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パンデミック  作者: 桜桃なる猫
第四章 悲劇の研究所
45/59

45.大切に思うモノ



「美月っ!美月っ!美月っ!美月っ!美月ぃぃぃぃぃぃっ!!!」



 水槽で眠る妹に駆け寄り、力の限りガラスを叩いて「目を覚ませ」と呼び続ける剛。


 死んだ筈の美月がそこにいる事は計り知れない喜びではあったが、呼べども呼べども眉の一つも動かさずホルマリン漬けにされた標本のようにも思えてくる。



「美月……なんで……」



 もし死んでいたとしたら12歳だった少女の身体が大人へと成長する事などなかっただろう。

 だが、夢などではなく家族がそこにいる、その事実は冷静さを失わせるのに十分な理由だった。


 必死の呼びかけにも反応を示さない美月、せっかく会えたのに死んでいるのかと不安が過り水槽に顔を寄せ泣き崩れる。



「君の呼びかけにも応えない、か……困った娘だな」



 顔を上げれば、腰に手を当て溜息を吐く八木の姿。


 医者、全ての病を治し健康な姿へと戻してくれる存在。

今まで一度たりともそんなことを思った事は無かったのだが、白衣が目に入った途端に頼れるのはこの人しかいないと思えてしまう。


 この人ならば美月を救ってくれる! 元の元気な美月を取り戻してくれる!


 何故かそんな言葉が頭を過ぎる。



「先生っ! 美月は……美月は生きているんですかっ!?」



 立ち膝のまま縋る先を変えると、白衣を掴み涙ながらに自分の欲しい答えを求める。


 剛の思いに応えるように肩に置かれた大きな手、そこから伝わってくるのは暖かみのある温もり。 安心を与える穏やかな笑顔は「大丈夫だ」と告げているように思えてくる。



「彼女は見ての通り死んでなんかいないよ、先ずは落ち着いて立つんだ。 彼女の美しい顔をよく見てごらん? 君にはあれが死んだ者の顔に見えるのかい?」



 嘘かどうかなど分からなかった。 いや、寧ろどうでもよかった。


『死んでない』


 欲しかったその言葉は魔法のように剛の心へと染み込んでいく。



 落ち着きを放つ声に促されて立ち上がると、言われるがままにもう一度見上げてみる。


 安心を得て多少なりとも冷静さを取り戻せばそこにいるのは全裸の妹。

 知らぬ間に大きく育った胸は剛の興味を惹くものではあったが見てはいけないモノだと自制して顔を見れば、夢で見た通りに可愛さと美しさが共存する幼さの残る大人の顔へと成長している。



「美月……は、生きてる?」



「二ヶ月前、私達の暮らしていた国が滅びた理由を覚えてるかい? 新種のウイルスを核で焼き尽くす、そんなくだらない理由で1億3,000万もの人間がこの世から消された。

 愚かしいと思うだろ? まぁ、それは今は置いておこう。


 残念な事に彼女は運悪くそのウイルスSARS-CoV-(サード)3に侵されていた。

 それを知った私は彼女を救うため、この水色の液体フェイトに浸したのだ。


 その後の経過は順調ではあったものの副作用からなのか髪は赤へと変色し、身体は見ての通り立派な大人へと成長を遂げたのだ。


 変わった副作用ではあったが、時間をかけウイルスは克服した。


 ここからが問題で、身体の内部には異常は認められない、脳波も正常である事も確認済みだ。

 だが意識だけが戻らない。


 彼女は二ヶ月も眠ったままなのだよ」



 頭に浮かんで来るのは『植物状態』と言う言葉、脳機能は正常であるのに目覚めないと言えばそれしか思いつかなかった。

 再び訪れる絶望感、ベッドから起き上がる事もなければ話しかけても返事はしない。 それは事実上死んでいるようなもの。


 そんな状態に美月が……元気だった美月はだった二ヶ月で変わり果ててしまった。



「身内と接触すればもしかしたらと思ったのだが、結果はご覧の通りのようだ。


 話しは変わるが君を呼び出した理由、それは君の身体に異状が認められたからだ。


 彼女と同じく新しいウイルスに侵されている可能性が濃厚だ。 このまま放っておけば高い確率で肺炎を起こし数週間で死に至るだろう。


 そこで提案なんだが、彼女がああなった原因を探るためにも君も同じようにあの中に入ってもらいたいんだが、了承してくれるかな?」



 八木がウイルスを植え付けた事を知っている筈の剛だったが「お前の所為だ!」と怒る気にはなれず、ただゆっくりと美月を見上げる。



「先生、美月は元に戻るんですか?」


「彼女が目覚める確約は出来ない、だが最善を尽くす事は約束出来る。

 それに、君の為にも治療は受けてもらいたい」



 自分があそこに入れば美月は助かる、そう思えば剛に選択の余地は無かった。


 ただ大きな心残りがある。


 あと一月も立たずに死ぬかも知れない玲奈と咲にもう会えないかもと思うと簡単に “YES” とは答えられない。



「大丈夫、玲奈達とは少ししたらまた会えるわ。 だから治療を受けて、ウイルスに勝って、元気な剛になってからまた会いに行けばいい」


「心の準備が出来たのなら服を脱いでこちらに来たまえ」



 美香の説得で “後で会えばいいのか” と単純に納得すれば、言われるがままに服のボタンを外し始める。

 だが、ふと上げた視線が美月の眠る隣の水槽を捉えると、そこに漂う赤い髪が目に付いた。


(あれは……)


 服を脱がなきゃと思いボタンを外しつつも一歩前へ踏み出せば、そこに居たのはまごう事なき夢で会ったまんまの琴音の姿。



『助けて! オヤツのお兄ちゃん!』

「琴音ちゃんっ!!!」



 交わした約束が思い起こされれば靄がかかったような意識がハッキリとし、八木に言われるがままに実験に加わろうとしている自分を自分で殴りたくなる!


 沸き起こる怒りは唇を噛み切るほどに溢れかえり、八木を打つために握った拳は血液を止めるほど硬く握り締められた。



「おやおや? これは驚いた、琴音とも知り合いだったのかい?」


「剛! 美月はどうなってもいいの!?」


「くぅっっ……み、つき……うぁぁぁくあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!!!!」



 たった一言で霧散する怒りの感情。



 美香の声が頭の奥底に響き渡り、内側から弾けそうな感覚に耐え難い鈍痛を感じる。

 激しい痛みに堪らず両手を当てて掻き毟るが、立っていられなくなりしゃがみ込んでしまった。


「美月を助けるんでしょ? 服を脱ぎなさい」


「美月を……助ける……美月……を……」


 美香の声を合図に割れんばかりの頭痛は嘘のように退いて行き、後に残ったのは美月を助けなければという使命感。

 そのまま立ち上がり残りのボタンを外すと、人前でありながら恥じらいもせずシャツもパンツも脱ぎ捨て言われた通りの全裸になってしまう。



「さあ、君が入るのはあそこだよ」



 空だった最後の試験管。 ガラス部分が機械に持ち上げられ八木の指示で立ち位置を変えれば、ゆっくりとガラス管が戻って来る。


「そのフェイトは特別な液体だ、肺に入っても溺れる事はない。 大丈夫だから慌てず呼吸するようにゆっくりと吸い込むんだ」


 足元から勢いよく湧き出てくる水色の液体は徐々に剛を飲み込んで行く。

 その様子を他人事のように見ているといよいよ首まで埋まってしまった。


「大丈夫、怖くないさ。 ほんの一瞬違和感があるだろうが、すぐに眠くなるよ。

 おやすみ剛くん」


 助言に従いフェイトを吸い込むと肺に入った感覚に苦しくて咽せてしまったが、そのすぐ後には剛の意識は消えていた。




「いつ見ても君の力は凄いものだな。 私もその力に侵されていないかと思うと怖くなるよ」


 剛の服を拾い上げ邪魔にならない場所に置きに行く美香に向け肩を竦めて見せるが、八木の狙いは本当に自分は大丈夫なのかとカマをかけたかっただけ。

 あれほど見事に意思を奪い去られては心配になるのは当然だった。


「先生が約束を守ってくださるなら私がそんな事する必要無いんじゃありませんか?」


「約束とは絵里の事かい?」


 臆病な態度に笑いが漏れるが、美香の洗脳とも言える暗示は誰に対してでも出来るような万能なものではなかった。


 剛の場合、精神的に弱いのでかかりやすい人間である上に、数日前に絵里に対する暗示を行ったため輪をかけて御しやすい状態であった。

 それに加えて美月を見て取り乱していた、これでは美香の下僕にしてくださいと言っているようなもの。



「お忘れになったと言うならばもう一度伝えますが、私の望みは絵里と私が今後とも生き続ける事。 他の誰がどうなろうが知った事ではありません。

 先生が私の望みを叶えてくれると感じてる間は先生の心を無理矢理制御する必要など無いと思いませんか?」



 黒縁眼鏡を指で押し上げる姿に少しばかりの恐怖を感じる。

 そんな美香だが、吐き出した言葉の通り絵里さえ優遇してやれば非常に優秀な駒として大いに役立ってくれる便利な存在だ。


 利害の一致、二人の間にあったのは主従でもなければ忠誠でもない、至ってシンプルな関係だった。



「SARS-CoV-3(クロト).1に最適性を示した絵里を私が手放すとでも?

 それに、便利過ぎるが故に敵に回したら厄介な君の機嫌を損ねるようなやり方は得策ではないとは思わないかね?」


「賢い先生には賢いやり方がお似合いです。

それでは今後とも絵里をよろしくお願いしますね、先生?」




 靴音を残しイニーツィオを出て行った美香。

 一人残された八木は疲労した心を癒すべくフェイトに揺られる美月を見上げる。


 愛する家族を取り戻そうと心の隙を突かれて試験管に入れられた剛、愛する者の為だけに自分に従い利用する美香。



「愛するという感情は、人を冷静でいられなくすると言うことか。 興味深いな」



 菜々実は恋慕から八木を欲するし、未来は敬慕から文句一つ言うこと無く八木に従う。 笹野は敬愛するが故に従っているのだろうし、肉欲に溺れる佳子も偏りはあれど八木を愛しているのだろう。


「唯一どうなるか分からなかった剛も上手いこと適合したようだし、あの女はもう要らないな……研究員達の特別報酬として払下げるか」


 自分の側に居る女達は様々な愛で関係が築かれている。

 さして興味が無かった『愛』という感情に気付けば、有利な人間関係を築くのに利用できるのかと計算が頭に湧いて来る。


「君の母親は飢えた野獣の玩具となり、やがて命を落とすことだろう。 君はそれを知りながら放っておくつもりかね?

 家族への愛があるのなら目覚めて止めてやると良い。 愛の力とやらがあるのなら私に見せておくれ?」






 剛が連れ出されたグループルームでは以前から疑問に感じていた事を克之が投げかけていた。


「最近の剛、変わったと思わねぇか?」


「変わったって?」


 剛が心配だと咲の胸に倒れ込んで頭を撫でられていた玲奈も、剛の話題が出れば起き上がり興味を示す。



「良いことなんだぜ? けどよ、アイツが学校で一言も喋らないようなネクラだったってのは知ってるだろ?」


「そうね、私達に慣れたっていうのはあるのかもしれないけど、最近の剛くんを見てるとそんな感じはしないわね。 それが何?」



 人とどう接して良いのか分からず、極論として人とのコミュニケーション自体を拒んでいた。

 良い方に変わって来たとはいえ、そんな奴がたかが二ヶ月の間に二人の彼女を作り、あまつさえ三人目にまで手を出した事実がどうしても納得いかなかったのだ。



「そう言われてみればそうかも知れないけど、今までの反動とかじゃないの?」


「それも考えられることだが何の前触れも無く咲に告白してる時点でおかしいと思ってたんだ。 アイツだったらソワソワしてみせて俺達から理由を聞かせるとか、何らかの兆候があっても良さそうなんだがそれも無かった。

 自分でも言ってたろ? 何でいきなり告白に至ったのか分からないってよ」


「うーん、確かに剛くんの性格を考えると変って言えば変?」



 つい最近まで寄り添って座るだけで緊張して固まっていたのだ。 それがある程度は仲良くしていたとはいえ絵里を抱いたなどと聞けば流石におかしいと感じるのは当然の反応で、皆に疑問をぶつけるタイミングを図っていた克之。


「それで、君は何を考えたんだい? こうして話を振るって事は何かしらの考察が思い浮かんだんだろ?」


 興味無さげにキーボードを叩いていた玉城だったが、その手を止めると克之の顔を見て眼鏡のフレームを指で押し上げる。



「ああ、証拠なんて何もないんだが、もし仮にそれが剛に適合したウイルスの影響だとしたら?」


 超能力が使えるようになるような特殊なウイルス、咲に告白をしたときには既にSARS-CoV-3(クロト).1と適合を果たしており、その影響で内向的だった性格が変わって来たのではないかと言う。


 それに加えて琴音と会話したと言う剛の夢、不思議な事が重なると想像に基づく仮の話しとは言え信憑性は増して行く。



「仮説ではなく事実としてウイルスと適合していた、それが健康診断か何かで発覚し連れて行かれた?」


「その可能性が高い気がしてならない。

玉城、もし剛が戻らないような事があれば俺はヴィルカントに乗り込む。 そんな事をすればハッキングはバレるだろうがどっちみちそろそろ時間は無いんだ。

 そのまま村松菜々実を攫ってパンドラを出る算段を整えられるか?」


「冗談はほどほどにしてくれよ、扉を開く事くらいならワケはない。 けど、例え松村菜々実を攫えたとしてもフェイト製造の為の材料は?機材はどうするつもりなんだい?

 それに潜水艇の鍵のありかもまだ明らかになっていない、完全に時期尚早だ!」



 机を叩いて抗議する玉城の言うことは尤もだったが、それでも剛が盗られたのなら盗り返さなければ友達などとはとても言えない。


 剛を助けると訴える克之と、我慢しろと主張する玉城、女性三人は克之の意見に賛成ではあったが玉城の言い分も理解してしまい口を挟めず静観している。



「無理は分かってる、が、それでもだっ」



 顔色が悪く見えるほど不安そうな表情を浮かべる玲奈、そんな彼女を見てしまえば例え居なくなればいいと思っている男とて見捨てる気にはなれない。

 玲奈をこれ以上悲しませたくない、その想いだけが玉城の首を縦に振らせる。


「できる範囲の努力はするよ。 けど、期待はしないでくれ」


「それでいい、頼む」












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