36.初めての朝
(お兄ちゃんっ、ねぇっ! お兄ちゃんってば!!)
せっかく心地良く眠っていたのにと心の中で文句を垂れながらも煩わしい呼び声に誘われ起き上がった。
「うぇぇえっ!?」
寝ぼけ眼で見た光景であったのだが、一瞬で頭が冴え渡るほど衝撃的な姿。
漆黒の空間に浮かび上がるのは、まるで水の中にいるかのように逆立つ赤い髪をゆらゆらとさせる全裸の少女。 その身体は大人になるべく成長を始めたばかりの青い果実だった。
しかもそれが宙に浮いているともなれば自分の目を疑わざるを得ない。
(お兄ちゃん、琴音の事忘れちゃったの?)
衣服を身に着けていない事に気が付いていないのか、隠そうとしていなければ恥ずかしがる素振りすらない。
しかし真正面にいる剛としては目のやり場に困りなるべく見ないようにと手で顔を隠すのだが、指の間からはしっかりとその姿を確認するという男としての本能も見え隠れしていた。
顔を隠された意味が分からず不思議そうに小首を傾げる琴音だったが、すぐに現れた剛の顔に嬉しそうな表情を取り戻したのにそれは長続きしなかった。
「え?……どういう事?」
自分の事を分かってくれていないと感じた琴美は意気消沈し、しょんぼりと肩をすぼめる。
あからさまな落胆を見て慌ててみるものの中学生くらいの女の子と言えば妹の美月くらいしか心当たりがない。 だが、相手は剛の事を知っている素振り。
(お兄ちゃん、オヤツ一緒に食べたの忘れちゃったの? 本当に琴音の事忘れちゃったの?
琴音ね、お礼を言おうと思ったのに、お母さんが『お兄ちゃんは違うお部屋にいるから会えない』って言ってたの。 だけどずっと会えるのを待ってたの。 だって、何かしてもらったらちゃんと『ありがとう』は言わなきゃダメでしょう?)
「え? それって……僕がオヤツをあげた女の子……じゃないよね?」
(琴音はお兄ちゃんから貰ったオヤツ食べたよ? そのお礼がずっとしたかったのっ。 ありがとうね、お兄ちゃんっ!)
剛の隣に ペタン と座り込み嬉しそうな笑顔を浮かべる琴音。
彼女の言動から想像出来るのはパンドラに来るときに剛がオヤツを上げた小さな女の子。 だが記憶が正しければ確か3歳くらいの女の子だった筈。
しかし目の前に居るのはどう見ても12、3歳の少女だ。 このギャップは一体……
「あ、ああ、どういたしまして。
それで、琴美ちゃんはどうしてそんなに大きくなってるの?」
(え? 琴音、大きくなったの?)
「うん、中学生くらいのお姉さんに見えるよ」
(えぇっ〜っ!? 琴音まだ4歳だよ? 年中さんなったばっかりだよ? そんなおっきなお姉さんじゃないよぉっ)
何の冗談だと屈託なく笑う様子は中学生というよりは4歳の女の子の方が近い。
しかし股間を隠すように生える毛や、膨らみ始めたばかりの胸、そして女性らしく括れ始めた腰回りはどう転んでも10歳以下ではない。
(そういえば、お兄ちゃんがちっちゃくなったように見えるなぁ、変なのぉ〜、あははははっ)
気分が良くなってきたのか、伸ばしたままでいた足の上に ピョンッ と跨がる琴音だったが、裸の少女にそんな事をされれば気が気ではいられない。
その様子に目を丸くする剛だったが、残念な事に、支えとなるべく手前に置かれた彼女の手が邪魔をして思わず目が行った股間は見る事が出来なかった。
(琴音ね、お兄ちゃんにお願いがあるのっ)
「お、お願い? なんだろう? 僕に出来る事かな?」
さっきまでの元気は何処へやら、急に俯くと背中まである赤い髪が流れ顔を隠してしまった。
(あれ? 琴音の髪、赤色になってる! 何これっ! きれぇ〜っ!!)
「あ、あぁうん、綺麗な赤い髪だね。 琴音ちゃんにとっても良く似合うよ」
(ほんと!? 嬉しいっ!)
首に手を回し抱き付かれれば「ちょっと待て!」と悲鳴を上げたくもなるのが普通なのだが、 “あの時の女の子” だと認識されたのか驚きはあれど拒絶感は無い。
「それで? お願いって何かな?」
妹を抱きしめる、そんな感覚でいた剛。
サラサラの赤髪を撫でてやれば心地よさげにしていた琴音ではあったが、背中へと回された手に少しだけ力が入る。
(お母さんに会いたい)
消え入りそうな声で呟かれた短い一言。
そこから滲み出る悲痛な思いが胸を打ち、姿は違えどやはりあの時の女の子なのだと認識されると居た堪れなくなる。
「琴音ちゃんは、今、何処にいるの?」
自分で発しておきながら意味の分からない言葉。
目の前にいる少女に向けて「何処にいる?」と聞いても返答に困るだけだろう。
(分かんない……でもね、琴音、病気なんだって。 すぐに治るって先生が言ったのに、お薬飲んで寝ちゃって、起きたら誰も居ない暗いお部屋だし、お母さんも居ないし……たまに知らないお姉さんとか先生も来るんだけど、みんな琴音の言う事無視して見てもくれないの。
ねぇ、お兄ちゃん。 琴音、要らない子なのかな……嫌々っていっぱい言ったから、お母さん怒って琴音の事要らなくなっちゃったのかなぁ……お母さん……お母さん、会いたいよぉ……)
肩に顔を埋めたまま嗚咽を漏らして泣き始めた琴音。
どうして良いか分からず抱きしめたまま頭を撫で続けながらも思考を巡らすが、先生が八木であり、病気というのが植え付けられたウイルスによるモノだという事くらいしか想像が付かない。
「お母さんはそんな事くらいで嫌いになったりしないよ。 もしかしたら琴音ちゃんの病気が治ってないから先生に会っちゃダメですって言われてるのかも知れない。
それはちょっと僕では分からないけど、大丈夫、きっとお兄ちゃんが探してあげるよ」
(本当? ホントにぃ!? じゃあ琴音、良い子で待ってる! もう嫌々言わないから琴音を迎えに来てね! 約束だよ?)
「分かった約束ね。 だからもう少しだけ待っててくれる?」
(うんっ! わかった!!)
琴音はおろか、琴音の母親の居場所など分かるはずもなく、何も分からない現状ではあった。
いつもなら可能性の見えない口約束などはしないのだが、この時ばかりは衝動的に交わしてしてしまった “琴音との約束”
だが彼女とは近いうちに会えるような不思議な予感に捉われながらも柔らかな赤い髪へと手を滑らせ続けた。
ーー53日目、朝
心に安らぎをもたらす肌の温もり。
右半身へと寄りかかる柔らかくも心地良い感触で目が醒めれば、急速に回り始めた頭が昨晩の出来事を鮮明に思い起こす。
「剛くんの部屋に泊まるからっ」
きっかけはキスもしてくれないと言い始めた玲奈の不満からだった。
「剛には剛のペースがあるんじゃないの?」
「何を言い出した!?」と驚き慄く剛に援護してくれた咲ではあったが、一週間経っても進展の無い関係など幼稚園児のおままごとかと奥手にもほどがある剛の様子に少々呆れていたのは事実。
「そんなの待ってたら、私、お婆ちゃんになっちゃうよっ!」
ウイルスに犯された身体には僅かばかりの寿命しかないと告げられている。
ただでさえ時間がないのにそれを分かっていながらの悠長なペース、一応は待ってみたものの我慢出来なくなり強行策を打って出た。
剛の居ないところで行われた話し合いで既に合意はしており、建前上の制止など無意味なものであっさり退いた咲は自室に戻って行ったのだが、大変なのはその後の玲奈。
自分で言い出した事とはいえ、興味があるくせに言い訳ばかりでやる気を見せない剛を言い包めるのに四苦八苦したのは言うまでもない。
それでも一歩さえ踏み出してしまえば慣れない手付きながらも少しばかりの知識と本能に従い事を進め今に至る。
驚く程に柔らかい肉の感触と触り続けたくなる スベスベ とした肌の質感、自分の挙動に律儀に応える甘い吐息と声に何物にも代え難い興奮を得た。
そして肉体的な満悦もさる事ながら、もっとも感じたのは満ち足りて行く心。
二つの身体が一つになる事で “愛おしい” “もっと傍にいたい” という思いが止め処なく増え、『好きだ』という気持ちより一段上の『愛する』というのはこういう事なのかと理解するに至った。
「たけ……る……くん……」
目の前にある愛しき者の髪に顔を埋めて昨晩の回想に悶々としていれば、それが伝わったかのように玲奈の寝言が耳へと届く。
記憶していた声ではなく本物の声により鮮明さを増す一夜の思い出。
それだけで愛しさが膨れ上がり彼女を包む腕に力が入れば、その頭がゆっくりと上を向き剛の顔を認識すると天使のような微笑みへと変化する。
「おはよぉ」
「おっ、おは、よぅ……」
剛の中でデコレートされた玲奈の顔は朝靄の中でキラキラと輝いており、声も出ないほどに見惚れてしまう可愛いらしい顔。
少女漫画のワンシーンのようなシチュエイションでありながらも、昨晩の悩ましい顔と重なりなんだか照れ臭くなる。
「なんか不思議ね……剛くんの家で会った時はこんな事になるだなんて想像もしてなかった。 でもここでこうしてるのがこんなにも居心地が良いなんて……もしかして、天国にいる純恋のお導きだったりして?」
「破天荒な姉さんならありえますよね?」
「そんなの聞かれたら、胸ぐら掴まれてねじ伏せられるぞぉ?」
「あははっ、やりそうやりそう。 よくプロレス技の練習とか言って虐待を受けてました」
「それも今となっては思い出、かぁ……」
純恋の事を思い出すべく目を瞑った玲奈、そのまま胸に頬を寄せると剛の存在を確かめるように手を這わす。
そんな玲奈を抱く腕に少し力を込めた剛。 それはある思いに対する決意の大きさ故の事だ。
「今日も明日も、一ヶ月先だって、一年先だって、僕は玲奈さんの傍にずっと居ます! 例え何が起ころうともずっと一緒です!
その為にはフェイトを手に入れてここから逃げないと……僕達には姉さんの分まで生きる義務があるっ」
明確に覚えている夢で会った琴音、母親を連れて迎えに行くと交わした約束。
そして今、目の前にいる愛しき存在。
やるべき事、護るべき者を見つけた剛は、具体的に何をすれば良いのかまでは分かっておらずともヤル気に満ち溢れていた。
「ふふっ、うふふふふふっ……ねぇ剛くん。それってもしかして、プロポーズ?」
予期せぬ突然の言葉は、余命宣告をされた現実を見ないようにしていながらも見てしまう、玲奈の欲する未来なのかも知れない。
そこまで考えてなかった剛ではあるが “ずっと一緒にいる” という事は『結婚』と言う生涯を共にする約束を交わすのと同義だと気付き、顔はおろか耳まで真っ赤に染まってしまう。
「プ、プ、プ、プロポーズ!とかっ、よ、良く分からないけど……でもっ!僕は玲奈さんと一緒にいたい! ずっと玲奈さんを護りたいんだっ!!」
ありったけの勇気を振り絞り、今の心にあるもの全てを吐き出した。 するとそれに応えるように動き出した玲奈は剛の上によじ登り身体を重ねる。
「たった一回抱いただけで生意気だぞぉ?」
はちきれそうな自分の鼓動が響く胸、だが押し付けられる乳房を通して玲奈の鼓動も聞こえてくる。
「でも、剛くんは本気でそう思ってくれてる……凄く、凄く嬉しい」
顔を包み込むように置かれた手、鼻と鼻が付くほどの距離にある顔からは解かれたポニーテールがカーテンのように垂れ下がり、二人だけの世界を創り出す。
「私も剛くんが好き、ずっとずっと一緒にいたいと思ってる。
でもウイルスとか、実験とか、ここから出てからの事とか、不安がいっぱい。 剛くんとずっと一緒にいられるか不安で仕方がないのよ。
けど今は……大好きな剛くんと二人だけの今は、そんな事を忘れてしまうくらい剛くんでいっぱいにして欲しい。
だから……剛くんの愛を、もっと頂戴?」
重ねられた唇から入り込む小さな舌は玲奈の心境を物語るように剛を求めて絡み付く。
学校に行ってた頃からは想像も付かない自分に不思議な感じはしながらも、愛しさの止まらない玲奈に応え、彼女の求めるままに、自分が欲しいと思うままに二人の愛を確かめあった。




