ノーウェイ、アウト(3)
カオス戦闘。
「――――っふ! ふはっ! あっはははははははっ!!」
ジルニトラの格納庫に響き渡る女の笑い声。ジャスティスは眉間に皺を寄せながら舌打ちし、それを睨みつけていた。
銀色の髪の少女は香澄の隣に寄り添い、その腕にそっと手を絡める。卑劣と呼ぶに相応しい、ジャスティスを見下す笑顔……。そこには既に、桐野秋名の面影などありはしない。
灰色の床の上、鮮血の雫がぽたりと音を立てて落ちる。桐野香澄の指先から放たれた何かはジャスティスの右腕を掠り、鋭い切り傷を残していた。
止め処なく溢れ出る血液に冷や汗を掻きながらジャスティスは傷口を素早く上着を裂いた布で縛りつける。桐野香澄はそんなジャスティスの様子を虚ろな瞳で見つめていた。
「残念だったね、ジャスティス……。いや、ディーン・デューゼンバーグ。もう少しだけ早く気づいていれば良かったのに」
「あぁ? とっくに気づいてたさ。俺様を舐めんじゃねえぞミスリル! てめえはただ泳がせて置いてやっただけだよッ!!」
「マスターッ!!」
背後からスカートを靡かせながら走ってくるフランベルジュはジャスティスに鞘に収められたサーベルを投げ渡す。左手で受け取り、そのまま流れるような動作で片手で刃を抜いたジャスティスは切っ先を銀色の少女へと向けた。
「泳がせていた? ではこの状況も想定済みかしら」
「いや、これは想定外だった。もう香澄がそこまでお前に侵食されてるとは流石に思って居なかったんでな」
「無理もないわ……。本音を言いなさいよ、ジャスティス。貴方、秋名の弟だからって躊躇したんでしょう? さっさと殺せば良かったのに……。ふふ、だからダメなのよ、貴方」
頬を歪ませ笑う銀。ジャスティスは舌打ちする。正面に立つ香澄の全身から淡く光が溢れ出し、形容し難い威圧感が男を襲った。
それはミスリルが持つ力。桐野香澄の身体の中にある、彼本人の力であり、そしてキルシュヴァッサーの能力。空間と時間を歪め意のままに操る力。最強と呼ぶに相応しい力。
香澄の髪色が見る見る銀色に染め上げられていく。いや、それは彼本人のみしか知らない事実。彼は元々、地毛で銀髪だったのだ。
ただそれで目立つのが嫌で染めていただけの話。それは本人が意図したかどうかさえ無関係に剥がれ落ち、偽りの形を失っていく。
「三年前、貴方がもうちょっとしっかりしていれば秋名も死なずに済んだ……そうでしょう? 今更どの面提げてこの子の前に立つの?」
「けっ! てめえの口車に乗せられるとでも思ってんのかよ? まぁ、実際俺は甘かった。俺がついてれば……。そいつに背負わせる事も無かったんだからな」
男の脳裏に三年前の景色が過ぎる。桐野香澄が桐野秋名を殺した瞬間が。その目の前で香澄が涙を流す瞬間が。
ジャスティスもまた、子供だった。今でも彼は子供の心を忘れてはいない。だからこそここにいる。ここに立っている。彼女の弟の前に。
「ぶっちゃけ、俺は香澄の事が気にいらねえ。あいつの弟だったら、このくらいの逆境ぶっとばしてナンボってもんだろ? 甘ったれていつまでもねーちゃんのオッパイ追っかけてるようなそいつに俺がしてやりたいことは何もねえ。だが……お前は別だ、銀」
「復讐でもするつもり? こんなところで? 貴方だって泳がせていたのには狙いがあるんじゃないの? 敵陣のど真ん中、たった一人で戦うつもり? 馬鹿? 馬鹿なの? うふふ、あーあ、おばかさんなのね、ジャスティス」
「そいつぁ俺にとっちゃあ褒め言葉だぜ、化け女。こちとら馬鹿歴二十一年ッ!! 骨の髄まで馬鹿一直線だ!!」
剣を十字に振るい、それを胸の前に掲げる。蒼い瞳が香澄と銀を捉え、男は静かに口を開く。
「――祈れよ。それくらいの時間は与えてやる」
「生憎ね。わたしに――祈るべき神はいないもの」
「そうかい! だったら地獄の意味を教えてやるよ! アルベドォッ!!」
サーベルを構えたジャスティスが駆け出した刹那。
銀の背後に浮かび上がった巨大なキルシュヴァッサーの拳が、男目掛けて振り下ろされた。
激震が、ジルニトラへと広がっていく――。
⇒ノーウェイ、アウト(3)
「香澄が……操られている可能性?」
響の言葉にイゾルデは眉を潜める。
空を舞う如月重工の巨大な輸送機。そこに吊り下げられる形で輸送されるキルシュヴァルツと不知火のコックピットの中、二人は会話を交わしていた。
正面には未だに迷彩で全身を覆うつもりがまるで見えないジルニトラがゆっくりと移動を行っている。雲の向こう側に見え隠れする真紅の龍に響は目を細める。
「香澄君はいつも不安定だった。何が不安定って、なんていうか……人格が不安定だった。感情の起伏とか、自分の善悪観念が上手く理解出来てないっていうか……定まってない。仲間が大事だって本気で言ってるのに、仲間に平然と刃を向ける。矛盾してるでしょ? こんなことってある?」
「人間ならば誰でもありえる事だろう。一貫した思考、思想、観念。それらを連ねたまま生きて行くのは至難の業だ」
「でも、桐野香澄が固めた決意は本物だった。私たちは香澄君の一生懸命なところをずっとみてきたよね? それともイゾルデはあの香澄君の真剣な顔も言葉も全部嘘だったっていうの?」
「……それは」
「『嘘』なのは、香澄君の決意じゃなくて……彼の行動だったとしたら? それに、私はやっぱりこの戦闘に納得が行かないよ。どうして政府も如月重工も彼を抹殺しようとしているの? あれほどまでに強力な結晶機と適合者を手放してまでもみ消したい事実って何……?」
イゾルデは息を呑んだ。モニター越しに響は真剣な眼差しでイゾルデを見つめている。
彼女は知っている。結晶機と適合者の真実。如月重工がそれを適合者に隠しているという事。だがそれは彼女の恩人でもある如月崇行の為である。口を割るわけにはいかなかった。
だが、イゾルデとて疑念は抱いてきた。桐野香澄の持つ危うさの正体とて彼女は薄々感づいていた。それでも黙ってきた。それが余計な余波を生むと信じて。
響は真っ直ぐだった。本当に真っ直ぐにイゾルデを見つめている。その瞳に応えられない自分が何よりも腹立たしかった。
「香澄君はただの適合者じゃないし、キルシュヴァッサーもただの結晶機なんかじゃない。でも人間はそれを管理下に置きたがっていた。それは強い力だから? 暴走する不安定さを抱えたまま? もっと何か他の目的があったのだとしたら? 桐野香澄とキルシュヴァッサーの中に、私たちが知らないもっと何か重要な秘密があったとしたら……?」
「響……」
「ねえ、私たちは正しいの? 香澄君に全ての悪意を押し付けて。彼一人を悪者に仕立て上げて。それで私たちはいいのかな。それで幸せになれるのかな」
響は唇を噛み締める。笑いながら響を否定した香澄。涙を流し助けを求めていた香澄。守りたいと笑って恥ずかしそうにはにかんだ香澄。どれも本当の香澄。
敵を殺す事に躍起になり、話が通じなくなる香澄。暴走し、キルシュヴァッサーで暴力の限りを尽くす香澄。人類全てを、ミスリル全てを滅ぼそうと願う香澄。そう、どれも本当の香澄。
でも、そうじゃない。そうではない。何かもっと、世界全体の悪意が香澄を絡め取っている気がする。彼の善意を握り潰すかのようにまきついた沢山の鎖その一つ一つが、本当は自分たちにも繋がっている。
「キルシュヴァッサーって、何? ねえイゾルデは何か知ってるの……? 木田君は? 佐崎君は?」
「…………」
「人間はミスリルに何をしたいの……? 何をさせたいの……? ミスリルって何? 結晶塔は? ねえ、本当は人間は何かを隠しているんじゃないの? 戦っている私たちにさえ……言えない何かを」
もしもそれが。その世界の憎しみが。人間の生み出したものが、桐野香澄を苦しめているとしたら。
「それを彼一人のせいにして、私は笑って明日を迎えられないよ」
「――あら? 随分と立派になったじゃない? フランベルジュ。飼い犬の首輪の具合はどう?」
キルシュヴァッサーの拳を受け止めていたのは蒼い装甲を持つミスリルだった。格納庫内で取っ組み合う二機のシルエットは船体を大きく揺らし、ぶつかり合う。
『……貴方とは戦いたくなかったのですが。マスターの無計画な行動にはほとほと困りますよ』
二つのシルエットは同時に両手に剣を携え、そしてそれを激突させる。激しい鍔迫り合いの下、ジャスティスは銀目掛けて一直線に駆け寄っていた。
「アルベドォオオオオオオッ!!」
振り下ろされた刃はしかし目には見えない銀色の光によって拒絶される。サーベルを弾かれた瞬間、ジャスティスの顔面を香澄のハイキックが襲う。
盛大に吹き飛ばされたジャスティスはサーベルを投げ捨て、徒手空拳で香澄の攻撃を受ける。しかし男に反撃する様子は見られなかった。
「どうしたのかしら、ジャスティス? 香澄相手じゃ戦えない?」
「お前かんっぺき悪役だぞそのセリフ……!! 香澄ッ!! てめえも男なら自分でなんとかしやがれっ!!」
『マスター!』
「貴方の相手はキルシュヴァッサーでしょ? 余所見をしないの」
『ぐうっ!?』
キルシュヴァッサーの脚がフランベルジュの腹部に減り込む。二機は剣をぶつけ合い、その切っ先がジルニトラの壁を貫き切断した時、船内に鳴り響く警報の音がよりいっそう大きくなった。
火花を散らしながら激突する蒼と銀のシルエット。けたたましく鳴り響くサイレンの中、甲高い鋼を打ち合わせる音が船内に響き渡る。
「貴方たち変わらないわね。三年前のあの時からずっと同じ。甘ったれた子供のままだわ」
「う……っせえ馬鹿! 誰がガキのままだってぇ!?」
ジャスティスの繰り出した拳が空を切り裂き香澄に迫る。しかし少年はそれを腕で防ぎ、受け流していた。
二人が同時に放ったハイキックが交差し、ジャスティスは目を見開いた。驚きを隠せないのも無理はない。それは既に人間の動作を軽く踏破していた。
「香澄は貴方と同じ適合者……つまりミスリルよ? 肉体の作りがその辺の人間と同じだと思ったら大間違いね」
「めんどくせえな……」
『マスター! 香澄よりも先にアルベドを!』
「あいよォッ!!」
空中に出現した無数の巨大な剣が香澄の周囲に降り注ぐ。火花を散らして倒れる刃に捕まって空からアルベド目掛けて降下するジャスティスの姿があった。
巨大な結晶の塊である剣を片手を翳して吹き飛ばすアルベドに降されるジャスティスの足先。目には見えない壁で防がれるそれに舌打ちを隠せない。
「てめえ……」
「停止時間による結界、とでも言おうかしら? わたしに触れることは叶わないわ、ジャスティス。例え相手がこの世の神だったとしても」
「だったら俺は神より強くなりゃいいってこったろうがっ!!」
雄叫びと共にジャスティスの手足が停止時間の壁に連打される。そんな物は当然無駄だったが、男は諦めが非常に悪かった。
不快そうに眉を潜め、銀は片手を翳す。拡大された停止時間の壁に押し戻され、よろめくジャスティスの背中目掛けて香澄が迫っていた。
拾ったらしいジャスティスのサーベルで切りかかる香澄。その二人の男の間にフランベルジュの放った巨大な刃が突き刺さり道を封じる。
「いいわね、コンビネーション」
「最高のパートナーだ! 愛してるぜ、フランッ!」
『馬鹿言ってないで逃げる算段をつけてください! このままじゃあれを倒せないでしょうっ!』
実際フランベルジュに余裕はなかった。適合者を失い能力を制限されているとは言え、史上最強の結晶機であるキルシュヴァッサーが相手なのだ。正面からまともに剣を交えるだけでも一世一代の殺陣劇である。
「ちょ、ちょっと!? あんたたちここで何してんのよ!?」
「サザンクロスか!?」
背後にいたのはサザンクロスだけではなかった。無数の武装したフェリックス機関構成員に加え、海斗やアレクサンドラの姿もある。
戦っているのが香澄と銀である事を認識した瞬間、アレクサンドラはエルブルスの名を叫んだ。瞳に火を点し動き出したエルブルスの巨大な拳が背後からフランベルジュを吹き飛ばし、そのまま壁に叩き付ける。
揺れる船内でジャスティスはフランベルジュを危惧する。しかし正面からは香澄がサーベルでジャスティスへと切りかかり、背後からは拳銃を構えたアレクサンドラが走ってきていた。
「おい、卑怯だろお前らっ!?」
「香澄から離れろッ!!」
「南無三っ!!」
引き金を引こうとするアレクサンドラ。その場に屈んだジャスティスは香澄の足元を払い、腕を捻り上げて正面に拘束する。香澄を盾にするようにアレクサンドラに見せ付けると少女は表情を真っ青にして銃を降ろした。
「卑怯者……っ」
「だあっはっは!! なんとでも言いやがれお嬢ちゃん! 病院から抜け出す手伝いしてやったの忘れやがって! 俺が正義だざまーみろ!」
『何子供みたいな事言ってるんですかマスターッ!!』
「ディーンさん、何やってるんですかあなたは!? フランさんも! ボクに説明してください! 今何が起こってるんですか!?」
「手を貸せ海斗! このままじゃ香澄はえらいことになっちまうぞ! お前、香澄を助けたいんだろうが!」
「は、はあ!? だからってなんであなたがここで香澄ちゃんを人質に取ってるんだってば!?」
「全員動くんじゃねええええっ!! 桐野香澄の首を圧し折られたくなかったら黙って俺らを行かせやがれっ!!」
完全に状況は混乱していた。頭を抱えるサザンクロスと状況が理解出来ずに戸惑う海斗。香澄を人質に取られ泣き出しそうなアレクサンドラと、格納庫内で暴れまわる三つの巨大なシルエット。全く収拾のつかない地獄絵図のような景色の中、言葉が響く。
「――俺に構わずこいつを殺せ、アレクサンドラ」
「……香澄?」
腕を捻り上げられ拘束されたままの香澄は何の表情も無くアレクサンドラに告げる。少女が首を横に振ると、抑揚のない口調で繰り返した。
「この男を殺すんだアレクサンドラ」
「出来ない……」
「大丈夫だ。俺は死なない。銃で撃たれたくらいじゃな」
「そんな……何、言ってるの……? 香澄……? そんなの、すごく痛いよ……?」
「……俺の言葉が聞こえないのかアレクサンドラ」
涙を流しながら首を横に振るアレクサンドラ。香澄は小さく息を付き、それから笑った。
「――なら、仕方がないな」
直後、膨大な量の血液がぶちまけられた。
キルシュヴァッサーから投げつけられた投擲用の短刀が二人の胴体を完全に貫いていたのである。
巨大な刃に貫かれ、香澄の口から大量の血が溢れ出す。それは香澄だけではなく、同時に貫かれたジャスティスも同じであった。
その場の誰一人としてその状況に身体を動かす事が出来なかった。振り返るジャスティスの口元から血が零れ、視界の端で銀が笑う。
「いやああああああああああああああああっ!?」
頭を抱えたアレクサンドラの絶叫が響き渡り、エルブルスはその声に反応して拳を振り上げた。
振り下ろす先はしかしジャスティスではない。桐野香澄を傷付けた、キルシュヴァッサー。その足元で命令を下した、一人の少女目掛けて。
しかしその拳は届かない。キルシュヴァッサーの放った一撃が腕を切断し、巨体を壁に刀で釘付けにする。その一瞬の隙を突き、フランベルジュはミスリル化を解除した。
「マスターッ!! マスタアアアアアアアッ!!」
「香澄ちゃん!!」
二人の人物が叫び声と同時に駆け出した瞬間。布陣を敷き、銃を構える無数のフェリックス機関員の姿があった。
全てがスローモーションになる。全員の時間間隔が圧縮された命がけの刹那、槍衾の前に飛び出したフランベルジュが大地に手を当てる。
激しい銃弾の雨を遮断するには心許ない蒼い結晶が彼女たちを覆った。それでも庇いきれぬ弾丸を防ぐため、振り返って香澄の前で両腕を広げるフランベルジュ。しかしその胸を香澄のサーベルが貫いていた。
香澄は全身を震わせ、口元から血を止め処なく溢れさせながら、青い表情で微笑んでいる。フランベルジュは歯を食いしばり、雄叫びと共に刃を深く胸元へと突き刺した。
二人を貫いている巨大な刃を素手で掴み、ジャスティスの肩へ手を回す。凄まじい怪力でそれを引き抜き、血を吐いてフランベルジュの身体はゆっくりと崩れ落ちた。
「――――フランさあああああんっ!!」
結晶の影、銃弾の雨に晒された海斗が駆け出す。激しい銃声の雨の中、倒れるジャスティスとフランベルジュ。やっとの状態で立つ香澄はサーベルを振り上げ、震える腕で海斗を切り裂こうと接近する。
「君は――ッ!! これ以上、もう!! そんなことはしなくたって、いいんだっ!!」
海斗の繰り出した蹴りが腕から刃を奪う。弾き飛ばされた血に染まったサーベルが弧を描きながら宙を舞い、刀の束縛から強引に解き放たれたエルブルスの重力攻撃がキルシュヴァッサーを吹き飛ばす。
過負荷を受け吹き飛んだ壁。エルブルスはキルシュヴァサーに掴みかかる。その瞬間、海斗は香澄とフランベルジュを背負っていた。
「海斗、こっち!!」
ジャスティスを背負ったサザンクロスの声に反応するよりも早く、海斗は真っ白な思考のまま格納庫から飛び出していた。少年の影は、大空へ投げ出される。
「うわああああああっ!?」
雲を抜け、投げ出された大空。目下には追跡してきていた如月の輸送機の姿が。そして上空には彼らを追うキルシュヴァッサーと、それと戦うエルブルスの陰。
エルブルスの肩の上、アレクサンドラは何かを叫びながらキルシュヴァッサーと戦っていた。しかし彼女が何を叫んでいるのかは誰にも判らない。あるいは言葉にならない叫びだったのかもしれない。
目を開けていることさえ辛いような凄まじい風の中、海斗はサザンクロスに手を伸ばす。何度かふれあい、そうしてようやく繋がった二人の手。引き合う彼らを守るように、空を舞う漆黒の翼の影があった。
「海斗君……!? 生きて……!?」
「……響さん!?」
『お兄ちゃあああああああんっ!!』
キルシュヴァルツの両手が彼らを包み込む。そのキルシュヴァルツの肩を踏み台に大空へと舞い上がった不知火が太刀を振りぬきキルシュヴァッサーに背後から斬りかかる。
「不知火……イゾルデ?」
「手を貸せアレクサンドラ!! この化物を退けろッ!!」
二人は一瞬で一致団結した。巨大な槍と巨大な太刀。二人はよろめくキルシュヴァッサーに対し、同時に刃を振り下ろす。
「「 ああああああああっ!! 」」
武器を突き刺し、振りぬかないまま二機は落下していく。キルシュヴァッサーは身体を大きく二箇所貫かれ、姿勢を乱したままあらぬ方向へと落下して行く。
「くっ!」
飛行能力を持たない不知火とエルブルスは翼を広げて飛翔するキルシュヴァルツに頼るしかない。しかしキルシュヴァルツは両手に人間を乗せている。つかまれる場所は脚しかなかった。
爪先にしがみ付き、エルブルスに手を伸ばす不知火。二機の手は空中で重なり、しかし逸れてしまう。
「アレクサンドラッ!!」
イゾルデの絶叫が空に響き渡る。自らも手を離し、エルブルスと共に落下する不知火。その真下の雲を突き抜けて、浮上してくる輸送機の姿があった。
巨大な輸送機の背中に落下したエルブルスは上部装甲を吹き飛ばしながら転がっていく。イゾルデは眉を潜め歯軋りし、祈るような気持ちで輸送機にクナイを突き刺した。
「捕まれアレクサンドラ!!」
「…………く、うう――っ!!」
二機は空中で指を絡める。しかし衝撃に耐え切れず輸送機は黒煙を巻き上げ、炎上しながら墜落していく。
雲の向こうに消えるその姿を見下ろし、響は輸送機の予想落下地点へと急ぐ。そんな彼らの姿をジルニトラに空けられた大穴の向こう側、銀は無表情に見下ろしていた。
――――あ?
何だ?
何が、どうなった……?
「 」
わけがわからない……。え? 誰か呼んでるのか?
「 」
ああ。聞こえないんだ。よくわからなくて……。ごめん。でも、わからないんだ。何を言ってるんだ……?
「 」
つーか……何? 俺どうなった? マジでわかんねえ。全然記憶にねえ。
ジャスティス……そうだ、あの変な男が乗り込んできて……それで……。
だめだ、わかんないな……。はあ……。ほんと、どうなってんだろうなあ。
思えば今までずっと滅茶苦茶だった。ワケわかんないことばっかで、戸惑ってばっかりで。ああ……でも、楽しかった。あれで、よかった……。
また皆で、学園際したり……。合宿行ったり……したかったな。生徒会の活動ってほんとめんどくさくて……でも、充実してた。
退屈しなかった。それだけでも意味あったよな? 家に帰れば、ありすがいて……。小さくてあったかいんだよな、ありすって……。
ああ、ほんと俺何やってんだろ。全然もうわけわかんねーよ。俺、これでよかったのかな? こんなんで俺……幸せだったのかな。
「 」
誰だよ、うるさいな。
そんな大声出さなくても、わかってるって。
でも、だからさ。身体うごかねーんだって、マジで。これは俺の意思じゃどうしようもないんだって。
つーか、寒いな……。なんだこれ。よく、わかんないな……。俺、どうなるんだ……。
全然、考えられない……。誰かに、触れていてほしいよ。寒くて、一人ぼっちで……何もわからなくなるなんて嫌だ。
誰でもいい。抱きしめてほしい……。一人じゃないって言ってほしい……。それだけで俺……ああ。皆がいてくれるだけで、俺は……。
それだけで、よかったんじゃないか――。
雲の合間から差し込む日差し。ぽっかりと空に明いてしまったようなその穴の下、桐野香澄は雪を血に染めて眠っていた。
「香澄君! 香澄君! 香澄君、香澄君! かすみくんっ!!」
「香澄! 香澄……! 香澄ーっ!!」
「香澄ちゃん! お願いだ、しっかりしてよ……! ねえ、応えてよっ!! 嫌だよこんなの……香澄ちゃああんっ!!」
誰もが香澄に縋りつき、涙を流していた。
止め処なく溢れる血は彼の体温をどんどん奪っていく。
だというのに、少年は穏やかな表情で眠っていた。
長い間、彼の心を縛り付けていたものから解き放たれたのかもしれない。
或いは彼の中で、何らかの迷いに対する答えが出たのかもしれない。
だが、それは彼らには伝わらない。涙を流して叫ぶ彼らの声が彼に届かないように。彼の思いは、誰にも届かなかった。
「やだよ……目を開けてよ……。不機嫌そうでいいから、一緒に居てよ……! 生意気でいいから、また笑ってよぉっ! 香澄君! 香澄君――――ッ!!」
大空に叫び声が木霊する。
誰にもどうにも出来なかった運命が、皮肉にも空を蒼く澄み渡らせていた。