30.モテ期
「それについては私から話すよ」
片手を上げて視線を惹いたのは玉城が逃げ出すタイミングを計り様子を伺っていたから。
パソコンの存在がバレた以上今さら隠しても仕方がないかもしれないが、中を覗かれるよりはマシだろうとの選択だった。
「咲さん、僕自身の事だし自分で話すよ」
緊張した顔をしながらも妙な落ち着きを見せる剛は、膝の上に置かれた拳を握りしめて己を奮い立たせていた。
そんな剛を見て微笑むとゆっくり頷き「頑張れ」と目でエールを送る。
その顔だけで告白する勇気が湧いて来るのは、やはり彼女を特別視しているからなのだろう。
「告白って、いつ? 誰に?」
普段は仲の良い姉弟のように戯れあっていたが、 焦りの表情を浮かべて食い入るように身を乗り出す玲奈を見れば彼女が剛の事をどう思っているのかなどすぐに分かる。
(何でお前はそんなにモテるんだ?)
心の声が聞こえたかの如く克之の膝を抓ったのは千鶴。
だが雑に頭を撫でて肩を抱き寄せれば「俺にはお前がいる」という思いは伝わったようで嬉しそうに身を預けてきたのだった。
「付き合いたいとか、告白とか、今まで一度も考えた事はなかった。
けど、なんか昨日は勝手に気分が盛り上がっちゃって勢い余ったんだけど、そんな薄っぺらな気持ちじゃ受け入れて貰えないのは当然で、あえなくフラれる事となりました」
膝に置いた拳に重ねられた玲奈の手は暖かく、喋る勇気を注ぎ込んでくれるようだった。
その向こうには、後ろ手を組みながら壁にもたれてつまらなさそうにする絵里がいるが、その視線は剛の顔から外れない。
「それで? 誰に告白したの?」
薄々勘付きながらも明確な答えを求める絵里。
それは玲奈とて同じだったが、聞くのが怖くて言葉にならなかった。
「咲さんに、です」
その言葉は玲奈の頭にハンマーで殴るような衝撃を与えた。
(あれ? 私は剛くんの事を……?)
そこまで来てようやく自分の気持ちに気付くのは自分が一番剛の近くにいると思っての油断が背景にあったのだが、弟のように思っていた剛がいつの間にか心の支えへと変化している事に気付いてなかったのが何よりも大きい。
「ふぅ〜ん、じゃあ強敵が一人減ったわけだ。 ねぇ、剛くんっ、私の気持ちはずっと前から変わってないわ。
誰かと付き合いたいのなら私を彼女にしてよ、ねぇ、良いでしょ?」
剛の横に膝立ちになると、玲奈の手を払い退け、奪った腕を抱きしめる。
満面の笑みで見上げてくる絵里はとても可愛く見惚れてしまいそうではあるが、押しつけられた胸の感触に集中してしまいそっちに意識を奪われてしまう。
「絵里さんの気持ちは嬉しいけど、僕は咲さんが……」
「何で咲さんなのっ? どうして!? それじゃあ、敵いっこない!」
「そう、それなら諦めなさい? っていうわけでぇ、剛くんは私のモノって事で良いわよね?
剛くんっ! じゃあ早速私を好きにして良いよ! フラれた事を忘れたくてさっきのビデオみたいな事がしたいんでしょう? 早く二人きりになろぅ?」
腕を引き部屋へと誘いをかける絵里ではあったが、その実、まったく動こうとはしておらず、剛への想いがありながらも最初から諦める選択をしかけた玲奈へ揺さぶりをかけていただけだった。
「ダメよっ! そんなのダメっ! 剛くんだってそんなの望んでないわ?」
「あらあら〜、なんで貴女にそんなこと言われなきゃならないのかなぁ。
いつもの剛くんならこんな状態のままでいるなんてあり得ないのに今はどう? 私の胸の感触を存分に楽しんでるじゃない。
これって明らかに私の身体に興味があるって証拠でしょう? ねっ?剛くん?」
「え……あ、う、うん。 ご、ごめん、絵里さんの言う通りだけど、本当にごめん。
フラれはしたけど、やっぱり僕は咲さんが好きなんだ、ごめんね」
面と向かっての断りは心に響くもので、常に笑顔を絶やさなかった絵里の顔を曇らせるものだった。
だがそれも一瞬、痛む心ではあったが自分の気持ちを消すことはしたくなかった。
「分かった、じゃあ……二号さんでも愛人でも何でも良い、その人を射止めるまでの繋ぎでも構わない、それなら良いでしょう?」
「何よそれっ! ぜんっぜんっ意味分かんないっ!! もうっ、嫌っ! 全部分かんないっ!!!!」
混沌としたパンドラの外の世界、突然決められた命の期限、打ち明けられた剛の思い、気付いた自分の気持ち。
短い時間で大量に押し寄せた理解し難い現実に玲奈の頭は許容量を超えると、突然ソファーから立ち上がり部屋を出ようと駆け出した。
「玲奈さん!?」
「玲奈っ!」
横顔には キラリ と光るモノが見え、伸ばしかけた手が止まる。
(なみだ……?)
何も言わず成り行きを見守っていた咲だったが、良くない状況だと判断するや玲奈を追いかけ部屋を飛び出した。
それを呆然と見続ける剛はどうして良いのか分からずにいる。
(玲奈さんに嫌われるのは嫌だ!)
「ぼけっとしてねぇで行けよ!」
苛立ちの籠もった声は克之のもの、千鶴に押さえられながらも拳を握り締める様子に加え恐怖すら感じてしまうほどの怒りの形相。
一月ちょっとという時間の中では、これほどまでに怒りを露わにした克之は見たことがなかった。
「てめぇは玲奈の事はどうでも良いのかっ!? このまま放っといたら二人共失う事になるぞっ? てめぇはそれで良いのか? ああっ!? その程度の関係しか求めて無かったのか!!」
鋭く叩きつけられた言葉の鞭は重い腰を上げるためのもの。
そこまでしてもらいようやく立ち上がることが出来た剛は、唇を噛み拳を握り締めていた。
「行け、剛! 二人を納得させて来いやっ!!!」
珍しく気合に満ちた顔つきで力強く頷くと、膝立ちのままで見上げる絵里の頭をそっと撫でた。
「ごめん、絵里さん。 ありがと、克之」
剛が部屋を出て行くのを黙って見ていた絵里ではあったが、深い溜息を吐き出し終わると、立ち上がり膝を払う。
「なぁ栗頭」
チップリーダーに手を伸ばしたとき、背後からかけられる穏やかな声。
何も答えず横目で振り返る姿に聞く気があるのだと判断すると言葉の続きが投げかけられる。
「お前はどこまで本気なんだ?」
「本気? 自分の気持ちを伝えるのに一つでも冗談を交えれば、受け取られるのは半端なモノになる。
持論だけど、あながち間違いでは無いと思うわ」
「じゃあ本気で剛くんの事が好きなの?」
「本気じゃない “好き” なんてものがあるのなら教えて欲しいものね。
あと、この気持ちを紛らわす術なんかも知ってたら……って、幸せを満喫する貴方達に聞くのは間違いよね」
剛の前とは違い感情すら篭らない素っ気ない物言い。
それでも本気の思いを胸に宿す絵里を見過ごせず、扉を開けた所に再び声をかけた。
「お前が本気で剛を好きだと言うのなら、その恋が実るように手伝ってやろうか?」
「お生憎さま、自分の事は自分でやるわ。 お気遣いだけはありがたく貰っておく」
閉めた扉の横には黒縁眼鏡の看護師が壁に背を預けて絵里を見ていた。
それに気付くなり近寄り、肩に額を押し付ければ、愛しい者を愛でるように優しく頭を撫でてくれる。
「私、ダメかも……」
「二号とか愛人とか、あんた、そんなに本気になってどうするの?」
「もう遅い、って言うか最初から?」
「最初から?」
「うん最初、初めて見たときから……」
その恋は剛が入所して来たあの日から始まっていたのだと知らされ、絵里の頭を抱きつつも額に手を当てる。
学生の頃からの付き合いでずっと絵里の事を見てきた美香。
彼氏がいるという噂はあれど、そんなの関係無しに毎月何人もの男から告白を受ける姿に羨ましいと感じていた。
けど、向こうから寄って来たからという理由で文字通り付き合っていただけのようで、上部では楽しそうに笑う絵里ではあったが本心はそうでもなかったらしく、3ヶ月もすれば別れを切り出していた。
そんな絵里が自分から誰かを好きだと言ったのは初めて聞く言葉。
最初は年下の男に興味を持っただけの気紛れだと思っていたがそうでもなかったらしい。
「じゃあどうするの? 忘れられるくらい滅茶苦茶にしてあげようか?」
男でも女でもどちらでも気にしない美香は親友という立場を利用し、絵里とは肉体関係にあった。
絵里の気持ちが優れないときは夜通し彼女の満足いくまで慰める。 女である自分は本命にはなれないと知りながらも絵里を求める、そう、美香は絵里のことが昔から好きだった。
首を横に振りながら押しつけられるオデコ、その様子に微笑みながらも剛への嫉妬は膨らんで行く。
(私の絵里を……盗るの?)
「あっそ、じゃあ今夜は一人で寝るのね?」
「嫌ぁ……そんなのずるい、ちゃんと慰めてよぉ」
首に手を回し抱き付いた絵里、矛盾する言動に小さく溜息を吐きながらも優しく抱き締めれば、そんな絵里が途方もなく可愛いと思っている自分がいた。
「我儘娘が……絵里をこんなにした剛、私も興味湧いて来たかも」
「えっ!? やだっ!ダメだよぉ! 美香まで剛くん狙ったら私なんて敵いっこない……」
「んん〜っ、いくら絵里のお願いでも、そういうのは止められないって事は身をもって感じたでしょう?」
「えええええっ…………美香の意地悪ぅっ」
驚きのあまり顔を離して見つめてくる絵里の目にはうっすらと涙が浮かんでおり、もっと苛めてやりたいと美香の心を突き動かす。
だが、それは今夜のお楽しみにと逸る心に蓋をすると、今はコレで我慢するかと唇を重ねた。
一方、玲奈を追うべく部屋を飛び出した剛だったが、咲と玲奈の部屋のあるⅠセクションへと続く扉で追いつきはした。
だが、玲奈の肩を掴みつつも剛に気付いた咲が微笑みながら手をかざすので、扉を潜る二人を見送るだけに終わってしまう。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ…………」
克之に叱咤され飛び出して来た手前、話も出来ずに帰るとなると怒りの鉄拳を喰らいそう。
何より、咲に止められたからといって彼女に任せてしまった事に後悔をしていた。
俯き、大きな溜息をこれでもかと言うほどに吐き出す様子は興味を唆られるもの。
それが良く知る人物ともなれば心配にもなる。
「What's wrong?」
(どうしたの?)
聞き覚えのある優しい声に顔を上げれば、ヘルメットにゴーグル、黄色いスカーフのおかしな格好の看護師。
鏡のように反射するゴーグルで目は見えないのだが自分を心配している雰囲気は感じられ無理矢理笑顔を浮かべた。
「いや、大した事じゃないんで……大丈夫です、ありがとう」
「so. Don't overdo it」
(そう、無理はしないでね)
そのまま立ち去るゴーグル看護師だったが、親近感にも似た妙な感覚に首を傾げながらもその背後姿を見続ける剛。
(何処かで会ったことが、ある?)
看護師に知り合いと言えば姉の親友であった玲奈だけなのだが、心の中をくすぐられるようなもどかしさに身震いをすると脇腹を突つかれているのに気が付いた。
「剛きゅん、何か悩み事?」
心配そうに眉を潜めて見上げてくる秞子からはいつもの戯けた雰囲気は感じられず、本気で自分の事を気にしてくれているのが分かる。
「ありがとう、でもなんでもないから大丈夫だよ。
それよりも、ゆうこりんにそんな暗い顔は似合わないよ。 ゆうこりんはいつもの明るい笑顔の方が僕は好きだな」
『僕は好きだなっ、僕は好きだなっ、僕は好きだなっ、僕は好きだなっ、僕は好きだなっ…………』
秞子の中で木霊す剛の言葉。
オデコにデコピンでも喰らったかのようにのけ反った姿勢を維持する体幹の凄さに目を丸くしたが、何故かそのまま動かなくなった秞子に尋常ではない感じがして肩を掴み揺さぶる。
「ゆうこりんっ! ゆうこりんってば!! どうしたの!? 大丈夫!? ゆうこりんっ! しっかりしてっ!!」
ゆっくりと戻ってくるのに安心し、流れてもいない汗を拭うように額に腕を滑らせる剛。 だが秞子の据わった目を見た瞬間に全身に冷や汗をかく事となった。
「剛きゅん、とうとう私の気持ちを受け入れてくれたのね? 私も剛きゅんが大好きだよっっ!!!」
一歩退いた剛に向かい、大きく飛び上がった秞子は口を尖らせて襲い掛かって来る。
しかし冷静さを取り戻した剛は後ろ足を引き、重心を低くして迎撃の構えだ。
無防備な空中、広げられた手足は的を大きくする為の恰好の姿。
「剛きゅ〜んっ、私と一緒に目眩めく快楽の世界に旅立…………ぐべっ!!」
突き出された拳は見事に腹を捉え、怪獣秞子の撃退に成功する。
誰も居ない通路を20mも滑りようやく止まれば、今にも死にそうな表情で剛に向かい震える手を伸ばし、恨めしそうな視線を向けている。
「ぐ……た、剛……きゅん…………パタッ」
達成感に満ち溢れた清々しい顔で再び額を拭うと、手を叩いて誇りを払うフリをしつつ悪を退治した事をアピールする。
そして踵を返して歩き始めた剛だったのだが、本気の涙で床を濡らしながらその姿を見つめていた秞子に気付く事はなかった。




