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夕焼けに、ありがとう(1)

らすとばとるー。


上か下かもわからなかった。

とりあえずかろうじて俺にわかる事は、そこが結晶塔の中なのだということだけ。

キルシュヴァッサーに乗っていたはずなのに、今は自分自身の姿さえ認識できない。まるで自分の存在が分解されて巨大な海の中に投げ込まれたかのような、奇妙な感覚。

記憶と蓄積された知識の海の中、自らの意思をこうも容易く維持できるのは単純にキルシュヴァッサーの守護があるからなのだろう。俺は呼吸さえままならないような奔流の中、息をついて静かに堕ちて行く。

思い出の欠片たちが俺の頭の中をすり抜けて、泡の一つ一つに浮かんでははじけて消えて行く。まるで過去へと逆行するようなイメージ……。言葉に出来ないような、不思議な感触。

指先の隅々まで行き渡るような記憶と知識の感触の中、俺は瞳を閉じる。そうすれば直ぐ傍に感じられる想い、願い、希望――その導く場所へとたどり着ける気がしたから。

魂の導くままに、己の意思に従って潜航する。ゆっくりと瞳を開けば、そこに見えたのは巨大な湖畔だった。

驚く間も無いままに俺は湖へと着水する。水中に投げ出され、ようやく俺は己の体を認識する事が出来た。ついでに息苦しさも付属する。

慌てて水面に顔を出すと、そこは見覚えの無い景色だった。森に囲まれた小さな湖、そのほとりにある小さな木造の小屋……。

俺は確かアダムと戦うためにここに来たはずだったが……何がどうなっているのか。始まりの結晶塔だけに、他の結晶塔とは何か違うのか。様々な疑問を浮かべながら、とりあえず俺は湖から上がる事にした。

全身ずぶ濡れになり、髪を上げていると背後に人の気配を感じて振り返った。するとそこには何故か俺のよく見知った人物が立っていた。

しかし流石にこうわけのわからない状態が続くと、驚くよりも怪訝な表情を浮かべる方が早い。俺は背後に居るはずのない彼女――桐野秋名をじっと見つめた。


「久しぶりの再会なのに、あんまりな態度ね……香澄」


「……って、言われてもな。あんたが本物だっていう証拠はないわけで」


「本物かって言われると答えには詰まるけど……ここは思い出の渦巻く場所。香澄はキルシュヴァッサーの導きでここまで来たんでしょ? だったら、本物かどうかはわたしにもわからない。ただ、香澄の記憶の中にあるわたしそのものがここに居るだけだから」


「思い出が形になる場所、って事か……? でも俺はこんな景色に覚えはないぞ」


「そりゃそうよ。だってここは……香澄じゃなくて、キルシュヴァッサー……つまり、始まりのミスリルの記憶の景色なんだもの」


ここが……始まりのミスリルの景色?

確か、始まりのミスリルはそう……ただの人間だったんだよな。最初は普通に暮らしていただけなのに、ミスリルであるという事が分かって――。


「そう、彼女は普通の人間として生まれて普通の人間として生きていた。ただ彼女には他人の心を知る能力や記憶を感じる能力があったから、お陰で色々あったみたいね。それで、結局は親元を離れてこんな山奥で一人ひっそり暮らしていたわけ」


「おい……俺は別にそんな話を聞きに来たわけじゃないし、興味も無い。あんたが本当に俺の中にいる秋名の記憶なら、んなことは言わなくても分かってるだろ?」


「せっかちねー。ま、そういえば香澄ってそんな子だったけどさ」


口元に手を当てて小さく微笑む秋名。俺は額に手を当てため息を漏らす。こんなところで軽口を叩き合っている場合ではないんだが。

俺をここに送り届けるために色々と皆に迷惑をかけてしまったんだ。ここで俺がモタモタしている暇はない。たとえそこにいる秋名が本物だろうが偽者だろうが、どちらにせよ今の俺には関係のない事だ。

そんな俺の思考を感じ取ったのか、秋名は背後で手を組み寂しげに微笑む。それから湖面を指差し、自分もまたその水の中へ足を浸ける。


「正直に言えば、ここはまだ結晶塔の一番奥じゃないの。アダムの原風景はここではなく、もっと下――つまり、湖のさらに向こう側ね」


「……まだ進むのか。ついでに一つ訊ねてもいいか、姉貴?」


「うん?」


「あんたは俺と親父……どっちに勝って欲しい?」


恐らくは難しい質問だったのだろう。逆に彼女はそれが判別できなかったからこそ迷い、己の命を絶ったのだろうから。


「それは……どうなんだろうね。でも、わたしは自分自身が消えてしまって、その抜け殻がアダムに愛されているのは嫌だったかな。それは……わたしを殺した香澄が一番よくわかってることでしょ」


「そうだな。まあ、それは――お互い様か」


俺達は限りなくお互いの存在を近くに感じていた。

別にそれは肉体があろうがなかろうが関係なかった。死なんてものが俺たちの間にある何かを別つ事等出来るはずもないのだと、わかっていたつもりだったのだが。

結局の所、全ては幻想か。ならばそれらに対して支払うべき想いもない。今はただ、自分の目的を果たすのみだ。


「待って、香澄」


湖に足を浸け、歩き出そうとすると背後から呼び止められた。

秋名は俺の隣に立つと、手を握り締めて湖を見つめる。触れた指先は冷たくて、でも多分昔から秋名はこんな感じだった。


「――香澄、立派になっちゃったね」


「お陰様で」


「もう、アダムでもなんでもなくて、全然関係なくて、香澄の意思で終わらせようというのなら……わたしも、手伝ってあげる。アダムの所に案内してあげる」


視線を伏せた。一瞬、断ろうかと思った。

姉貴に対する、反発か何かだろうか? いや、それは多分……アダムを倒す所を彼女に見せたくなかったのだろう。

俺とアダムが戦うのが嫌で、彼女は迷っていたんだ。それをわざわざ目の前で見せ付けてやることもないだろう。そう思うのは別におかしなことじゃない。

でも俺は首を縦に振っていた。別に、姉貴が最後まで俺の味方であると信じているわけではない。ただ――。


「俺とあんたとあいつと……三人で。せめて向き合うべきだと、思うから」


秋名は頷いて手を引いて歩き出す。

湖の中へ沈んで行く身体と再び解けて行く肉体の感触を味わいながら、しかし俺が思い出していたのは俺の中の原風景だった。

そう、あの頃……まだ何も知らないでいられた純粋だった頃。夕焼け空の光に包まれ、瓦礫の山を手を繋いで歩く二人――。


もう、戻れはしない、永遠を夢見た世界へと――――。



⇒夕焼けに、ありがとう(1)



溢れんばかりの輝きが世界を埋め尽くそうとしている。

気づけばまた俺は空を逆様に落下を続けていた。雲を突き抜けた大空の彼方、真紅の夕焼けが町を多い尽くしている。

眼下に広がる景色は夕暮れの東京フロンティア――いや、あの日俺たちが生きた、幻想と呼ぶに相応しい、何も知らなかった無垢なる廃墟へ。

空中で回転し、姿勢を整える。このわけのわからない空間でも、俺の直ぐ傍にはキルシュヴァサーがいる。そう信じられる瞬間、俺は銀翼のコックピットの中で地上への落下を果たしていた。

傍に姉気の姿は無い。ただ、それは彼女の肉体がここでは存在出来ないだけのような気がしていた。理屈ではなくそう感じられるほど、この世界は余りにも寂しく孤独な情景に満ち溢れている。

夕焼けの廃墟の上に、一人で腰掛けて佇むアダムの姿があった。瓦礫の山の王は腕を組んで俺を見下ろしている。お互いの視線が衝突し、俺はアダムに全身で殺意を送り込んだ。


「ここに来た――という事は、秋名はお前を案内した、という事か」


「そうなるんじゃねえの? まあどうでもいいんだよそんな事は……。あんた結局この世界をどうしたかったんだ? やってる事が支離滅裂なんだよ、てめー」


「……ふん、お前にはわからないだろうな。お前のような人間に――いや、最早同族か。お前に俺の血が流れていると思うと怖気がする」


「あぁ? んなもん俺だって同じだよ……。てめえ、さっさとくたばって席譲れよ。その王座――俺が貰ってやるからよ!!」


キルシュヴァッサーの刃がアダムの王座を吹き飛ばす。しかしそこに当然やつの姿はなかった。

空中に飛翔したやつは黄金のミスリルへと変貌を遂げる。俺達はあの時と同じように刃を交え、互いの魂を交える。


「証明しよう! お前と俺、どちらの望んだ世界の声が正しいのかをっ!!」


「ああ――。ここまで俺を支えてくれた、キルシュヴァッサーに集う皆の想いに応えてッ!!」



東京フロンティアは既にミスリルの巣窟と成り果てていた。

地獄の釜が溢れかえったような景色、とでも言うのだろうか。文字通り津波のように押し寄せるミスリルにいかに契約の騎士団ナイツオブテスタメントと言えども、完全に劣勢を強いられていた。


「くそ! 本当は香澄をサポートしに行かなきゃならねえのに……これじゃ見動きが取れねえ!!」


舌打ちしつつ刃を揮うジャスティス。その視線の彼方、夜の闇を引き裂いて真っ直ぐに向かってくるキルシュヴァルツの影があった。

それは一瞬でミスリルの波を突きぬけ、翼を畳んでフランベルジュの正面に降り立つ。鎌を振り下ろし、フランベルジュたちを庇う。


「ジャスティスさん! 香澄はっ!?」


「あいつは中だ!! お前も援護に向かえ! つーか、あの中じゃアダムに勝てる奴はいねえんだよ、普通!!」


結晶塔とは、全てのミスリルの意識が収束するサーバーである。

意思は力に、記憶は想いになる。ミスリルという生き物が想いを糧に力を増幅する生き物ならば、その空間の、全てのミスリルの頂点に立つアダムが結晶塔の内部では最強を誇るのは当然の理。

近づくミスリルを鎌で薙ぎ払い、キルシュヴァルツは頷く。飛翔したそのコックピットの中で、海斗はフランベルジュを見下ろしていた。


「――まるであの時の再現ですね、先輩。あの時はそう……秋名を救えなかった。でも、今は……ボクらにも出来る事がありますよね」


フランベルジュもジャスティスも応えなかった。ただその想いを受け止めるように剣を揮い、フランベルジュは結晶塔の前に仁王立ちする。


「さあ、いよいよ持って大舞台だ!」


『ここから先には一歩も通しません。例えそれが、永遠を繰り返して尚足りない程の敵だったとしても――それが、我らの役目』


剣の結界が結晶塔を包み込むのを背景に、キルシュヴァルツは翼を広げて結晶塔に突き進んで行く。

肉体全てが分解される衝撃は先ほど海斗たちが潜入した結晶塔のそれとは大きく異なる。結晶塔の内部に満ちる想いの密度が他のそれとは全く異なるのだ。

厚い、全てを覆い隠すような記憶の海の中、キルシュヴァルツはしかし迷わずに進んで行く。海斗がその疑問に首を傾げると、ありすの笑い声が聞こえた気がした。


『呼んでるんだよ』


「呼んでる……?」


『皆の声が……こっちだよって。ありすを導いてくれる――……だから、大丈夫。もう、道に迷ったりなんか、しないっ!!』


二人が記憶の海を突き抜けた景色の先、そこでは壮絶な戦いが繰り広げられていた。

キルシュヴァッサーとリインカーネーションの戦いは既に常人ならばついていけるレベルではない。残像を残しながら刃を超スピードで繰り出すキルシュヴァッサーと、八本の腕でそれをいなすリインカーネーション。二機は夕焼けを背景に激しく刃を交え、その衝撃に瓦礫の街は更に荒廃していく。


「――――あれが、最強のミスリルの戦い」


『お兄ちゃん……パパ……』


二人が空からそれを見守る中、キルシュヴァッサーは苦戦を強いられていた。

だがしかし、まだまだ香澄も本気ではない。キルシュヴァッサーが本来の力を取り戻した以上、そのスペックはあらゆる存在を凌駕する。

空間と時間を操作する能力と、桐野香澄だけではない複数視点から繰り出される第三視点能力。アダムがいかに結晶塔の王であろうとも、引けを取る様子は全くない。


「無様だな、アダム! ここなら勝てるから俺をここに連れ込んだんじゃねえのか!?」


「抜かせ、ガキが! さっさとくたばれよ、お前!」


リインカーネーションが距離を離す。背後に展開するアームユニットの二つが隔離され、空中でその姿を変えて行く。


灼熱の腕ナイトオブマグナス軋轢の腕ナイトオブエルブルス


二つの腕が赤と灰色に染まり、キルシュヴァッサー目掛けて飛んで行く。刃で防いだその攻撃だったが、しかしそれはただの攻撃ではない。

突如、キルシュヴァサーの剣が爆発し、砕け散った。更に背後に回りこんだエルブルスの腕が発する斥力に弾き飛ばされ、キルシュヴァッサーは無様な体制のままリインカーネーションに引き寄せられていく。

キルシュヴァッサーはリインカーネーションの目前で停止していた。その直後、キルシュヴァッサーを覆うほどの無数の結晶の剣が同時に空に浮かび上がる。


蒼穹の腕ナイトオブフランベルジュ


同時に動き出した刃は一斉にキルシュヴァッサーへと突き刺さる。繰り出されるリインカーネーションの蹴りがキルシュヴァッサーの装甲へと深々と突き刺さり、街の彼方へと弾き飛ばした。

崩れかけたビルに直撃し、その倒壊に巻き込まれるキルシュヴァッサー。しかし倒れかけたビルを片手で支え、銀翼は立ち上がった。


『ちょ、ちょっと!? まさかあいつ……全部のミスリルの力が使えるの!?』


「……なんて事だ。あれが、ミスリルの王位にまで上った男の強さなのか」


ありすと海斗がその力に驚嘆し、息を呑んだ、その時だった。


「うぉおおおおおおぁあああああああああっっっっ!!!!」


突如、香澄の叫び声が空に響き渡った。

夕焼けを背に、ビルが木っ端微塵に吹き飛んで行く。香澄の叫びに呼応するようにキルシュヴァッサーもまた、紅の空に雄叫びを上げていた。

びりびりと肌で感じるその迫力にありすも海斗も先ほどまでの恐怖や焦りのようなものは吹き飛んでいた。なぜならば紛れも無い、今目の前にいる少年こそ、自分たちが信じた自分たちの英雄。


「……そうだった。香澄ちゃんは、いっつもそうだった」


何故か嬉しくなっていた。それは桐野香澄という少年をよく知っている海斗だからこそかもしれない。


「香澄ちゃんはいっつも……何かを守る喧嘩の時は、絶対に絶対に、負けたりしないんだ――」


空を切り裂いて立ち上る銀色の光の柱。その中心部でキルシュヴァッサーの全身のダメージは一瞬で修復されていた。


「親父ぃいいいいいいいいいっ!!!! 手ェ抜いてんじゃねえぞコラァッ!! さっさとかかって来いやああああああああっ!!」


『お、お兄ちゃん……? なんかあれ……大丈夫なの?』


「はは……っ。いや、香澄ちゃんはね……多分元々、あんなかんじだよ」


咆哮と共に大地を駆け出すキルシュヴァッサー。猛然とした勢いで突進し、一直線にリインカーネーションを目指して行く。

その突進を弾くように繰り出される無数の攻撃も、全て素手で薙ぎ払う。どんなダメージも関係ない。何故ならばキルシュヴァッサーは王を超える存在。始まりのミスリルにして、結晶の神。

ならば、神が王に敗北する道理はない。そう、今の桐野香澄ならば。


「今の香澄ちゃんだったら――」


神だって、殺して見せる――。


「チマチマ飛び道具なんか使ってんじゃねえよ、親父ィッ!! それでも男か――テメエッ!!!!」


懐に飛び込んだキルシュヴァッサーの拳がリインカーネーションの顔面に突き刺さる。

吹き飛んだリインカーネーションの背後にショートジャンプし、その背中を蹴り飛ばす。再び正面にジャンプし、胸倉を掴み上げたキルシュヴァッサーはリインカーネーションの額目掛けて己の額を叩き付けた。

衝撃に大地が揺れた。土煙が街へと輪を作って広がっていく中、キルシュヴァッサーは倒れたリインカーネーションの上に跨り、拳を振り上げる。

打ち込まれた拳に再び大地が鳴動した。口元から白い煙を吐き出し、キルシュヴァッサーは空に吼える。

繰り出されたのは一方的な暴力だった。連続でリインカーネーションを殴りつけ、その頭を掴んで空中に投げ飛ばす。翼を広げてそれを追い、リインカーネーションごと大空へと飛翔して行く。


「どっちが正しいかなんて関係ねえっ!! 俺はテメエを超えて行く!! テメエが退かねえって言うんなら、その王座ごとぶっ潰してやる!!」


「――――ちいっ!! この……化物か、お前は!!」


「十八年言うのが遅ぇえんだよ、馬鹿が――ッ!!!!」


銀色の閃光は大地へ向かって堕ちて行く。ビルを砕き、大地に叩きつけられたリインカーネーションの腕が悉く罅割れて行く。

投げ出された金色のミスリルの時が停止する。空中に磔にされたようなその姿に香澄は次々に短剣を投擲し、両手に刃を手にする。


「何がリインカーネーションだよ、あ? 弱いくせにでしゃばってんじゃねえぞ、バァアアアアアアカッ!!」


繰り出された無数の斬撃がリインカーネーションを刻む。全身を滅茶苦茶に切りつけられ、その力に耐え切れなかった刃が圧し折れ、香澄はさらに折れた刃を投げつける。


「――――さっきのお返しだ。よぉく味わいな」


動き出した時と共に無数の短剣がリインカーネーションに突き刺さる。悲鳴を上げるその顔面を蹴り飛ばし、同時に大地に叩き伏せる。

頭を片足で踏みつけながら香澄はアダムを見下ろしていた。余りにも圧倒的過ぎるその力にアダムは愚か、ありすも海斗も口をあんぐりあけたまま呆然とそれを見つめていた。


「香澄ちゃん……で、出鱈目じゃないか……!?」


『うそ……。なんでお兄ちゃん、あんな滅茶苦茶に強いの……? アダムに勝てる人なんて、居ないんじゃ……』


「立てよ親父……闘いはまだ始まったばっかりだぜ? 俺を倒して見せろよ。お前が正しいって証明して見せろ!」


その時の香澄の心境を、一体誰が理解していただろう。

コックピットの中、呼吸を乱しながら、香澄は涙を流していた。歯を食いしばり、自らと同じ存在を叩きのめしていたのである。

アダムが願ったもの、アダムが求めた物……それが自分と同じものである事など、とっくの昔に彼は理解していた。

だが、それでも……誰かの願いを摘み取らなければ叶えられないのが人の夢だから。それを知っているから。どちらか片方だけしか、勝利者にはなれないから。

だからこそ、香澄は全力だった。キルシュヴァッサーの力を使い、暴力的なまでに自らの父親を叩きのめしたのである。

勝敗ならばとっくについていた。キルシュヴァッサーほどの力に勝てる存在など、いるわけもない。夕焼けの空の下、銀翼のキルシュヴァッサーの瞳から流れていたのは紛れも無く涙だった。


「…………当然か。キルシュヴァッサーに……彼女に俺が勝てるはずもない。わかっていた事だ……。ずっと、ずっと前からな……」


アダムの呟きは空しく夕暮れに響き渡った。香澄はそれを聞き遂げると、自らの意思でキルシュヴァッサーから姿を現した。

荒野の中に自らの足をつき、リインカーネーションを見上げる香澄。それに応えるように、アダムもまたその場に己の姿を現した。

それはとても不自然な情景だった。真紅の風の中、二人はお互いに見つめあう。どちらともなく、先に歩み寄り、二人はお互いに微笑を浮かべ――直後、同時に互いの頬に拳を叩き付けた。

同時に背後にのけぞり、しかし片足をついて踏みとどまる。口元から血を流しながら、二人は再び同時に拳を揮い、また背後に吹き飛んで行く。

何が起きているのかありすたちにはさっぱり理解出来なかった。だが、それは二人にとってはとても大事な事だった。血を流し、痛みを感じ、それでも二人は立ち上がる。


「なあ、親父よ……。あんた……キルシュヴァッサーに会って、どうするつもりだったんだ?」


キルシュヴァッサーが既に存在しないミスリルならば、もう蘇らせることなどできはしない。

たとえどんなに同じ存在を目指したところで、それは絶対に同じではない。限りなくゼロに近い距離にまで似せて作られていたとしても、それはまがい物でしかない。

同じ肉体の中で育った二つの魂でさえ個性を持つのが人ならば、全く同じ過去を繰り返す事など絶対に出来ない。たとえ転生の力を持つ、ミスリルだとしても。


「あんたは……俺たちに何を求めていたんだ」


香澄の問い掛けにアダムはその場に腰を下ろした。白いシャツに締められたネクタイを緩め、深々と息をつく。


「どうでもいいだろう、そんな事は。お前が勝った……お前がルールだ。それ以上も以下もない」


「――――それも、そうか」


アダムに背を向ける香澄。涙を拭い、瞳を閉じた。

本当は、わかっていたのだ。アダムが自分たちの望んでいた事。

彼は、自分たちには叶えられなかった恋愛の結末を求めていた。桐野香澄と桐野秋名を自分たちの立場に当てはめて、それを幸せにしたかったのだ。

そしてこの世界にミスリルの存在を定着させ、もう二度と、差別による悲劇が起こらないようにと願っていた。それは歪んだ愛だっただろう。しかし確かに愛は向けられていたのだ。


「……俺が、引き継ぐよ」


香澄の背中越しに聞こえる言葉にアダムは顔を上げる。


「あんたの夢……俺が、叶えてやるから」


少年は寂しげな瞳を開き、夕暮れ空の真紅を宿して、世界を見渡す。


「――――勝敗は決した! キルシュヴァッサーの前に我が名を名乗ろう!」



この世界で確かに生きてきた。


あの日もそう、空は真紅に染め上げられ……まるで何かに炙られ燃えるように、雲は朱を溶かして尚流れ、鮮やか過ぎる景色は瞳を曇らせる。

街の向こうに沈んでいく紅。ただそれを彼女は見送り、静かに目を細めていた。全身に光を浴び、光沢する髪を靡かせ、静かに囁く。

それは歌のようだった。いや、俺にとってはきっと歌だった。だから傍に居てその声を聞く事は、唯一俺の心を静める方法だった。

夕日が良く似合う人だった。鮮やかな朱は地味な格好が多い彼女を美しく照らし出し、その光陰は俺の目を引いて止まない。

恋していたのかもしれない。きっと愛していた。 それでも彼女との間にある溝は埋まらず、埋めようともせず、だから当然埋められず。背中を見つめるだけの俺が彼女にして上げられる事なんて何もなかった。

だからそう、無性にやり切れない衝動に駆られる時は決まって。決まって、夕暮れ時なのだ。

彼女は振り返らない。俺は静かに熱い空気を肺に吸い込み、空を見上げる。

どこまでも続いているようで、本当は有限な空。なんだってそうだ。本当の永遠なんてどこにもない。無限と言う言葉は、幻想に過ぎない。

だからずっと傍に居ることなんて出来ない。出来るはずがない。判っている。それはきっと、彼女も。


それでも俺は、彼女の後姿に答える。


「我が名は桐野香澄……」


世界を変えるなんて大それた事、出来るとは思わないししようとも思わない。

でもただ、自分が幸せに笑っていられるために出来る全ての努力を惜しまず行おう。

沢山の人の願いと想いを引き連れてここまで来た。そしてまだ俺は、何一つやり遂げて何か居ないのだから。


「我こそは契約者の王キングオブテスタメント! ミスリルの王の名において、全てのミスリルに命じる――!」


姿は見えなくても、世界中にある全ての想いを感じる。

それは目を閉じれば目の前に広がる青空の下の景色。

そこには姉さんの姿も銀の姿も、響の姿だってある。みんなみんな、この世界に生きる全ての人の想いが今、世界を変える。

俺はその役目を果たせるだろうか? 勿論未来の事はわからない。でも今自分に出来る事があるのなら、それを成し遂げよう。


「それでいいよね? 姉さん……響」


小さな声で囁いて、両手を空に掲げる。

キルシュヴァッサーは銀色の翼を大空に広げ、それはどんどん結晶塔を飲み込んで行く。いや、きっとそれは世界中の空を銀色に染めて尚留まる事は無く、この星全ての空から光の結晶を降り注がせるだろう。

それはミスリルを治める王の誕生と、世界の新しいスタートを告げる風――。


「全てのミスリルよ! 俺に従えッ!! 俺はキルシュヴァッサーの主――桐野香澄だッ!!」



結晶塔を飛び出したキルシュヴァッサーが翼を広げる。

巨大なそれは結晶の欠片に飲み込まれ、巨大な銀色の光の柱を生み出して行く。

世界の闇を照らすその存在の覚醒に全ての人とミスリルが目を奪われていた。

何よりもそれは神々しく、美しかった。何もかもを飲み込み、包み込むような銀色の雪。暖かく降り注ぐその光に導かれるように、朝日はゆっくりと東京を照らし出す。

一つの夜が終わりまた新しい朝が幕を開く。そう、それは永遠ではなく繰り返されるわけでもなく、ましてや有限でもない。

永久に続く日々の中、永遠と有限の狭間にその光を見出せたのならば、それはきっと全てを変える力になる。


その日、一つの闘いが幕を下ろした。


全ての結晶塔が崩れ去り、一つの光の柱が空を支配した。


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