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花と迎える朝

2018.12.19に改変版(アルファポリス版と同様)に直しました。

 降り注ぐまぶしい日差しで目が覚め、身体を起こした。

窓の外には、昨日降り続いた雨が空気の汚れを洗い去ったかのようにまばゆい世界が広がっていた。

「……夢ね」

 シトリニアは安堵のあまりほぅっとため息をついた。念のため壁に貼られたこよみを確認したが、間違いなく満月の夜は明日だ。儀式まで、あと一日と半分ある。……いや、あと一日と半分しか残っていない。

 憂鬱な気持ちを振り払うように、思い切り窓を開け放って新鮮な空気を部屋に入れた。

 少しでも早く悪夢の余韻を消し去りたくて、寝起きがあまり良くないシトリニアにしては珍しく早々にベッドを出た。

 隣のベッドは空になっており、アメジストの姿は見えない。


「あら姫様、お早いお目覚めですね」

 あふれんばかりの花を活けた花瓶を手に、ひょっこりとハンナが顔を出した。

「おはよう。まぁきれいね」

 白と桃色花びらを幾重にも重ねたかわいらしい花がいっぱいに生けられている。その可憐な姿は観賞用の細工物に似た危うさを感じさせるが、指先で触れるとしっとり瑞々しく思いのほか頑丈で、力強い命の息吹を感じた。

「姫様が好きな色を選んで、朝一番に摘んで持たせたのですよ」

 ハンナはにこにこと笑っている。きっと何かシトリニアの心を和ませるものはないかと考えて取り計らってくれたのだろう。

 年を重ねて目じりの垂れた優しい笑顔を見ていると、昔のようにその胸に飛び込んで思い切り泣いてしまいたい衝動に駆られた。不安でどうしようもない、私にはできないと正直に言えたらどんなにいいだろうか。

 思いがこみ上げて、シトリニアは思わずその身体を抱擁した。

 背丈はいつの間にか追い越してしまい、いつも包み込んでくれたふくよかな身体が縮んでしまったように思えてさみしい。

「うれしいわ。ありがとう」

「あらあら!お水がこぼれてしまいますよ」

 困った姫様だこと、と言いながらも声の調子はうれしそうだ。


 メイドに着替えさせてもらいながら、花瓶の配置をあれこれ試しているハンナの背中に気になっていたことを尋ねた。

「アメジストの姿が見えないのだけど、どこに行ったかわかる?」

「さぁ……存じませんが」

 ハンナが首をかしげると、聞き覚えのない声がした。

「アメジスト様なら図書塔に行かれましたよ」

 どこに控えていたのかほっそりとした長身の女性が進み出てきて颯爽と一礼した。

「申し遅れました。アメジスト様の乳母を勤めております、フィオナと申します」

 濃紺のロングドレスを品良く着こなした姿は、乳母と言うよりも家庭教師と言われた方がしっくりくるような出で立ちだ。昨日アメジストの荷物をこの部屋へ運び込む際に指揮したのも彼女だろう。 聡明さがにじみ出る表情から、アメジストが信頼しているのもうなずけた。


「まぁ!初めましてフィオナ。こんな格好で失礼しますね。アメジストは一人で図書塔に?」

「ええ、途中までお供して塔の扉を開けて差し上げましたが、あとは一人で過ごすからと言われまして。シトリニア様がお目覚めになる頃には部屋に戻るとのことでしたが……」

――昨日は特にそんな様子はなかったけど、何か調べ物でもしているのかしら

 少し心配そうな表情のフィオナをなだめるように明るく言った。

「私が少し早起きしたせいね。着替えたら様子を見に行ってみます」

 彼女は安堵した表情を見せ、微笑んだ。

「そうして頂けましたら有難いです。アメジスト様は歌のことになると時を忘れて夢中になって、お食事も召し上がらない時がおありになるので心配しています。特に今はシトリニア様と共に歌鳥の姉妹として選ばれたことをとても喜んでいらっしゃいますから」

「ええ、私もとてもうれしいわ」

 そう答えて、少し暗い気持ちになってしまう。


 国王の血縁者で歌鳥の姉妹に適した年頃の女性が他におらず、金の髪を持っているからと言う理由でカナリアの金のウロコを継いだシトリニア。偶然にも同じ年の同じ日に生まれ、漆黒の髪を持っているという理由でナイチンゲールの銀のウロコを継いだアメジスト。

 二人の姫君を前にして、かの歌鳥の姉妹が再来したようだと相貌を崩した父の顔を思い出す。

 アメジストがナイチンゲールにふさわしいのは誰が見ても明らかだろうし、私だって心からそう思う。それでは自分は?本当にカナリアにふさわしいのか?

 悪夢の中で竜はぞろりと牙が覗く顎を開いてシトリニアをあざ笑い、身の程をわきまえないおろかな娘だと言った。雷のように駆け巡ったその響きが生々しく身体に思い出され、白い肌があわ立った。

 夢の中の出来事は自分の思考が生み出す幻想だと納得させようと努力してみる。だがその不安を打ち消すほどの自信などあるはずもなく、自身でさえ竜の言うとおりだと思ってしまうのだからどうしようもなかった。

 とにかく満月の夜までに残された時間で出来る限りのことをやるしかない。

 アメジストを図書塔に迎えに行こう。

 

 渡り廊下から見上げる図書塔は昨日の雨を吸って湿っぽく、陰気で重々しい存在感を放っていた。しかし、近づいてよく見ると石材の隙間に根ざした植物が玉の水滴を戴いて輝き、恵みの雨を得た喜びをいっぱいに表現しているようで思わず笑顔になる。

 扉は相変わらず重かったが、前回の教訓を生かして初めから全力で挑んだので思ったよりも手間取らなかった。

「私が本気を出せばこんなものよ」

 両手を腰に手を当てて一人満足げにうなずくと、颯爽と塔内に入った。


 一階で調べ物をしているはずだと確信して来たものの、大テーブルにアメジストの姿が見えなかったのでシトリニアは少し慌てた。絨毯の柔らかさを靴底に感じながら、採光窓の光が届く場所に移動して暗い塔内を見回す。

「アメジスト?」

 念のため呼んでみたが返事もなく、宙に浮いた頼りない呼び声が吸い込まれると速やかに沈黙が戻ってきた。海底のように薄暗く静まり返った図書塔は朝でも少し気味が悪く、ぶるりと身震いした。

 この塔ではその名の通り古く貴重な書物全般を保管している。

 当然ながら歌の本だけではなく、呪術や祝術に関する契約・秘薬・儀式など様々な知恵を記したものも相当数眠っているはずだ……恐ろしくて手に取ることはおろかその書架に近づいたこともないが。

 嫌なことを思い出してしまったと後悔しながらあたりを見回せば、沈黙した書架の隙間からこの世ならぬ魔物の目玉がこちらを覗いているような錯覚を覚える。

――うぅ、やっぱりここは苦手だわ。アメジストだってここに一人で居たくないはずなんだけどな

 天井まで続く壁本棚をあまり見ないように気をつけながら、一昨日ここで交わした会話を反芻してあっとひらめいた。

――もしかしてバルコニーにいる?


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