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パンデミック  作者: 桜桃なる猫
第三章 人間を超越する力
35/59

35.秘密の理由

ーー51日目、午前

「剛きゅん? おーい、剛きゅ〜〜んっ?」



 ジムで咳が止まらなくなり蹲ってしまった人を医務室に連れて行くと、その時間の担当だった絵里が対応してくれた。


「剛くん、ありがとね」


 笑顔を向けてくれた彼女ではあったが当然のようにその男性の事で忙しそうだと感じ邪魔にならないようにとそっと部屋を出て来たのだが、先日の院長の言葉が脳裏を過ぎる。



『君の気持ちが伴う必要はない。 ただ恋人役を演じてくれるだけで彼女達は救われるのだよ。 休みなく働く彼女達にひとときの癒しを与える、そんな役目を負ってやってくれないかな?』



 要求されたのは気持ちの伴わない肉体関係、普通の男性であれば二つ返事でオッケーを出す事だろう。

 だが貞操観念の強い剛にとっては必要な役割かも知れないと思いつつも首を縦に振れない事であった。


 ましてや咲と玲奈という恋人を得た今、他の女性と関係を持つなどあってはならない、そう位置付けられた提案に絵里の顔を思い浮かべながら「ごめん」と謝る他なかった。



「剛きゅんがシカト決め込むなら私にも考えがあるもんね〜っだ!」



 ジムに戻る気にはなれず、食堂の端に座り絵里の事、八木の事、フェイトの事と物思いに耽っていれば、目の前に口を尖らせた秞子の顔が近付いていた。



「うわぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁああぁぁあぁっっ! なっ、何してるんだぁっ!?」



 慌てて小さな肩に手をやり侵攻を食い止めるがそれでも襲いかかるのを止めようとせず、剛の手を退かそうとぷるぷると左右に首を振り身悶えしながら押し切ろうと体重を乗せてくる。



「何ってチュウするんだよぉ〜、邪魔しないでよね〜」


「邪魔するわっ! 止めんか馬鹿者っ!!」


「嫌でぷぅ〜、剛きゅんが無視するから私も剛きゅんの言う事なんて無視無視無視なんですぅ〜〜」



 剛の全力を持ってしても留めるだけで精一杯。

だが身体を震わす秞子は徐々に距離を詰めにかかる。


 タコのように尖らせた唇が接触するまであと10㎝、ワザとらしい荒い鼻息が剛にかかりあわや昇天かと思いきや、諦めかけたところに天の助けが降りてくる。



「分かった! 悪かった! 僕が悪かったからっ、謝るから勘弁してっ!!」


「謝るくらいで済むなら警察は要らないんですよぉ〜、大人しく刑を……グベッ!」



 脳天を突かれた秞子の顔は剛の膝へとダイブする。 突然の事に椅子から転げ落ちぬようそのまま頭を支えたのだが、秞子を叩き潰したのが芽衣裟だと見るや目を丸くする剛。


「ったく、とうとう強姦にまで手を出したか。 しかも人前で堂々と。 恥を知れ、恥をっ」


 どの口がそれを言うのかと耳を疑うが、彼女の言いたかったのは “二人だけでやれ” という事で “やるな” とは言っていないつもりだった。



「あ、ありがと、助かりました」



「あんたもさぁ、院長に言われたろ? こんなになる前に一回くらい寝てやりなよ。 別に秞子が嫌いってわけじゃないんだろ?」


 秞子とは反対の椅子へと腰を下ろした芽衣裟に向きつつ突っ伏したまま動こうとしない秞子の髪を撫でてみる。

 決して彼女が嫌いなのでは無い。 寧ろ剛にとっては好きな部類で、気の合う友達として認識されている。


 だが友達は友達、例え秞子が咲や玲奈のように魅力溢れる可愛い女の子であったとしても剛の中では “友達” と括られた以上、それ意外には考えられないでいた。



「院長? 何……言われた……の?」



 気配を感じさせる事なく忍び寄り、カーデガンでも掛けるかのように フワリ と抱き付いた野乃伽。

 反射的に震え上がる剛だったが、それが誰の仕業なのか分かると、先日の健康診断の時の事が思い起こされ魅惑の唇で頭がいっぱいになる。


「それが笑っちゃう命令でさ、あまりに奥手なもんだからいい加減うんざりしたんじゃないのかね? 院長直々に秞子と絵里を犯して来いって言われてるんだぜ? どう思うよ?」


 芽衣裟の性格そのままのストレートな物言いに驚いて妄想の世界から帰還した剛だが、それを捻じ伏せるかのような強力な一言が加えられる。


「どうって……どうもないわ。 それは剛が……決める事、私に……は、関係……無い。

それより剛、口止め料……いつくれ……るの?」


「なんだなんだ? 野乃伽まで剛を狙ってるのか? お前、奥手な癖にモテすぎじゃね?」


 耳に触れるか触れないかと言うほどの距離に唇を近付けて小さく囁けば、剛の背筋に電気が走ったかのような衝撃が駆け抜けて行く。

 背中に、胸にと、密着する事で伝わる体温が野乃伽との妄想を否応無しに掻き立てる。



「おーおー、モテモテですなぁ〜、剛はん」



 正面の椅子を引いたのは桃色髪が目立つギャルメイク看護師の美菜水、剛とはあまり接点が無かったが三人に囲まれる姿に興味津々な目を向けている。



パンッパンッパンッ



 好意的な女性に囲まれるという誰もが羨む状況ながらも悲鳴を上げたい心境の剛に救いの手を差し伸べたのはヘルメットにゴーグル、細長いスカーフの異色の看護師。



「Breaks are important, but work too」

(休憩も大事だけど仕事もね)



 先生に怒られた生徒のように溜息を吐きながらも席を立った芽衣裟は、剛の膝を堪能していた秞子の首根っこを掴み引き摺って行く。


「ウチ、今来たばっかりやのに……」


 来た時のようにフワリと離れて歩き出した野乃伽と文句を垂れながらも美菜水が撤収すれば、ゴーグル看護師と剛だけがその場に残された。


「あの、ありがとうございます」


 食堂を後にしようとする背中に声を掛ければ立ち止まり顔だけで振り返る。



「Life is limited, enjoy when you can」

(人生は有限よ、楽しめる時に楽しみなさい)



 流暢な英語しか聞いたことが無い彼女だが日本語が分からない訳では無さそうだ。


 再び歩き始めた後ろ姿が何となく誰かに似ている気がしてならず、しばらくの間考え込む剛ではあったが答えに行き着くことはなかった。






ピピッ!


 部屋の扉に仕掛けた開閉を知らせるアラーム、制限のかかる自室の扉を開くことが出来るのは自分の他にはあの人しかいない。



シュゥゥゥゥンッ



 やり掛けていた作業に一区切り付け、見られては困る物を急いで片付けた途端に開かれる研究室の扉。

 入って来たのはもちろん全ての扉を開くことが出来るチップを有する院長の八木だった。



「先生、女の子の部屋に無断で押し入るのはマナー違反じゃないですか?」



 机に並んでいるのはベネツィアングラスのように複雑かつ見事な装飾の施された透明な小瓶達。

 何食わぬ顔で平静を装い、手に持つ大型のフラスコからガラス棒を伝わせ水色の液体を一つ一つ丁寧に流し入れて行く。


「そうだな、君の顔が見たくなった、と言えば許してくれるかい?」


「もぉっ、女を口説くのに慣れ過ぎじゃないですか?」


 視線も向けずに文句を言いながらも作業をやり終えると、持っていたフラスコを流しに入れて水に浸けておく。

 銀のトレーに乗った43本の小瓶は照明を浴びてキラキラと光を反射させ、あたかも宝物の様に見えてしまう。



「今日はミカン味と、リンゴ味とありますがどっちがいいですか?」



 手近にあった折り畳みの質素な椅子に腰を下ろして菜々実の作業を見守っていた八木の前に差し出される小瓶達、その全てはSARS-CoV-3.(クロト)1に魅入られた女性達の為に造られた命の薬であった。


「ではリンゴ味の方を……と言いたいところだが、健常者である私が飲めば只では済まないのだろう?」



「せいか〜い、よくご存知でっ」



 出来立ての薬をトレーごと作業台の下の冷蔵スペースに納めると、動かない八木の背後からそっと抱き付き横から顔を覗き込む。


「それで? 本当に顔が見たくなっただけなんですか?」


 フェイト製造のタイミングで来るという事は聞くまでも無く違う目的があっての訪問だと分かりきっている。

 だが自分の保身の為にもなんとしてもそれは避けなければならない問題であり、知られないようにと細心の注意を払っていた。


「うん、それは嘘ではないよ。 賢く、聡明で、見た目も美しい、そんな君を欲しいと思う私の気持ちに偽りはない。

 けどもう一つ目的がある事くらいカンの良い君なら気付いているよね?」



「先生は自分が魅力ある男性であると知っている。 だから当然、寄ってくる女など履いて捨てるほどたくさんいる。

 そんな先生の隣に立つのがどういう事か察しては頂けませんか?


 例え先生が私を愛して必要だと言ってくださっても、それだけで周りの女性から特別視されるとは限らない。

 現状で私を特別だと認識させる最大の武器が私にしか造る事が出来なく、かつ、先生の研究に欠かせないフェイトです。


 そのフェイトを取り上げるという事は私に死ねと言っているようなもの、私は先生にとって必要無い存在ですか?」



 肩へと顔を埋めた菜々実、少しの間を置きその頭を優しく撫でる八木の手。


 ゆっくり持ち上がった顔を見て少しばかり驚くが、頬に流れる一筋の涙をそっと拭ってやる。



「必要のないと感じる人間にわざわざ逢い来る事があると思うかね?

 君は美しい女だよ、菜々実。 私の側にいて欲しい」


「あ〜あ、先生、酷い。 それって歳とって綺麗じゃなくなったら要らなくなるって事ですよね? やんなっちゃうわ……今度は若いままの肌を保つ薬を造らないと」


「実に魅力的な薬だね、是非、全人類の為にお願いするよ」


「大昔から失敗を繰り返してきた秘薬なんてそう簡単に造れっこありませんよ〜だっ」


 目の端に涙を浮かべながらも頬を膨らます菜々実の姿に本気で美しいと感じる八木ではあるが、彼女が言うように女の代わりなど幾らでもいる。


 ただ三拍子も四拍子も揃う女となるとなかなかに難しいもので、パンドラの中という限られた人材しか居ない今は代わりを担える者など居はしなかった。



「そんな冗談は置いておいて、Bパケで暴動が起きたって本当ですか?」



 全滅したAパケッツの次に体調の悪かった者が集められたBパケッツの住人。

 医務室では手に負えずヴィルカントに運ばれる者が10名を超え、体調不良を訴える者も多くなって行けば先行きを不安がるのも当然の事。


「人は恐怖が長期化すると暴動を起こす生き物らしい。 笹野くんが上手く収めてくれたようだが、危機を感じた彼等が自分の身を案じて声を上げるのは至極当然の行動じゃないのかな?」



「私のように?」



「それは似て非なるものなり、だよ。

彼等の運命は決まっている、だが君の場合は数多い選択肢がある。 一見似てはいるが、問題の本質は決定的に違うモノだ」


「未来の選択肢ですか。 それじゃあ、未来永劫先生の隣に居られるように布石を打たなくてはいけませんね。

 そういう訳でぇ〜、先生を私の魅力でメロメロにする為にシャワーを浴びに行きませんか?」


 先程とは打って変わり笑顔で頬を突つけば八木の顔にも笑顔が感染る。 それを了承の合図だと受け止め唇を重ねる菜々実。


 舌を絡める熱烈な口付けは二人の気分を盛り上げる為のモノ。


 長いキスが終わりを告げると、立ち上がった八木は菜々実の背中と膝の裏へと手を回し横抱きに持ち上げる。



「我等の愛の巣に行こうか、お姫様」



 両手を首に回し嬉しさで染まる頬を寄せもう一度口付けを交わすと、二人は静かに研究を後にした。













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