1.鳴り響く警報
右も左も分からない初心者です。
ボチボチ行きますので宜しくお願いします。
年末に発見された新種のウイルスは僅か2ヶ月の間に世界中へと広まり、パンデミックと呼ばれる地球規模の流行となった。
世界保健機関の警鐘の元、各国独自の対策がなされ、大規模な外出禁令により町がゴーストタウンと化してしまった事はよくニュースで報じられていた。
しかし、10年はかかると言われる一般的な新薬の開発期間を圧倒し、僅か3ヶ月という異例中の異例とも言える超々短期間で使用に至った抗ウイルス薬の活躍により事態は急激に終息を迎える事となった。
それでもおよそ半年もの間猛威をふるい続けた感染症が世界経済にも深刻なダメージを与えたのは言うまでも無いが、その年行われる予定だった世界的なスポーツの祭典が中止されたことは5兆円を超える損害をこの国に与え、各所に大きな爪痕を残す事態となった事は記憶に新しい。
寒空の下、開け放たれた体育館で行われたのは、卒業生だけという異例の形で行われた卒業式。
保護者の参加すら認められず、インターネットで中継される動画で我慢しろとの徹底した措置は、マスク着用厳守、先生の数も制限、卒業証書ですら手袋の着用が義務付けられた歴史に残る学校行事となった。
それを最後に学校自体が事実上凍結され、入試はオンラインで行われるという名目だけの形態を取ったものの入学式すら行えない状態が続いていた。
ーー7月
ようやく出された終息宣言により世界が活動を再開すれば、3月からの失われた時間を取り戻すべく教育機関も急ぎ足で動き始める。
怠い……学校なんて行きたくない
経験したこともない超長期に渡る休みが続けば誰しもがそう思う事だろう。
しかし人間とは不思議な生き物で、学校自体は “面倒臭い” と思いはしても “友達とは会いたい” と思う寂しがり屋な一面を持つ。
それはスマホと言う媒体を通して毎日のように連絡を取り合っていようとも起きる現象のようで、半ば軟禁されていた事でより一層人との触れ合いを求めるようになったのかもしれない。
その効果が功を成してか、本来夏休みである筈の7月下旬からの学校教育の再開にも、口癖のように不満を漏らしつつもキチンと登校する生徒が殆どであり、駆け足で進められる授業にも前向きに取り組む子供が以前より増えたとの意見が教育委員会に寄せられる事となる。
ーー10月
ようやく世界が落ち着く装いを見せた頃、剛は学校のほど近くにある大学病院を訪れていた。
四十万府立、久城崎大学附属医科学病院は全国でも有数の規模を誇る病院。
院内にある一階の受付だけでも学校の体育館より広く、午後からの診療を受けようとマスクを着用した人達でごった返していた。
ここを憩いの場だと勘違いするお年寄りは午前中で撤収し、子供を抱える主婦や剛と同じ学生、スーツ姿のサラリーマンが目に付く。
「こちらの番号と一緒に名前をお呼びしますので3番の扉の前でお待ち下さい」
薄桃色の制服に身を包んだ看護師さんは顔の大部分がマスクに隠されてはいたが、見えている目と細く整えられた眉とが想像を掻き立て、とても美人に思えて来るから不思議だ。
女性に免疫の無い剛は目を細めて営業スマイルを送る看護師さんに胸を高鳴らせるものの、照れ隠しの為に素っ気ない態度で返事もせずに番号の書かれた札を受け取りそそくさと移動を開始する。
子供の頃は母親に連れられ来ていた病院も、高2ともなればそれは恥ずかしい。
勝手知ったる院内の通路、患者の波をすり抜けて辿り着いた “内科” と書かれた3番の扉の前、都合の良い事に用意されている長椅子の端に空いた席に座わる事が出来た。
生暖かくて気持ち悪っ……
先の人の温もりの残る椅子、両隣に見知らぬ人が居るよりはマシだと我慢して制服の内ポケットに入れたスマホから流れ込む音楽を聴いて気を紛らわす事15分。
「番号札150番、神宮寺 剛さ〜んっ。 神宮寺さん、みえませんかぁ?」
他人の温もりが自分のモノと成り変わった頃に名前が呼ばれて立ち上がると、扉から現れた背の低い看護師さんに番号札を見せた。
「すぐ診察になりますから、先生の話がよく聞こえるようにコレは外しておいて下さいね」
片方のイヤホンを抜かれて ムッ とする間も無く、軽く肩を叩かれ笑顔を向けられれば再び高鳴る剛の心臓。
「はい……すみません」
「こちらにどうぞ〜」
だがそれは彼女にとっては仕事の一環に過ぎず、すぐに背を向け扉が閉まらないようにと押さえながら手にするカルテに目を通している。
指示に従い部屋の中に入れば、パソコンが置かれた机の隣に肘掛の付いた黒い椅子と丸型の回転椅子とが用意されており、それを挟んだ反対側には白いシーツの敷かれたベッドがある。
「荷物をその籠に置いたら上着は脱いで下さいね〜。 先生はすぐにみえますから、胸の音が聞けるようにシャツはズボンから出してお待ち下さい」
言われるがままに待つ事およそ1分、部屋の奥にある通路から現れたのは、見た目20代でオールバックの黒縁眼鏡をかけた男の先生。
大学病院らしいインテリっぽい印象を振りまき、ボタンを留めていない白衣を靡かせドラマに出てきそうな感じさながらに二人の看護師さんを引き連れての登場だったのだが、剛の頭の中では期待していたお色気ムンムンの女医さんでは無かった事に落胆の色が濃くなっていた。
「ん〜〜、今朝から胸が苦しいねぇ。 今日はそんな人ばかりだね。 この間の感染症とは違うから安心して。
たぶん風邪の菌が少しばかり肺に入った可能性が高いと思うんだけど、肺の音は悪く無いしね……念のために血液検査とレントゲン撮っておこうか。 栄養剤出しておくから明日また診せに来てくれる?」
息が合うと言う言葉がピッタリに、手慣れた感じで看護師さんが動いて先生の言葉を邪魔する事なく指示を出して剛を操作すれば、胸の音に喉の奥、下瞼の血色と短時間で流れるような診察が終了する。
大流行したSARS-CoV-2は肺炎を患うモノだった。
家族の中で唯一母親だけはSARS-CoV-2にかかり2週間程この病院に入院していたのだが、奇跡的に重症化する事なく結果としてただ家事をサボっただけのお泊まり入院であった。
ベッドの空いて無かった大変な時期に個室が割り当てられたのはラッキーだったが、もしかしたら軽傷が故に病院側が配慮してくれていたのかもしれない。
そんな事もありだいぶ時間は空いていたがもしやと心配になり、母親に言われるがままに診察を受けに来ていた。
その後、更に奥から現れた看護師さんが採血の準備をする横でパソコンに向かって症状を打ち込み終わると、一度も視線を合わせる事なく連れて来た二人と共に颯爽と消えて行く。
一日で1,000人近くが押し寄せる患者さんを何人かしか居ない医師が診て回るのにはスピードが命なのは理解出来る。
しかし、現れてものの二分足らずの時間で診察を終えるという事に「ちゃんと診てもらえたのか」と不安を感じる人もいる事は間違いない。
かく言う剛もその一人なのだが、学校と家との間に在る事や、子供の頃から通い慣れた病院というのは強力なアドバンテージとなり、 “大きな病院だから安心” というイメージの後押しで他の診療所へ運ぼうとする足を押し留めてしまう。
「今まで消毒でかぶれた事や、採血で気分が悪くなった事はありますかぁ?」
さしたる音も無く、採血をする為の道具の載った小さな台を近付けると、袖を捲って腕を乗せろと指示を出した看護師さん。
「その顔は注射が苦手って感じですね? 大丈夫、本当に少し チクッ とするだけですからね、男の子なんだから頑張れますよね?」
剛がこの病院に通うもう一つの理由、それはここで働く看護師さんが見たいが故にだ。
他の病院を知っている訳では無いのだが、この病院に来れば可愛いい看護師さんが優しく接客してくれるのは確実な事。
外見はごく普通の男子高校生であれど、内向的な性格から男子生徒ですら友達はおらず、学校では一言も喋らない事も日常茶飯事だ。 それ故に共学校でありながら女子に免疫の無い今時にしては稀有な存在となり、影は薄いながらも認知度は低く無いという不思議なポジションを確立していた。
だがそんな剛も17歳の健全な男の子、異性に興味が無い筈もなく消毒を塗る為に触られた手に注視していれば、たったそれだけで鼓動が加速して行く。
それを注射が嫌いなのだと勘違いしてもらえたのを良いことに自分に触れる血色の良さそうな細い指をぼんやりと見つめていれば、勢い良く噴き出した血液が僅かな時間で容器を満たし、至福のひとときはあっという間に過ぎ去ってしまう。
「揉むと腫れたりしますから強く押さえるだけにして下さいねぇ。 3分経ったらお声掛けしますから扉の前の席に座っていて下さい。 その後胸部のレントゲンを撮ったら今日は終わりになります」
レントゲンを撮り終え、受付をした入り口の待合所で会計待ちとなったのだが、この病院の難点はここからが長いという事だ。
時刻は午後6時を過ぎており、そろそろ腹も減ったし早く帰ってゲームがしたいところ。
しかしながら一個人の希望通りに世界が回るはずもなく、他の患者共々待たされる事になるのは確定事項の筈だった。
どうせ時間はあるのだからと、受付カウンターの上に設置されたモニターに自分の番号がない事を確認してからベンチに腰掛け、空いた時間を有効に活用すべくスマホでゲームをしようと取り出した時の事だ。
ゥウ〜〜ゥゥウウウゥッ
ゥウ〜〜ゥゥウウウゥッ
ゥウ〜〜ゥゥウウウゥッ
待合所の壁にかけられた100インチを超える特大テレビは、長い待ち時間の退屈を紛らわす為の物。
この時間であれば相撲やニュースといった剛達若者には興味の唆られない内容のものが垂れ流されているのだが、Jアラートと呼ばれる普段の生活では聞くことのない音が大音量で流れれば知らぬ存ぜぬでいられるはずもない。
⦅日本国内に居る全ての皆様に緊急かつ重要なお知らせがあり、全てのチャンネルで同時にこの放送をしております⦆
画面が水色一色になり、人間に恐怖を与えて緊張を誘う気持ちの悪い音が収まれば、原稿を手にした女性キャスターが深々とお辞儀をしていた。
⦅先日未明、我が国で確認されたと発表のあった新種のSARSウイルスは、今年の初めから半年間という長期に渡り世界的に大流行したコロナウイルスが進化を遂げたモノである事が判明致しました。
その結果を重く見た世界保健機関は直ちに国際会議を開き、我が国以外の地球上に存在する全ての国である195ヵ国の総意により対策が決定されました⦆
受付作業、会計作業、一人では動けない患者さんの介助などをしていた病院側のスタッフも含めて、その場にいる全ての人が画面に写るキャスターに注目をすれば、音と言う音が無くなり静かなる時が流れていく。
他局を含め日本のテレビを占拠した女性は、気丈に振る舞いながらも画面の外から差し出されたペットボトルに水に口を付けようとするものの、盛大に震える手が言う事を効かないらしくそれを落としてしまう。
CMの合間ならまだしも、喋っている最中に水を飲むなどやる気を疑われる事態にも関わらず、引っ込むどころかそのまま大きく息を吸ってどうにか職務を全うしようとする姿に、彼女の顔色が悪く死人のように血の気が引いている事に気が付いた。
⦅落ち着いてお聞き下さい⦆
それは恐らく自分自身にも言い聞かせる為の言葉だったのだろう。
しかし彼女が口にしたのは日本に居る全ての人に対して発せられたモノだとは、続く言葉を聞けば疑う余地がなかった。
⦅地球上にある全ての国の同意の元に決定された対策は熱による即時滅菌。 対象となるのは我が国にある生物、無生物を問わず、その全てです。
わ、分かりやすく説明しますと、本日午後8時頃……か、核弾頭の雨が降るでしょ〜ぅっ!
あは、あははっ、あははははははっ。
はや、早く家に帰らなきゃっ! あははははっ! あはははははははははははっ……⦆
恐らく日本で今一番注目を集めているだろう女性は突然奇声にも似た笑い声を上げ始めると、手にする原稿を空へと投げ捨て画面から消えて行く。
少しだけ聞こえた謎の天気予報に彼女が告げたのが本当の事なのか、悪い冗談なのか見定める事が出来ずに誰一人として言葉を発さないでいると、今度はスーツ姿の男性が画面に現れ謝罪を述べた。
⦅失礼しました。 改めてご説明させて頂きます。
世界を騒がせたSARS-CoV-2が1億人を超える感染者を苦しめ500万人以上の尊い命を奪い去った猛威は記憶に新しく、長期に渡るロックダウンや外出自粛令により世界経済に与えたダメージは兆のもう一つ上の単位である3京円に上るとの試算が出ています。
飲食店の半数が店を閉め、百貨店なども倒産し、生活が不可能となった方も大勢みえる。
それは世界のどこを見回しても同じで、生産者不足による食料危機は輸入に頼り切りの我が国には深刻な問題であり、今や地球規模で再建に向けて努力していかねばならぬ状況なのは皆様の周知されるところ。
本日未明に下された国連の意志は、この国において新たに見つかった新型コロナウイルスSARS-CoV-3をこの国ごと殺してしまおうと言う非人道的なものなのです。
これ以上の被害は人間社会そのものを破壊しかねないとの意見が大多数を占め、潜伏期間が長く、発見が困難な
SARS-CoV-3は疲弊した世界に第二のパンデミックを引き起こす可能性が非常に高いとの判断から我が国は世界の人柱となる事が即決されました。
その手段は世界に存在する9000を超える核弾頭の一斉射撃。
困窮する世界の一致団結を踏まえ核弾頭自体を減らす目的の含まれた攻撃は想像を絶する熱によりウイルスを滅菌するに伴いこの国を焼け野原と化し、生きとし生けるもの全てを灰と化すでしょう。
しかしそんな決定を受け入れられるはずもなく、国の代表たる首相は核使用時の放射能汚染を武器に確固たる意志で反対を訴えましたが、自国以外に構っていられる余裕のない各国の決定は覆らず、程よい島国であるこの国は世界に切り捨てられるのです。
ウイルスの本当の脅威は人を狂わす事なのかもしれない。
我が国は世界第5位と評価される軍事力を持ちます。 しかしながら世界中全ての国を敵に回してまで生き残る事は不可能でしょう。
この国の寿命は残り1時間と少し。 可能な方は今からでもお逃げ下さい。
余命宣告としては短過ぎる僅かな時間ではありますが、人生で最後の時をどうか有意義にお過ごし頂き、来世での幸福な人生を共に祈りましょう。
皆様のご冥福をお祈り申し上げます⦆