44.赤髪の乙女
芽衣裟の証言通り施術自体は何の痛みもなくあっという間に終わった。
散々恐怖に震えていた事が馬鹿みたいに思えるほどに呆気なく、自分の身体に宿った筈の命が奪われた少しばかりの罪悪感だけを残して手術室を後にした。
「剛くんには内緒にして」
恋人のように寄り添い歩く玲奈は自分だけの胸に仕舞い込もうとするが、目の前で呼び出されて行ったのだ、何の用だったのかと聞かれるのは目に見えている。
「二人の問……」
「咲さんだって秘密にしておきたい事の一つや二つ、あるでしょう? お願い」
別に『言ったら私も言う』と脅されている訳ではなかった、だがこれは玲奈の問題。 彼女が言いたくないと言えば協力してあげるのが友達というものだろう。
今日はこのまま部屋に戻ろうとルーエの中を歩いていれば、今は会わない方がいいと思っていた人の声が聞こえてきてしまう。
「玲奈さんっ、咲さんっ」
剛も剛で絵里に呼ばれていた事は知っていた。
個人的な呼び出しが何の話しなのかは察しがつくのだが、走り寄ると思い詰めた顔をして何かを言いかけたクセにそこで止めてしまう。
「すみませんでした!!!!」
目の前でしゃがみ込んだかと思えば突然土下座で額を床へと擦り付ける。
「ちょっと何してるの!?」
「た、剛くん!?」
人の少ない夕方に当たる時間帯、人の目につき難い場所だったのは幸いし目撃したのは数人だったようだが、訳もわからず人前でそんな事をされて慌てない筈がない。
「ごめんなさいっ!ごめんなさいっ!ごめんなさいっ!ごめんなさいっ!ごめんなさいっ!ごめんなさいっ!ごめんなさいっ!」
ひたすら謝り続ける剛は咲達の言葉など耳に入らず、腕を掴んで立たせようとしても頑として動こうとしない事にいい加減 イラッ とした咲が力尽くでひっくり返す。
「まずは何があったのか説明しなさい。
いきなりそんな事されれば許せる事も許す気になれなくなるよっ」
馬乗りにされて胸倉を掴まれ、ようやく咲の言葉が耳に届く。
自身のとった行動を後になって悔やみ、どうしようかと思い悩んでいた時に玲奈と咲の姿を見かけて何はともあれ謝らなければ!との思いが先立ったのだ。
無我夢中で駆け寄ったまでは覚えていたが、気が付けば咲が怖い顔で見下ろしていた。
「ご、ごめん……」
冷静さを取り戻したと判断するや自分のしている事に気付き「しまった!」と思うものの後の祭りだ。
玲奈の冷たい視線に晒されながらもそそくさと降りると手を差し伸べて起こしてやろうとしたのだが、剛は剛で思うところがあるようでそのままそこに正座してしまう。
「僕は玲奈さんと咲さんを裏切りました」
膝の上に置かれた拳を見つめる剛。
仕方無しにしゃがみ込んで話しを聞けば、たった今、絵里と関係を結んできたというから驚いてしまう。
他人と接する事が苦手、奥手で誠実な彼が理由も無しにそんな事をする筈がないと問いただせば、野乃伽の超能力により玉城のしている事がバレている事、それを絵里が知ってしまった事を暴露してくる。
「絵里に脅されてって事?」
「絵里さんはそう言えばいいって言ったけど、そうじゃないんだ。
自分でもおかしい事は分かってる、分かってるんだけどどうやら僕は絵里さんの事も好きみたいなんだ。
だからあれは僕の意思、僕が全部悪いんだ」
横を見れば何かを考え目を瞑る玲奈、仕方なくならまだしも自分の意思でと言われれば言いたいことも沢山あるのだろう。
「剛くんは私の事を嫌いになったの?」
正座する男の前にしゃがみ込む女二人、そんな状態で内緒話をするように頭を突き合わせていれば、側から見たら異様な光景だったことだろう。
「違う! 玲奈さんはずっと変わらず大好きだよ!」
「あら、じゃあ私の代わりが絵里って事?」
「それも違うっ! 咲さんが好きなのにも変わりがないんだ」
「剛くん……」
膝立ちになり剛の頭を抱きしめる玲奈、自分の胸へときつく押し付けるのは自分自身が剛をもっと感じたいから。
自分の決断でした行動に落ち込む剛であったが、玲奈も玲奈で人生初めての手術により精神的に疲弊していた。
「私は剛くんが傍にいてくれればそれで満足、ちゃんと私の事を好きでいてくれればそれでいいの。 だから、絵里さんの事はいいから私を見て?
私に剛くんの愛を頂戴、いっぱい!」
「僕は浮気したんだよ? 怒らないの? 嫌いにならないの?」
「私は剛くんが好き、剛くんも私が好き、それが揺るぎないモノであればなんだって構わないわ」
“コレは自分の物だ、誰にも渡さない” と主張するように剛を抱え込む玲奈は、咲の目から見たら言葉とは違い我慢しているようにも見える。
だが、自分の事を変わらず愛してくれればそれで良いと言うのも頷ける事だった。
「イチャイチャするのは部屋に行ってからにしなさい?」
ルーエは誰もが来れる公共の場、そんな所でいつまでも人目につくような事をしているのはどうかと二人の肩を叩き立ち上がらせると、三人で部屋へと移動するのだった。
絵里との事を許された剛はいつも以上に甘えてくる玲奈の要望に誠心誠意全力で応える。
それは一緒に居た咲が “お腹いっぱい” になり逃げ出すほどに駄々甘で、玲奈の部屋で二人きりになれば気にする事など何も無いと更にエスカレートしていた。
突然の報らべだったとはいえ子供を堕す事は思いのほか精神を疲弊させ、癒しを求めて剛に縋り付く。
その上他の女が好きだと追い討ちをかけられれば、自分だけを見て欲しいとの心の声が行動に出てしまっていたのだろう。
ーー63日目、午後
「聞いてくれ、ついに見つけたよ」
昼食を終え足早に戻ってきた玉城はそう告げるなり部屋へと引っ込んだ。
玉城が探っていたのは二つ、一つは松村菜々実しか製造出来ない『フェイト』の入手方法、もう一つはパンドラ脱出の為の何かしらの手段だ。
見せられたタブレットに表示されたのはパンドラの構造図。
脱出方法については全くと言って良いほど情報が出てこなかった事から、もしかしたら存在しないのかもしれないとの話しだったのだがどうやら厳重に秘匿されていたらしい。
「一つの入り口と5つのパケッツに囲まれたパンドラ中心区画ヴィルカント、その中心部にはイニーツィオと呼ばれる研究施設があるのは教えたよね?
そこを通り抜けた先には地下へと続くエレベーターがあるようなんだ」
「それを降りればパンドラを抜け出せるってか?」
「うん、それは発電所へと降りる為の物らしいんだけど、発電所を出て更に進めば地底湖へ繋がるらしくて、脱出用に小型の潜水艇が用意されているようなんだ」
「潜水艇の鍵は何処にあるの?」
「そこまではまだ分からないんだけど、恐らく幹部の誰か、もしくは八木自身が持ってる可能性が高いと思うよ」
「幹部……」
「院長の八代政彦、研究パートナー兼フェイト製造責任者の村松菜々実、看護師を統括しパンドラの治安維持と管理を任されている婦長の笹野美菜子、そして
SARS-CoV-3.1非検体第一号にして研究チームのリーダー可愛未来。
この4人しかイニーツィオの扉を開けられない事からもパンドラの中心人物である事は間違いないだろうね」
「扉の開閉はハッキングでなんとかなるの?」
実験体である咲達に埋め込まれたマイクロチップでは自室からルーエまでの間にある扉しか開く事が出来ない。
脱出方法が知れたとて辿り着けなくては意味がないのだ。
「その点は問題ないよ、書き換えなんていつでも簡単に出来る。
一番の難関はフェイトの造り方だよ。 イニーツィオにあるパソコンはもちろん、それとは別にある研究室のパソコンも片っ端から見てるんだがやっぱり見当たらないんだ。
どうやら製造出来るのが村松菜々実だけだというのは本当で、八木の方でもフェイトについての研究はしてるようだが製造方法までは突き止められていない、そんな感じだね」
「フェイトの供給は間に合ってるんだよね? 村松菜々実がフェイトを造れるのにわざわざ研究するなんておかしいと思わない?
やっぱり二人は反目し合ってる?」
「そう思うのが妥当なんだろうけど確証は無いよ。 けど研究データからすれば僕らの生命は最長で一ヶ月だ、そろそろ何かしら仕掛けるタイミングではあるね」
SARS-CoV-3.1を植え付けられてから既に二ヶ月が経つ。
放っておけば短い寿命だと知りながらも為す術は無く、見ないようにとしていた事なのだが突きつけられた現実はお構いなしに忍び寄る。
「もし咳が出だしたら末期の合図だ、その時は強行に出るしかないから遠慮なく言ってくれ」
シュゥゥゥゥンッ
「あら、あんまり楽しそうじゃないわね」
話しの切れ間を狙ったかのように扉を開いた美香は部屋の空気が重苦しいのを感じ、六人も集まって何の話をしているのやらと顔をしかめる。
「剛、院長がお呼びよ、一緒に来てくれる?」
「また呼び出しかよ、今度は一体何の用なんだ?」
「さぁ? 私に聞かれても、ねぇ?」
ねぇと振られても剛に心当たりがあるわけでもなく、愛想笑いを浮かべるのが精一杯。
話など行けば分かるだろうと立ち上がれば心配そうな顔で見上げてくる玲奈。 「大丈夫だよ」と顔を近付け口付けをすると美香の後について部屋を後にした。
「思ったより西脇玲奈に入れ込んでるのね」
「えっ? あ……はい、僕の彼女ですから」
言われるがままに付いて来た剛の頭の中では玉城の事がバレたのではと暗い未来を想像して足取りが重くなっていた。
それだったら部屋にいた全員が連れて来られるのだろうが、テンパる剛にはそんなことに気付く余裕はない。
「でも、同じくらい絵里の事も好きなのでしょう?」
「絵里さん……ですか?」
「そう、絵里よ。
聞いたわ、やっと貴方が振り向いてくれたって。 あの娘がどれだけ喜んでいたか分かる?
昨日、剛と結ばれたすぐ後で飛んで来たわ。 10年以上一緒にいるけどあんな嬉しそうな顔、初めてだった。
貴方の性格からして遊びで抱いたわけじゃないんでしょ? 絵里の事、好きなんでしょ?」
玲奈は何事も無かったかのように許してくれたが、当然快く思ってはいないだろうとは分かっていた。
だが美香が言うように絵里の事も好きな気持ちは本物で、決して遊びとかではなく軽い気持ちでもなかった。
「好き……です。 でもおかしいでしょ? 僕には彼女がいます、あの人もこの人も好きだなんて許されない事だ」
「そうかしら?」
立ち止まった美香は一言呟くと、ポケットから一枚のカードを取り出しチップリーダーへとかざす。
「人を好きになるって理屈じゃないのよ? 常識なんてくだらないモノに囚われず自分の思うがままに生きる、それが人間本来の在り方だと私は考える」
二回の電子音の後、手に埋め込まれたマイクロチップをかざしてようやく開いた扉は三重になった分厚い物だった。
真っ白な通路と比べて扉の向こうは薄暗かったのだが、不思議な淡い光が漏れていて興味を唆られる。
「貴方、今でも二人の彼女がいるそうね? それを差し置いてアレもコレもは駄目とか説得力に欠けるわよ? 今は二人、でもそれが三人になるだけの話しなんでしょう? 自分に素直になりなさい。
さぁ、私との話しは終わり、入って」
天井も高く、小さな体育館ほどもある広い場所はパンドラにあるどの部屋とも違い黒い壁。 照明が緩くしてあるにも関わらずとても広く感じる場所だった。
正面で目を惹くのは小さな水色の光に囲まれるようにして聳え立つ円柱型の大きな水槽、そこに浮かぶ裸体の女に目を奪われ部屋に入った途端に足を止めてしまう。
(琴音……ちゃん!?)
ゆらゆらと逆立つ赤い髪は夢で見た琴音にそっくり。
遠目にそれを見れば、ここがパンドラの中心部イニーツィオなのだと理解する事が出来る。
(この水色の液体がフェイト!?)
玲奈達の生命を救うかも知れない液体が目の前にある!
剛の頭は既に何故ここに来たのかなど忘れてしまい、どうやって盗み出すかを考え視線を巡らせていた。
すると目に入っていた筈なのに認識されなかった小さな水槽に理解が及び、その中にもフェイトが入っているのに気が付いたまでは良かった。
「ヒィッ!?」
フェイトという揺り籠に揺られる胎児達が認識されると、その異様さに思わず一歩退がってしまう。
だがすぐ背後にあったのは剛の意思では開くことのない三重の扉。
「襲って来たりしないから大丈夫よ?」
少し強引に背中を押されて大水槽へと近付いて行けば、内で揺らめく琴音だと思っていた裸体の女性に違和感を感じる。
生えそろった下の毛、美しく括れる腰と女性らしいお尻のライン。 形のよい胸は夢で見た琴音よりかなり大きく、大人の女性へと成長しているのが窺える。
夢など所詮夢、千鶴の推測通りテレパシーだったとしても現実のモノと一致しないのかも知れない。
そう思ったのだが……
「うそ、だろ……?」
巨大な試験管、フェイトの中の女、研究施設イニーツィオ、前情報から琴音だと決めつけていたのだが近付いて行けば行くほどに見た事のある顔に思えてくる。
「なんで……なんでここにいるんだ!?」
それは琴音との会話の前に見た夢、もう一人の赤い髪の女。
大人びて少し顔付きは変わったが、見間違える事などないほどによく知る人物。
「美月っっ!!!!」
水槽で眠る赤髪の乙女は剛の妹、神宮寺美月であった。




