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パンデミック  作者: 桜桃なる猫
第一章 快適な避難生活と友達
4/59

4.入所準備

 体験した事もない本物の恐怖に震え誰しもが思わず頭を抱える中、日本という国ごと新種のウイルスを焼き尽くす為の振動は暫くの間続いた。


 最初の振動が感じられてから30分ほど経っただろうか、シェルターに逃げ込んだ人の精神を蝕む地響きは収まりはした。 だが心に深く刻み込まれた感覚は健在で、破壊される様子は目にしてないにも関わらずテレビや映画などで見知った映像が脳裏に浮かび恐怖が恐怖を呼び震えが止まらない。


 そんな人々を気遣ってか、木の葉の擦れ合う音、小鳥のさえずり、小川のせせらぎ等が織り混ざった所謂ヒーリングミュージックが流れ出し、暫しの時間が流れて行った。


⦅核シェルターはその力を発揮し、無事に生き存える事が出来たようです。

 ですが我々は、多くの友人、知人、同僚、そして家族をも失いました。 その方々とのお別れとご冥福を祈り、黙祷を捧げましょう……黙祷!⦆


 1分という時間が取られた黙祷。 しかしテレビを通しての情報として “核の雨が降る” と言われたに過ぎず、今朝はいつも通りに過ごしていた家族の死を目の当たりにした訳ではないので実感が湧かない、と言うのがたけるの正直な思いだった。


 では先の振動は何なのだと言う話になりはするが、勢いで避難してみたものの結局は自分の目で確かめる、もしくは確信出来る情報が無い限り起こってしまった現実が受け入れられないのがこの場に居る人々の大多数の意見であった。


⦅これより居住区へと移ってもらいますが、先程の通告通り勝手ながら現在の健康状態により大きく分けて5つの部屋に別れる事になります。


 そしてもう一つご理解頂かなくてはならないのが、これから皆さんの左手に埋め込まれますマイクロチップです。

 テレビでご存知の方もみえるでしょうが一部の国では常識と化している所もあるそうで、普及されればこれ程便利な物は無いのですが、残念ながら日本という国では普及しなかった代物です。


 しかし、皆さんに割り当てられます部屋の鍵を始め、食事や消耗品の持ち出し、娯楽施設の利用等全てにおいて必要な物ですのでご理解の方をお願いします。


 今までの生活では傍に無かった物に忌避感を持たれる方もおみえでしょうが、かく言う私も当然マイクロチップを埋め込んでおります。 残念ながら見た目では分からないのですが、これが私の左手のレントゲン写真です⦆


 見せられた写真には人差し指と親指の間に米粒のような何かが影になって写っており、それが埋め込まれたマイクロチップなのだと説明する八木院長。


 並べて見せられる左手には彼の言うように傷痕らしきものは存在しないのだが、右手でその部分を押し出すと、写真にあるような長さ10㎜程の米粒のような異物が皮膚を押し上げ薄らと浮き上がる。


⦅入れる際には注射を受ける程度の痛みしかありませんので、採血されたとでも思って下さい。 女性の方は傷が気になるでしょうが、ご覧の通り私の手も余程よく見ないと分からない程度の傷しかありませんのでご安心を。


 最後に、このシェルターで出来る限り快適な生活を送って頂く為にある程度の規則は設けさせて頂きます。 それは今まで我々が暮らしてきた国での常識程度の規則なのですが、もし万が一違反が見受けられた場合には、今皆さんの側にもおります黄色のナースキャップを冠った看護師の指示に従って下さい。


 それでも尚、ご理解頂けないときには他の方々の迷惑となりますので強制退去となる場合がございます。 くれぐれも節度ある大人の対応で、快適な共同生活をして行きましょう⦆



 またしても映像が消えるとすぐに黄色のナースキャップが声を上げ始めた。

 どうやら彼女達は管理者側の人間らしいが、その証拠に全員が左耳に黒いインカムを嵌めている。


 そして薄桃色のナースキャップを被る咲達と決定的に違うのは、頭に乗せるナースキャップに合わせた黄色い看護衣だ。


 昔の看護衣はワンピースタイプが主流で今尚そのイメージが強い。 しかし昨今の医療現場では立ったり座ったりの多い仕事を考慮して、機能性を重視した上下の別れた物が殆ど。

 スクラブと呼ばれるVネックの半袖にパンツを合わせた桃色の看護師に対して、膝の出ているワンピースを着た黄色い看護師達は実に男心を唆る姿だ。



 彼女達の指示に従い正面に開いた扉の中へと順番に吸い込まれて行く人の群れ。


 進むペースはそんなに遅くはないのだが、自分の番はまだまだ先だとスマホを取り出し見てみれば時刻は既に午後9時になろうとしていた。


「院長はああ言いましたけど、実際のところどうなんですか? 実は死ぬほど痛い……とか?」


 今度は『圏外』の表示があり、やる事が見つけられずに近くの壁際に蹲み込んだ剛を ジッ と見つめる小さな視線。

 その事に気が付くと、隣に置いた鞄を開いて15㎝程の筒を取り出し「食べる?」とジェスチャーしてみせれば、母親の足を離れ軽い足取りで近付いて来る。


「人には注射を打つのに自分がされるのは嫌いとは如何なものでしょうね? でも、院長先生のおっしゃられたように、新米看護師に注射の練習されたと言った程度の痛みしかありませんでしたから、ご安心なさい」


 驚く母親の事など気にもせず剛の正面に蹲み込んだ先程の女の子。 キラキラした目で「ありがとう」とキチンとしたお礼を言って受け取った。


「あぁ……何度もすみません、ありがとうございます。 でも、良かったのですか?」


 ジャガイモを一度砕いて固めて作る世界的に有名なポテトチップス擬きも年齢問わず好まれるオヤツ、例に漏れずその少女の好みにも合致したようでとても嬉しそうだ。


 剛の真似をして隣に座り込み、少し硬い封にもめげずに一生懸命開け終わると、最初の一枚を食べろと言わんばかりに剛の口元に近付けて来る。


「婦長、痛いのは誰でも嫌なものじゃありませんか? そんなの無いに越した事はありませんよ。 でもやらなくちゃいけないんですよね?……ハァ、憂鬱っ」


 申し訳なさそうな顔で下の子をあやす母親に頷き返すと、せっかくのご好意を無駄にしてはいけないと思い口を開けて顔を寄せれば、待ってましたとばかりに少女の方からも口に突っ込もうと手を動かすものだから小さな指が剛の口の中に入ってしまう。


 だが「しまった!」と思ったのも束の間、そんな事は気にもせず次の一枚を取り出すと今度は自分の口に放り込み、次から次へと食べ始めてしまった。


「美味しそうだね〜、お姉ちゃんにも一枚貰えないかな?」


 一瞬だけ向けられた視線に先程の文句でも言われるのかと鼓動が跳ね上がる剛。


「はい、どうぞ〜」


 だがそんな気持ちなど知った事かと “You can't stop!” の謳い文句さながらに食べ進める女の子の前にゆっくりと蹲み込んだのは、それと分かるように再現された揺さぶりかも知れない。


「んっ、ありがとう。 美味しいね〜。

 お母さんにはあげないの?」


「気付いてるから」そう言われたような気がしてならなかったが、謝罪が出来るようなタイミングではなかったし、そんな勇気はありはしない。


 眩しいほどの笑顔に モヤモヤ としたなんとも言えない気持ちで見惚れていれば、精一杯手を伸ばした女の子に応える為彼女の母親までもが剛の目の前に蹲み込んで来るではないか。


 女性に免疫が無い剛。 こんなに近距離で異性に囲まれるなど経験は無く、肩までの髪を落ちないように手で押さえてポテトチップスを口にする若い母親に目を奪われていた。


「あれあれ〜? オヤツばっかり持ち歩いているのかと思ったらジュースまであるじゃない。 オヤツのお兄ちゃん、私喉乾いちゃったなぁ」


 空いていた鞄の口に指を突っ込んで広げると、あと何個か入っていたオヤツの箱におにぎり、ジュースに雑誌と、学生の鞄にしては異常な中身に恰好の獲物を見つけた目になる咲。

 ちっちゃい子のような声色でおねだりをする様子に “盗んできた” と思われていると察したが後ろめたい事は何一つない。


「ちゃんとお金は払いましたよ」

「そう」


 素っ気なく答えるだけで、素直に差し出したペットボトルを開けて口を付けた。


「別に盗ってきたなんて言ってないわよ? でも、店員さんの居ないレジでどうやってお金を払うのか興味あるなぁ」


 指に付いたオヤツの粉を舐め取ると、その手をスカートで ペペッ 拭き出した姿に自分もよくやるなぁと笑いが溢れる。


 オヤツの缶が倒れないようにと股の間に挟むのは、誰かがやっていたからなのだろう。 少女には少し大きい物ではあったが、渡されたペットボトルを傾けると勢いよく中身を飲み込んで行く。


 満足して口を離したところで、今度は言われるまでもなく母親にも「飲む?」と差し出す姿に子供の成長の速さを感心させられた。


「適当にお金を置いて来ました」

「いくら?」

「5,000円」

「わ〜お、おっ金持ち〜っ!」


「月城さん、その辺で」


 近寄ってきた婦長には見えないように小さく舌を出すと、素直に立ち上がった。


「食べかけのオヤツは蓋をして持って行けばいいわ。 そろそろ順番だから行きましょうね」


 促されて見てみれば、いつの間にかかなり少なくなった人の列。

 言われた通りに蓋をと、床に転がる半透明なプラスチックを拾えば「私がやる!」と小さな手が伸びてくる。


 最後の一押しは力が足らず苦戦していたので手伝ってあげると、立ち上がってオヤツの缶と中身が半分になったペットボトルを大事そうに抱えた。


「手」


 すっかり懐かれた……いや、オヤツと言う餌で懐かせたと言った方が正確だ。


 繋げと伸ばされた手を取り、すっかりお兄ちゃん気分で彼女と一緒に母親と並び、まだ施術所の順番を待つ人の列の最後尾へと向かったのだった。





 嫌そうな顔をする女の子に「また明日」と別れを告げれば、母親と三人で先に入っていった。


 そこから待たされる事1分弱、目の前の銀色の扉がスライドすると、そこには宇宙服のような物を着た人物が一人で待っている。


「どうぞ」


 その姿に一瞬躊躇すると、そんな反応には慣れているのか、すかさず「早く」と声がかかる。


 完全防備の女性の指示通り扉を潜れば、目の前にあるのはガラス張りの個室。


「服についた雑菌を取り除きます。 部屋の中に入ると色々な方向から風が吹き付けますので、目を瞑り、両手を広げて指示があるまでそのままでいて下さい」


 促されるまま部屋に入って両手を広げると直ぐに風が吹きつけてくる。


「これより先は土足厳禁なので靴を脱いで扉の脇にあります箱の中に入れてお持ち下さい」


 指示に従いガラス張りの部屋を出ると、反対側に居た女性と同じく完全防備の案内係が一人で待っていた。


 これ見よがしに置かれていた布製の白い簡易スリッパに履き替えると、早く出て行けと言わんばかりに出口の扉へと腕を振る。




「神宮寺 剛さんは少し風邪気味のようですねぇ。 《Cパケッツ》となりますので、この部屋を出られましたら係の指示に従ってCと書かれた扉を潜って下さい」


 3つある扉の一番右に入れと言われて行ってみれば、今度は黄色のナースキャップ二人が待っていた。


 椅子に座らされ、言われたとおりに捲った左腕を体育館にある平均台のような長細い台の上に置けば、タブレット端末から読み出された情報を元に既に押された『554』の隣に『C』の判子を追加された。


「見ない方が良いですよ」


 動かないようにと二本のバンドで固定された左腕、背後に立った看護師が剛の肩に手を置き落ち着いた声で告げると、親指と人差し指の間の骨の無い部分に スッ とする薬品が塗られ “いよいよヤられるのか!” と緊張が高まる。


「注射、嫌いですか?」


  顔の強張る剛に優しく微笑みかける目の前の看護師。 人当たりの良さそうな笑顔に多少なりとも解れる緊張だったが、残念ながら照れるのも忘れるほどに身体に力が入り、手に汗を握っている。


「通常の注射と違って軽い麻酔を含んだ消毒をしましたから、そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ。 小さなお子さんでも泣かずににケロっとしてるくらいですから、痛みなんて殆どありません」


 同じ痛みを知っているとアピールするのは患者に安心感を与えるのに有効なのだろう。


 自分もやったよと左手に貼られた1㎝角のシール状のガーゼを見せて来る目の前の看護師だったが、苦笑いしか返す事が出来なかった剛を見て「早く終わらせよう」と考えたようだ。


「じゃあやりますので見ないように反対側を向いててくださいね」


 極度の緊張から早く解放されたくて硬く目を瞑り横を向くと、置かれた剛の手に看護師の柔らかな手が添えられる。


「はい、終わりましたよ。 お疲れ様でしたっ」


 思ったより早かった終了に驚いて目を開けば、その看護師とお揃いのガーゼが張られた所だった。


 何か異物が押し込まれた感覚はあった……が、しかし、痛みと言う痛みなど皆無だった事に首を傾げていれば、そんな剛を見て再び微笑む看護師の女性。


「濡らしても大丈夫ですから手洗いはしっかりしてくださいね。 お風呂も二時間ぐらい空けてもらえれば大丈夫ですけど……1時近くになっちゃいますね」


 不安材料が無くなり落ち着きを取り戻せば、目の前に座る小柄な女性が自分の手を触っている事が理解出来る。


「あらあら? どうしましたぁ?」


 その事実に赤面した剛をからかうように、バンドを外されたのに未だ台の上に置かれたままの左手に自分のもう片方の手も添えて来る看護師。


 視線の下がった剛を覗き込む丸くて大きな目と背の低い小鼻とが幼さを感じさせる世間一般で言うところの童顔で、栗色に染められているものの仕事に差し支えないよう短く切られた髪が幼さを助長させている。


  人目に多く触れる職業である看護師として従事する病院で患者に接していればいれば、瞬く間に人気を博しそうな可愛いさを持つ女性に見つめられ益々顔を赤くして更に俯いてしまう。


「絵里ぃ〜? まだ仕事中よ? つまみ食いは全部終わってからにしてくれる?」


 助け舟が入り ホッ としたのも束の間、緊張を和らげる目的でずっと肩に添えられていた手の感触に今更ながらに気付いて思わず身を震わせた。


「でも……ちょっと好みかも」


 耳元で囁かれた声に反射的に飛び退き、籠に置いてあった鞄を抱きしめ、後退りながらも二人に振り返った剛。


「あの、あのっ……あああああありっ、ありがとうございましたっ!!」


 切れ長の目に黒縁眼鏡をかけた看護師はその様子にびっくりして キョトン としたまま固まっている。


 言う事を聞かないほどに慌てふためく手でどうにか部屋の扉を開けると、逃げるように飛び出して行った剛を見送ると二人の看護師は互いの顔を見合わせ吹き出した。


「かっわいい〜っ。 高校生ならもっとがっついてても良いのに、今時あんな子がいるのね」


「美香があんな事言うからでしょっ」


「そぉお?」


 看護師にしては珍しく肩まで伸ばした黒髪は、縛られる事もなく自然な有体で、天井から降り注ぐ光で艶やかに光って見える。


「絵里はいいわね、お目当てが見つかって」


 美香自慢の黒髪を掻き上げ同僚を羨むように細めた視線を向ければ、当の絵里は気にした素振りも見せずにあっけらかんと返事を返す。


「そう思うなら美香もCパケにこればいいんじゃない?」


「簡単に言ってくれるわね……さぁ、もう少しで終わりだからさっさと片付けるわよ」


 そう告げると絵里の返事を待たずに左耳のインカムへと指を当てたのだった。














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