
「Roger that」
(了解)
立ち上がった菜々実は元居た机へと戻り、転がったままだった椅子を直すとパソコンを叩き始めた。
静かになった室内にはその音だけが響いている。
立ち上がりもう一度剛の顔を見上げた純恋は部屋の入り口へ向けて歩き始めたのだが、ふと足を止めると振り返り思いついた疑問を投げかける。
「ねぇ」
「な〜にぃ? まだ何かあった?」
手は休めず返事だけ返してくるが、聞く気があるのなら良いかとそのまま続ける。
「あの男のどこが好きだったの?」
「昔はね、人間の為になる研究を沢山していた良い先生だった。 もちろん今でもその想いはあるんだろうけど、超能力なんてモノを見つけてから視点が逸れちゃったみたい。
勿論、人間の進化という点で言えば素晴らしい発見だとは思うわ。 けど、その為の代償はあまりにも大き過ぎる。
だからかな? 私、疲れちゃったのよね」
「それって……私の所為ってこと?」
手を止め顔を上げるが、離れている上にゴーグルをしていては表情など伺えない。
だが自分の体から見つかったウイルスに注目され、二度に渡る大規模な実験により大勢の命が失われている事を知っている純恋が自分の事を悲観しているのは菜々実にも分かっていた。
「馬鹿な事考えるのはおよしなさい? 貴女が生まれたのも、その力を手に入れたのも、きっと神様が決めた運命なのよ。
だったら、貴女は貴女の思う正義を貫きなさい。 それがきっと貴女に与えられた使命なんじゃないかしら?
少なくとも私は貴女を恨んでるワケじゃないし、男なんて他にいくらでもいるわ」
再び横を向き外国人の大きなイチモツが目当てなのかと、両手で頭より膨らんだ股間を表現する。
その姿に軽く吹き出してしまうが、同時に溜息も出る。
「アンタさぁ、頭の中ピンク色なワケ? それも男が逃げ出す理由の一つだよね。 あんまり露骨なのは退かれるだけよ?
ほら、行った行ったっ。 私も暇なワケじゃないのよ?」
せっかく男性受けする可愛い容姿にも関わらず内面に難ありと切り捨てられた事で「分かってはいるけど止められないんだよ!」と文句を言いつつも溜息が出てしまう。
追い討ちをかけられ項垂れる純恋、犬でも追い払うように軽々しく振られる手に従い足取り重く入り口へと向かって行くのだった。




