43.罪
「妊娠と言っても超初期に当たる3週目なしい4週目だろう、検査薬でも反応が出ない上に言われなければ分からないほどの自覚症状しか無い筈だ。
本来なら『おめでとう』と言いたいところなのだが国が滅んでしまうような世の中だ、この先の君の負担は計り知れない。
そこで一つ提案があるのだが、少し考えてみてはどうだろう?」
こういうことも踏まえての週に一度の健康診断なのだと八木は言う。
提示されたのは人工妊娠中絶。
パンドラの看護師達から受精卵を集めているとは玉城から聞いていたのだが、まさか自分が対象になるとは思いもしなかった。
「早ければ早いほど母体への負担は少ないからね、こういった管理もせざるを得ないのは分かって欲しい。
こんなご時世で不安にもなるのだろう、やる事の少ないパンドラの生活に暇を持て余す者も少なくないようだ。 もう既に20人を超える数の中絶を行なっている。
施術に不安を覚えるのは理解出来るがどうか安心して任せてもらいたい」
考えてはいなかったが集めているという事は取り出す術があるということ。
玲奈が知っているのは器具で子宮口を拡げ、そこから棒のような物を突っ込み中身を搔き出すといったものだった。
心の準備も無いままに今からそんな事をされるのかと思うと血の気が引いてしまう。
「そんなに心配すんなよ。 僕もここで中絶はしたけど腹の中で何か動いてるような気はしたが軽い局所麻酔だけなのに痛みなんてまったく無かったぜ?
それにたった5分で「はい元通り」とか、魔法かと思ったくらいだよ」
口元に手を当て倒れそうなほど青ざめた玲奈を気遣い “そんな心配は不要だ” と豪快に笑い飛ばす芽衣裟は、自分の腹を叩いて大丈夫だとアピールする。
子育てなどしていられない現状、それは理解している。
しかし手術を行うと言われて不安を覚えない者などいないだろう。
「大丈夫、一緒に居てあげるから……頑張ろう?」
涙が溢れ出した玲奈、この半年、妹のように可愛がって来た。
辛いと訴える彼女の肩を抱き寄せ大丈夫だとさすってやるしか出来ない事の悔しさ。
せっかく授かった命ではあるがこのまま産むという選択肢が無い事に歯噛みしてしまう。
「医者であるとはいえ男の私に下半身を晒すのに抵抗がある人もいる。 それを踏まえてパンドラ内で行った中絶は全てこの可愛くんが行って来た。
今回も勿論可愛くんが施術するから、その点は安心したまえ。
今ならまだ羊膜も形成されていない筈だ。 君の身体に負担を掛けず短時間で済ますには今しかない。
了承、してくれるね?」
落ち着いた優しいモノではあるのだが、人の上に立つ者として威厳のある声は圧力を感じさせる。
何を言われようとも『手術』という言葉に言いようのない不安で涙が止まらない。
だが、自分の意志だけではどうにもならない現実を突きつけられ、咲の腕の中で渋々ながらも頷くしかなかった。
呼び出された医務室の扉を開けると部屋の奥から複数の咳き込む声が聞こえて来る。 それはパンドラに避難して来た人々に植え付けられたウイルスの仕業だと理解していた。
自分は適正を得たのかもしれない、だが玲奈は、咲は、克之や千鶴、玉城はと考えると何故自分だけなのだと意味もなく悲観してしまう。
そんな暗い思考とは対照的に剛を待ち受けていたのは昨日、別れ際の涙流れる顔から一転していつも以上に明るい笑顔を携えた絵里だった。
「待ってたよ剛くんっ、来て!」
医務室に入るなり手を引かれて連れ出され、健康診断を行う部屋を越えた先にある絵里の自室へと誘われた。
「話がしたいならココじゃなくても……」
美香の力のお陰で絵里への気持ちに気付き始めた今は手を繋がれても暖かなものが胸に宿るくらいで嫌ではなかった。
しかし人目を避けたかったという理由があるのかも知れないが、ベッドがあるだけの部屋へと連れて来られれば想像することは一つしかなく、否応無しに緊張が高まり鼓動が激しさを増していく。
それだけならまだしも、ベッドに座わらせた剛の膝に跨り向かい合わせに腰を下ろしてくれば、想像は確信へと変わって行く。
「絵里さんっ! ちょっと、待って!」
「私、ずっと待ってたよ? 剛くんがココに来てから二ヶ月、早いもんだね。 でもそろそろタイムリミット、これ以上待ってはいられないよ?」
剛の頬を両手で挟み自分へと向けさせるとにこやかな笑顔で真っ直ぐ見つめてくる。
その微笑みは玲奈や咲とはまた違った可愛さで剛を魅了し心が揺さぶられる。
「タ、タイムリミットって?」
(絵里さんは僕を好きだと言ったろう? せっかく誘ってくれてるんだから、食べられる時に食べちゃえよ)
「健康状態にもよるけどSARS-CoV-3.1の潜伏期間はおよそ二ヶ月、Cパケでも肺を侵され医務室に来る人が増えたわ。
症状が出始めると人間の身体なんて2週間しか保たないのよ?」
(そんなのはダメだ! 僕には彼女がいるんだぞ!? 玲奈さんや咲さんが知ったらどう思うんだ!!)
「症状? SARS-CoV-3.1? 絵里さんは何の話しを……」
「嘘つき」
変わらない笑顔のままで放たれた一言は自身の欲望と闘っていた剛の胸へと突き刺さる。
『嘘つきは泥棒の始まり』
子供の頃に教えられた事は今でも行動の根底にある。
パンドラに来る前の誰も居ないコンビニ、非常時といえども物を黙って持ってくる事を憚ったのはその影響からだ。
自信を持って言えるわけではないが誠実な生き方をして来たつもりではいた。 だが知られてはいけないと思うあまり咄嗟に口をついた “嘘” 、しかしそんなものはフェイトの事を口にした時点で手遅れでしかなかった。
「剛くんは嘘をついてる、自分にも、私にも。
全部、野乃伽から聞いたよ?」
「の、野乃伽さんからっ!?」
一度目は秞子の邪魔が入った。
だが二度目は自らの意志で逃げ出している。
(僕が口止め料を払わなかった、だから野乃伽さんから情報が漏れたんだ……)
黒幕である八木を先頭にグループルームに押し寄せる超能力を持った看護師の軍団、抵抗虚しく捕まる克之と千鶴。
玲奈と咲を守ろうと身を呈するが呆気なく叩き伏せられ、不気味に笑う八木の指示で連れて行かれる情景が目の前に浮かぶ。
処分される事を思い浮かべて青ざめる剛は『自分の所為で玲奈達まで殺されてしまう』のだと思うと自分で絵里にバラした事などすっかり頭から抜け落ち、何故あの時「言わないでおく」と匂わせた野乃伽から逃げ出したのかと後悔ばかりが頭を埋め尽くす。
「安心して? 剛くんの秘密を知っているのは私と野乃伽の二人だけだよ?」
暗闇の立ち込める中に差し込む一条の光、それはこの世で最も愛すべき者達を死から救う希望の光だった。
「本当に!? 他には誰も知らないの? 嘘じゃなくて?」
「ええ、剛くんと違って嘘はつかないわ」
玲奈達は死ななくて済む!
その安心は喜びを生み、目の前の絵里を抱き締めるに至る。
力強い抱擁、それが自分を想っての事ではないと知りながらも嬉しくなって抱きしめ返してしまうのは、どんな理由であれ剛の方から自分が求めてもらえたからだ。
「でも、よく考えて? 剛くん達を生かすも殺すも私達次第なのよ?
言ってる意味、分かるよね?」
それは脅しだった。
剛の態度次第ではこの事を八木に報告すると含めた絵里の強迫。
「私は剛くんが欲しいの。 剛くんとずっと一緒に居たい。
だけどそれは玲奈と別れろとかそういうのではないの、ただ私をちゃんと見て欲しい。 他に好きな人がいても構わない、愛人でも二号や三号さんでも何でも良いっ。
ただ私を愛して欲しい、それが私の要望」
耳元で聞こえる絵里の声、それに逆らえば玲奈達は本当に処分されてしまうかもしれない。 先程の妄想が現実となるかも知れない……。
「私がズルをしてるのは分かってる、でもどんな事をしてでも剛くんの傍に居たいの!
……剛くんは私の事が嫌い?」
「ううん、絵里さんの事が好きだよ」
秘密を握る絵里に逆らってはいけない、そう思い口を突いた嘘のつもりだったのだが不思議と胸が傷まない。
『絵里の事どう思ってるの?』
再び響くあの言葉。
思い浮かぶのは、やはり沢山の絵里の笑顔。
抱き締める絵里の身体。
全然嫌なんかじゃなく、寧ろ心地良くてこのままこうしていたいと望む。
(玲奈さんも咲さんも好きなクセに、絵里さんの事も好きなんだろうか……)
「剛くん、本当の事を言って?
私の事、本当に好きだと思ってる?」
自分で自分が分からない。
姉の親友でありながら話してみたら本当の姉である純恋より姉らしく、優しく包み込んでくれるような暖かさを持つ綺麗なお姉さん。
気が付けば玲奈への想いは膨らみ、いつの間にか女性として大好きになっていた。
見た事もないほど綺麗な人。 揶揄い癖のようなものはあるのに全然嫌ではなく、気遣いも出来て優しい人……嫌いなわけがない。
しかし考えた事もなかったのに突如として膨れ上がった咲への思い、玲奈への想いが追い越してしまったが好きな人である事に変わりはない。
丸い髪型が性格を表すように、気を遣い、付かず離れずの微妙な距離を保ちながらいつも笑顔を見せてくれていた絵里。
こんな自分にずっと示し続けてくれていた好意は今でも変わらず、それに応える勇気のなかった事を申し訳なくも思う。
そんな彼女に流されてしまっているのかも知れないが、それでも心に入り込んだ笑顔は溜まりに溜まって大きな存在と成っていた。
それは玲奈や咲に匹敵するくらいに心の割り合いを占め、もはやそれは恋だと言っても過言では無いくらい。
「僕には玲奈さんと咲さんという二人の恋人がいる、その時点で既におかしいって事は分かってる。
でも咲さんを好きになったと思ったら、玲奈さんまで好きだった事に気が付いたんだ。
そんな自分の心をもっとよく覗けば、その中には絵里さんも居る。 笑ってくれていいよ? 頭おかしいよね?
僕は絵里さんの事も好きなんだ」
身体を離して覗き込む剛の目。
だがそこには疑うべき美香の力は感じられず、今し方飛び出した言葉が本心からのモノだと知れば嬉しさのあまり目頭が熱くなってくる。
「それは本当? 嘘じゃない?」
「う、うん……あんまり自信無いんだけど、たぶん本当だと思う」
「いいの……それで良い。 好きでいてくれれば嬉しいけど、もし嫌われていてもそれはそれで構わない。 どう思われていようとも剛くんの傍にいたいの。
だから、キスして?
もし彼女に対する罪悪感があるのなら私を悪者にすればいい。 私が剛くんの秘密をネタに無理矢理やらされた事にされても全然構わない。
だから……ね? 自分の欲求にも嘘をつかないで。
気持ちなんて無くてもいい、身体が目当てでも平気だから……今だけは私を見て」
口付けを待つために目を瞑った絵里の頬には一条の涙が光りを放ちながらゆっくりと滑り落ちて行く。 それはやっとのことで想いが叶う喜びの印だったのだが、剛の理解はそこまで及ばない。
絵里を泣かせた罪悪感、昨日に引き続き二度目だ。
貞操を破る罪悪感、それは好きだと言う気持ちが固まり切っていないのに性に対する欲望だけをぶつけようとしているから。
咲と玲奈を裏切る罪悪感、二人も彼女がいながらまだ他に手を出すのかと自分で自分が馬鹿馬鹿しく思えてくる。
だがそうしてる間にも時間を追う毎に絵里へと傾いて行く心。 様々な言い訳をしつつも頬に光る涙を指で拭うと、望まれるがままに唇を重ねた。




