虹色の竜
私は、回廊に足を踏み入れてからずっと握ってきた異母妹の手を離した。
「シトリニア……!」
焦りの表情を浮かべる彼女の腕にそっと手を置いて制すと、一歩進み出た。
「私はとても歌が下手でした。今とは比べ物にならないくらいに。それは、幼いころにアメジスト……ここにいるナイチンゲールと出会った事がきっかけでした」
アメジストに感じていた劣等感。二人で歌を選ぶときに、私が歌いやすい歌に決めたこと。アメジストが一生懸命に歌を教えてくれたこと。けんかをして、クッキーを作って仲直りしたこと。
私はすべてを話した。話してみて、この三日間がこんなにも濃密な時間だったことを改めて感じた。
「ご希望の歌を歌えなかったこと、当代の歌鳥の姉妹として本当に申し訳ありません。すべては、カナリア様の名を継ぎながら歌の鍛錬を怠った私の責任です。水を請うなどと大それたことは申しません。私の命で、どうか怒りをお静めいただけませんか」
振り絞るように言い終えると、深々と頭を下げた。
土地の水が枯れてしまっても、国を移すという最終手段もある。アメジストだけでも助かれば、国の未来は続く。
張り詰めた空気を永遠のように感じていると、視界の隅に、薔薇色の裾がひるがえった。
「カナリアだけが責任を負う、というのは納得がいきませんわ」
そう告げる声は、歌を教えてくれるときのように落ち着いている。
聖歌塔で教壇の前に凛と立つ、姫神官のような姿を思い出して目頭が熱くなる。
「歌鳥の姉妹として、ナイチンゲールである私にも同じ責任を負う義務があるはずです。罰を与えるのならば、どうぞ私にも」
そう述べると隣で深々と頭を下げる。
私はなんて、馬鹿なんだろう。そして、なんて幸せなんだろう。
開いた瞳からするすると涙が落ちて、淡い光を放つ渓青岩に吸い込まれていく。
「二人とも、こちらに来なさい」
沈黙が破られるまで、ほんの少しの間だったのか、長い間があったのかはわからなかった。掛けられた言葉の意味が一瞬わからず、戸惑いながら頭を上げる。
「ほら、早く」
その人は手招きをして、手すりの外の何かを指差している。
私はよくわからないまま涙をぬぐい、アメジストとともに手すりへと向かった。
二人並んで、その指が示すものを確認する。
「わ……」
言葉にならなくて、ただ身を乗り出して食い入るようにそれを見つめた。
――泉から、水が湧いている
すぐ下に見えるのは、聖水を汲む泉だった。
中心からこんこんと湧き上がる水が、月明かりの下でなめらかな波紋を描いている。砂地が現れていた部分はもう水の下に消えようとしており、草が生い茂るあたりまで水が満ちつつある。
願っていたとおりの光景を前にして、目を離せば消えてしまいそうな不安に駆られる。満ちてゆく泉を見つめていたその時、視界の隅できらめく光があった。
驚いて振り返るとそこには、見たことないほどに大きく、言葉にできないほどに美しい一匹の竜がいた。
小山のように大きな体躯をおおうウロコは、ガラス細工のように透明だ。月明かりで虹色に輝く様子は、まさに虹色の竜といえる。
力強い手足には太く鋭い爪があるが、知性にあふれた瞳はそれをいたずらに振り回すことは好まないように見えた。
夢に出てきた竜とはまったく違うので、私は今更ながらほっとした。
「カナリア、ナイチンゲール、そなたたちはとてもよい歌を運んできた」
二人を見下ろす瞳は銀色ではなく、透き通るような渓青岩の青だと気づく。
「喜び、悲しみ、怒り、楽しみ。人の生はあまりに短く、風で花が散るように消えてしまう。だがそのまばたきするような一瞬に、人は学び、愛し、過ちを悔いることができる。その鮮やかさを愛しく思うのだよ。私はそれを、歌と呼んでいる」
もう一度言葉を失って立ち尽くす私たちに、竜はもう一度言った。
「そなたたちは、とてもよい歌を運んできた」
じわじわと、熱いものが胸にこみ上げてきた。
私たちは、儀式に成功したのだ。




