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夕焼けに、ありがとう(2)


春が来ました。

あれから色々あって、とにかく大変で、何がなんだかよく判らないままあっという間に一ヶ月が過ぎ去ってしまったのです。

何はともあれ、わたくしこと桐野ありすも元気にまた春を迎える事が出来ました。

今日はあの最後の戦いで怪我をした皆さんのお見舞いの為に病院にやってきました。わたしも一回入院したりしてちょっといい思い出のない病院です。

途中で果物の詰め合わせを買って来たのですが、これがまた重いのです。病室の場所は判っているので急ぎ足で向かうと、部屋の中ではアレクサンドラさんが包帯まみれでぼーっと窓の向こうを眺めていました。

もうミイラ男っていうかミイラ女のようです。アレクサンドラさんはわたしが部屋に入った事にも気づかず、本当にぼーっとしています。

それも無理はありません。あの女の人は多分お兄ちゃんの事が大好きだったのです。何気にその辺のチェックについては定評があるありすなのです。

でも、お兄ちゃんはこの部屋にはきません。その理由は察する所。とにかくアレクサンドラさんはもうここのところ一ヶ月まるまるぼけーっとしっぱなしなのでした。


「アレクサンドラさーん? お見舞いにきましたよー?」


全く返事が無い。ぽけーっとした口元からは涎が垂れている。しょうがないのでふいてあげるとようやく気づいたのか、彼女はゆっくりとこちらに視線をやった。


「ありすちゃんだ」


「うん、ありすちゃんですよー。涎垂れるほどぼんやりしてるってどんだけですか」


「うーん……。ほら、なんだか急に入院になっちゃったから、やること無くて……」


暇だからって普通の人は死んだ魚みたいな目にはならないですよ。

パイプ椅子の上に腰掛けると、アレクサンドラさんは寂しげな微笑を浮かべた。多分この人がこの寂しさから抜け出すのには、まだもう少し時間がかかることでしょう。

お兄ちゃんはあの日、キルシュヴァッサーが新たに生み出したでっかい結晶塔の中に消えてしまいました。あの滅茶苦茶な状況の中、ありすも海斗くんも逃げるのに手一杯で、お兄ちゃんを救えなかったのです。

というかまあ、強制的にありすが逃げちゃっただけなので海斗くんも未だにとっても悩んでいるようです。どちらにせよあの場でありすたちに出来た事なんてあんまりないと思うのに。

結局皆、過去を引き摺ったまま一ヶ月を過ごしてしまいました。

窓の向こうに見える青空の下、大きな大きな翼を広げた神様のような塔が見えます。

それこそがお兄ちゃんが生み出したこの世界の新しい秩序……そんな風に思わなければありすもやってられないのです。

だから少しだけ、あの後のお話を語りたいと思います。

お兄ちゃんが居なくなった世界で、ありすたちがちゃんと生きていけるように。



⇒夕焼けに、ありがとう(2)



「ほけー……」


と、口に出して呆けているアレクサンドラさん。りんごを剥いてあげたけど、見向きもしない。失礼なやつだ。

でもそれも無理はないのだ。あの結晶塔の爆発の中、彼女が生き残った理由は正直なところ謎なのである。

奇跡と呼ぶには少々意味不明な結果。アレクサンドラさん自身に何が起きたのかを過去に訊ねた事がある。すると彼女はこう答えた。


『よく判らないけど、気づいたら結晶塔の外にはじき出されてた。でも、助けてくれたのは多分……エルブルスじゃないかな』


との事。まあ、ミスリルになっちゃった今ならばなんとなくその言葉の意味もわかる。

結晶塔の内部では想いがカタチになる。既に存在するのかどうかわからないようなミスリルの声だって、失われた全ての人の想いがあつまるあの場所では意味を持つ。

文字通り、きっとエルブルスが彼女を助けたのだろうと思う。結局のところ彼女はずたぼろになって生死の境をさまよいにさまよったわけだから、どちらにせよ奇跡なのは変わらないけれど。

だらしがなく着ているパジャマの襟元から生々しい傷跡が見える。血の滲んだ包帯は未だに痛みが彼女を苛んでいる証拠だっでした。


「アレクサンドラさん、これからどうするの?」


「…………どうしようかなぁ。香澄を探そうかなあ……」


「……見つかんないと思うけど」


「でも、だって……。やっと香澄と向き合えると思ったのにさぁ……」


抱きしめた枕に顔を埋めるアレクサンドラさん。まあ、その気持ちはわからないでもないんだけど。

お兄ちゃん、戻ってきたらちゃんとお兄ちゃんするっていってたのに。結局いっつもあいつは女の子を待たせてどっかへいくのだ。

ただまあ、全てが悪い方向に転がっているわけでもないのです。ノックの音に続き部屋に入ってきたのはチームステラデウスの人たちでした。

何でも、この間の戦いでも結晶塔の破壊に協力してくれたとか。元々仲が悪かったはずなのに、いざとなったら意外といい人だったりするものです。

金髪の女の子、エルザさんはありすに花束を、それから後ろの男の人、キリクさんは果物の詰め合わせをそれぞれ渡して一歩下がります。


「また会ったわね、おちびさん」


おちびさんというのは多分ありすのことです。


「もしかして邪魔だったかしら?」


「ううん、ありすもそろそろ帰るとこだったので大丈夫です。それじゃあ失礼します」


そそくさと頭を下げて撤退しようとすると、背後からキリクさんに呼び止められた。


「進藤海斗と君、キルシュヴァルツはこれからの世界でどうしていくつもりだ?」


キリクさんの表情は疲れているように見えた。世界を今のようにしてしまったのは紛れも無くありすたちなので、巻き込んでしまった彼らに対しては申し訳ないと思う事もあります。

でも、彼らは彼らでやるべきことをやらねばならないのだから、それ以上口出しすることではないし、同情したところで意味のないこと。わたしは振り返ってキリクさんに向かいました。


「国連軍はこれから爆発的に増加したミスリルへの対処に追われる事になるだろう。今は世界はあの衝撃から立ち直って居ない故に問題は少ないが、やがて人は柔軟な考えでゆっくりとミスリルを受け入れて行くだろう。力を受け入れれば人全体は進化することになるのかもしれない……いや、それこそがアダムの狙いだったのか。今となってはもうわからないが」


「もし、この世界が滅びの道を辿るというのなら、ありすはそれもそれでいいと思うんです」


それは別に無責任になっているわけではなくて。

誰かに縛られたりするものじゃないから。変化していくのは仕方のないことだから。その変化を世界が受け止められないというのであれば、それはそれでまた仕方のないことだから。

ありすは信じているのです。人間はやっぱりちょっとやそっとじゃ消えてなくなったりしないって。どんなに世界が変わっても……人はきっとしぶとく生き続けるだろうから。

この世界に在る沢山の苦痛を乗り越えて、人はいつかきっと過去を受け入れられる。どれくらいの時間がかかるかはわからないけど、それでも――。


「もし、それでも人が私たちを認めないのならば、ありすはありすの大切なものの為に力を使うまでのことですから」


ありすの返答にお兄さんは腕を組んで目を閉じました。怒られるかな? とも思ったけど、キリクお兄さんは頷くとありすに背を向けました。


「――呼び止めてすまなかったな」


「あ、はい」


「今度……国連軍の内部で、治安維持部隊を独自に発足させるという動きがある。良かったら……君も、考えておいて欲しい」


そう、世界は変わっていく。人も、関係も……過去も、きっと変わらなくても許し合えるんだって、お兄ちゃんは教えてくれたから。


「はいっ!」


元気良く頷いて、病室を後にした。

あの日、一ヶ月前。最後の戦いが齎したものはアダムの消滅ではなかった。

全てのミスリルはその生態系の頂点に存在するキルシュヴァッサーの意思に従い、暴走を止めた。これからはどんなミスリルだってキルシュヴァッサーの目から逃れることは出来ないのだと宣言するように、塔は成層圏にまで突き抜けて高々と世界を見渡している。

塔になってしまったキルシュヴァッサーと、お兄ちゃん。彼らの齎した世界の変革はそれだけではなかった。あの日、世界中に広がった銀翼の輝きはこの世界の人口の半分近くをミスリルへと感染させたのだ。

それは、意思を失う事でも憑依される事でもない、全く新しいミスリルへの進化のカタチ。ありすやお兄ちゃんがそうであったように。そして変わっていくこの世界の為に。

ミスリルの存在はもう世界中に公表されてしまっている。だからあえてお兄ちゃんはミスリルを『普通』にしようとしたのかもしれない。この戦いが終わった後も永遠に続く差別と怨恨、恐怖と偏見の日々を止める事は出来ないけれど。

人間はきっと進化していける。成長を止めない限り、希望はある。それは多分受け継がれていく永遠の意思へのプロセス。わたしたちは、やっとこの世界で生きはじめたのだから。

ここ、人が戻り始めた東京フロンティアでも人々はミスリルに対する偏見や差別を消し去ることは出来なかった。それは多分根強く長々と続いてくのだと思う。けれど、いつかそれを受け入れられた時……きっと新しい世界が見えるんだって、信じているから。


「桐野ありす」


「あ、ヴェラード」


病院を出ると、そこにはいかにも怪しい格好のヴェラードが立っていました。

ていうか、変身できるんだから人間の姿で出歩けばいいのに、わざわざこんな胡散臭い格好してたら他の人の不審を買うだけじゃないですか?


「ねえヴェラード、なんでありすに付きまとうの? ここの所ずうっとありすの近くにいたでしょ」


「ばれちゃいましたか。ええ、まあ……我らの王、桐野香澄の願いですから。貴方の傍で、もしもの時は力になる為に」


歩きながら語るヴェラードの口調はどこか嬉しそうだった。本人にそういうつもりはないのだろうけれど、それははっきりと見て取れる。

仮面なんかつけてたってわかるもんはわかるのです。そう、きっと……この世界の変化を一番望んでいたのは他でもない、多分この人なのだと思うから。


「私は変わり者のミスリルですから。戦いや世界の行く末に興味はないのです。ただ、人として生きて人として死んで見たい……今の私のミスリルとしての興味はその一点に尽きますからね」


「ふう〜ん……? でも、そんなの関係ないよ。ヴェラードだってもう、ありすたちの仲間でしょ?」


ヴェラードは少し驚いているようだった。それから肩を竦めてありすに笑いかける。顔は見えないけど、多分そうだった。

だからありすも笑い返してあげるのです。そうするとヴェラードは、とっても嬉しそうに歩き出します。何だかんだで彼は、人間が大好きなのだと思いました。

わたしたちが向かったのは未だに復興がままならない廃墟となった結晶塔周辺地区でした。そこはあの戦いの影響で相変わらずめっちゃくちゃなままで、そして新たに進化した結晶塔が在る場所です。

そこに一人佇む海斗くんの姿がありました。背後から駆け寄ると、海斗くんは振り返って微笑みます。


「やっぱりここに居た〜。また結晶塔を見てたの?」


「うん。これから変わっていく世界に……香澄ちゃんの意思に、ここなら近づける気がするからね」


あれから海斗君はどうなったかというと。

キルシュヴァルツを使用してのオペレーション・キルシュヴァッサーの実行――その結果、世界の人類の半分はミスリルになってしまった。

その罪を彼は背負わねばならなかった。とは言えミスリル化の余波は国連軍も逃れることは出来ず、パニック状態にあるため責任の所在とかは結局今の所なあなあになってしまっている。

でも、海斗はきっとその罪を背負って生きて行くのです。海斗くんはそういう人なので。そしてお兄ちゃんがいなくなった今、彼はこの世界でキルシュヴァルツという力を担う重要な守護者でもあるのです。

変わっていく世界の中で、大切なものを変えてしまわないために。海斗くんは毎日のようにこの場所を訪れては、今は居ないお兄ちゃんに想いを馳せるのでした。


「――――ボクは、香澄ちゃんならどこかで元気にやってると思うんだ」


風の中、両手を鎖で結ばれた彼はそう呟いた。

それはわたしも同意。お兄ちゃんはあれで死んじゃったりするような人じゃない。だから、お兄ちゃんが悪いのだ。

戻ってこられないような戦いを選んだのも、この世界の変化を望んだのも、全てはお兄ちゃんのせい。だからせめて妹として、彼の傍には居られなくても、何かを手伝って上げたいから。

未来は一人の意思ではなく、皆の力で作っていく。それはきっと、誰かの願いではなく、この世界の声なのだと思うから。


「香澄ちゃんが戻ってきた時……胸を張っていられるボクで居たい」


海斗がそう呟くと、遠くからバイクのエンジン音が聞こえてきます。猛スピードで走ってきたのはサイドカーにフランベルジュさんを乗っけたジャスティスお兄さんでした。

ヘルメットを外し、バイクから降りると彼は海斗君の正面に立ち、その肩をたたきました。


「よう、元気そうじゃねえか」


「やっぱり無事でしたか」


「まぁな。俺らはこれから世界中を巡って自分の正義の答えを探す事にした。フランベルジュは見ての通りダメージがまだ抜け切ってないしな」


サイドカーでフランベルジュさんは疲れた様子で眠っていた。小さく寝息を立てながら毛布に包まっている様子を見ると、よほどあの戦いで疲れたのだろうと思う。

ミスリルだって疲れるミスリルだって寝るのだ。だからそれはとても自然な事で……これからの世界を変えられるって希望でもあると思うから。


「ま、ここでお前に偶然会えたのも運命かもな。どうよ? お前、あの日から悩んでいた答えは見えたか?」


海斗君は力強く頷きます。その答えに満足したのか、ジャスティスさんは白い歯を見せて笑いました。


「そうか。じゃあまあ……俺たちの進む道がどこかで交わっていれば、また会うこともあんだろ」


「はい。それまでどうかお元気で……先輩」


別々の道を歩んでいくわたしたち。

ずうっと一緒にはいられないけれど。

歩んできた道が同じなら、きっとそこにあった日々は無意味なんかじゃないから。

未来はきっと、どこかで繋がっているから。

笑顔で分かれた海斗くんは走り去っていくバイクを見送って振り返ります。そうして素敵な笑顔を浮かべてありすの手を取り、わたしたちは一緒に結晶塔を見上げました。

変わっていくこの世界で、一緒に変わって行ける。海斗くんは一人にしたら危なっかしいし、キルシュヴァルツは誰かがいなきゃ力を発揮出来ないから。わたしたちは手を取り合って、一緒に生きて行きます。


だから、お兄ちゃん。いつかまた会えたら、その時は――――。



ありすが強く生きる事を誓った三年後。

新たに生まれ変わろうと強く変化し続ける東京フロンティアの姿があった。

そこではミスリルと人が唯一共に生きる事を許された新しい世界の秩序の先駆けとなったフロンティアシティの姿があった。

世界中でミスリルに対する反発の声とミスリルを受け入れようという声がぶつかり合う世界で、しかしフロンティアプロジェクトの街だけは早々とミスリルに適応した。

それは元々、フロンティア計画の都市にはミスリルに憑依された人々が住んでいたからというものが大きい。ミスリルの中で暴走してしまうのは一握りだけで、今まで普通に接してきた友人たちがミスリルだったのだと知らされたとき、その街の人々はそれを受け入れる事を選んだのだ。

フロンティア計画の本当の目的が何であったのかを推測するのは意味のないことだが、もしかしたらそんな目的もあったのではないかと、考えてしまう事もある。

そんな東京フロンティアの街を肩を並べて歩くイゾルデと木田の姿があった。二人ともエアハルト社の制服に身を包み、三年前とは少しだけ違う大人びた表情を浮かべていた。

あの最後の戦いの時、イゾルデが何故生き残る事が出来たのか、その理由はアレクサンドラのそれと同様にわからなかった。誰かが助けたのか。それとも不知火に宿る意思が彼女を救ったのか。それはわからない。

ただ彼女は戦いを生き延び、今はエアハルト社の社長としての職務を全うしていた。片腕として雇われた木田の様子は学生時代とは大分異なり、派手な髪色に戻した彼は一見凛々しくまた美しい社長の護衛のようにも見える。


「いや〜、しっかし懐かしいな東京フロンティア! もう全然変わっちまって何がなんだかわかんねえけど、所々面影があるよな〜!」


「木田……頼むからあんまりはしゃぎ過ぎないでよ? 久しぶりに皆と会うのに、子供のままじゃあ恥ずかしいじゃないか」


「あー、わりわり。つーか二人きりの時は名前で呼んでって言ったのに、お前は……」


「ばっ、し、知るか! こんな誰がどこで見ているのかも判らないような街中で、そんな恥ずかしい事が出来るか……ばか」


顔を真っ赤にして早足に歩いていくイゾルデ。木田は苦笑を浮かべ、その背中を追いかけた。

変わってしまった世界で、再びこうして彼らが一つの場所に集おうとするのはあれから初めての事だった。そしてそれは木田とイゾルデだけに限った話ではなかった。

空港に着陸した軍用機から滑走路へと降り立つ軍服の女、アレクサンドラの姿がそこにはあった。背後で括った長い髪を風に靡かせ、サングラスを外して眩しい結晶塔の輝きに想いを馳せる。

フェリックス機関は今、新しい姿へと変化しようとしていた。アレクサンドラはその年長者として新たにそれを対ミスリル犯罪の特殊刑事部隊へと変化させ、行き場の無いフェリックス機関の子供たちにも居場所を与える事に成功した。

それはアレクサンドラにしてはとても大きな変化だった。誰かに居場所を貰うだけではなく、それを作って誰かを救える人間になること。それは彼女が新しくなった世界で見つけた一つの目標だったのかも知れない。


「それじゃ、いってきます」


「「「 いってらっしゃい、お姉ちゃん! 」」」


軍服を身に纏った子供たちが軍用機の中から手を振る。アレクサンドラはそれを受け、満足そうに手を振り返した。

子供たちの笑顔に見送られ、ゆったりとしたペースで空港へと歩みを進めるとそこで新聞を片手に待つ佐崎の姿を見つけて足を止めた。二人は自ずと歩み寄り、お互いの変化に苦笑を浮かべた。


「お前が軍服か……。フェリックス機関の動きは聞いている。苦労しているようだな」


「まぁ、ね。やっぱり『フェリックス機関』って名前を嫌う人はまだまだ多いし……。壊しちゃった信頼は、何とか一個ずつ取り戻して行くしかないと思うから」


それでもアレクサンドラにとってフェリックス機関は見捨てられない場所だった。

その全てが恐怖と絶望に彩られていたとしても、確かにそこは彼女にとっての居場所であり、エドゥワルドが守ろうとしたたった一つの場所でもあるのだ。そこに生きていた子供たちを責めることも、責任を全て押し付けることも、彼女には出来ないことだったから。


「そういう佐崎は如月重工代表取締役としてちゃんとやってる?」


「まあ、そこそこな。未だに朱雀さんや崇行さんに手を貸してもらう場面は多いが……流石にこんな若造、はいそうですかと認めてくれる程世間も甘くあるまい」


腕を組んで苦笑する佐崎。彼は今、如月重工の代表取締役としての職務に日々を追われている。

窮屈すぎるにも程があるスケジュールの間を縫ってなんとかこうして丸一日余裕をとったのだから、今日は少しでも仕事の話は忘れたかったのだが、こうして大人になってから顔をあわせると嘗ての友人もまた大人。否応無く仕事の話に成ってしまうのは成長したと喜ぶべきなのか、それとも悲しむべきなのか。

どちらにせよ佐崎は新聞を片手に歩き出す。すると空港内の各所に潜んでいた護衛たちが一斉に動き出し、佐崎を守るように円陣を組んで動き出した。

その豪華すぎる動きに目を丸くしながら歩くアレクサンドラに佐崎は溜息混じりに言った。


「優秀な護衛がエアハルト社の女社長に取られてしまったのだ、しょうがないだろう? それに――こんなところでくたばりたくはないしな」


「そんなに狙われる?」


「如月重工はミスリルと手を組んで生きていくことを最初に宣言した大企業だ。いわば和平の象徴だな。それを潰したい人間なら、数え切れんさ」


笑い飛ばしながら歩く佐崎。アレクサンドラはそれでも元気そうな佐崎の姿に少しだけ嬉しくなり、その背中を叩いた。


「今日くらいはゆっくりできるといいね、先輩」


「そうだな……まあ、とりあえずは」


「うん。第三共同学園へ!」


佐崎たちが車に乗って移動を開始し始めた頃、都内の国連軍駐屯基地に作業用コンテナの上に寝転がる海斗の姿があった。

春の暖かい日差しの中、結晶塔が良く見える絶好のスポットであるその場所で海斗は指先に蝶の姿を留めながら空を眺めていた。そんな彼の頭上に影が入り、見慣れた顔が直ぐ傍にある。


「海斗くん、また仕事さぼってるのね」


「ありすちゃん。ああ、そっか……そろそろ約束の時間だったね」


身体を起こすと蝶は指先を離れて行く。名残惜しそうにそれを見送って海斗はコンテナから飛び降りた。

降りてくるありすを抱きとめ下ろし、基地の中を歩く海斗の背後、沢山の結晶機が大型運送機で移動している。この世界の平和を維持するためには、それなりの力が必要になるのは明白だった。

実際、ミスリルの能力を悪用する人間や、人間そのものに攻撃を仕掛けてくるミスリル、その逆パターンも今の世界では当たり前のように存在する現実。それを止める事が出来るのは同じくその力を持つ人間だけなのだから。

海斗はその中でも図抜けた力を持つパイロットだった。国連軍のエースにして最強のミスリルの担い手。キルシュヴァルツの力が今までどれだけ平和へ貢献してきたか、語るに及ばないだろう。

ただ海斗ののんびりした性格だけは相変わらずであり、隣をいつも歩くありすには苦労の連続でもある。今日も大事な待ち合わせがあるというのに、直前まであんなところでゴロゴロしているパートナーを探すのはありすの仕事なのだ。


「もう……せっかく今日のお休みエルザさんが変わってくれたのに、海斗くんはどうしてそうなのかなー」


「ごめんってば……。でも、懐かしいね。皆、元気でやってるかなあ」


「便りがないのが元気な証拠だよ。皆それぞれ忙しいし……あたしたちみたいな一兵士とは違う、お偉いさんばかりだしね」


「そのお偉いさんの護衛の為にも、早めに現地に向かった方がよかったかな」


「だから早く行こうって探してたのに、海斗君はもお〜〜っ!!」


横でぶつくさ文句を言うありすをなだめながら二人は軍基地を車で後にする。

目指すのは彼らが共に過ごした懐かしき学び舎、第三共同学園生徒会室。休日の学園には部活動に勤しむ生徒の声が響き渡り、生徒会室は静けさに包まれている。

そんな中、俺は一人響が座っていた席に腰掛け、昔良く飲んだコーヒーに舌鼓を打っていた。窓から吹き込む風は温かく、またあれから季節が巡った事を俺に知らせてくれる。


「いいの〜? 香澄〜」


「何がだ?」


「皆だって貴方に会いたいんじゃないですか? せっかくここまで来たんだから、ちょっとくらい顔を出してあげても宜しいのでは?」


椅子に座る俺の背後には契約の騎士団(ナイツオブテスタメントが勢ぞろいしていた。どこにいくにもぞろぞろくっついてくる自称護衛の連中の視線にももう慣れちまった。

この世界は変わっていく。そこに大きすぎる力があれば、また人間はそれを利用したくてたまらなくなるだろう。今の俺は全てのミスリルを掌握できる絶対命令権でもある。だから俺は死んでしまって、ミスリルは野放し……そういう状況の方が都合がいいのだ。

コーヒーを飲み干して紙コップをゴミ箱に投げ入れる。あいつが生きてれば、行儀が悪いって注意したかもしれないが、今の俺はもうここには居られないしあいつもここにはもう居ない。

窓辺に立ち、懐かしい日々を振り返る。最初は無理矢理で、滅茶苦茶で、信じられなくて……。でも信じられる仲間との日々が確かにここにはあった。

世界の平和とか各々の立場とか無関係に、大切だと思える時間と場所があることは幸せな事だと思う。その暖かい記憶があるからこそ、俺達は別々の道を歩んでいけるのだから。

生徒会室を後にすると、ミスリル連中はさっさと姿を隠してしまった。あいつらは居るのか居ないのか、同じミスリルである俺でさえ察知できないくらい気配を消すのが上手い。慣れ親しんだ懐かしい廊下を歩き、玄関へと向かっていく。

まあ、ぶっちゃけ皆には会いたいし、会ってもいいと思う。あいつらは俺の事をべらべら喋くったりしないだろうし。でも、俺には一応目的があるのだ。

あの事件のどさくさでどっかにいっちまったアダムを探さなきゃいけないし、世界で不穏な動きがあればテスタメントの力を行使してこっそり滅ぼしたりしなきゃならない。そういう存在である以上、普通の人間とは一緒に居られない。

とまあ、理由はそんなもので、実際は照れくさかったりするのが一番の理由だった。だってそうだろう? そんな風にコッソリ影から守り続けて行きたいくらい、大事な大事な仲間たちなのだから。

一人で校門を潜り、学園を後にしようと歩き出す。すると、正面から木田とイゾルデが歩いてくるのが見えた。

鉢合わせはまずいと思って振り返ると、背後からは佐崎とアレクサンドラの姿が。慌てて道路を横断しようとすると、向かい側には横断歩道が青になるのを待っている海斗とありすの姿があった。


「……マジ?」


逃げ場がない。背後にはドでかい第三共同学園。三方向から迫る会いたくない仲間。そのうちの一人、うちの妹が俺の姿を見つけ、大声で叫んだ瞬間三方向からどっと皆が押し寄せてくる。

逃げ場が無い。どうしようもない。一人その場で立ち尽くし、オロオロしていると皆が一斉に突っ込んできた。

あっちゃこっちゃから飛びつかれ、滅茶苦茶にされた。成す術もなく成されるままにしていると、みんなは俺を取り囲んで言うのだ。



「「「 おかえり! 香澄っ!! 」」」



セットした髪の毛も一張羅も滅茶苦茶だった。

皆は変わっていて時間の変化を感じさせられずにはいられなかった。

それでも皆の笑顔だけは、変わらない――。

なあ、姉貴? これも一つの、永遠なのかな?

なあ、響? 俺、お前の居ないこの場所で……少しだけ、幸せになってもいいのかな?

気づけば笑いながら涙が目尻に浮かんでいた。俺は皆の声に応えて、小さな小さな、消え入りそうな声でゆっくりと呟く。

彼らはずっと長い間その言葉を待っていたかのように言葉をとめて、俺の返事を待っていた。

もう戻れない過去と変わっていく世界。その中で俺は生きて行く。


「――――ただいま、みんな……」



銀翼のキルシュヴァッサーと共に――。




俺は忘れない。全てを投げ出して走り出したくなる夕暮れの日の事も。

本気で愛して失った最愛の姉の事も。俺とは違う道を選んだ、あの親父の事も。

全部抱えて担いで歩いていく。それが重くて両足が止まってしまっても、俺は一個も手放したくはないんだ。

だから……見守っていて欲しい。俺がいつか、弱さにくじけてしまわないように――――。


嘘と永遠、真実と有限が交錯するこの世界で、俺は生きて行く。



結晶塔から降り注ぐ光に眩しさを覚える。それはきっと、俺たちが生きた確かな時間の軌跡…………。


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