17.死の荒野
ーー9日目、夜
いくら知らない人ばかりとはいえ共同生活が一週間も越えれば仲の良い人が出来、中にはグループを作る者も現れる。
夕食を仲良く三人で摂った後、二人の時間を過ごして貰うべく気を遣った剛は、一人、ジムへと向かった。
「お断りします」
ジムに入った直後、良く通る見知った声に視線を向ければ、チラホラ居る人の注目を集める一組の男女。
一人は顎髭を生やした20代後半の男、その相手は剛の良く知る金髪の美女、咲だった。
「何でだよ。 お前、看護師だろ? 看護師なら看護師らしく、俺の心と身体のケアをしてくれよ」
咲が看護師なのは間違いないが、パンドラで避難生活を送るようになってからは剛達一般の人と同じく病衣を纏い、看護師として特別何かをするわけでもなく同じように生活を送っていた。
強いて違いを上げるのなら、ボランティアとして協力を要請された食器の片付け等の雑用を少し手伝っている程度。
ここで看護師と言えば、黄色のナース服に身を包んだ秞子達の事を指すのが当たり前になってきていた。
「離してください」
肩へと伸びてくる手を振り払うべく自分の手を出せば、まんまとその手を掴まれてしまう。
ニヤリと嫌らしく笑う男、感情の無い冷めた顔でそれを見る咲。
そんな光景を見れば「俺の女に!」と言うわけでは無くとも、自分の仲良くしてもらっている人が虐められているようにしか写らない剛の心には穏やかではない感情の波が騒めき始める。
「いいからっ、来いよっ」
咲の腕を引っ張り何処かに連れ去ろうとしているようだが、怯えるでもなく、果敢に足を踏ん張る咲は動く素振りを見せない。
誰の目にも明らかな強引な客引き。
人生で初めてかも知れない急激に湧き起こる激しい怒りの感情を抑えきれず、周りの目などお構いなしに無我夢中で近寄ると、咲に触れる男の腕を横から掴んだ。
「なんなんだよ、てめぇはっ! すっこんでろ!クソガキがっ!!」
「剛くんっ!?」
男に集中していた咲も突然の乱入に驚き目を見開くが、思い通りに事が運ばない所に横槍を入れられれば矛先など簡単に変わるというもの。
「っ痛!!」
咲から剛へ乗り換えられた腕に自由を奪われ引き寄せられれば、その反動を利用し男の拳が頬を突く。
「やめてっ!」
よろめく剛を庇うよう間に入る咲。
しかし、その細い肩を掴んだ剛によって引き寄せられると、本人の意思に反して背後に退げられてしまう。
「邪魔だっ、まだ殴られ足りないのか?」
「……咲さんは嫌がってます、止めてください」
「剛くんっ!ダメよ!」
肩に手をかけてくる咲を庇うように腕を伸ばし、男を近づけさせまいと気迫の乗った目で訴える。 が、しかし、二度目の横槍に完全に標的を変えた男は明らかな敵意を剛に向けて来る。
喧嘩などした事の無い剛だったが、咲のピンチに勢い余ってしまったのは言うまでもない。
だが今更後には退けず、今にも逃げ出したい心境ながらも「咲さんの為に!」と震える心に鞭を打ち、怒りを露わにする男の前に立ち続けていた。
「はいはいそこまでーっ、喧嘩するなら外に行ってもらうぜ?」
手を叩いて注目を集めながら寄って来たのは、初めて目にする黄色いナース服の看護師。
咲や玲奈と同じく女性にしては高身長、上の方で纏められたポニーテールは目を見張るほどの鮮やかなオレンジに染められており、背中の中の方で揺れる毛先がチラチラ見えて人目を惹いている。
だがそれ以上に視線を集めるのは、歩くたびに ポヨンポヨン と弾む豊かな胸だ。
「喧嘩は両成敗だ。 事情はなんとなく分かるけど、二人共黙って付いてきなっ」
男と剛との間に割り込んだ看護師は、両手を腰に当て、自分の魅力をアピールするように胸を張り姿勢良く立つ。
その格好はモデルがポーズを決めたかのように見え、勇気を振り絞って立っていた剛の意識を奪い双丘に釘付けにするだけの力を持っていた。
「待って! 剛くんは止めに入ってくれただけよ。 来いと言うのなら私が行くわ」
彼女の魅力に魅了されたのは剛だけではない。
対峙していた男 《安藤 啓介》も剛への怒りが急激に沈下し、同じように目を奪われていた。
「そぉぅ、君が噂の剛きゅんかぁ。 ふぅ〜〜〜ん」
上から下までをじっくり観察する看護師にたじろぎ一歩退がれば、除け者にされた啓介が「面白くない」と不快を露わに巨乳看護師の手を取った。
「お前がソイツの代わりに俺のケアをしてくれるのか?」
「ん?……まぁ、悪くはないな。 良いだろう、君は僕と一緒に来ると良い。
僕の名前は《秋篠芽衣裟》 今度会う時にゆっくり話すとしよう。
じゃあな、剛きゅん」
二本指を額に当てウインクをする芽衣裟。
遠心力で飛んで行くかと思える程の勢いで胸を振りながら方向を変えるので、思わず手が出そうになったのは反射という行動が故。 何事もなかったかのように背を向け歩き出せば、プリプリ と揺れるお尻まで魅力的であった。
芽衣裟と啓介が離れて行けば、剛も咲に連れられ人も疎らな食堂の端に座らされた。
「もぉ、無茶して……ごめんね、痛かったでしょ?」
そんなに痛む訳では無かったのだが、渡された濡れタオルを頬に当てれば冷たくて気持ちが良い。
申し訳なさそうに細い眉を潜めて見つめる咲であったが、ただ自分の感情のままにやりたい事をやっただけの剛からすれば、自分の為に心を痛めてくれている事が逆にいたたまれない。
「大丈夫ですよ、これくらい」
「ホントかなぁ? そういうの、慣れてないんでしょ?」
隣から覗き込んで来る綺麗な顔に ドキドキ すれば、それに気付かれ クスッ と笑われる。
「でも、カッコ良かったぞ。 見直しちゃった」
笑顔で座り直し、頬杖を突きながら伸ばした指が空いている頬をつつけば、折角冷やしている事など無視して顔が熱を帯びて来る。
「あれあれ〜照れてるの? か〜わぃぃっ」
超絶なる美人に揶揄われるのは、実は剛も嫌ではない。
嬉しそうに目を細めて楽しそうな笑顔を向けてくる咲は キラキラ と輝いて太陽の様に見える。
その笑顔を見る度に身体の奥の方がむず痒くなるが、その感覚が堪らなく心地良く、もっと彼女を見ていたいと思わせていた。
「またそうやって僕で遊んで……」
「うふふっ、剛くんはコーラでいい?」
何故核シェルターにそんな物があるのかは疑問に思うが、賞味期限が3ヶ月程しかないペットボトルのジュースは何種類もあり、その倍の半年程保つ缶ジュースも豊富に置いてある。
目安として一日一本程度にしてくれとは言われているが、これほど快適な避難所などあるのだろうか?
更に驚くのは咲の持って来た銀色の缶カン。
「はいっ」
「ありがとうございます」
プシュッ!
手渡された缶のコーラを受け取ると、テレビでよくCMをやっていて高校生の剛でも名前を知っていたビールの蓋を開ける咲。
「剛くんの健闘に感謝して、カンパーイ!」
差し出された缶ビールに自分の缶を打つけると ゴクゴク と喉を鳴らして美味しそうに飲み進める。
咲の嬉しそうな顔に飲んだことの無い剛でも「美味しいのかな?」と興味を唆られるが、そこには『お酒は二十歳になってから』とCMでも書かれているように年齢の壁が立ち塞がる。
「飲んでみる?」
心を読まれたかのようなタイミングでかけられる言葉に驚きはしたが、傾きかけた心にブレーキをかけ笑顔で首を振った。
「忘れたんですか? 僕はまだ未成年なんですよ?」
「ふふっ、真面目ね。
でも、剛くんこそ忘れたの? それは私達が住んでいた国にあった法律で、そんなもの、あの時一緒に消えてしまったのよ?
私達を縛るものは何も無くなってしまった……良い、悪いは別にしてね。 だからコレを飲む飲まないは君の自由なんだよ?」
咲が言うには、国という縛りの無くなったパンドラでは何をしても自由だという事。 噛み砕けばジムで咲にちょっかいを出した啓介の行動も責められないという事なのだ。
しかしパンドラには管理者がいる。
つまり彼等が許せばどのような事をしてもお咎めの無い危うい場所ではあるのだが、入所の際に今まで通りの規律を重んじるよう指示があったので気付いていない人が殆どだろう。
それでも断りを入れた剛は渡されたコーラの缶を開けると、しばらくの間、咲と共にたわいの無い会話で楽しい時間を過ごす事となった。
ーー10日目、昼前
昼食の時間は始まっていたものの、食堂にはまだ人は少なかった。
しかし、その場所でパンドラ初となる事件は幕を開ける事となる。
「やってらんねぇよっ!」
そこには腕を組みいつもの無邪気な笑みを何処かに忘れてきた秞子と、その背後に姿勢良く立つゴーグル看護師にオレンジポニーテールの芽衣裟の三人。
それに対峙するのは、再び牙を剥いた啓介の姿がある。
「何が気に入らないの? 昨日はお望み通りヤらせてやったろ?」
居合わせる人の注目など気にする素振りもなく、秞子同様腕を組んだ芽衣裟が恥ずかしげも無く言い放った。
「っ! うっせぇな、もううんざりなんだよ!
時間を守れ、飯を食え、運動をしろ、なんでお前等の命令に従ってなきゃいけねぇ? 俺は俺の好きに生きる!」
「最初に説明しました。 ここで集団生活を送る為にはある程度のルールは守ってもらわなくては健康を管理する……」
「管理、管理、管理……それだぜっ、胸糞わりぃ。 なんでお前等が俺達を管理するんだ? 何故管理する必要がある!?
だいたい、国が滅んだって証拠でもあるのか? 世界中の核ミサイルが全部放たれるなんてあるのかよっ!
あの放送自体全部でっち上げで、実は俺達をここに閉じ込める為の口実なんじゃねぇのかっ!? ここで一体何が行われてるんだ?
お前等っ、俺達をどうしようってんだよ!!」
何を起爆剤としたかは知れないが、啓介の怒りは爆発し秞子達に打つけられる事態となっていた。
しかし当の秞子は目を瞑り反論もせずに聞いているのみ。
「つまり、貴方はパンドラを出たい、そう言うのですね?」
「お前等につべこべ言われるくらいなら俺は出て行ってやるよっ! 国が滅んでなんていない事を見届けてやるっ!!」
「……分かりました」
左耳に取り付けられた黒いインカムに指を当てる秞子。
「婦長、脱落希望者です。……はい……はい……分かりました」
短いやりとりはすぐに終わり、感情の無い冷たい視線を啓介に向けると小さな溜息を吐く。
しかしそこにあったのは打つけられた感情に対するモノでなければ啓介に向けられたものですらなく、ただの憂鬱。 最初に出た脱落者が自分の預かるCパケッツだった事に対する恨事が故のものだった。
「貴方の希望は受理されました。 外への扉を開きますので彼女に付いて行ってください」
目配せをされたゴーグル看護師は微かに頷くと、啓介を見る事なくその前を通り過ぎる。
自分の予測と違い引き留められなかった事に戸惑いを見せた啓介。
だが啖呵を切った手前今更後には退けず、秞子の丸い顎がゴーグル看護師を指して促すと、その意を正しく捉えて大人しく彼女の後に続いて歩き始めたのだった。
⦅誠に残念なお知らせをしなければならなくなりました。
我々の仲間であるCパケッツの安藤啓介氏は、自らの意志によりこのパンドラを出て行く意向を固めたのです。
しかしこれは、我々にとってもまたと無いチャンスでもあります。
彼の同意の元、今の地上の様子を中継する為のカメラを装着してもらいますので、国が滅んだ事実が半信半疑の方や、パンドラに避難した後の外の様子にご興味をお持ちの方は各パケッツ、ルーエ入り口にあります大型モニター前までお越し下さい⦆
医院長八木の放送に剛、克之、千鶴の三人もルーエへと向かえば、ほぼ全ての人が集まっているのではと思えるほどにモニターを見上げる人達が大勢いた。
画面では暗い通路を歩いているのか、懐中電灯の明るい光が整えられた壁を照らして右に左にと揺れ動いている。
「玲奈さん、咲さんっ」
姿勢良く並んで立つ見知った二人を見つければ、克之達とは離れてそちらに近付く剛。
だが振り返った二人は浮かない顔だった。
それもその筈。
剛は知らない事であったのだが、咲は啓介の名前を知っていたし、昨晩の出来事を話された玲奈も当然知っていたのだ。
彼の行動の発端は自分かも知れない、そう思えば、たとえ自分に非が無くとも暗い影が降りてくるのは仕方の無い事。
二人に会えた喜びから笑顔を浮かべる剛だったが、深刻な問題なのだと違う解釈をすると、その笑顔は成りを潜めてしまう。
「クソっ! なんだってんだ……や、やっぱりあの放送は本物だったってのか? 核の雨は降った? 国は、本当に滅びたのか!?」
啓介が歩いているのは、普段は入る事の出来なかった病院の地下一階部分。
明かりの消えた病院ほど不気味に思えるものは無く、物音一つしない暗闇に怯えながら渡された地図を見て地上を目指していた。
「やべぇんじゃねぇのか? 俺の取った選択は……最悪の未来なんじゃねぇのかっ!?」
独り言と分かっていながら声に出して自問自答するのは恐怖が故の心理的行動。
この時既に自分の間違いには気が付いていたものの、幾重にもあったパンドラの扉は途中まで一緒に来た無言のゴーグル看護師が閉めてしまったことだろう。
「クソっクソっクソぉっ!! アイツ等の言われるがままにしてれば良かったってか……」
激しく襲い来る後悔の波は収まる事を知らず、後から後から押し寄せ啓介の心を深い悔悟の海へと引き摺り込もうとしている。
しかし、ようやく見えた通路の奥に差し込む陽の光。
絶望に飲み込まれまいと己の心と戦い続けた啓介にとっては希望の光だった。
ハッ、ハッ、ハッ、ハッ、ハッ、ハッ
逃してなるものかと全力で走り出した啓介、それに伴い近付く僅かな光。
光が入り込むのを塞いでいる物を退かすべく階段の天井部分にある取手に手をかければ、その腕にはいつの間にか無かった筈の水膨れが出来ている。 が、しかし、目には留まれど今の啓介にそれを気にしている余裕はない。
「くぉぉおおおおおぉぉおおぉぉぉっっ!」
無我夢中、藁にもすがる思いで全ての力を賭して踏ん張れば、ゆっくりと動き始める重い扉。
それに合わせて多くなる光。
啓介の胸は高まる一方で更なる力を入れて開け放つと、希望に胸を膨らませて外へと飛び出した。
「う、そ……だろ?」
しかし啓介の願いに反して現実が希望に包まれている事はなかった。
目の前に広がるのは建造物などが一切無い見渡す限りの平原。
所々には瓦礫と化した壁だった物が転がっているものの、そこはかつて自分達が生活していた場所だとは到底思えない何も無い荒野の様な場所。
「うわぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああぁああぁぁぁああぁああああああぁぁああぁぁぁぁぁぁぁああああぁぁあっっ!!!」
心からの叫びはかつて病院の駐車場だった場所を中心に響き渡るが、彼の運命はそれすら許さなかった。
「ガッ! ゴホッ! ゴホガフッ!!」
胸を締め付ける苦しさと共に込み上げて来る咳を止めようと口元に手を当てれば、ヌルリとした何かが手に付く。
嫌な予感に従い目をやれば水膨れのだらけの手が赤く染まっていた。
死ぬ!
そう直感した時には既に遅く、希望に縋る精神力だけで動いていた啓介の身体は急速に力を失い、代わりに襲いかかる脱力感に侵され、何もない大地へと顔面から倒れ込んだ。
しかしその直後、彼の意識は何処かに飛んでしまったのだか、さしたる痛みも感じずに逝けたのはとても幸せな事だったのかも知れない。




