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銀翼の、キルシュヴァッサー(2)

出撃前、イゾルデの場合。


大空を舞う巨大な輸送機。その格納庫でイゾルデは不知火の隣で刀を抱いて瞳を閉じていた。

風の轟音と夜の寂しさを感じながら、刀を握り締める指先の力をゆっくりと強めて行く。

オペレーション・キルシュヴァッサーまで残り時間は既に一時間を切った。雲を突き抜けた超高度を舞う輸送機へと差し込む月明かりは世界の荒々しさを彼女の元へは届けず、時が止まってしまったような錯覚させ与える。

不知火は大きな布に覆われたまま、彼女の迷いに応えてくれはしない。その疑念や疑心は全て己の中で解決を見出さねばならないことだと、彼女は既に理解していた。

深々とついた溜息と共に顔を上げる。ドイツへと向かう旅路の途中、彼女が思い返す景色はどれも仲間たちとのものだった。

頭を抱え、膝を抱え、イゾルデは記憶の中へと想いを沿わせる。つい数時間前まで、彼女はこの輸送機の中に入ることさえ考えて居なかったというのに。


「マグナスを討つのが恐ろしいのかい? イゾルデ」


出撃直前の東京フロンティア。巨大なハイウェイを滑走路に見立てたその場所で、イゾルデは崇行と向かい合っていた。

風の中、イゾルデは歯切れの悪い態度を返す。ポケットに手を入れたまま、イゾルデを見つめる崇行はその態度にそっと目を閉じ、それから月を見上げた。


「桜花は死んだ……それは変わる事の無い事実だ。たとえその器の中に入り込んだ化物が君の前に立ち塞がろうとも、それは変わらない。不知火の中に桜花の魂はある……。それでも君は、迷いで剣を振れないんだね?」


「……わ、私は……」


「確かに、そうだろうね。君は桜花と同じ姿をした物に刃を通すのが恐ろしくて堪らない……そうだろう? それは僕も同じだった。だから僕は……いや、今更言ったところで仕方の無い事か」


視線を伏せ、崇行は背を向ける。イゾルデは握り締めた剣から伝わる冷たい感触に、慕っていた彼女との日々を思い返していた。

分かっている。あれは自分が倒さねばならないものなのだと理解はしている。そうしなければならないのは自分の運命でもあり、仲間たちとの絆でもあるのだと。

だがしかし、迷ってしまう。それは香澄がかつて感じていたものと同じ。そして……何よりも、自らが守りたいと思う人のためだった。


「……崇行は……もう一度、桜花姉さんと会いたいとは思わないの?」


イゾルデの言葉を耳にしても崇行は振り返らなかった。二人の間に風が吹きぬけ、沈黙が夜の闇と共に重く圧し掛かる。


「崇行は……。崇行は、桜花姉さんの事が……好き、だったんでしょ?」


「……許婚、だったからね」


「だったら……。香澄の中に、秋名の魂があるように……また、もしかしたら……桜花姉さんと、会うことだって……」


「イゾルデ」


顔を上げたイゾルデの頬を打つ平手の乾いた音が空に響き渡った。

イゾルデは目を丸くしたまま、ぼんやりと頬に手を当てていた。今までどんな事があってもイゾルデに手を挙げるどころか叱ることさえしなかった崇行の、最初で最後の平手だった。


「君は、本当にそう思っているのか?」


「…………」


「また僕が……死んだ彼女に会うために、人間を裏切れるとでも思っているのか?」


「それは……」


「いいかい、イゾルデ。死んだ人とは、もう会えないんだ。どんなことしても……たとえどんなに似た存在が在ったとしても。それはもう、桜花じゃないんだ。香澄君なら……判るだろうけどね」


崇行はそれだけ言い残し、背を向ける。呼び止めようと手を伸ばすイゾルデに彼は最後、一言だけこう残した。


「斬る覚悟がないなら、君はこの作戦には参加するな。それは……君の友人に対する無礼に他ならない」


遠ざかっていくその背中にイゾルデは力なく膝を着いた。

そんなことは、言われずともわかっていた。ただ、崇行にそこまで拒絶されるとは想像していなかったのかもしれない。

いや、恐らくはそれさえ想定の内だったのだ。ならば、あえてそうされることで傷つきたかったのか。否定されたかったのか。

アスファルトの上に音を立てて落ちた誓いの刃。それと同時に頬を涙が伝った。

歯を食いしばり、眉を潜め、少女は涙を流すまいと必死で堪えていた。しかしそれも簡単に決壊し、悲しみの雫はぼろぼろと零れて行く。

声にならぬ声を上げては枯れそうな思いを拳に乗せ、大地に叩き付けた。その感情は非常に複雑で、言葉にするのはとても難しい事。「

仲間に対する申し訳なさや、自分に対する怒り……今までこうして背伸びをして強がってきたというのに、いざ己を賭けた戦いへと挑む事になれば揺らいでしまう程度の覚悟……。それが何より腹立たしかった。

だが、それでも。それでもどうしても、もう一度……。失ってしまった人に会いたいという思いが彼女の中にあった。そして何より……崇行にもう一度、笑顔をあげたかった。

親代わり、兄代わりとして面倒を見てくれた如月崇行に対し、イゾルデは家族愛にも恋心にも似た感情を抱えていた。彼から受ける同様の感情が、しかし桜花に対するものを超えることは無いという事も、しっかりと認識していた。

だからこそ、自分には救えない彼の苦しみをどうにかして救う手段が欲しかったのだ。

考える時間はまだまだあると思っていた。それでも決断の時はあっけなく彼女の元へと現れ、決意を強制する。

あの人と、同じ姿のモノに刃を突き立てる事が果たして可能なのか?

激しい自問自答の中、イゾルデは立ち上がる事も出来ないまま、力なく肩を落としていた。涙を流すその姿は今までの凛とした姿とは異なり、どこにでもいるごく普通の少女のそれに戻っていた。

どうすればいいのかわからない、果てしない苦悩の中にいる今、虚勢や建前は既に維持出来なくなっていた。嗚咽を上げながら泣きじゃくるイゾルデの背後、その肩を叩く影が一つあった。


「……だ、大丈夫か……?」


明らかに大丈夫ではない状況なのは、木田もよく理解していた。

しかし目の前の少女にかけられる言葉を、彼はそんな情けないものしか所持していなかったから。

月明かりの下、アスファルトに染み込んだ涙がカウントダウンのように世界の色を映しては跳ね返し続けていた。



⇒銀翼の、キルシュヴァッサー(2)



「え……っと……。な、なんか飲むか? 色々貰ってきたんだけど……。コーンポタージュとか……あ、おしることかあるけど……」


漆黒の空を照らし出すサーチライトを眼下に、木田とイゾルデはハイウェイの片隅に腰掛けていた。

寒空の中、大量の缶ジュースを抱えて戻ってきた木田であったが、イゾルデは膝を抱えて俯いたまま一向に反応する気配はなかった。

木田はジュースを道端に置き、その中からホットナタデココの缶を手に取り、中身を一気に呷った。しかし味が判別出来ない程頭の中が真っ白になっている木田にとってそれは水と同じ様なものだった。

イゾルデは常に凛々しく、雄雄しく在ろうとしてきた少女である。そんなイゾルデの強さをよく知っているからこそ、その姿に戸惑いを隠せなくなる。

膝を抱き、肩を振るわせるその姿は今にも世界の闇に書き消えてしまいそうなほど弱弱しく、触れてしまうことさえ躊躇われる。ナタデココを一気に飲み干し、木田は空き缶を置いて夜空を見上げた。

二人の肩の間にある距離は数十センチしかないのに、その隔絶はとても広く思える。イゾルデに視線を向け、木田は小さな声でゆっくりと語り出した。


「……マグナス、お前の大切な人と同じ姿なんだってな」


イゾルデは応えない。木田はそれを分かっていたから、そのまま言葉を続けた。


「香澄にアダムの記憶がインストールされてたように、不知火に如月桜花の記憶がインストールされてて……桜花本人は、マグナスに憑依されたのかもしれない。丁度当時、実験途中だった人間のミスリル化の結果を計るのに、アダムにとって如月桜花は都合のいい立場だったからな……」


「都合がいい……だと?」


顔を上げたイゾルデは涙を流したまま、歯を食いしばる。


「そんな理由で大切な人を奪われて……残された私たちはどうなる……」


「あ、いや……。そういうつもりじゃなかったんだけど……その、ごめん」


再び沈黙が訪れる。どうにもならないまま時間だけがただ過ぎ去っていく中、木田は意を決したように再び話し始めた。


「……その、いきなりでアレなんだが……」


「……え?」


「実は俺……昔不良だったんだ」


「は?」


イゾルデのリアクションは尤もだった。しかし、それこそ木田の狙いでもあった。

少年は苦笑を浮かべ、携帯電話を取り出し操作する。


「確か、昔の写真データが……あったあった。ホラ」


そこに映し出されていたのは髪を金色に染め、サングラスをつけて煙草を咥える木田の姿だった。


「中学生の時のだな……。まあ色々あって、未だに画像は持ち歩いてるんだが……」


照れくさそうに話す木田を見てイゾルデは驚いていた。今の木田を知る人物なら誰でもそうだろう。彼は地味な髪色に地味な服装であり、性格や人柄も攻撃的という言葉からかけ離れているのだから。

しかしそれは紛れも無い事実だった。木田は携帯電話を上着のポケットにしまい、缶コーヒーの蓋を開ける。


「昔の俺はガキだったから……何でも一人で出来るって思ってた。世の中はつまらないものばっかりで、真面目にやった所でバカを見るだけだって。上手くズルく生きる事が強さだと思って、それこそ何でもやった」


「……そんな風には、見えないけど」


「そりゃそうだ。見えないようにがんばってんだからな、ははは! 俺は昔はガキで……今もガキだけど。でもあの頃は本当に世界は自分ひとりでなんとかなるものだと思ってた。だから、両親がミスリルに感染して、キルシュヴァッサーに処分された時も……何にもしてやれなかったよ」


毎日が永遠に続くもので、それは変わらないのだと思っていた。

明日も明後日も今日と同じ日が続いていく、退屈な毎日……そう考えていた。

しかし実際はどうだろうか。同じような繰り返しの中で人は考え成長していく。劇的な変化は逆に人の成長を妨げる要因にさえなる。

無駄なことや無意味な事などあるのだろうか。いざという時、何も出来なかった人間はその自問自答に始めて衝突する。

子供ならば誰でもそう。大人になる上で失敗し、無力を実感し、己に問い掛ける。その疑問の向こう側、新しい自分を見出せるかどうかこそ、問題なのだ。


「途方に暮れてた俺を、佐崎は誘ってくれた。正直スゲエびっくりしたよ。佐崎は俺より一つ年上なだけなのに、しっかり生きてた……。チームキルシュヴァッサーに入ってからは、周りの皆に驚かされっぱなしだった」


そうした人々とのふれあいの中で、初めて尊敬に値する友人たちと出会えた。共に高めあい、切磋琢磨して未来を目指せる仲間たち……。それは、木田にとって始めての経験であり、他の仲間たちにとってもそうだった。


「皆のこと、尊敬してんだ。クズみたいな人間だった俺でも……そんな皆の仲間になれたんだと思うと、誇らしくて仕方ないんだぜ?」


「……お前は、クズなんかじゃないさ。お前は……強いよ」


「そうかな? でも、俺は……イゾルデ。お前に一番、憧れてたんだ」


目を丸くするイゾルデの隣、寂しげに笑いながら闇に沈む街を見つめる。


「お前は強かった。本当に強いかどうかはわからないけど、強くあろうといつも立派だった。皆に頼られてて……力もあって。そんなお前の姿を見てると、俺ももっと何か出来るんじゃないかって……多分、勇気みたいなものを貰ってたんだと思う」


「私は……そうじゃない。ただ、エアハルトの娘だから……そうしなきゃならなかっただけで。自分で何かを決めるって事を、してこなかっただけで……」


「それでも今まで強さを願って歩いてきたなら胸を張れよ、イゾルデ。お前はそうやって泣いてるのも可愛いけど、シャキっとしてるほうが似合ってるぜ?」


木田の言葉にイゾルデの顔が真っ赤になる。それを見て笑い、木田は立ち上がった。


「……崇行さんと、ちゃんと話して来いよ。ちゃんと言いたい事……伝えてからじゃないと。それでお前がドイツに戻って戦いたくないっていうんなら、俺はそれでも構わない。俺は……それでもお前の味方だから」


「…………。ありがとう、木田……」


木田は微笑み、背を向ける。ハイウェイの向こうへと去っていくその後姿を見送り、反対側へとイゾルデは走り出した。

何故そうするだけの気力が生まれたのかはわからない。ただ、木田は一生懸命に何かを伝えようとしていた気がしてならなかった。

それはたとえどんな過去があったとしても変わるための努力を惜しまなければ、道は開けるということなのか。あるいは信じるものがあれば、自分さえも信じられる強さと成るということなのか。

どちらにせよ、それはかわらない。木田はイゾルデに対し、何かを与えたかったのだ。迷いや苦しみの中にある彼女に……そう、何かを。


「崇行っ!」


無数に配置された輸送機の影に崇行は立っていた。声をかけると男は振り返り、影の中からイゾルデを見つめる。


「私は……その……」


言葉に出来ない思い。複雑な心の内側をなんとか吐き出せるようにと、震えて逃げ出したくなる心に強く言い聞かせる。

変えるためにはまず自分が変わらねばならない。そしてその中でもしさらに信じられる物があるのだとすれば……それを、一生守らねばならない。

意を決して顔をあげる。胸元に手をあて、イゾルデは深呼吸して想いを言葉にした。


「崇行の事が……私、好きだ」


言葉にした瞬間頭の中が真っ白になった。しかし言葉をとめることはしなかった。

もう何も考えられないのならば、まとめなくてもいい。取り留めの無い言葉でもいい。それらを連ねて、思いのままに。全てを吐き出す事を決意した。


「桜花姉さんがいたから……諦められると思った。姉さんがいてくれれば……そう、傷つかなくて済むって……。私は、崇行の事を考えてなかった……。私はただ……自分が傷つきたくなくて……崇行を傷付けて、それで傷つく自分が嫌で……だから、その……っ」


「イゾルデ」


顔を上げると、崇行は苦笑を浮かべ、イゾルデの頭を撫でていた。

それは全てを物語っていた。それ以上イゾルデは何もいわなかった。何も言わずにただ、唇を噛み締めた。


「それで、いいじゃないか。それで君は……それで今、どうしたいんだい?」


崇行の心が自分に振り向く事はないとわかっていたから。

居なくなってしまったとしても、如月崇行は如月桜花を心の底から愛しているから。

それを超えられない自分自身と、桜花の幻影と、崇行の心と。

様々なものがあり、そして未来へと繋がっている。


「私は……」


どうすればいいのかなんてわからない。

どうしたいかなんていわれたって、そんなものわからない。

それでも……今。心が赴くままに何かを成すべきならば。

顔を上げた少女は涙を流してはいなかった。今までのように凛々しくはない。格好良くは無い。迷いを秘めたままの、揺れる瞳で。それでも少女は真っ直ぐだった。

真っ直ぐにしか生きられなかった少女。真っ直ぐ以外に生きる術を知らなかった少女。ならばそれは当然のように、最後の最後まで揺ぎ無く。


「……決着を、つけます。明日の事は――明日また、考えればいいから」


イゾルデの肩を叩き、崇行は何も言わずに去って行った。

一人残されたイゾルデは太刀を強く胸に抱き、唇を噛み締めてその足音に耳を澄ませていた。



結局の所、そう。全ては流転するままに。



香澄が、姉の面影を求めて彷徨ったように。アダムが、嘗ての恋人の姿を求め、今を生きたように。

それぞれが求める物があり、願いがあり、誓いがある。想いなど一つ所には留まらず、その行方を知る事さえ人にはままならないだろう。

ならば今、求めていた物を失ったとしても。また流転していく全てに対し、責任と代償を支払わなければならないのだと。

握り締めた刃は勿論ぬくもりさえ伝えない。それでもそれは誓いの証であり、己が胸に抱く決意の証である。それはこれからも彼女にとって変わらない。

姿形、想いさえ全ては変わっていく。それでもその中で変わらないものを見出せたのならば……それは、戦いに向かうだけの意思の欠片となるのだろうか。


「響……。お前がいたら……今の私にどんな言葉をかけてくれる……?」


ゆっくりと瞼を開き、顔を上げる巨大な輸送機の中。不知火を見上げ、イゾルデは小さな声で呟いた。

香澄や響、木田や佐崎……アレクサンドラ。彼らと自分は違う。彼らは己の成すべき事と過去と、そして未来を見据えている。

だから今の行いに迷いがなく、迷ったとしても答えを見つけ出す事が出来る。だがしかし最初から彼らもそうだったわけではない。

今のイゾルデのように、彼らも迷って迷って何とか答えを見つけ出そうと必死になっている。それを彼女もきちんと理解していた。

悲観的になっているわけでも、絶望に浸っているわけでもない。問題なのはただ、刃を振るうだけの理由が欲しいだけ。


「――――斬れるのか? 彼女と同じ姿をした……私の敵を」


それは、誰が悪かったわけでもない。

敵とて同じ事。別に、マグナスが悪かったわけでもない。

ただそこに在るだけの存在をただ気に入らぬだけで断つというのか。

いや、そうではない。理由ならば、いくらでもあるではないか。


「仲間の為……か」


胸を張ってそう口に出来ないのは、何故なのか。

迷いを振り切れないまま、ドイツへと向かう輸送機は足を止めずに夜を往く。


「イゾルデは、やれると思いますか?」


輸送機を見送ったハイウェイの上、風に吹かれて崇行は立っていた。

その背中に問い掛ける日比野の言葉に、彼は表情を変えずにただ遠く消え去った輸送機に想いを馳せる。


「イゾルデは、自己主張の少ない……内向的な子でした」


それは、幼い日からイゾルデを今日まで見守ってきた崇行だからこそ、今想う事。


「チームキルシュヴァッサーで、彼女は見違える程明るくなった。でもやはり、自分の気持ちで刃を振るうことは苦手なようです。あの子はなんというか……優しすぎるんです」


どこに行くにも他人の顔色を窺っていた社長令嬢としての日々。

取り繕い、笑顔を顔に貼りつけ、淑やかに、美しく。そんな事を強制された幼き日の名残は、彼女の精神へと強い影響を残した。

誰にも心を開けない深窓の令嬢。そんな少女の心を解き放ったのは、とある日本の剣士だった。

内気な少女に微笑みかけ、剣を教え、やがて自らが居なくなった時、彼女に降り注ぐ苦難の為に全てを注ぎ込んだ、無垢なる善意。その想いにイゾルデは応えたかった。

強くあろうとすることも、迷うまいとすることも、全ては償いの為に他ならない。その罪の意識を超えられない限り、己の意思で剣を揮うなど、夢のまた夢。


「あの子はいつも彼女の代わりの剣であるべきと想い続けてきた。だから今、自分の意思で……仲間の為に。自分の剣で敵を斬る事に、迷いがあるのでしょうね」


輸送機の消え去った空に背を向け、煙草を口にする崇行。黙ってその言葉に耳を傾ける日比野に苦笑し、月を見上げる。


「それでも、僕はあの子を信じてます。あの子は……そう。僕の許婚の、一番の弟子で……。僕の姉さんの、一番の弟子ですから」


「この事がエアハルト社に知られたら、また揉めますね」


肩を竦める日比野。無茶な作戦である事は、重々承知。イゾルデはさっさとエアハルト社に戻らねばならない。それも承知の上。

ならばこの上何を承知すれば良いのか。あとは無理を通すだけ。ならば出来る事も、やるべき事も、全てははっきりしている。


「それに、彼女には……いい、仲間が沢山いるようですから」


二人は頷き合い、子供たちの向かう戦場へと想いを馳せる。

大人にはどうにも出来ない戦いならば、今はせめて祈りを捧げるのみ。

今自分に出来る事が何もないのなら。それでも届けと想いを込める。


「さあ、行きましょう」


風の中、二人は歩き出す。


「僕らは僕らの、仕事をしなければ」



作戦の開始まで、残り一時間――。


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