38.超越者
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ーー55日目、朝
「10日……待った。 そろそろケジメ……つけてくれる?」
食堂からジムへと向かう途中、彼女にしては珍しく強引な引手でその先の曲がり角へと連れて行かれた。
人の話し声や気配は感じる、だが人目は無いという死角的な空間。
「ケ、ケジメ……?」
壁に背を預ける剛。 首を挟み込むように両肘を突き、怯える剛の目を下から覗き込んで来る顔は息が掛かるほどに近く、薄い桃色の唇が着いてしまいそう。
壁に相手を押し付けて迫る、いわゆる逆壁ドンの状態だった。
「そう……ケジメ。 口止め料貰って……ない。 10日分の……利息、一緒に払って?」
父母から一方的に受け取っていた愛情とは違い、自らも人を愛する事を理解した剛。
今まで知らなかった反動なのか玲奈への想いは留まる事を知らず、克之達が呆れるほどに丸二日の間ベタベタベタベタと人目を憚らず愛情を示し続けた。
玲奈も玲奈で嫌がる素振りなど無く、あるがままを受け入れてしまったが為に収拾がつかず、歯止めの効かない剛に呆れた咲がこのままでは不味かろうと玲奈を引き離す事にした。
「みんなでクッキー作ってくる。 後で剛くんにも持って行くね」
半身が捥がれたかのような悲痛な想いで朝食を終えて咲と共に去って行く背後姿を目で追い続けていたのだが、二人が見えなくなりしばらく経つと惚けている自分にようやく気が付く。
玲奈にも友人関係がありそれを邪魔してはいけないと思い至ったのは褒められたもの。
じゃあ自分はと考えたものの唯一の友達である克之と千鶴はと言えばいつも午前中は二人の時間を楽しんでいたので、それならばと今日は寂しく一人で行こうとジムに向かったところで拉致されていた。
「あの……あのっ、野乃伽……」
「剛……女の身体を知った。 もう怖く……無いよ……ね?」
あくまで剛の意志を待ち、それ以上は近付こうとしない野乃伽。
その剛はといえば、抜け出そうと思えば抜けられる状態にありながら動こうとはしない。
それは、玲奈以外は駄目だと頭で思いつつも、野乃伽との関係を期待している何よりの証拠。
唇が触れ合う事の心地良さ、シルクのように滑らかでありながら弾力も兼ね備えた肌の触り心地、自分の挙動で奏でる鳴き声と、一つとなり果てる事の気持ち良さ。
意識せずとも思い出される男女の関係に胸が躍る。
「野乃伽さん、駄目だ。 僕には彼女が……」
「剛のこと思う……と堪らなく疼く……他の人……身代わりで抱かれても……剛の事欲しくて……治らない……我慢出来なく……なって来た。
お願い。 焦らす……の、もう……やめて?」
造られた人形のような無表情な顔、だが水色の目は潤み、今にも涙が溢れそうになっている。
「野乃伽……さん……」
既に目的を見失い剛を求めるだけの野乃伽だったが、「玲奈さんが!」そう思いながらも股間へと血液が集まり男としての本能が我慢出来なくなってくる。
精一杯の逃避をする為に壁へと押し付けていた手の力が抜け『口止め料』という言い訳を盾に野乃伽に向けて動き始めた。
だがその時……
「我慢出来ないなら私がしてあげよっか?」
背後から羽交い締めにされ引き離される野乃伽。 剛の目の前で片手に胸を揉まれ、もう片方の手でスカートを捲り上げられ股間をまさぐられる。
「あっ!……はっ、んんんっ!」
目を瞑り、身体へと走る快感の波に乗り、気持ち良さ気に顔をしかめる。
「何よこれ、触る前からヌルヌルじゃない。 どんなけ期待してるのよ」
見せつけられた指は第二関節まで濡れており、二つの指が拡げられると透明な液体が糸を引く。
目の前で起こる大人向け映像のような光景に我を忘れて食い入ってしまう剛だったが、その手の持ち主である絵里が小さな舌を出し唇を舐める様子に背筋がゾクゾクとする。
「剛くんを求めてこんなになってるのよ? もう準備万端だから挿れてあげたら?」
再び捲り上げられたスカートから覗く白い下着、その奥に隠されたモノを想像し喉を鳴らすものの、剛の行動はそれと似つかわしくないものだった。
「ごっ、ごめん!!」
慌てふためきながらも走り出すと、そのまま姿を消してしまった剛。
「あーあ、逃げられた」
「嘘つき、絵里……の思惑通り。 何で邪魔……したの?」
「心を詠むのはズルイぞ。 でもあわよくば三人でって思ったのは本当だよ?
仕方ないからフラれた者同士、二人でする?」
「ん……それも悪くない……かも。 けど私の……欲求は止まら……ない」
「はいはい、なるべくご期待に添えますように頑張りますよ……って、まだ朝の時間帯だけど?」
「そんなの関係……ない」
玲奈に引き続き野乃伽にまで先を越されそうになり邪魔をした絵里。
だが押せば落ちそうな感じを得てほくそ笑みながら、野乃伽と共に自室へと向かったのだった。
「好きですっ」
透明な袋に入れられた数枚のクッキーは横に拡げられた特徴的なハート型をしており、一つ一つ手で成形されたのが一目瞭然。
その心情を表すように赤いリボンで封がされ、両手で差し出す玲奈の顔は天使のような笑みに満ちていた。
「ヒューヒューッ」
「玲奈を射止めるなんて妬けるねぇ」
「式には呼んでね!」
「お幸せに〜っ」
部屋に逃げ込み悶々としていたのだが、克之達と食堂に向かうと、食事の匂いに混じり玲奈達の焼くクッキーの良い香りが漂っていた。
さっき別れてから数時間しか経っていないというのに、野乃伽との事もあり『早く逢いたい』それだけが頭を占拠する。
席に着いたタイミングで個別包装されたクッキーを勧めて回る六人の女性達が現れ、愛しの玲奈の姿もそこにあった。
二手に分かれていた女性達、だが最後に残された剛の元に来ると申し合わせたように全員が集合する。
バレンタインの告白の如く手渡されるクッキーに冷やかしを入れる女性達ではあったが、その顔は心からの笑顔で溢れていた。
いつものように部屋に戻った五人は入れ違いに出て行った玉城の帰りを待って……いたかどうかは分からないが、二つのソファーに分かれて寛いでいた。
「お前ら、本当に三人で付き合うのか?」
「悪い? 克之には関係ないよね?」
剛の頭を我がもののように抱き寄せる玲奈は未だに克之の事が、嫌いではないにしろ好きではなかった。
「関係ねぇっちゃねぇけどさ、玲奈とはヤったみてぇだけど、咲とはどうなんだよ?」
「愛の形には色々あるよね? 肉体関係を持ったから好きとか、それはおかしいと思うけど?」
呆れた様子でもっともらしい事を言う咲ではあるが、玲奈の言葉に合わせて剛と付き合う体裁を取っているだけで、剛の側が居心地が良いと感じながらも肌を重ねるつもりなど毛頭無かった。
「じゃあ今日は咲さんが剛くんと……」
シュゥゥゥゥンッ
食事を済ませて帰った玉城は玲奈の顔を見るなり ニッコリ 微笑むが、猫のようにその腕に収まる剛を見るなり急激に沸騰する怒りで顳顬が ピクピク としている。
その様子に苦笑いを浮かべる玲奈ではあったが、パソコンを取りに行った玉城が戻るまでの間に姿勢を正す剛を不思議そうに見ていた。
「水無さん、調べてもらいたい事が……あるん、です、けど……」
お前と話す口など持ち合わせていない!そう告げるような鋭い眼光は玲奈をモノにした剛を射殺さんとするようにトゲのあるものだった。
だが前触れのない発言に全員の注目が集まれば、個人的に嫌悪する輩の言う事でも聞かない訳にはいかない。
「どうしたの? 何か気になる事でも?」
玉城の視線に尻込みした剛ではあったが、千鶴に後押しされ意を決すると言葉を続けた。
「あのですね……琴音という女の子がパンドラの何処かにいるはずなんですけど、何処にいるのか探してもらえませんか?」
「理由っ」
事由を問うのは拒絶ではない事の現れ。 だが、単語とはいえキツイ言い方に退いてしまいそうになる。
「女の子? 剛の知り合いなの?」
「まさかの浮気相手ですかぁ?」
「浮気相手って……小さな女の子、の筈だよ?
ほら、パンドラに来る時の僕がオヤツをあげた……」
「ああ、こないだも話してたオヤツで買収した3歳くらいの女の子ね?」
「つまり浮気をしたいから何処にいるのか探してくれ、と?」
「玲奈さん……」
「理由っ!!」
剛が玲奈と会話するだけで苛々する玉城、皆に聞こえるように舌打ちすると「早く言え」とばかりに二度目の要求をする。
「実は……」
琴音の赤い髪、たった二ヶ月で成長した身体、そして交わした約束。 明確に覚えている夢の事を出来る限り事細かに話して聞かせた。
「赤い髪?」
すると何か思い当たる節があったのか、難しい顔をしたかと思うとキーボードを叩き始める玉城。 その様子に期待し見続けていたのだが、千鶴の口から思わぬ事が飛び出してくる。
「それはいつの話しなの? 他にもそんな夢を見る事があったりした?」
他の夢で思い当たるのが無いわけではなかった。 しかし咲も玲奈も死んでしまうような不吉な夢の話をするわけにはいかず「無い」と答えた剛。
顎に手をやり思考を巡らせる千鶴の邪魔をしないよう黙って待っていたが、小さな溜息を吐き出したのを合図に克之が声をかけた。
「何か思い当たる事があるのか?」
「うん、眠ってるときって感受性が高まると何かで読んだわ。
睡眠って浅い眠りと深い眠りを行き来しているのは知ってるよね? 浅い眠りの状態では身体は休止しているのに脳は活発に動いている。
その時に見るのが夢なんだけど、毎日とる睡眠時に5、6回は夢を見ている筈なのに全てを明確に覚えていられる人なんていないそうよ。
そこでよく考えてみて?
剛くんは夢を正確に覚えている。 けどそれが夢ではなかったとしたら?
SARS-CoV-3.1の特性は人間を超越した力を得られる事だったわよね?
そして第一回目の臨床試験の際に生まれた超能力者が41人もここパンドラには居る。
その人達がどんな能力を持っているのかは知らないけど、もしかしたらその中に精神感応の能力を手に入れた人がいるのかも知れない」
「つまり剛の見た夢は超能力を持った者からのテレパシーだって事?」
「推測に過ぎないけど現実を見ると、その可能性の方が高いと思えませんか?」
超能力と一括りに言っても人間を超越した力の持ち主というだけで能力自体の強弱もあれば種類も多岐に渡る。
SARS-CoV-3.1の発祥者のように身体能力全般が跳ね上がる者もいれば、野乃伽のように人の心を詠むような精神的な能力に目覚める者だっている。
「それで更に一つの仮説が立つ。
電話をかけるには双方がスマホを持っていないと繋がらないように、テレパシーも同じで送る方も受ける方もその能力が無いとメッセージは伝わらないと思うの。
ましてや剛くんは相手と会話を交わすほど明確なやり取りをしている。
女性でも半数以上が適合しないとされる
SARS-CoV-3.1だけど、もしかしたら剛くんはそれと適合を果たしたから超能力に目覚めて夢の中で少女に会えた、そうは考えられないかしら?」
説得力のある千鶴の仮説は剛を含め全員を押し黙らせる力があった。
SARS-CoV-3.1との適合、それは一月先以降の命の確保ではあるが、三日に一度フェイトを摂取しなくてはならないと知っているものの、いつから飲み始めなくてはならないのかも知らなければ、フェイトをくれとも言えない剛からしたら悪戯に心配を煽ることであった。
「なかなか興味深い推論だがあながち間違いではないかも知れないよ」
「何か分かったの?」
鼻に乗っかる眼鏡のフレームを中指で押し上げた玉城、その目は光の加減で丁度見えなかったが先ほどまでの攻撃性のある視線は感じない。
「三柿野 琴音は全滅したAパケッツ唯一の生存者、つまりSARS-CoV-3.1の適合者って事になる。
保存されてるカルテによれば、一回目の健康診断で既に適合が確認され入所10日目にしてパンドラの中心部にあるイニーツィオという研究室の巨大試験管の中に入れられたようだ。
だが驚くのはそこからで、当時100㎝ジャストだった彼女の身長はフェイト漬けにされてみるみる内に成長し、僅か二ヶ月で150㎝まで伸びているらしい。
それに伴い身体つきも思春期レベルまで成長。
そして千鶴ちゃんの推論を確信へと導くのが、黒髪から変色を果たした赤くて長い髪だよ。
知るはずの無い身体の成長、そして髪の変色、それだけ正確な情報が口から出てこればほぼ確定でこの少女と会話をしたのだと言えるだろう。
それはつまり君も超能力を有するという事で間違いないと僕も思うね。
おめでとう神宮寺剛、人間を超越した気分はどんなだい?」




