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遅い一日の始まり

2018.12.28に改変版(アルファポリス版と同様)に直しました。

 儀式当日をどう過ごすかについては、二人の意見が分かれた。

 シトリニアは、歌の完成度を上げるために時間ぎりぎりまで少しでも多く練習したいと主張する。しかしアメジストは、シトリニアは歌えば歌うほど上手くなる時期を過ぎており、連日酷使した喉の疲労は大きいはずなので休めておいたほうがいいと言う。

 しばらく平行線の談義が続いたが、朝から聖歌塔にこもりきりでは皆が不安に思うでしょうというアメジストの言葉に、シトリニアは折れざるをえなかった。たしかに、姫君の歌鳥の姉妹の血を告ぐ者としての余裕を見せることも、王族の威厳を示すのに必要なことかもしれない。

 結局、午前中は誰かが呼びに来るまで室内でおとなしく過ごし、午後からは聖歌塔で軽い発声練習をするという結論に至った。


 かくして図書塔から帰ってきた二人は、靴とガウンを元通りに戻して何事もなかったかのようにベッドに戻った。

 しかし冴えた頭に眠気は訪れず、手元に楽譜を引き寄せて頭の中で繰り返し旋律をなぞる。

 頭の中でさえ音程を外す自分に、シトリニアは苦笑した。

――早く聖歌塔に行きたいわ。誰か呼びに来ないかしら

 楽譜を眺めることにも飽きてきて、掛け布団の下で丸くなってみる。


 表情にこそ出さないものの、普段以上に自分たちの一挙手一投足が注視されているのは肌で感じていた。そして恐らく大部分の者たちが、二人の姫君は血で歌う(・・・・)と信じているだろう。

 つまり、身体を流れるカナリアとナイチンゲールの血が、竜の心を慰める神秘の歌を歌わせるのだと。

 事実そうであればどんなに楽なことか、とシトリニアは想像する。


 生まれたときから何の努力もせずに、人ならざるもの……竜の心さえ動かすような素晴らしい歌の力を持っていたら。もしそうならば初めから喜んで儀式に臨んだだろうし、物心ついたときからこんなに悩むこともなかったのに。

 しかし現実に目を向ければ、自分の歌に竜の心を慰める力などまったく感じない。逆に、その下手さゆえに竜を怒らせるのではないかという不安すら感じるほどだ。カナリア様に似ているところといったら、恐らく金の髪くらいだろう。

 アメジストだって……と考えて、ため息がもれる。

 たしかに彼女は歌が上手い。しかも幼少期から。

 しかし歌姫としての彼女を形作っているのは天賦の才だけではないはずだ。たくさん歌う中で培われた経験が彼女の才能をより素晴らしいものにしていることは、歌を教えてもらう中で感じてきた。


――上手く歌えばそれで儀式は成功なのか。それとも、歌うことによって竜の心を打つ何か(・・)が起こるのか

 昨日二人でクッキーを作りながら、アメジストは弱点があればそれを補い合えばいいと思いついた。たしかにそれは素晴らしい考えだが、果たして竜の心を動かす正解なのだろうか。もちろん考えても答えが出るはずなく、もやもやとした不安感を持て余すしかない。


 部屋の扉が控えめにたたかれたのは、普段よりもずっと遅い時刻だった。

「シトリニア様、アメジスト様、もうお目覚めですか?」

「ええ、起きていますよ」

 待っていましたとばかりにベッドから起き上がると、ハンナとフィオナ、軽食の盆を持った数人のメイドが入室してきた。

「お食事をお持ちしましたよ。お部屋でゆっくりお召し上がりくださいね」

 糖蜜が添えられた焼きたてのビスケットと、卵のサラダや食べやすく切り分けた果物の皿が並べられた。


「儀式が始まるのは夜ですもの。今はゆっくり身体を休めて、気持ちを集中なされませ」

 フィオナの言葉を聞いて、思わず二人で目配せした。やはり外に出ず、おとなしく部屋の中にいるほうがよさそうだ。

一呼吸の間も空けず、自然な笑顔でアメジストがうなずいた。

「ええ。お昼まではゆっくり過ごして、午後からは聖歌塔でお祈りをしてくるわ」

「ぜひそうなされませ。今日は早めのお食事の後にいろいろと準備がありますから、夕方にはお戻りください」

「シトリニア様も、あまり無理はなされませんように」

 心配そうなハンナの言葉に、シトリニアも笑顔で返した。

「大丈夫よ。夕方には戻るわ」


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