チーム、キルシュヴァッサー(1)
結晶塔。 それは昼も夜も光を帯びては町を照らし出す不思議な鉱石。
地球上に存在しないそれは様々な特殊な性質を有し、その美しさは見る者を魅了する。
そんな結晶塔が東京の名物になるのはごく自然な流れだったのかも知れない。 周辺に集まる観光客は結晶塔を見上げたり写真撮影をしたり、各々の楽しみ方でそれと対峙する。
そうした人々の中、何をするでもなく結晶塔を見上げる子供の姿があった。 幼い子供、歳は十にも満たないだろう。 光を吸い込んでは放つような金色の髪を風に靡かせ、ぼんやりと塔を見上げる。
「君、どうかしたの?」
こうした観光地で小さな子供が一人でぼーっとしていると、迷子ではないかと声をかける人間は少なくないだろう。
実際その少年は迷子だった。 行く当ても無く、家族も無い。 だから呆然と立ち尽くす事しか出来ない少年の瞳がゆっくりと動き、隣に立った女性に向けられた。
「迷子かな? お母さんは? お父さんは?」
屈んで少年と視線をあわせる女性。 ゆっくりと少年の瞳を覗き込み、そのあまりの美しさに思わず目を奪われる。
吸い込まれるように奥へ奥へと誘うような深い色合いの金。 世界中のどの人種もそんな色はしていないだろう。
少年はふっと、柔らかく無邪気に微笑んだ。 それから小さな手を伸ばし、女性の頬に触れる――。
「あれ?」
彼女の異変に気づいたのは同行して来ていた男性だった。 数名の男女で旅行にやってきていた彼らはグループの一人が居なくなっている事に気づく。
「さっきまであのへんに……あ、いたいた」
女性は立ち尽くしていた。 結晶塔を見上げ、ぼんやりとした視線で。 その様子に違和感を覚え友人たちが駆け寄るが、女性はそれにさえ気づかない。
「おーい? どうした、気分でも悪いのか?」
ゆっくりと、瞳が動く。 女性はぼんやりとした様子で眉を潜め、それから呟いた。
「――――あなたたち、誰だっけ?」
その場に背を向け歩く少年は無邪気に笑っていた。 しかしその様子は先ほどまでとは違い、優しげでより暖かな感情を浮かべているように見える。
「君……どうか、したの?」
呟いた少年の声は人の波の中に掻き消されていった。
⇒チーム、キルシュヴァッサー(1)
「おはようっ! 香澄ちゃん!」
「…………死ね」
馬鹿馬鹿しい転入初日から数日。 今日も東京フロンティアは平和です。
ここでの生活に慣れようと必死で努力する俺の日常を阻むのは過去からの刺客……。 今日も一日頑張ろうと家を出た俺を待っていたのは、海斗の笑顔だった。
思わず作り物の笑顔が凍りつく。 小さく小さく呟いた言葉は流石に聞こえなかったようだが、無邪気に首を傾げている。
こんな生活が既に何日も続いている。 あの翌日からずっと、だ。 頭がどうにかなりそうだというのに、俺の日常を守る最後の盾であるありすは、
「あ! 海斗くん、おはよーっ!」
「うん。 おはよう、ありすちゃん。 今日もいい天気だね」
恐ろしい適応能力で海斗と仲良くなり、今となっては俺よりも海斗と話している。 何だこの妹は。 人見知りと言う言葉をどうやらどこかに置き去りにしてきてしまったらしい。
深々と溜息を漏らし、二人を無視して先に進む。 その間も二人は適度に俺と距離を置きながらきっちりと付いてくるのだ。
「お兄ちゃん、今日も海斗くんの事ガン無視してるね」
「うぐ……っ。 そ、そうだね。 あはははは」
「海斗くんお兄ちゃんになんかしたの?」
ああ、したさ。 世迷言を語り、俺の健やかな生活を妨害したんだ。 権力を振りかざし一個人のプライベートを左右しやがって……許せねえ。
「何かしたって言うか……これからするっていうか……。 してもらわなきゃならない、っていうか……」
「駄目じゃん。 お兄ちゃんはね、ああ見えてと〜ってもナイーブなの! 繊細な心を持つ硝子の十代なの! だから、労わるように接してあげなきゃ駄目なんだよ」
「へえ〜。 そっか、ありすちゃんは物知りだね。 お兄ちゃんと仲が良いんだ」
「むふふふ……。 そう? そう見える? やあっぱり〜? もー、お兄ちゃんたらね、ありすが居なくちゃ何も出来ない……」
「――ありすっ!!」
この小娘、人が黙って聞いていれば好き勝手ほざきやがって……。
目を丸くしているアリスを担ぎ上げ、海斗を一瞥し歩き出す。 じたばたと暴れるありすの事はもう無視する事にした。
「お、おにーちゃん!? 街中なのにアプローチが大胆すぎなんですけど!?」
そんなの知らないんですけど。
「ていうか、パンツ! パンツ見えるーっ!!」
「だったら大人しく諦めてスカートを抑えていればいいんじゃないかな。 女の子の手は男の頭を殴るよりそっちのほうが遥かに適していると思うよ」
「うっさいばかぁ! むっかあああっ!! 今日の夕飯覚えてなさいよーっ!! ば〜〜かっ!!」
今日は外食して帰ろう。 そう決めた。
こうしてありすを担ぎ上げて登校するのも何度目だろうか。 校門の前でありすを降ろし、報復の蹴りを甘んじて受ける。 なにやらぴいぴい喚いているありすを見送り、校門の前で立ち尽くした。
何故こんな事に……と、言わざるを得ないだろう。 誰だってそう呟くはずだ。 誰にも見られていない場所で静かに舌打ちし、眼鏡を外す。
眼鏡をかけていたってありすの攻撃は容赦なく頭部を狙ってくるから、眼鏡の耐久度が心配だ。 確かにもう随分と掛けているからそろそろ買い替えの時期かも知れないが、妹に叩き割られましたなんて理由で交換するのは御免こうむる。
もう少しおしとやかな雰囲気に育ってくれていればこちらとしても色々と楽なのだが、ああも元気がいいとどうにもならない。 何も言わずとも勝手に好意的に曲解してハイテンションに過ごしてくれるのは、手間が無くて楽ではあるが。
ネガティブにうじうじされるよりは余程マシか……。 素直に認めればあの明るさに背中を押してもらっているところもある。 ここは兄としてぐっと不満を堪えるべきだろうか。
「ま、待ってよー! 香澄ちゃん、何でそんなにいつも足速いの!?」
眼鏡を掛けなおしながら振り返ると、慌てて走ってくる海斗の姿が見えた。 それに背を向け歩き出そうとすると、いつの間にかすぐ目の前に冬風の姿があった。
冬風響……。 今この学校で俺が一番会いたくない人間かも知れない。 露骨に不満たらたらと言った目で俺を見上げては進行方向を塞いでいる。
「そこを退いてくれないかな、冬風さん?」
「海斗が貴方の事を呼んでいます。 どうして待っていて上げないんですか?」
「そうする理由が無いからです。 貴方こそどうして僕に構うんですかね」
「別に好きで構っているわけじゃないもん! 元はといえば、貴方が最初から話を聞いていれば……わわわっ!?」
冬風は小柄な少女だ。 強引に通ればいくら立ち往生していようが関係ない。 図体の問題で強引に押し切れる。
背後に倒れそうになるその背中を支え、崩れかけた体勢」を立て直してやる。 恥ずかしそうに顔を赤くしているその顔を鼻で笑い、その場を後にする。
流石にちょっとぶつかっただけで転びそうになって「わわわ」とか情けない声を上げてしまったのは本人的に屈辱だったのだろう。 それから追いかけてくることはなかった。
だがまあ、明日になればまた待っているんだろうなと考えると色々と面倒に思えてくる。 溜息は止む気配もなし……。 俺が一体何をしたっていうんだか。
そんなわけで、俺に安息の時間は無かった。 休み時間になる度にやってくる海斗とそれを無視しようとすると文句をつけてくる冬風。 この二人のせいで休む間も誰かと話す間もなく、校内を走り回る事になった。
お陰で大分土地勘は付きつつあるが、そんな効果を求めてトレーニングしているわけではない。 海斗は何度無視しても拒絶しても次の休み時間にはニコニコしてやってくるのだ。 恐ろしい奴だ。 ドMなんだろうか。
それはそれでなんか色々危険だから考えないようにする。 唯一の救いは連中とはクラスが違う事だろうか。 お陰で多少逃げるまでに猶予がある。
だがしかし、その唯一の平和な時間である授業中を除けば、例えば廊下を歩いていても、
「香澄ちゃん! 次何の授業?」
自動販売機で飲み物を買おうとしても、
「香澄ちゃん、コーヒー飲めるの? ボクは苦手なんだ……あと炭酸も」
トイレに入ろうとしても、
「香澄ちゃんっ! 奇遇だね、一緒にトイレに……」
「うるせえええええええええっっ!!!!」
聞いても居ない事をべらべらべらべら喋り続け、ストーカーのように……いやもうストーカーだあれは!! ストーカーでした!!
だんだんと教室の中に居ても海斗が背後にいるように感じられるように、その奇妙な薄ら寒さが家の中、風呂場、自分のベッドの下へと拡大してくるにつれ、俺は日に日にやつれていった。
我が家では昼は学食やらカフェやらで食うのが普通だとありすが言っていたが、最近は落ち着いて食べる事も出来ず早起きしてこっそり弁当を作り、人気のない便所とかで昼食を取っている有様だ。
「くそ……! なんで俺がこんな生活を送らなきゃならないんだっ!!」
トイレの壁を内側から殴りつけると穴が空いてしまった。 冷や汗を流しながらその場をそそくさと後にし、廊下の隅の休憩スペースでベンチに座り込む。
切り替わった環境に新鮮さを感じている暇さえない。 文字通り、追われるような毎日……。 俺は何の為にこの街に来たんだろうなあ……。
考えれば考えるほど泣けてくる。 せっかくの昼休みも結局走り回って終わってしまいそうだ。 ああ、あと何日こんな生活が続くんだろう……。
「あー、お兄ちゃんこんなところに居た……。 何で昼休みなのにくたばってるの?」
「ありすか……。 ああ、ありすはいい子だ。 何より夢に出てこないところが……」
「……それどういう意味? まあいいけどさっ。 お兄ちゃん、海斗くんと喧嘩でもしてるの?」
隣にちょこんと座って首を傾げるありす。 ていうかここ、上級生のフロア……いやもうなんでもいいや。
ありすの質問はストレートど真ん中、直球以外の何者でもない。 だからこそ時々自分でも不確かな部分にストンと落ちて俺を濁らせる。
『家族を傷つけたくない』と言うのは俺のポリシーなのか。 想像していた以上に俺はありすにも、綾乃さんにも気を使っている。 姉貴が居なくなった時守ってやれなかったと思いその無力さに嘆いた自分だが、ありすたちの事を本当の家族だと認めているわけではない。
いや、だからこそなのか? それでも世話になっているという自分の未熟さを紛らわせる為に、ありすに優しくするのかもしれない。
「喧嘩、か。 そういうわけじゃないんだけどね」
「じゃあなんで無視するの? 昔の友達なんでしょ? こっちきて一人ぼっちじゃなかったんだから良かったんじゃないの?」
「それは……そうなんだけどな。 そんな風に上手くは割り切れないものなんだよ、ありす」
ブロンドの髪をくしゃくしゃ撫でる。 この間撫ですぎて髪型が崩れたとか言って怒られたので今日は加減した。
「それはわかんなくもないけど……。 海斗くん、あんなに一生懸命なんだし、そろそろ話くらい聞いてあげてもいいんじゃないの?」
「…………そう思うか?」
「ありすはね。 でも、ありすはお兄ちゃんの味方だから、お兄ちゃんがヤダっていうなら強制はしないよ」
「そうかい。 ありがとう、ありす」
白い歯を見せて無邪気に笑うありす。 直後チャイムが響き、ありすは慌てて立ち上がる。
「うわ、次教室移動だった! 早く戻らなきゃ……。 またね、お兄ちゃん! ちゃんと帰り待ってろよ!」
「ははは……。 走って転ぶなよ」
振り返りながら手を振り走るありすが前方から歩いてきた生徒と激突し、転倒しそうになるのを見送り思わず苦笑する。
何であいつはあんなに元気いいんだろうなー。 若さってことなのか、やっぱ……。
そんな爺臭い事を考えつつ立ち上がり、眼鏡を外してレンズを磨く。 予鈴は俺にとってもありすと同じ価値を持つ知らせだ。 さっさと教室に戻らねば。
「妹さんには素直なんですね」
思わず磨き布ごと眼鏡を手から滑らせてしまった。 慌てて振り返ると自動販売機に背を預け、腕を組んだ冬風の姿があった。
いつからそこにいたのかわからないが、とりあえずありすと一緒にいるところを見られたらしい。 影からこそこそ覗き見るのも腹が立つが、こんなところにまで付いてきていたと思うと殴ってやりたい気分に陥る。
「ストーキングが趣味の生徒会か。 キモイんだよ、テメー」
「その眼鏡は貴方の仮面なんですね。 妹さんの前では眼鏡を掛けて優男のイメージ作りですか? そういうのかっこ悪いと思います」
「お前にかっこ悪いって言われても何とも思わないんだよ馬鹿。 こっちはテメーに欠片も興味はねえんだからよ。 図に乗って対等ぶってんじゃねえぞ」
「…………本当に最低ですね、貴方……。 初日に親切にしてあげた事、忘れたんですか?」
「『してあげた』、ね。 はっ! 善意を押し付けて親切の大バーゲンかよ。 嘗めんな。 テメーなんぞ何千も居るこの学校の生徒の一人にすぎねーだろうが。 ちょっと親切にしたからって優位だと思ってんじゃねえぞ」
「…………っ! 本当に嫌な人! 海斗からすごい人だって聞いてたから期待してたのに、なんなんですか……! どうしてそんなに簡単に人を傷つけられるんですか!」
目尻に涙を浮かべ、きゅっと唇をかみ締める冬風。 恐らく冬風自身それほど他人と言い争うようなタイプではないだろう。 どちらかといえば温厚な、クラスに一人や二人……この学園だとどうだか知らないが、まあ何処にでも居そうな暗そうな生徒だ。
囁くような声のボリュームも、少し何か言われれば泣き出してしまいそうな涙腺の弱いその瞳も、他人とぶつかるようなタイプとはかけ離れている。
だからこそ気に入らない。 自分では何もしない、ぶつからない、本気にならないくせに、中途半端に他人に親切をして『あげてる』と思っている。 冗談じゃない。
「他人の言葉鵜呑みにして信じて裏切られて……。 期待と違ったから『最低』? 決め付けてイメージでモノ語ってるのはテメーだろうが。 最低なのはどっちだ」
「それは……っ」
「……君と話していても無駄ですし、君もそうでしょう。 僕はもう行きますから……遅刻してもいいんですか? 冬風さん」
眼鏡を拾い上げ、背を向ける。 まだ何かいい足りないのか、冬風は思い切り口を開き、何も言わずにそれを閉じた。
何故ああも絡んでくるのかわからないが、俺と冬風の関係は初日からずっとこうだった。 もっぱら絡んでくるのは向こうで、俺が言い返せば泣きそうになって黙り込む。
幸せな生き方だ。 一番傷つかないだろうな、そういうのが。
最低な気分のまま迎えた午後の授業は集中力に欠けていた。 だからといって成績を落とすようなつもりはないが、一人で黙って授業を聞いているだけの時間は余計な考えや苛立つ言葉が頭から離れにくい。
静かであればあるほど、他にやることがなければないほど、ただただ冬風の不愉快な言動が脳裏をリフレインしていく。
正義面しているやつらは皆同じに見える。 毛嫌いしているだけなのかも知れない。 それも判る。
もしかしたら自分は間違っているのかも知れない。 話し合ってみなければ判らないのかも知れない。 それも判ってる。
でも。 一般的な正義や大衆論、世間体……。 常識的なモラルはいつも逸脱した人間を責め立て、駆り立て、滅亡へと導いていく。
皆と一緒である事がそんなに偉いのか。 『正しい』ことがそんなに素晴らしいのか。 『違う』ことはそんなに間違っているのか。
二人暮しの俺と姉貴はいつも妙な噂に取り囲まれていた。 常識的な正義たちはいつも俺を後ろ指で指す。 ああ、それも判っているさ。
だから『普通』になれるように努力しているのに。 『一般的』な、どっちつかずな笑顔を浮かべて生きているのに。 どうして俺に構うんだ。
一人は楽だ。 誰にとっても特別でないのなら、それは孤独であると同時に全ての罪から許される事なのかもしれない。 ごちゃごちゃ考えるまでも無い。 だからとにかく俺は、ああいう連中とつるむのだけは御免だった。
御免だったのだが。
「ごめん、香澄ちゃんっ!! 香澄ちゃんがボクの事嫌がってるのは判るんだけど、この通りっ!!」
「…………どういうつもりかな、進藤海斗君?」
教室から出て直ぐの廊下に海斗の姿があった。 海斗は俺の前で情けなく土下座している。
「うん……。 香澄ちゃんが嫌なの判ってるから……。 でもゴメン、それでもボク、君にお願いしなきゃならないんだ」
「…………とりあえず場所を変えないかい? ここは人目に付きすぎるから」
振り返ると後方では教室を出たい生徒たちが列を作っていた。 この間の騒ぎのこともあるし、これ以上クラスで目立ちたくない。
必然的に俺たちは最上階の生徒会室にやってきていた。 改めて見直しても巨大な空間だ。 教室一つ分くらいはあるんじゃないだろうか。
生徒会の部屋というよりは室内庭園のようでもある。 中央には噴水、周辺には水路。 大理石のような床はぴかぴかに磨き上げられていて自分の姿がうっすらと映りこむ。
「香澄ちゃん、ゴメンッ! 迷惑だと思ったんだけど……でも、ああすれば香澄ちゃん、ボクの話を聞いてくれると思って……」
「…………そうですか」
そっぽを向いて溜息を漏らす。 そういえば昔も何かあるとこいつはすぐ俺に土下座してたっけ。 いや、土下座しろって言ったの俺だった気もするが。
何はともあれ海斗は当時の負け犬根性を未だに覚えていて、犬みたいに俺に懐いているわけだ。 馬鹿馬鹿しいことだとは思うが、頭下げられて動かないわけにはいかない。 海斗の土下座は俺のそれより何百倍も軽いが、それだってあの大衆の前だ。 それなりに覚悟の居る行動だったろうから。
「で? またロボットが何だのと与太話を聞かせるつもりですか?」
「貴方は……! 海斗があれだけしたのに、どうしてそう……」
「――――冬風響さん。 君はいちいち彼の事に構いすぎますね。 海斗が、海斗がって……その台詞を聞くのも何度目ですかね」
「なっ」
瞬間、冬風の顔が真っ赤に染まった。 視線が宙を泳ぎ、両手を振って口をぱくぱくしている。
ここまで判りやすい奴はいるものなんだろうか。 海斗に視線を向けるが、本人は何のことやら判らないといった様子で首を傾げていた。
確かに海斗みたいなのが好みの奴も居るのかもしれない。 女みたいな顔つきと細い体、なよなよしていてでも顔立ちは整っている。 そこそこに美少年と言える類の人間だ。
まあ顔が悪かったらこれはいじめられ放題の性格の気もする。 仮に今この学園でいじめられていないとしたら顔のお陰だな、ははははは。
「海斗君、可愛いですからね。 気持ちは判りますよ」
「なあっ!? な、何が言いたいんですかあっ!?」
「別に……? ただ、好きな男の気を引きたいからって僕に八つ当たりしないで欲しいなって話で」
「なっ!? なぁぁああああああっ!?」
海斗と俺との間を何度も視線を行き来させ、冬風は顔を真っ赤なのか真っ青なのかよく判らない状態にしていた。 海斗はまるで判っていないようなので問題ないだろうが、冬風はそんな事を言われた事も無かったのだろう。 恥ずかしすぎてなのか悔しすぎてなのか、ぽろりと涙の粒が零れた。
「あははっ。 香澄ちゃんと響さんって、仲いいんだね」
「そんなわけないでしょっ!?」 「そんなわけねえだろっ!?」
互いを指差し絶叫し、重なった声にどきりとする。 そんな俺たちを見て海斗は口元を押さえて無邪気に笑っていた。
「何だか良くわかんないけど、二人が楽しそうで嬉しいよ。 うん、せっかく会えたんだもん。 仲良しはいいことだよ」
「ち……っ。 それで、本題は?」
「うん。 香澄ちゃん、今から一時間後――あの公園で会えないかな?」
あの公園。 そのイントネーションから連想できる場所はひとつしかない。
だが、そこに海斗と一緒に行くという事は……俺が海斗の事を覚えていると白状する事になるのと同時に、姉貴の思い出により深く触れる事を意味する。
冗談じゃないと一蹴するのもまたおかしい。 重ね重ねになるが、俺が海斗を覚えていないのならば返答は『は? なにそれ?』が正解だ。 それ以外は全部不正解になる。
俺は今まで自分に嘘をついて誤魔化して正解と思える答えを選択してきた。 その俺は何故か冷や汗を流し、時計を確認していた。
現在四時半。 一時間後となると五時半になる。 思わず視線を逸らし、舌打ちした。
何故か知らん顔が出来なかった。 どうすればいいのか判らないで困惑する俺を見て海斗はにっこり笑う。
「来てくれたら、もう付きまとわないって約束する。 そしたら、香澄ちゃんだって楽でしょ? 約束! ゆびきりげんまん」
「お、おい……」
勝手に俺の手を取り、小指を絡めて微笑む海斗。 思い切り突き飛ばしてしまってもいいのだが、全身全霊を込めて笑うその姿に何もいえなくなった。
話はそれだけで済んでしまった。 海斗は背を向け、それから振り返って真剣な眼差しで言う。
「信じてるよ、香澄ちゃん。 香澄ちゃんはね、いつだって『約束』を破らないんだ」
まるで呪いの言葉のように俺の心を縛り付ける約束というフレーズ。
携帯電話のディスプレイを確認している間に海斗は去っていき、冬風もいじけながら出て行ってしまった。
残り約一時間。 行くべきか、行かざるべきか。 何故か決めかねて足踏みしている自分がいた。