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想いよ、時を止めて(1)

ついに死者が。


銀色の翼から放たれる時を刻む波動。大地の色を、空の色を抉り削り、地上を疾走するキルシュヴァルツを追っていく。

キルシュヴァッサーが放つ時空湾曲攻撃。それに付け加えて放たれた無数の投刃の雨あられを鎌で弾き飛ばし、キルシュヴァルツは空に舞う。

空中で激突した黒と銀のシルエット。刃と刃をぶつけ合い、火花を散らして雲を切り裂いた。


「やっぱり……香澄君は強いよ」


響の呟きは意図したものではない。ただ、純粋にそう想い、それが口にでてしまったというだけの事。

目の前のキルシュヴァッサーは、中身の無い巨大なただの器に過ぎない。銀による遠隔操作を受け付けるだけのそれを下す事など、今ならば決して不可能ではない。

叩き付けた鎌が刀を圧し折り、キルシュヴァッサーの胸に斜めの傷を作る。しかし地上に着地した響が見たのは見る見る内に傷が修復されていくキルシュヴァッサーの姿だった。


『あんなに早く自己修復しちゃうなんて……』


「自己修復してしまうよりも早く、決定的な打撃を与えなきゃ駄目、って事かな……」


コックピットの床に汗が落ちる音で響は全身から脂汗が吹き出ている事に気づいた。

激しい痛みは今この瞬間まで忘れていた。背中には刺さりっぱなしになった硝子が肉を抉り、痛みを増加させている。前のめりになり、呼吸を乱しながら肩を震わせ満身創痍で敵を見つめていた。

自分が危険な状態にあることを始めて認識し、薄ら笑いを浮かべる。そんな事に気づかないほど夢中になってしまうこともある。なれることもある。

幸い、ありすは響の状態に気づいていなかった。響にとってはそれが『幸い』である。戦う事を、躊躇せずに済む。

全力を出したかった。自分に力や才能がなかったとしても。せめて大切な物を守るためにする努力を惜しみたくはなかった。

そうした祈りにも似た無意味とも思える戦いの先に、自分たちが求める理想があるのだと今は信じたかった。


「キルシュヴァッサーを断ち斬る……! あれから解き放たれれば、香澄君だってきっと……!」


鎌を両手で握り締め、腰を屈めて低く構える。荒れる呼吸を自ら無意識に整え、息を吸い込んで吐息を忘れた。

駆け出した黒い影は大地を疾走する。キルシュヴァッサーはそれに二刀流の刀で正面から立ち向かう。しかし疾走から繰り出された鎌による重量級の一撃は容易にキルシュヴァッサーを吹き飛ばす。

両手から零れ落ちた刀。止めを刺そうと尚突進を続けてくるキルシュヴァルツに対し、キルシュヴァッサーは時空湾曲攻撃を行う。

視界範囲内、それ以外に関わらず自らが認知できる範囲の空間、時間を容易に操る事の出来るキルシュヴァッサーの固有能力。正面に迫る漆黒の機体を包み込み、その時を止めようとする動作に対し、キルシュヴァルツもまた同様の所作で応えた。

二機の間の空間が軋み、空に亀裂が生じる。しかしキルシュヴァルツは無事だった。コックピットの中、響は深く息を吐き出し、目を細める。


「キルシュヴァッサーが最強である理由はその能力に依存する部分が大きい。一定範囲の空間を切除、別の場所へと移動するショートジャンプと時の流れを操る力。でも、キルシュヴァルツには通用しない」


キルシュヴァッサーは後退し、ショートジャンプで自らの身体を後方に跳ばそうとした。しかしそれも叶わない。目の前のキルシュヴァルツから放たれた力がキルシュヴァッサーの能力を打ち消していた。


「キルシュヴァルツはキルシュヴァッサーと同じ、時と空間を操る力を有している。だから、あなたの行動を打ち消すのなんて簡単なんです」


時間の拘束を受け、動きを鈍らせるキルシュヴァッサー。響はそれに容赦することなく、天高々と鎌を振り上げる。


「――――消えなさい、キルシュヴァッサー! 私があなたの死神です――っ!」


肩口に食い込んだ巨大な刃は胸を切り裂き足を剃り、キルシュヴァッサーの左半身を綺麗に両断していた。



⇒想いよ、時を止めて(1)



「あなたは……何を、言っているんだ……?」


目の前の男は確かに言った。自分は世界の敵なのだと。

何の感情も宿さない瞳でボクらを映しては言葉を口にしない。奇妙な沈黙が続き、ボクは一歩後退した。

アダム・ゲオルク・リヒテンブルグ……それが、目の前の男の名前。ボクらにとっては馴染み深い、馴染み深すぎてあの頃と何も変わらない姿。

彼はミスリルなのだろうか。ボクは目の前の存在に対して戸惑わずには居られなかった。でも、香澄ちゃんを……友達を渡すわけには行かない。

ボクの表情からそんな気持ちを悟ったのだろうか。彼は小さく口元に笑みを浮かべ、口を開いた。


「別に、お前に用はないと言っているだろう? 俺が欲しいのは俺の息子だけだ。ああ、まあ……お前も俺の息子みたいなものなんだが」


「何を言ってるんだ……! あなたの言っている事がボクにはまるでわからない……!」


「わからないのか? 面倒くさい奴だな……。じゃあ、何て言えばいい?」


両手を広げ、彼は言う。


「俺がフェリックス機関の創始者だとか。キルシュヴァッサーを作ったのも俺だとか。結晶機に適合できる子供を作り出す為に丁度十八年前にお前ら子供を使って生体実験を行ったとか。俺自身もミスリルであり、もうウン十年生きているだとか。俺が香澄を殺そうと思っているとか。そういう事を話せば理解出来るか?」


絶句した。

いや、勿論……想像くらいはしていた。でも……本当にそうなのか?

確かにミスリルの年齢なんてものについてボクらは知らない。でも、フランベルジュがそうであったように、ミスリル化した瞬間から年齢が変化しなくなる、というある程度の予想はついていた。

目の前の男はつまりそのミスリルとしての長寿を利用し、何十年も前からボクらの世界に干渉し、香澄君もボクも彼の計画の中で生み出された、意図的に力を持って生まれてきた子供だっていうのか。


「面倒くさいのは嫌いなんだ。お前らに理解出来るように回りくどく言ってやるつもりは微塵もないし、交渉してやるつもりもない。勘違いをするな、俺はお前に命令している。さっさと香澄を寄越せ」


冷や汗が頬を伝う。言葉に出来ない強烈な威圧感に押しつぶされそうだった。

ああ、間違いなく。それは間違いなく、化物だった。人間の形をしているだけで、その内側には信じられないくらい強烈な様々な悪意が満ちているのだと。

風に髪を靡かせながら彼は笑う。目が離せない。ボクは彼を、どうするべきなのか。

香澄の父親がこんなやつだっていうのか? だったら香澄は……秋名は……。生まれた時から……もう……。


「どうして……」


「……どうして? それは理由を訊いているのか? ミスリルでもある俺にか?」


アダムは小さくボクを笑い飛ばす。笑止、とでも言うかのように。


「理由がなければ生きられないのはこの世界で人間だけだ。どんな生き物も『理由』なんて物は考えない。ただそう在るからそう成すのだ。在るから成す……そこに理由なんてものを挟みたがるから人はいつまで経っても進歩しないんだよ、少年」


「あなたは何を言っているんだ……!? 彼は、香澄は! あなたの子供じゃないかっ!」


「子供の面倒なんぞ見てどうする? 親だからって一生守ってくれるとか考えているならそれは馬鹿だぞ? それに、俺は子供は好きじゃない」


会話が終了した。彼は香澄の事をなんとも思っていないんだ。全く何とも……実の息子だっていうのに。

あんたがそんなんだから、香澄は苦しんだのに……なんであんたは今更出てきてまた香澄を苦しめるんだ……?


「お喋りは終わりでいいか? ほら、さっさとそいつを寄越せ」


「断る!」


ボクは間髪入れずに答えた。こんな奴に香澄を渡す? 在り得ない……。そんな事、在って成るものか。


「彼はボクの友達だ。友達をあんたみたいなのに渡すわけにはいかない」


「友達か。だが、俺はそいつの父親だぞ?」


「息子だなんて思ってないあんたは父親なんかでもない。あんたはただ、親という立場を都合良く利用して香澄を苦しめているだけだっ!!」


叫び声が空に響き渡り、アダムは眉を潜める。

それからはもう言葉も予備動作もなかった。彼は一瞬でボクの眼前に手を差し伸べ、ボクはその動きから逃れる事が出来なかった。


「面倒だ。お前、ミスリルになれよ」


「――――っは?」


言葉の意味が理解出来ない。ミスリルになれ? なんだ、それ?

ちょっと、待って。それ、まずい……。回避しようにも動作が速すぎて――――。


「――僕が行けばいいんだろ」


アダムの伸ばした手はボクの眼前で停止していた。それを食い止めていたのは、ボクの背中に背負われたままの香澄の手だった。

完全に失念していた。彼はとっくに目を覚ましていたのだ。そしてそのままボクらの話を聞いていた。聞かせてしまった。

手を離し、再び距離を置くボクら。香澄は背中から降りると、寂しげな瞳のままにアダムを見つめる。


「それで、皆には何もしない。あんたは僕を手に入れるだけで満足なんだろ? だったらそれでいいだろ」


「ちょっと……香澄ちゃん! 何言ってんだよ、そんなの駄目だ!」


「でもこのままじゃ皆が死ぬ」


息を呑んだ。そう、このままじゃボクたちはどうなってしまうか確かにわからない。

ジルニトラからの砲撃は絶え間なく続いているし、向こうじゃ最強クラスのミスリルと皆が戦っている。そんな中、ボクらは切り札となるキルシュヴァッサーを香澄を欠いた状態……。お世辞にも戦況は好意的に取れない。

もし本当にこの男の目的が香澄だけだというのならば、香澄があちらへ行く事でボクらは助かるかも知れない。それは、確かにそうなんだけど。

馬鹿か。何考えてるんだボクは。何冷静にそんな事を分析しているんだ。そうじゃないだろ。香澄を絶対に渡しちゃいけないんだ。


「駄目だよ、香澄ちゃん……。もう、君一人にそういうの押し付けないって誓ったんだ、ボクは。君はボクが守る……守らなきゃいけないんだ」


「…………海斗」


香澄を行かせない為に前に出る。にらみつけたアダムの視線、彼は無表情に首をかしげた。


「別にお前がそこまでして香澄を助ける理由はないだろうに。どうしてそう、頑なにそいつを守ろうとするんだ?」


「…………どう、して?」


やめろ、揺らぐな。何でそんな簡単に揺らされてるんだ、ボクは。


「お前はそいつの事が本当に好きなのか? 今まで散々お前にはないものを持っていたそいつが。お前には出来なかった事を成し遂げたそいつが」


耳を貸すな。彼はボクの動揺を誘っている。


「また流されて、何となくそういうことになってここにいるだけじゃないのか? お前の中に答えはちゃんと出ているのか?」


目を細める。ボクは確かに、香澄の事が羨ましかった。

香澄はいつもボクより強くて、ボクより前を歩いていて、ボクがほしかったものは全部持っていた。

彼でしか出来なかった事、彼でしか救えないもの。そうしたものが羨ましく、または疎ましく思った事が全くないと言えばきっと嘘になる。

感情を失ったボクに自分の心を正確に推し量ることはきっと無理なのだろう。でもそれは別にボクだけじゃない。誰だって自分の本当の気持ちなんてわからない。

心の中にはいつも二律背反する感情が螺旋を渦巻き、意思や行動に阻害を来たす。ボクらは常に揺れながら己の中にある複雑な想いに翻弄されて何らかの答えを出さなければならない。

だからそこに理由や意義を求める。それを道しるべにする。でも、それはきっと誰にとっても正しいことではなくて。それを見失えば道をも見失う。


「ボクは――」


ミスリルは、理由を求めない。

そう在るからこそ、そう成すのだ。

彼の言葉を聞いて、今のボクにも判る事がある。

理由や意義や主義主張、そんなものはきっとこの世界にとって大した意味なんか持たないんだ。

だから、理由も意味もなくたっていい。大切なのは、自分がどうしたいか。理屈抜きの本心こそ、言葉にするのに相応しい。


「ボクは、進藤海斗は……。桐野香澄の、友達だから――――」


口にすればこんなにも容易く胸にしみこんで行く。

言葉は全身を高ぶらせ、まだまだやれるという意気込みを与えてくれる。

前に出られる。閉ざされていた自分と世界の一歩前へ足を踏み出せる。


「友達をあんたに渡すわけにはいかないっ!!」


「だったら邪魔だな」


アダムが両腕を広げるとその背後に今まで目で捉える事の出来なかった何者かの影が浮かび上がる。

迷彩をかけられた彼の『本体』が拳を振り上げ、ボクらに向かって振り下ろす。ボクは香澄を抱えて後方に跳んでいた。

着地は滅茶苦茶だった。というより、アダムの振り下ろした拳の威力が滅茶苦茶だったのだ。大地を砕き、ボクらは一度宙に投げ出された。不恰好な姿勢で大地に転がり、立ち上がる。


「ミスリルとしてお相手しよう、進藤海斗。俺の名は、リインカーネーション――」


足元からゆっくりとこの世界に色をとりもどしていく巨大なミスリルの姿。

金色の装甲に金色の翼。四つの瞳と四つの腕を持つ、今まで見た事が無いほど神々しい光を放つ、世界の敵――。


「始まりのミスリルから受け継いだ限りなく零に近い純度の力、味わってみるか?」


金翼のミスリルが、吼えた――。



振り下ろされたマグナスの巨大な太刀はフランベルジュのレイピアを易々と圧し折り、大地を切断する。

氷と炎のミスリルは互いに距離を置き、空に響き渡る咆哮を耳にしていた。フランベルジュの中、ジャスティスは舌打ちし、眉を潜める。


「なんだ、この感じ……? ただのミスリルの反応じゃねえ……」


『当然だ。彼は我々ミスリルの正式な王なのだからな』


マグナスは太刀を肩に乗せ、獣のような牙の合間から白い息を吐き出しながら目を細める。


『桐野香澄は王座を継承されなかった、という事だ。まあ、アダムにとってはそれすらも些事なのだろうがね』


「玉座の継承……? お前ら一体香澄に何をやらせるつもりだったんだ!」


マグナスはジャスティスの問い掛けに攻撃で応えた。刃を振り上げ、神速の勢いで振り下ろす。

しかし、太刀はフランベルジュには届いていなかった。フランベルジュの前に立ち、刃を横に構える真紅の結晶機がその攻撃を阻んでいた。


「――――っ。この、太刀筋……それに、この声……。貴方は……まさか……」


『ほぅ。如月桜花の知り合いか何かか?』


「桜花……姉さんッ!?」


二つの太刀が音を鳴らし、火花を上げて弾かれる。再びそれはぶつかり合い、二つの機体は刃を越えて額を激突させた。


「桜花姉さんは……不知火になったんじゃないのか……!?」


『そうらしいな。この身体がそのミスリルを模した物に反応している。『中身』はそっちらしいが、『外身』はこちらということだ』


「どういうことだっ!!」


『ふふ、どうだと思う?』


「答えろォッ!!」


柄でマグナスを弾き飛ばし、正面から刃を斜めに振るう。しかしマグナスは後方に跳躍し、悠々と着地する。


『やるじゃないか。名前を聞かせてくれないか?』


「戯言を……」


『良いじゃないか。どうせ殺しあう運命なら、名前くらい知ったところで直ぐに彼方に消え行く』


二つのシルエットは太刀を構え、静かに息を呑む。不知火のコックピットの中、イゾルデは小さく息を吐き出し激情を抑えた。


「――イゾルデ。イゾルデ・エアハルト。如月桜花の、弟子だ」


『ほう? では、師弟対決という事になるか。中々面白いな』


大地に刃を突き立て、マグナスの瞳が輝く。全身から炎が噴出し、空をも焦がす火柱となって焔の中、化身は語る。


『我が名はマグナス。お相手しよう、灰燼の結晶機――』


炎を纏ったマグナスの咆哮が空に響き渡る頃……。

室内で続く銃撃戦。アレクサンドラは木田と共に台所の物陰に隠れていた。エドゥワルドはリビングから二人を攻撃しており、どちらも手出しが出来ない状況が続いている。

拮抗した戦況は互いにとって有益だった。エドゥワルドの目的はアレクサンドラというエルブルスのパイロットを釘付けにする事で達成されているし、アレクサンドラにとっても同じ事が言えるだろう。

それに彼女の隣には木田がいる。戦闘能力を持たない木田をこの場において行く事は、仲間として彼女には出来ない事だった。


「くそ……悪い、アレクサンドラ。俺が足を引っ張らなきゃ……」


「ん、大丈夫。皆頑張ってるから、きっと何とかなる」


アレクサンドラにとって、最優先事項は常に香澄だった。それが今木田を守ろうとしているというのは、別に優先事項が変わってしまった事を意味しているわけではない。

香澄には、海斗がついている。それを彼女も信じる事にしたのだ。ある意味、香澄の為にと行動する彼女の暴走ぶりは、他の仲間を一切信じていない事を意味していた。故に常に自分が、自分がと身体が動き、結果周囲を置いてきぼりにする事になることもしばしばあった。

しかし、今は違っていた。仲間と過ごした時間、そして記憶を失った香澄という結果が彼女の中に新しい考え方を齎していた。仲間誰一人欠かすことなく、生きて行くこと。そうでなくては意味がないのだと。そうでなくては香澄は喜んだりはしてくれないのだと。


「聞こえるかいアレクサンドラ。僕たちがこんな風に争った所で意味なんてないだろう? 大人しくフェリックス機関に戻るつもりはない?」


「……生憎、そのつもりはない。あたしは今この環境が気に入ってるから。この世界で充分だから」


「君は僕たちがエルブルスに乗る意味を忘れたの? 僕たちはエルブルスに乗る事でしか意味を持たない生き物なんだ。軋轢の力からは絶対に逃れる事が出来ない……そういう運命なんだよ」


「それは違うわ、エドゥワルド」


アレクサンドラは迷うことなく、抑揚の無い口調で答える。


「世界にも自分にも限界なんてないし運命なんてない。それは変えていけるし意味なら自分で作っていける。逃げることは出来ないなら誰かと一緒に立ち向かえばいい。人間ってそういうものなんだよ、エドゥワルド」


「君は随分変わったね。良くない傾向だ」


「そういう決め付けと思い込みが自分を殺すの。安心してみていればいい。今に彼女が、点数を引っくり返す」



そう、どんなに危機的状況にあったとしても。


「はあああああああっ!!」


全ての要である玉座さえ破壊してしまえば、それらは意味を成さない。

キルシュヴァッサーに食い込んだ刃はその身体を大きく断ち切っていた。音を立てて倒れるキルシュヴァッサー。響は肩で息をしながらそれを見下ろしていた。


「あなたの危険性に気づいていたのに見過ごしていたのは私……。だから、その責任はここで果たす……!」


止めを刺そうと刃を振り上げた刹那、響はその呼吸を止めていた。倒れたキルシュヴァッサーの上、生身の銀が腰掛けていたのである。

その姿は既に成長を終え、桐野秋名が命を落とした瞬間に限りなく近い存在となっていた。銀色の髪を靡かせながら、穏やかな表情で女は問う。


「本当にわたしを殺せるの? 響」


歯を食いしばり、刃を振り下ろす。しかし鎌の切っ先は銀の額の目と鼻の先で停止していた。

黒い巨大な力は銀色の小さな輝きの前に息を呑む。遠く聞こえる戦場の音の中、静寂が彼女たちを包み込んだ。


「わたしを殺してしまったら、香澄は一人ぼっちになる。そうなったら、あの子はもうだめになるわ」


「……駄目になんてならないし一人ぼっちにもさせない。私たちがいる。彼には仲間がいる。だからあなたはもう必要ないの」


「……ふふっ! あなた、香澄の事何も分かってないのね」


『響さん、話を聞いちゃ駄目だよ! 動揺を誘ってる!』


ありすの言葉にはっとする。しかし、刃は進まなかった。

何故なのかは響にもわからない。だから響の心は激しく揺れていた。自分でも理解できない自分の行いに、誰よりも彼女が驚かされていた。


「香澄はずうっと一人だったの。この世界に、一人ぼっち。人間でもミスリルでもなく、家族も友もない。ただ一人ぼっちのあの子にとって桐野秋名の幻影は絶対に必要なものなの。必要になるように、わたしが仕上げたんだもの」


「……あなたは……っ」


「それがあの子にとって一番の幸せなの。他に彼を本気で愛せる人なんていないわ。永遠と符号するような久遠となる存在なんて、わたし以外には在り得ない。記憶を取り戻した彼がわたしの死を知ったら、どう思うかしら?」


『響さんっ!!!!』


「わたしはね、彼を本気で愛しているの。この世界の誰よりも、どの世界の何よりも。わたしと彼は永遠を久遠の間を一緒に歩いていけるの。でも、あなたにはそれは無理でしょう? あなたに彼が救えるの? あなたに彼が守れるの? あなたは彼に愛されるの?」


『お願い響さん、動いてっ!! 今ここでやらなきゃ、皆がっ!!』


「この世界のことよりも、わたしは彼のことを取る。世界が終ってしまっても良い……わたしは彼に愛されているもの。わたしも彼を愛しているもの。それ以上もなければそれ以下も無い。彼の幸せをあなたは壊せるの? その覚悟があるの?」


『響さぁああんっ!!』


操縦桿を握り締め、響は涙を流していた。どうしようもなく、とめられなかったそれが彼女の答えであったとでも言うように、世界はゆっくりと動き出す。

半身のみを残したキルシュヴァッサーの突き出した刃がキルシュヴァルツの胸を貫く。それは一瞬で響の上半身と下半身を両断し、コックピットの中が血で溢れかえった。


「――――そう、あなたは結局彼を愛しきる自信も、愛される自信もない。ふふ、それがあなたの弱さ。本気で愛するのなら、他の全てを殺せる覚悟がなければね」


引き抜かれた刃。キルシュヴァルツの胸から血が噴出し、巨体が大地に伏す。

コックピットの中、口から血を零しながら響は震える手で胸元に手を伸ばす。そこにはキルシュヴァッサーの前で銀を見上げる香澄の写真があった。


『――――香澄の写真?』


まだ、桐野香澄と彼女が近くにいられた時。

海斗を失い、仲間となって生きて行く事を決めた彼女たち第三生徒会が、まだ暖かな日の中にあった時。

香澄の存在が頭の中から離れなくなった彼女は、ある日佐崎に香澄の写真を取るように頼んでいた。佐崎は約束通り写真を取り、放課後の生徒会室で彼女に手渡した。


『こんなのでよかったか?』


『うん! ありがとね、佐崎君』


『……しかし、何に使うんだ、そんなの?』


『それは……内緒かな?』


別に、心から好きだなんてその時は思って居なかった。

ただ、ほうっておけなくて。心の片隅に残しておきたくて。その姿を、忘れてしまいたくなくて。

写真を眺めて頬を緩ませている自分がどうにも馬鹿らしくて。でも、そんな日々が好きだった。

香澄と一緒にいられた時間。彼と触れ合った時間。そうした全てがそこに凝縮されているかのようで。

戦う事になっても、敵になっても、傍に居ても、記憶を失っても、愛しても憎んでもそれだけは変わらない。

過去だけはそこにあって、永遠に限りなく近い一つの形となって残り続ける――そう信じているから。

想いだけはきっと、この世界のどこかに残るから。

誰にも伝わらなかったとしても、それだけはきっと変わらないから。

写真を眺める響の脳裏を様々な景色が過ぎっていく。少女は血まみれの頬を緩ませ、眉を潜める。


「……あ……ぅ……」


香澄はずっと、自分の事など見てはいなかった。

彼が追い求めていたのは、ずっとずっと桐野秋名の姿だった。

それが形だけだとしても。それが偽りだとしても。永遠の一つの形になるのならば。響はそれを、奪う事が出来なかった。

弱さであり甘さでしかないその感情に思わず苦笑してしまう。でもきっと、これでよかったのだと思う。

彼女が気づいていた一つの未来への可能性。それを失ってしまうよりは、きっとずっと――マシなのだと思うから。


「………………ごめ……み……ん……」


私、やっぱり駄目だったよ。


言葉に成らなかった想い。響の指先から写真が零れ落ち、血の海に沈んで行く。

瞳から零れた涙は頬を伝い、朱の色に染まっていく。誰にも届かない、誰にも聞こえないその場所で、響は静かに目を閉じた。



『ぅ…………ぅうう、わああああああああああああああああああああっっ!!!!』



ありすの叫び声を浴びせられながら、銀は笑っていた。

目を細め、ただただ楽しそうに。口元に手を当て、笑っていた――――。


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