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願い、奏でて(3)


「ありがとうございます、社長」


「何だ、藪から棒に?」


如月重工本社ビル、その最上階に如月朱雀が詰める社長室がある。

ワンフロア丸々使用した広すぎる空間にぽつんと配置された高級デスクの上に両足を投げ出し、煙草に火をつける朱雀。その傍らに立つスーツ姿の佐崎が口にした言葉は、確かに唐突であった。

何の変哲もない、ただの平日の昼下がり。世界が変わる瞬間を見下ろす場所で、佐崎は如月の社員としてそこに立っていた。


「香澄たちの事を僅かな間だけでも放っておいてくれた事について、です」


「ああ……。なんだ、そんな事か。礼を口にするならお前は奴らの仲間って事だ、自重しろ。それに私は別に好き好んで連中をほうって置いているわけではない。まあ、色々と目的がある」


「……アダムを釣り上げる餌、ですか」


朱雀は吐き出す煙で輪を作りながら退屈そうにそれを目で追う。佐崎が見下ろす東京フロンティアの街は不自然な程に静まり返り、世界はその様相を変え始めている事が窺えた。


「アダムにとって香澄は無視出来ないファクターだ。放って置けばヤツは自分から香澄に接触してくるだろう」


「――フェリックス機関の機関長として、ですか」


「連中が香澄を放置するメリットは何もないからな。ここから先、やつらは記憶の無い香澄をどこまでアダムから守れるか……。まあ、時間が稼げればその分こちらもアダムを釣りやすくなる。漁夫の利ってのはいい言葉だな、劉生。両方を叩いて潰せるいいチャンスだ」


朱雀の言葉に少々複雑そうな表情を見せる佐崎。それを朱雀は当然見透かしていた。立ち上がった彼女は佐崎の肩を叩き、煙を吐きかける。


「どうした劉生? もう少ししゃんとしろ。この如月重工を乗っ取りたいんならな」


佐崎がこの場所に居る理由はシンプルだった。

香澄が記憶を失うより前から彼は如月重工に入社する事を考えていた。それは今までの延長線にあるのが如月の未来だからではなく、彼の意思によるものだった。

以前香澄に問われた未来の回等。何となくこのまま如月に入社する事になるのだろうと佐崎は考えていた。しかしその『なんとなく』という理由ではなく、今は明白な目的を持ってこの場所に居る。

如月朱雀を越える男になり、如月重工を手中に収める――。途方のない夢物語に等しいその目標だけが、今彼をここに立たせている全てだった。

この世界は香澄を拒絶した。それだけではない。世界中の沢山の命が、沢山の思想が、意思が、覚悟が擦れ違っている。誰もが己の目的と信念の為にそうせざるを得ないのだ。

だから誰もが譲れないまま、誰もが擦れ違ったまま、誰もが争い傷付けあう。ミスリルという特異事項に関してだけでも、人間はお互いを分かり合えない。

強い力こそそれを統率出来る物なのだと佐崎は考えた。如月重工がもっと自分たちにとって開かれた組織だったならば、あんなことにはならなかったのだから。

第二第三の桐野香澄の――友の悲劇を繰り返さないために今自分が出来る事。仲間たちが決めあぐね迷っている間に、彼は既にそれを見つけていた。


「……社長」


「何だ?」


「社長は……やはり、ご立派です」


佐崎の言葉に朱雀は目を丸くする。長い間如月重工の社長として生きてきた彼女が久しく耳にしなかったような賞賛の言葉だった。

純粋なその視線と敬意に苦笑を浮かべ、小さく笑い飛ばす朱雀。そうしてそのままヒールの音を部屋に響かせながら朱雀は退室していった。

佐崎は気づいていた。この如月重工という巨大な組織を……そこに込められた国や世界の期待、社員の生活、東京フロンティアとミスリルの問題、様々なもの全てを朱雀は背負っているのだと。

それら全てを守るために、それら全てに平等であるために、それらを纏めて救えるために、彼女は精一杯の努力をしてきたのだ。

誰も最初から高い場所に立っていたわけではない。その階段を上るために数え切れない痛みと血を流し、自らの道を泥だらけにして始めて見えるものもある。

そんな汚れた階段を後から上り始めた少年にとって、朱雀の行いは神聖なものであり、そして尊敬に値するものだった。そう、たとえそれが仲間たちや自分を苦しめた手段だとしても。


「……だからこそ、俺は」


それとは違う結果を出したい。

仲間たちに、そして自分に世界の答えを見せたい。

それだけが今は、彼の目的なのだから。



⇒願い、奏でて(3)



「――――だからって、仕方なかった、なんて。そんな風にきっと、自分には言い訳出来ないと思うから」


響さんはそういって膝を抱えたまま遠い場所を眺めていた。

これからの僕たちにやらねばならない事。色々とややこしい事があって、ボクらは一度状況を各々整理する事にした。

というか、気持ちに整理をつけたかった。世界の始まりのミスリルとかミスリルの王とか、そんな事を一度に言われたボクたちは、嫌でも自覚してしまった。

香澄ちゃんとキルシュヴァッサーから連なる幾重もの糸は世界中に繋がっているのだと。それが引かれた時、世界は音を立てて簡単に崩れ去ってしまうのだと。

ボクたちだけの問題ではないのだと。ボクたちだけで何とかしなければいけないのだと。戦わなければいけないのだと。

沢山のそうした事実がボクらを苦しめる。部屋の外に出て一息ついていると、遅れてやってきた響さんと自然と合流する形になった。

崩れ去った瓦礫の上に腰掛け、ボクらは世界を眺める。何もない荒野の向こう、海の彼方、空の下でミスリルと人間の戦争は続いている。とてもとても大きな流れなのだ。

響さんは言った。香澄君やボクらの問題を『仕方なかった』で片付けるつもりはないと。それは勿論、ボクだって同じ事だった。

ボクらはなんというか……本来ならば何の接点もないような集まりだ。世界の問題とかどうしようもない力の流れとか、そういうものからは程遠い。ただボクらは気づけばその運命とも呼べる歯車に引き寄せられ出会った。そして香澄ちゃんと時間を共にしたのだ。

それは仕方なかったのかも知れない。ボクらではどうしようもなかったのかもしれない。あの優しかった日々の事。どうしようもない事。今の事。でも、仕方ないって諦めて、どうにも出来ないって嘆いて生きて行くのだけは我慢できないから。


「覚えてる? 私がミスリルになっちゃった時、海斗、助けてくれた事」


「覚えてるよ、そりゃ。君もすごかったからね、あの時は」


苦笑しながら思い返す。ボクが彼女を救ったのは今からもう何年も前の事だ。

ボクはその日、初めてキルシュヴァッサーで実戦を行った。それまでは桐野秋名っていう最強のパイロットが存在したし、何かあればサブパイロットのジャスティスさんが出撃していたからボクは実戦に出る事は一度もなかった。


「あの時のボクは、自分の事が信じられなかったんだ」


ボクは、秋名ちゃんを救えなかった。

好きだったのに。それなのに救えなかったんだ。

彼女が血だらけで死んでいるのを見て、ボクはこの世界が終ってしまえばいいのにと一度は本気で願った。それくらいに彼女が大切だったんだ。

桐野秋名。昔も、あの時も、彼女はボクを守ってくれた。本当の姉のように思っていたし、それ以上に彼女の事を想っていた。

ボクと香澄ちゃんと秋名ちゃんのバランスはきっと一生崩れる事は無くて。ボクはずっと守られるだけの存在で。彼女や彼にとって取るに足らない存在なのだろうと思っていた。

でも彼女は死んだ。何で死んだのかも判らないまま、誰に殺されたのかもわからないまま。勿論憎んだ。犯人を。殺してやりたかった。

何故か見つからない犯人。死の真相……。全てが忘れられてなかった事にされて行く中、ジャスティスさんとフランベルジュはチームキルシュヴァッサーを去り、ボクは取り残された。


「でも、ボクは君に出会った。ミスリルに憑依された君と戦った。君はボクを傷付けて、涙を奪ってくれた」


「……私の所為で……本当にごめん」


「それは言わない約束でしょ? それにボク、すごく嬉しかったんだ」


必死で傷だらけになってミスリルを倒した時、全身をどうしようもない徒労感が襲った。

こんな戦ったってどうしようもないのに。誰も戻ってこないのに。そこに意味があるのかと、本当に悩んだ事があった。

でも、助けた響さんが笑ってお礼を言ってくれたから、ボクは本当に嬉しかったんだ。涙は流せなかったけど、本当に。本当に嬉しかった。


「誰かを救える力なんだって、そう思えたからね。だからボクは君がいなかったらここにはいられなかった」


「私だってそうだよ。海斗がいなかったら、ここにはいなかった。海斗が導いてくれた……私を」


「でも、ボクは君を泣かせてばっかりだったね。ほら、あの学園祭の日も……」


「う……っ! そ、あ、あれは……あれは、忘れていいです!」


「そういうわけにはいかないよ〜……ボク、すごく困ったんだもん。いきなり泣き出すからさ」


「う、あう、う……っ! うー、私の人生で恐らく一生消し去れない過去の汚点だよぉ〜……」


頭を抱えて顔を真っ赤に染める響さん。ボクは小さく笑ってあの時の事を思い出していた。

確か、体育館でやってた演劇を見てボロ泣きしちゃったんだよね。他に号泣してる人なんていなかったから、響さん目立ちに目立ってたっけ。

昔の事を思い出していたらなんだかとても何とも言えない気持ちになってきた。懐かしいような寂しいような……言葉に出来ない不思議な感覚。響さんも同じだったのだろう。遠い場所を眺めながら少しだけ寂しげな笑顔を浮かべていた。


「なんか、すごく懐かしいです。ついこの間の事みたいに感じるのに……すごく遠い場所みたい」


「ボクも同じ気持ち、かな」


二人でお互いの顔を見つめあい、微笑んだ。それから響さんは徐に立ち上がり、それから振り返って言う。


「海斗、知ってました?」


「うん?」


「私が海斗の事、好きだったって事」


風が吹いてボクらの間を通り抜けて行く。

彼女の少しだけ寂しそうな視線。ボクはそれを見つめたまま、息を呑んだ。


「気づいてて、それでダメだったんだよね。わかってたんだ、ほんとは。私なんかじゃ、ダメだって」


「…………その……。なんていうか……」


「あ、いいんです。別に責めてるわけじゃなくて。ほら、昔話って言うか……何となく、そんな気分だっただけで」


「……うん」


結論から言えば、彼女の好意には気づいていた。

でも、ボクは彼女のように真っ直ぐなんかじゃない。沢山の嘘偽りの上に立っている。誰かの犠牲の上に立っている。

彼女とボクとではあまりに違いすぎた。ボクもきっと香澄ちゃんを追い詰めた人間の一人だ。ボクは彼を信じきる事が出来なかった。いや、香澄ちゃんが実際に記憶を失ってしまうまで、ボクは彼を微塵も信じていなかったのかもしれない。

信じたいとか信じるとか、疑いたくないとか疑うとか。そういうの、とても複雑で。自分でも気づかないうちに嘘をつくのが上手くなって。誰かに合わせるのが上手くなって。

香澄ちゃんを利用していたのはボクも同じだ。ボクは真実を知るために彼の存在を必要としていたのだから。桐野秋名へと続くルーツを求めていたのは、彼もボクも同じなのだから。

その所為で彼が傷ついて彼が失って彼が涙を流して彼が怒って彼が苦しんで彼が戦って彼が戻らないというのなら、その責任はボクにだってある。

守れるだけの力を彼の為に使わなかった。だから今口先だけの友情ではなかったのだと信じる為に、ボクは彼の為に出来る一から十までの全てを行わねばならない。

それが今のボクに出来る誠意であり、今のボクが望む正義だから。


「海斗、ちょっとかっこよくなったね」


「へっ?」


「いや、前からかっこよかったけど。でも今なんか、前よりすっきりした顔してます」


「そう……かな?」


「そうだよ」


微笑む響さんは確かに可愛かった。思わず見つめていると顔が赤くなる。

ボクらはもう少しお互いの事を知るべきだったのかもしれない。そうすればまた違った未来が、ボクらの前には残されていたのかもしれない。

でも今はそうはいかないから。嘘の上にあるボクたちは、戦わねばならないから。彼女の好意には応えられないし、それに……。


「好きなんでしょ? 香澄ちゃんの事」


「えっ?」


「最近すごく甲斐甲斐しく世話してるもんね、響さん。香澄ちゃんも普段からアレくらい素直だったらいいのにね」


「そ、そういうわけじゃ……いや、うん……。ああもう、なんかいいや」


「うん?」


「えっと、うん。いや、好きなんだろーなーって、思って……。香澄君、やっぱなんか大事なんだよね。気づいたら香澄君のことばっか考えてたんだ、私。やっぱそういうの……恋とか、言っちゃうんだろうね」


「……そっか」


「私も馬鹿ですよね! せっかくかわいいんだから、もうちょっとまともな人を好きになればよかったのに!」


「そうだね。そういえば君、学校内で結構人気あったんだよ? 知ってた?」


唖然とする響さん。多分冗談で言ったんだろうけど、逆に顔を真っ赤にしている。口をぱくぱくして、そのままその場に座り込んだ。


「…………はああぁぁぁ……。なんなんだろうなぁ、私……」


「……なんなんだろうね、ボクらは」


笑ってしまうほど、ボクらは単純で。

世界のことや戦うことなんて意味のない事に思えるほどに。

その全てが本当は大切で掛け替えのないもので。

わかってるくせに、失うんだ。


「報われない恋でもいーんです」


膝を抱えたまま彼女はそう言って苦笑する。


「好きだった想いだけ、心に残しておきたいんです」


たとえそれが届く事が無くとも。


「それはきっと、やっぱり大切な気持ちなんだと想うから」


彼女のその言葉の意味を、ボクはきっとまだちゃんと理解していなかった。

だからボクらはその時、多分ちゃんと分かり合えてなかった。

そして後でボクは思う。もっとちゃんと、彼女を理解できればよかったのに、と――。

激しい物音でボクらは同時に振り返った。互いに顔を見合わせ同時に走り出す。

家の扉を開くと、そこにはフェリックス機関の制服を着用したエドゥワルドの姿があった。彼は正面に立つイゾルデと銃を向け合っている。


「海斗! 香澄が!!」


その言葉を聞いて弾かれるように走り出したのは響さんだった。ボクは思わず足を止め、イゾルデに視線を送る。


「あたしは大丈夫だから」


「……わかった」


窓の向こう側、空に突然ジルニトラの姿が浮かび上がる。迷彩を発動されてしまえば、真上にいたって気づく事は出来ない。

舌打ちして駆け出した。彼らがわざわざこんなところに来る理由があるとすれば、それは香澄ちゃんだけしかない。

階段を駆け上がると香澄ちゃんの傍らにはフランベルジュとジャスティスさんが立っていた。二人が居るのならば安心だし、とりあえず香澄ちゃんに変わった様子はない。

ほっと一息ついた間にボクが見たのは窓の向こう側に突然姿を現した紅いミスリルだった。巨大なそれの牙の合間から蒸気が漏れ、拳が振り上げられる。


「――――香澄ちゃんっ!!」


走り出しても既に遅い。叩き込まれた拳はボクらを滅茶苦茶にふっとばし、ボクは壁に背中を強打して血ヘドを吐く羽目になった。

自分でも生きているのが奇跡的だとしか思えないが、とにかくボクは無事だった。向こうも香澄ちゃんが居るのを見て手加減したろうから、即死って事はないだろうけど。


「……ごほっ! う……っく……っ」


想像以上の痛みに身体が起き上がらない。香澄君はどうなったのか確認する為に顔を上げると、蒼いミスリルが既に紅いミスリルと刃を交えていた。

フランベルジュ……それにパイロットがパートナーのジャスティスさんなら、あれは二人に任せてもいい。二人が自主的に戦っている所からしても、紅いミスリルがテスタメントのマグナスであることは明白だ。

煙と壁の残骸の中、立ち上がる。香澄君は……響さんに抱きかかえられるようにして倒れていた。香澄君は気を失っているのか、ぐったりした様子だったが特に外傷は見当たらなかった。


「響さん……! とりあえず、ここから移動しよう! 外のマグナスはほっといてもフランベルジュが食い止めるから!」


そう言って響さんの傍らに近づいてボクは言葉を失った。

彼女の全身には硝子やら何やらが突き刺さり、服は血に染まっていた。香澄君を庇ったのか、背中からはぼたぼたと血が流れている。

背筋がぞっとするのを感じた。悪寒の正体にボクは気づいていたけれど言葉にならなかった。響さんは青い顔でボクに微笑み、香澄ちゃんをボクは確かに彼女に任された。


「響さ……」


「香澄君をお願い。戦える人は、戦わなくちゃ」


「待って!! 手当てすればまだ間に合うっ!! そんな命を捨てるような戦い方、しちゃだめだっ!!」


「――間に合わないんだよ、海斗。敵は――あのキルシュヴァッサーなんだから」


ジルニトラから発進したキルシュヴァッサーが翼を広げ見る見る迫ってくる。部屋に突っ込んでくるかと思った刹那、横から割り込んできた黒い影がキルシュヴァッサーを吹き飛ばした。


『響さん!』


「ありすちゃんのキルシュヴァルツか……!?」


伸ばされた巨大な黒い手に飛び乗り、響さんは風の中に姿を晒す。

どうしてあんなに凛とした表情で居られるのだろう。あれだけ傷を負っているのに、どうしてあんなに真っ直ぐで居られるのだろう。

ボクには理解出来なかった。彼女の底知れない決意や深い愛情のようなものを。キルシュヴァルツとキルシュヴァッサーの戦いが始まり、ボクは香澄ちゃんを背負う。


「今は、逃げなきゃ……っ」


地鳴りが響いた。遠い空、ジルニトラから放たれる光の砲弾が大地を抉り削っていく。爆発の中、ボクは慌てて階段を下りて一階に向かった。

一階は銃撃戦になっていた。物陰に隠れて銃を撃つアレクサンドラとその向かい側に構えるエドゥワルド。心配だったが、香澄ちゃんを奪われれば全てが終る。ボクは歯を食いしばり、その場を立ち去った。

裏口から飛び出し、懸命に荒野を走る。瓦礫の山と廃墟だらけのスラムまで逃げ込んでしまえばいくらなんでもそう簡単には見つからないはずだ。ボクは必死で荒れた道を駆け抜けた。

駆け抜けようとするその先、向かい側に立つ一つのシルエットがあった。白いタキシードを身に纏った若い男だ。彼は駆け寄り足を止めるボクに振り返り、それから腕を組んで言った。


「進藤の息子か……。久しいな」


思わず息を呑んだ。慌てて振り返り、背後の香澄君を見つめる。それからその男の顔を見て、ボクは絶句した。

目の前に立っているのは桐野香澄そのものだった。香澄ちゃんよりも若干大人びたその表情は、それでも二十代前半にしか見えない。香澄ちゃんがあと数年経てば目の前の男になると確信できるほど、二人は酷似していた。


「俺の息子を返してもらいに来た」


「…………アダムさん……なんですか?」


ボクは覚えている。子供の頃、彼は隣の家に住んでいたのだから。

でも、おかしいじゃないか。なんで……どうして、彼は十年も前と見た目が一緒なんだ?

全く歳を取っている様子が見えない。それにどうしてここまで香澄君に酷似している? わからない、何がどうなっているのか――。


「……まさか、そんな」


その時ボクは一つの結論に達してしまった。目の前の男が全く老化していないという疑問。それは――彼がミスリルであるという答えで払拭出来る。

男が動いた。革靴を鳴らし、歩いてくる。たった十メートルも離れていない距離を、彼はゆっくりと迫ってくる。

急ぐでもなく、焦るでもなく。ボクらを捕まえることなんて意図も容易く出来るのだと確信しているかのような、悠々自適な足取り。


「抵抗しなければ、別に何もしない。お前も俺の可愛い息子みたいなもんだからな」


「息子……? は……?」


「小さい頃、世話してやったじゃねえか。それに、お前を作ったのは俺だからな」


作った?


「何だ知らなかったのか? 不自然には思わなかったのか? 自分がいつミスリルなんぞに感染したのか」


いつミスリルに感染したか?


「答えはシンプルだ。お前が母親の胎内に居る時には既にミスリルに感染……いや、適応していたんだよ。そういう実験をしたからな、この俺が」


「あなたは……」


「そうだ、進藤海斗」


ボクの目の前に立った彼は両手をポケットに突っ込んだまま口元に香澄君と同じ……しかし絶対的に異なる悪意を湛えた微笑で言う。


「――俺が、この世界の敵だ」


逃れる事の出来ない運命。

それが今、ボクの目の前にあった。


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