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頭を砕かれ地に落ちる

 遅めの昼食を終えて動きやすいドレスに着替えさせてもらうと、春の日差しは陽だまりに暖かさを残しつつゆっくりと傾き始めていた。


 シトリニアはアメジストと連れ立って、図書塔の前に立っていた。

 城内の書物の中でも特に貴重な品々を集約した図書塔は、重厚な石造りの建物だ。他の建物からは独立しており、屋根付きの渡り廊下でつながっている。とても大きく切り出した石を一つ一つ積み上げて築かれているが、石の隙間に辛抱強く根付いた小さなコケやささやかな植物がその歴史を物語っていた。

「これが図書塔ですのね」

 アメジストが感心した様子で石造りの塔を仰いでいるのを見て、シトリニアはうなずいた。

「ええ。城内の建物は増築した物や失われた物も多いですが、図書塔は最も古くから残っている建物の一つと以前乳母が話してくれました」

 いつもは古典読書担当の技官が開けてくれる扉に軽く手をかけみるが、存外重くて簡単には動きそうになかった。

「あら、重たい扉なのね。うーん……よっ!えい!」

 シトリニアは細い両腕に力を込めると、体重をかけて何度も分厚い扉を引いた。しかし、自分の動きが大げさに感じるほど扉はゆるゆるとしか動いてくれない。

 横目でアメジストを見てみたが、彼女は石造りの外壁を興味深げに撫でたり、石の隙間を観察したりすることに余念がないらしい。

「まぁ、石の隙間に可憐な草花が。なんとけなげなこと」

「……」 

 応援は望めないと悟り、シトリニアはますます腕に力を込めた。

――これから何かと二人で行動しなければならないのに、少しの困りごとでメイドや技官を呼んでいたららちが明かないわ。


 ここは腕の見せ所と思い直し持ち手を握り直すと、ドレスで足元が隠れているのをいいことにやや姫君にふさわしくない姿勢で力をこめる。

 非力な姫君の奮闘ぶりを感じたのか、いにしえの書物を守護する扉は仕方なくといった様子で開いた。

「…開きました!」

 渾身の力を込めたからか、顔が熱い。頬を薔薇色に染めたシトリニアの様子を知ってか知らずか、異母妹はするりと扉をくぐった。

「私、城内のことはほとんど存じ上げなくて。親切にしてくださって感謝しますわ、シトリニア」

 可憐な仕草でドレスの裾をひるがえし笑顔で小首をかしげた様子は、相変わらず小鳥のようにかわいらしい。

「ど、どういたしまして」

 扉の持ち手で少し汚れた手のひらを急いではたくと、シトリニアも扉に滑り込んだ。


 暗く沈んだ空間に、細い採光窓から鋭い光が幾筋か投げかけられている。

 四角く切り取られた光は舞い上がるホコリをキラキラと輝かせ、歌鳥の姉妹の来訪を歓迎するかのよう。大テーブルの上には叔母上の言葉通り、何冊か本が積み上げられている。


 塔内は鳥のさえずりも届かず、海の底のような静けさだ。

 一歩足を踏み出すと深緑色の絨毯が靴音を柔らかく包みこみ、衣擦れの音が止めばまた何事もなかったかのような静寂が訪れる。

「すごいわ。ここは音が吸い込まれるように静かね」

 息を飲んだアメジストに、シトリニアも同意した。

「そうなの。私、小さい頃はここに来るのが怖くて」

 そして小さく笑った。

「正直に言うと、今でも少し怖いのだけど。今日はアメジストがいてくれるから平気よ」

 秘密を打ち明けるかのようなシトリニアの言葉に、アメジストも笑みを返した。

「私も。シトリニアがいてくれてよかったわ」

 

 二人は大テーブルの本をそれぞれ何冊か手に取ると、採光窓の光が届く場所に移動した。瑠璃色、薔薇色、孔雀緑。書名を縫い取る金糸に銀糸に、使い込まれて鈍い輝きを放つ隅金。どの本も趣向が凝らされ、一つの美術品のように完成された美を誇っている。

 これが古の物語を記した本だったらどんなに心躍ったことだろう。瑠璃色の絹に金糸の縫い取りがきらびやかな表紙を撫でながら、シトリニアはこっそりため息をついた。

「これが歌の本じゃなければぁ」

 目の前にあるのは全て歌の本だと思うだけで、気持ちが暗くなってくる。

 

 アメジストは真剣なまなざしで芥子色の本をめくっていたが、シトリニアが何かつぶやくのを聞いて空色の視線をちらりと投げかけた。

「今何かおっしゃいまして?」

「いえ!何でもありません」

 あわてて本を開くと軽く目を走らせてみる。


 歌詞はさすがに洗練されている。花の美しさを綴った歌に、想いが届くことなく散った恋の歌、幼い日々を懐かしむ望郷の歌。……そしてそれらに付随する、高らかに舞い踊る音符。

――例えお皿にカエルが乗っていても、こんなに高い声は出ないわ……

 眺めるだけで頭痛が起きそうになってくるのをこらえてしばらくページをめくってみたが、一向に気分は明るくならなかった。

はっきり言って、どの歌もシトリニアには難し過ぎた。

でも神竜に捧げる歌なのだから、あまりに単純なものはふさわしくないとも思う。


――もしかしたら、この本は難しい歌ばかりを集めた物なのかも

 気を取り直して別の本を手に取って見たが、二人の歌い手のために艶やかに交錯する音符たちは容赦なくシトリニアを嘲笑あざわらった。

――こんなに難しくして、歌ってもらう気があるのかしら?

 何冊も目を通すうちにこんな卑屈な考えすら浮かんでしまう。同じ姿勢で過ごしていたからか、心なしか頭も重い。

 そんな時、吸い寄せられるように目に止まった歌があった。流れるような花文字で綴られた曲名は『歌鳥に手向ける花』。

――カナリアとナイチンゲールを歌った歌かしら?

 シトリニアは俄然興味がわいて歌詞を読んでみた。


   たおやかな 歌鳥は

   持てる全てで 歌を歌う

   喉を震わせ 高らかに

   ささやくように しとやかに

   持てる全てで 歌を歌う

   命のかぎり 歌ったが

   神の心を 得ることなく

   頭を砕かれ(・・・・・) 地に落ちる(・・・・・)


 ぱん!

 シトリニアは心臓が止まりそうになって勢いよく本を閉じた。

 悪い呪文を遠ざけるように、本をテーブルの奥へ押しやる。動揺してじっとしていられなくて、椅子を立って大きく伸びをした。鼓動は早鐘のようだが、深呼吸するといくらか頭が軽くなった。ハンナに見られたら叱られそうな振る舞いだが、とにかく今は少しでも平常心を取り戻したかった。

 少し離れた光の下にいるアメジストはシトリニアの動揺にまるで気づかないように本に没頭していて、その集中力に感謝した。


「アメジスト、少し休憩しませんか?この上には気持ちのいいバルコニーがあるの」

「あら、楽しそうね」

 アメジストは目を輝かせると席を立った。

「先ほどはあまりに難しい顔をしてらっしゃるから、体調を崩したのかと少し心配していたのよ。思っていたより歌いやすいものが多くて助かったわね」

 さすが叔母上様が選ばせた本だわ、と明るく続けるアメジストを、シトリニアは思わず信じられないものを見る目で見つめてしまった。

「私の顔に何か付いていて?」

「いえ…なんでもありません」

 不吉な予感と才気あふれる異母妹の言葉から逃げるように、シトリニアは塔の上へとアメジストを案内した。



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