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それぞれの葛藤

2018.12.19に改変版(アルファポリス版と同様)に直しました。

 螺旋階段を登りきって扉を開くと、日差しを受けてたたずむ華奢な背中がそこにあった。

 淡い水色の薄絹が幾重にも重なるドレスは、朝の光を透かして天上の衣のような軽やかさで揺れている。編みこんだ髪を後ろ頭にまとめて銀細工の葉を何枚も飾った姿は、神話に登場する春風の女神のよう。

 優しい風がさわさわとドレスの裾にたわむれ、ゆるやかに吹きぬけていく。

「アメジスト……」

 探したのよ、と続けようとしてはっとした。

――歌ってる

 それは昨日聖歌塔いっぱいに響かせた歌声からは想像できない、自分自身のためにささやくような抑えた声だった。きっと竜神に歌う歌は誰にも教えてはいけないという約束を守るためだろう。

――なんて自由なの……

 シトリニアは声を掛けるのも忘れて立ち尽くした。

 彼女の歌声には歌う喜びが満ち溢れており、義務感や歌鳥として他者から期待される抑圧からは程遠い。聞いているだけで自らにも羽が生えたように心が軽くなり、自分も思わず声を合わせたくなってくる……まるで幼い夏の日の思い出のように。


 シトリニアが思い出に浸っていると、いつの間にか歌い終えたらしいアメジストが振り返った。風に揺れる後れ毛をそっと撫でながら照れたような笑みをこぼす。

「おはようシトリニア。一人で抜け出してごめんなさいね。どうしてもここで歌ってみたくて」

 そこでぱっと笑顔になると、胸の前で両手を合わせた。

「ねぇ、一緒に歌ってみない?小さい声なら大丈夫よ」

「私はいいの」

 先ほどまで一緒に歌ってみたいと思っていたのが嘘のように気後れして、シトリニアはふるふると勢いよく首を振った。

 夢の中の竜の言うとおり、儀式以外でアメジストと共に歌うなんて身の程知らずもいいところだ。自分の音痴さに腹が立つやら惨めになるやらで不機嫌になってしまう可能性だって大いにある。そんな子供っぽい理由でアメジストに不快な思いをさせるのはあまりにも失礼だし、一国の姫としてカナリアを担っているという自分の矜持が許さなかった。

「ほら、みんな心配しているもの。早く戻ってあげないと」

 何か言いかけたアメジストを遮るように付け加え、先に立って階段へと向かった。


 昨日と同じように聖歌塔で練習を始めた歌鳥たちが噛み締めたのは、厳しい現実と残された時間の短さだった。

 得られるものが少ないまま時は無情に過ぎ、柱時計の針はすでに昼食の時間を少し過ぎたことを示している。

 自分が簡単に出来ることを他人に教えるのは想像以上に困難だ。昨日聖歌堂でシトリニアと向き合ってその難しさに直面したわけだが、今日のアメジストはもっと大きな壁に直面していた。

 ただ喉を開いてお腹から大きな声を出すことが目標だった昨日に対して、その音量を維持しながら楽譜に沿って音程を合わせるという目標はシトリニアにとってかなりの難題のようだった。こんなに根気よく教えているにも関わらずなぜ出来ないのか、という嫌な言葉が出てしまいそうになり思わずこめかみを押さえる。

 指導に長けた声楽家ならばもっと効率よく歌の技術を習得でき、なおかつ長時間練習しても喉を痛めないような方法で教えられるのかもしれない。だがとにかく数を歌うことで自らの喉を楽器のように調律してきたアメジストはそのような知識を持ち合わせていなかった。

 これまで歌う機会をずっと避けてきたシトリニアをたった三日で完璧な状態に仕上げるなんて無謀なことはよくわかっているし、できることならもっと時間をかけたい。だが満月の夜が明日である以上はそんな悠長なことも言っていられない。

 月が満ちゆく時間をこんなにも呪ったことはなかった。


 こめかみを押さえたまま考えこむアメジストを見て、シトリニアが金色のまつげを伏せた。

 繊細なレースを編みこんで結い上げた髪型に、縫い取られた真珠が朝露のような輝きを放つ蜂蜜色のドレスをまとった姿は豊穣の女神のよう。

 豊作を約束する微笑みがふさわしい装いに、曇った表情がより痛ましく映った。

 ビシビシ指導してくれと頼んだのは自分自身だという負い目からか弱音は吐かない。しかし彼女の表情から出来ないのだからどうしようもないという開き直りのようなものを感じたアメジストは、棘を含んだ言葉が出るのを止められなかった。

「最初から諦めないでくださる?」

 シトリニアがキッと目線を上げた。

「諦めてなどいないわ」

「そう。初めから出来ないのだから仕方ないという甘えが透けて見えるのは気のせいかしら」

 黒いまつげに縁取られた冷たい瞳と、感情の高ぶりで潤んだ瞳が交錯した。

「精一杯やっているわ。馬鹿にしないで」

「貴女には挑戦する前に諦めてしまう癖があるように思えますの。できない言い訳を用意して初めから諦めてしまえば、傷つかなくて済みますものね」

「それは……」

「歌は楽しく歌ってこそ上達するという私の考えは変わりませんわ。いくら形だけ練習しても、貴女の心に自分への言い訳がある限り伸ばすのは難しいと思いますの」

 アメジストの鋭い言葉に、シトリニアは思わずカッとなった。

「私の態度が気に入らないのでしたらもう結構よ。あとは一人で練習します。午後からは好きに過ごしてくださればいいわ」

 シトリニアはきびすを返し、渓青岩を靴音高く響かせながら聖歌塔を去って行った。



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