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パンデミック  作者: 桜桃なる猫
第四章 悲劇の研究所
39/59

39.簡易裁判

 SARS-CoV-3(クロト).1に侵されている者にとって適合の有無とは生死を分ける境界線。 本来なら喜ぶべき事なのだが、剛の気分は酷く沈んでいた。



初めての友達である克之

その恋人であり、二人目の友達、千鶴

剛の恋人として一番近くに居てくれる玲奈

恋人であると言いながら姉のような咲

そして、頼りになるハッカー玉城



 パンドラに来てようやく手に入れた仲間、だが自分だけがSARS-CoV-3(クロト).1の適合を得たという事は自分は仲間外れになったのと同義であり、再び一人になってしまう事に怯えていた。


 何かを言われた訳ではない。 ましてや克之達がそんなことを言う筈もない。


 それを分かりつつも一度手に入れたモノを失うかも知れないという恐怖は想像を絶するほど重くのしかかり、今夜も一緒に居ると言った玲奈の申し出を断り一人になる選択をさせる程であった。




「剛くん……心配だな」


 洗面所の鏡に向かい一人呟く玲奈。

剛の落ち込み様は誰の目にも明らかではあったが、再三の説得に応じなかった彼の意志に従い一人にしてしまった事を後悔していた。



パピュッ


〉ごめん、大丈夫だよ

〉また明日、おやすみ

》朝食、一緒できるといいな

》おやすみっ

〉うん、起きたら連絡するね



 送られてきたメッセージを見る限りは大丈夫そうだと少しだけ安心する。


(明日は咲さんと三人でイチャイチャして剛くんの気分を盛り上げようっ)


 貸し切りの洗面所で拳を掲げて一人気合を入れる。

 明日の予定を決意すると、スマホをポケットにしまい洗面所を後にした。



(咲さんも剛くんに抱いてもらえば辛い過去も少しは忘れられるのに……)



 そんな事を考えながらグループルームの扉を開けるべくチップリーダーに手をかざそうとした時だ。



「!!!!!」



 伸ばした手が捕まれると同時に背後から誰かが抱き付き、口を塞がれ声が出せない。



「んんんんっ!!!!」



「騒ぐなっ」



 目の前に現れた見知らぬ男。 その手にはナイフが握られており、これ見よがしにチラつかせる。



「ンンッ!ンンンンっ!ンーーッ!」



 口を塞ぐ手を退けようと空いている片手で力を込めるが男の力は強くどれだけ頑張ろうともビクともしない。



(嫌っ! 嫌っ! 嫌っ!!)



 あらぬ限りの力で必死になり身を捩る。

だが捕まれた手は背後に絡め取られいくら動こうとも離してくれない。



「大人しくしろや!」

「ングっ!! ゴフッゴフッ……」



 暴れる姿に苛つく男。

ある程度加減をされているとはいえ、男の拳が玲奈の腹部へとめり込めば苦しさが先に出て抵抗を忘れてしまう。


「てめぇ、死にたいのか? コレが見えて無い訳じゃねぇよな? 大人しくしねぇとマジ殺すぞ!」


 掴まれる髪、間近に迫る顔、そのすぐ横ではナイフの冷たい感触が頬を打つ。



(剛くんっ! 助けて!! 剛くん!! 剛くんっ!!)



 一度止まってしまえば恐怖が身体を支配し、それと共に全身に震えが行き渡る。

 立っていられない程に笑う膝、力が入らず崩れそうになるが、背後の男がそうはさせまいと腕を掴んでいた手を腹へと回す。



「そんなに怯えるなよ、へへへっ。 彼氏の代わりに今夜は俺達の相手をしてくれって話なだけだ、お前が騒がなきゃ別に殺しは死ねぇよ」


「そうそう、一緒に楽しもうぜ? 可愛い玲奈ちゃんっ」



 戦慄を体現するべく溢れ出る涙。

玲奈の脳裏には咲の体験談が蘇っていた。


 泣けど叫べど助けは来ず、男達の吐口にされる末路。


(剛、くん……)


 そんなのは絶対に嫌だと思いながらも体には力が入らない。


抵抗出来ない……

逃げられない…………



 唯一出来る事と言えばただ涙を流す事。



「ほら、さっさと行くぜ」

「おう」



(嫌だ嫌だ嫌だ!……お願いっ助けて!!)



 せめてもの抵抗と引きずられて行く足に力を込めようとしても震える膝では言うことを利かない。


「泣き顔も可愛いなぁ、玲奈ちゃん。 その顔もすぐに笑顔に変えてあげるから期待してなよ?」


 もういっそ死んでしまいたい思いに駆られ本気で舌を噛もうかと頭を過った時だった。



「そういうのは本人の同意の上でやってもらえないかな?」



 声が聞こえたと同時に真横に吹っ飛んで行く目の前の男。

 入れ代わりに目の前にいたのは、玲奈に向けて優しく笑みを浮かべる見知った看護師。


その様子はアニメのワンシーンさながらで、目には写れど理解が及ぶのに時間を要した。



現状を忘れて唖然とする玲奈。


だが現実に立ち戻ったのは玲奈を引きずっていた男が先だった。



「てめっ……ぐぉっ!」



相方をやられた事に怒りを露わに玲奈を放棄して殴りかかろうとするが、その腕を掴まれ鮮やかに投げ捨てられてしまう。


「大丈夫?」


 支えていたものが無くなり床に打ち付けられる玲奈ではあったが、そんな痛みよりなにより救われた事実が嬉しくて再び涙が溢れ出す。



「あり、あり……ありが、とぅ……」



 手を引かれて起こされたが足腰が立たず寄り掛かかるしかなかった。


 そのまま顔を埋めて泣き出してしまった玲奈。 彼女の恋敵である絵里ではあったが、何も言わずにそれを受け入れた。

 同じ状況になった事はない。 さりとて同じ女、玲奈の今の気持ちは痛いほど分かるのだ。


 その背中をさすりながら横目で確かめれば、こちらを睨みながらも起き上がり慌てて逃げ出そうとしている男達がいる。

 だがそんな事より今は玲奈を優先すると、落ち着くまでのしばらくの間抱き合ったままで待ち続けた。





シュゥゥゥゥンッ



「遅かっ……玲奈?」


 絵里に付き添われて戻ったグループルームでは咲が雑誌を読んで寛いでいた。


 だが顔を伏せる様子のおかしな玲奈に加え、パンドラの看護師である絵里が一緒に入ってこれば何かあったのだと直感で分かる。


「先行きが不安なのは皆同じなのにね、それを解消しようと身勝手な行動に出る男も増えて来てるわ。

 例えトイレでも外に出る時は二人で出かけた方が良いと思う。 じゃあ、後はよろしく」



「待って!」



 玲奈をソファーへ座らせるとさっさと出て行こうとする。


 パンドラを管理する者として治安の維持も仕事なのだろうが、逃げるように去って行こうとする絵里に違和感を感じた咲。

 絵里が剛を狙っていたのは二人も知ることで、恋敵である玲奈のピンチなど放っておけば自分に有利に働くのではと思ってしまったのだ。


「玲奈を助けてくれた事は感謝する、けど何で?」


「何で?」


 呼び止められた絵里はそれに応えて足を止めたのだが、振り向くことなく開いていない扉と向かい合っている。



「仕事だから……って言えばカッコいいんだろうけど、それは嘘。

 たまたま通りがかった……それは嘘じゃないけど、それだけじゃない。


 西脇玲奈は剛くんにとって一番大事な人、その人が襲われれば剛くんが悲しむ。 私は剛くんが悲しむ姿を見たくなかった、全ては自分のためにした事、ただそれだけよ」



 絵里の去った後には静まり返った部屋が残される。


 彼女の真意を考え黙り込んだ咲ではあったが、力無くソファーに身体を預けてしまった玲奈の隣に座ると優しく髪を撫でる。


「怖かったね。 今日は一緒に寝よっか」


 言葉は無くともそれに同意する玲奈は咲の足へと擦り寄り顔を埋めると、再び嗚咽が聞こえ始め、安堵の涙を流すのだった。






ーー57日目、昼

 玲奈の身に起きた事件は剛達にも知らされたのだが、そこで目の色を変えたのが二人の男。


 怒りで立ち上がった剛を克之が捻じ伏せて説得し、凄い勢いでパソコンを叩き始めた玉城を止める為に取っ組み合いをする事態にまで発展した。


 どうせ寝に帰るだけなのだからと千鶴は克之の部屋で過ごす事を決め、玲奈と咲はグループルームを出る時から二人で行動する事を誓い剛を納得させるに至った。



 だが事件はそこで終わらず、五人揃って昼食を摂っていた時へと続く。



「彼奴らか……」



 名を馳せる不良ではあったが克之は曲がった事が大嫌い。

 虐め、恐喝、集団暴行、知り合いがそんな事をしたと知ればどんなに仲が良い奴であろうとも顔を合わせた際には自ら喧嘩を売って制裁を加える様な男。


 そんな克之の耳に未遂で終わったとはいえ友達の女が襲われたなどと聞こえてしまえば腹わたが煮え繰り返るのも当然の事だった。

 だがそれより先に暴走し始めた二人を止めるのに奮闘しなくてはならなくなっただけで密かな怒りを宿したまま燻り続けていた。



「待って克之! 駄目よっ!!」



 食堂に入ってきた二人組の男、その姿を見るなり玲奈が目を伏せたのを克之は見逃さなかった。


 それを同時に気付いた咲は、克之の表情から行動を予測し声を荒げる。



「克之!?」



 立ち上がろうとする手を握り静止を試みるものの、見上げた顔は激しい闘争本能を体現した修羅のようで、四六時中一緒にいる千鶴でさえ恐怖に慄き思わず手の力が抜けてしまうほど。



「何だよ、てめぇはっ!?」



 されていた蓋が外れて再燃を始めた怒りを噛み締めるように一歩一歩ゆっくりと歩を進めた克之。


 殺意すら感じさせる程の憤怒を露わに自分達の行く手を遮られれば、敵意を剥き出し敵対するか尻尾を巻いて退散するのかどちらかだろう。


 前者を取った男達は食堂にいる人達の注目を集める中、克之と対峙する。



「てめぇらぁぁ、よくもやってくれたな!」



 躊躇なく伸ばされた左手が掴んだのは玲奈にナイフを叩き付けた男の胸ぐら。

 もう一人はあまりの気迫に押されて青い顔をしていたもののナイフ男が退かない姿勢を見せるので自分だけでは退くに退けず、ただその様子を怯えた目で眺めているだけだった。



「いきなり何なんだよ、てめぇはっ!!」

「何だ、だと? 身に覚えがねぇってか?」

「てめぇなんぞ知るかっ!!」

「女を女として見ねぇ屑やろうがっ!!」

「あぁっ!?」



 一度は止めた咲ではあったが、未遂で終わったとはいえ相手は親友である玲奈を毒牙にかけようとした張本人。

 自分の時には仕返しなど考えられず二度と会いたくないとしか思えなかったのだが、時が経って傷も癒えてきたのか、自分も飛び出して行って ボコボコ にしてやりたい気持ちが疼いていた。



「クッ!」



 自分の事は横に置きナイフ男を罵倒する克之。 もちろんそれで終わるはずなどなく、怒りに任せて思い切り振られた拳が左の頬を捉えると二メートルもの距離を吹っ飛び床を転がる。



「てめぇっ!ゴハッ……」



 逃げ腰ながらも慌てて臨戦態勢を取るもう一人の男だったが、それより先に左の拳が鳩尾を捉えている。



「はーい、そこまでにしときぃ」



 克之の右手が腹を押さえてよろめく男の頬を捉える寸前、鋭く突き出された拳を横から掴み留める細い腕。

 それを成したのは左右二手に縛ったピンクの髪を頭の横から噴水のように吹き出させる看護師、堀田美菜水だった。



「貴方達二人には女性に対する性的暴行の容疑がかけられ行動記録からそれが立証されました。

 明らかになっているだけでも3件、この密閉された空間においてその行動は許し難く、女性を恐怖に貶める悪質な犯罪行為です」



 正義の弁護士の如く罪状を突き付けながら扉を潜って現れたのは、栗色の髪がよく似合う看護師、絵里。



「Cパケッツの風紀と治安を乱した罪は重く、貴方達二人を追放させていただきます」



「つ、追放!?」



 震える声を漏らしたのは美菜水に守られたままでいた男。

 青い顔は更に血の気を引き、これから自分がどうなるのか理解したのだと聞かなくても分かるくらいだ。



「それはつまり、ここを出て行けという事か?」


「つまりも何もそういう事よ。 治安維持の責任者である婦長にも了承を得ています。

 協調性の持てない貴方達をパンドラに居させる理由は無い。 帰り道を教えるのでCパケの皆の為に出て行って下さい」



 止めに入った看護師達に逆らう訳にも行かず、克之の怒りは矛先を見失ってしまった。


「どうせ殺すなら俺にやらせろ!」と言いたいのをぐっと堪え、彼等の末路に「ザマァ!」と中指を立てる事で心の中で暴れ回る負の感情を見ないようにと努める。



「かっ、勘弁してくれ! ちょっとした出来心だろ? 謝るっ! 謝るから許してくれよぉっ!!」



 両膝を突いたまま美菜水に縋り付き涙を浮かべる男だが、それを見下ろす目は冷たいモノ。


 それはそうだろう、彼女とて女なのだ。


 もし自分が被害に遭っていたのならと考えれば、この男を庇護してやる理由など欠片も見当たらない。



「弄ばれた女性は心に傷を追うてまう。 それは一生消える事のあらへん深い深いもの。

 遊び半分でそんな傷を負わせたあんた達やけど、ただ「ゴメン」って謝ったくらいで許される思うたら大間違いやで」



「うわぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁあぁぁっ!」



 死刑宣告に絶望したのか、美菜水に縋り付いていた男は急に叫び出すと、覚束ない足取りながらもナイフ男を通り過ぎ、食堂の奥へと逃げて行く。


「おっと……」


 豊満な胸を盾にして真正面からそれを受け止めると、跳ね返されて床に転んだ男に笑顔を向ける芽衣裟。


「ヤリたいなら僕の所にこれば良かったのに……って、まぁ今更か」


 浮かべる微笑みとは対照的に容赦なく襟首を掴んで引きずって来るのは、もうすでに庇護の対象ではないとの証だ。



「チッ!」



 この閉鎖された空間で何処に逃げようというのか、それでも最後の足掻きとばかりに逃走を図ろうと動き出すナイフ男は立ち塞がる美菜水に向かい走り寄る。


「ふふっ」


 たかが女一人、体当たりをかけて退かしてしまおうと勢いを増して迫る男。

 しかしそれと接触する数歩手前、唐突に身を躱した美菜水はその先に居た克之に視線を送る。



「!!」



 僅か1秒にも満たない一瞬の合図、だがそれだけで全てを悟った克之は嬉しさのあまり獲物を見つけたハイエナのように不気味に顔を歪ませると、即座に行動に出る。



「死ねやクソがぁぁっ!!!」



 腹に渦巻く怒りの全てを込めて放つ渾身の一撃は、対象が変わり殴り掛かろうと拳を引いた男の頬を正確に捉える。



「ゴブォァァッ!!」



 食堂にいた全ての者の耳に届いた聞こえてはいけない鈍い音。


 真逆の方向に移動を始めたナイフ男は地に足を着けずに場所を変え、荷物を引きずりながらゆっくり歩み寄る芽衣裟の足元へと滑り込んだのだった。












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