ノーウェイ、アウト(1)
「量産型結晶機の部隊?」
「ああ。モスクワフロンティア周辺に展開している。ロシアもこれ以上自国土でキルシュヴァッサーを野放しにしておくわけには行かないのだろう。直ぐにでもこちらの探索、攻撃に移るだろうな」
「ジルニトラの状況は?」
「ミスリル迷彩で船体は隠してある。位置はモスクワフロンティア周辺を特に宛も無くグルグル周回している状態だ。現在は東凡そ50km地点」
「見つかると思うか?」
「分からないな。一応、普通の部隊相手ならば見つかる可能性は皆無だが……向こうも結晶機を持ち出してくるのならば話は別だ。探査系能力を持つタイプのが居れば、ジルニトラは隠しきれない」
「脚はこっちの方が早いんだろう?」
「早いという物ではないな。本気を出せば音速飛行が可能だ。……どうだ? 逃げてみるか?」
「いや、逆だ。こちらから討って出る」
ミスリル級戦艦ジルニトラ、ブリッジエリア。
雲の中をゆっくりと進行する巨大なミスリルの内部、香澄は地図を間に挟み艦長である如月桜花……マグナスと向かい合っていた。
マグナスの指先が指し示すポイントを見つめ、香澄は机を指先で叩く。顔を上げると二人の視線は至近距離でクロスした。
香澄の背後で待機する彼の仲間もマグナスの背後でジルニトラを操るフェリックス機関員も驚きの表情を見せていた。いくら桐野香澄とキルシュヴァッサーが強力なカードとは言え、態々敵陣の真っ只中に突撃する意味が理解出来なかった。
あえて香澄の思考をここで表現するのならば、彼は何も考えていなかった。頭の中はカラッポだったが、判断しきれない様々な情報にその実苛まれていたとも言える。
兎に角、彼にとってこのまだるっこしい状況は望ましい物ではなかった。世界を相手に戦うだのミスリルと人とのバランスを調和するだの、そんな事は頭の中にない。
「量産型の結晶機が来てるんだろ? 結晶機なんか量産する連中がまともなわけねえだろ。全部叩き潰して格の違いを見せ付ける」
「……敵戦力はこちらの数倍だぞ? 君のお仲間やチームステラデウスも出撃してきている。それら全てとまともにやりあうつもりか?」
「それくらい出来なきゃ意味ねぇだろ? 神ってもんを目指すなら。俺がルールにならなきゃいけないなら。全て容赦なく小細工なしでぶっ潰すくらいの力が無きゃ、意味がない」
香澄の言葉は強気だったが、勿論不安が無いわけではなかった。それでも少年は真っ向勝負を選んだのだ。
それを選ぶという事は、自らの過去と向き合い潰すという事でもある。かつての仲間たちやかつての組織、かつての国や主義主張。それら全てと剣を交えて初めて対立を自覚する。
己の中にもう戻れないという絶対的な楔を刺す事こそ彼の本当の目的だったのかも知れない。それはマグナスも仲間たちも分かっていた。
「成る程、成る程。では討って出ようじゃないか。派手に宣戦布告のパレードを行おう。凱歌を歌うのは君だ、桐野香澄」
「香澄ちゃん、それでいいの?」
「ああ」
「……皆も出てくるかも知れない。イゾルデとも、戦う事になる。それでもいいんだね?」
「当然だ。別にお前らが止めたところで俺はやる。今更俺に何か言うつもりなら……」
「いや、君がそうしたいならボクは君を支持するよ。君の思う通り、君が願うままにやって欲しい」
香澄の表情が驚きに染まる。海斗は真剣な表情から一転し、微笑んで見せる。
「ボクは君の仲間で居たいんだ。君に信じてもらいたい。だから君の為にボクも戦うよ」
「……ちっ。勝手にしろ」
少し照れくさそうに視線を反らして舌打ちする香澄と微笑む海斗。二人の様子を見てサザンクロスは眉を潜める。
「ねえアレクサンドラ……。あいつらの関係性って、ナニ……?」
「ん? 友達、じゃないの?」
「男同士じゃない……。ちょっとキモくない……?」
「きっ!? キモくねえよっ!! つーか俺は別に仲良くするとかそういうつもりはねぇから!」
「あはは、香澄ちゃん。こういうのはね、全力で否定するからからかわれるんだよ。堂々と仲良くしていればいいんだよ」
「引っ付くんじゃねェエエエエエエッ!?」
海斗に続き、アレクサンドラも香澄に飛びつきわけのわからない状況が成立する中、マグナスは笑みを湛えながら振り返る。
「出撃前に余裕だな、香澄」
「いやいやいや……。つーかいい加減! はな……れろっ!!」
二人を振り払い、呼吸を乱す香澄。マグナスの隣に立ち、雲を抜けた先にある大地。それを見下ろし、香澄は静かに息を止める。
向かえば戦いは避けられない。戦えば決別も避けられない。沢山のものを失い、その代わりに得られる物は何か。
それはわからない。だが、迷っている暇はない。時間は止め処なく過ぎて行くし、決して戻ったりはしないから。
再び息を吐き、吸い込む時。香澄は仮初の覚悟を胸に振り返っていた。仲間たちと共にブリッジを離れる。
「出撃する」
「武運を」
マグナスは彼らを見る事も無く目を閉じて微笑む。
戦いが始まろうとしていた。
⇒ノーウェイ、アウト(1)
「戦闘が始まりましたね」
モスクワフロンティア、スラム街。とある崩れかけた家の屋根の上にヴェラードとオラトリオの姿があった。
未だにキルシュヴァッサー戦の傷が癒え切らないオラトリオは日傘の影に隠れながら包帯を指先で撫でている。ヴェラードは双眼鏡で空に浮かぶジルニトラとそれを落とそうと躍起になるハイブリッドの部隊を眺めていた。
その日は冷え込むが日差しはとても強かった。濃く影を引きながら浮かぶジルニトラは二人にとっても意外な存在であり、考察に値する。
双眼鏡を下ろしたヴェラードは小さく溜息を漏らした。勿論その先には香澄に対する思考がある。ジルニトラの中に乗っているであろう、元仲間の存在や香澄の選択がヴェラードの思考を支配していた。
「ねぇ、ジェラートぉ」
「だから、ヴェラードです。どうかしましたか、オラトリオ」
「あんたその格好好きなの……?」
オラトリオの視線の先、黒いメイド服の女の姿があった。勿論彼女の存在はヴェラードであり、それはいつぞや香澄たちが合宿先で出会ったものと同一である。
ワイングラスを傾けたように輝く瞳でオラトリオと見下ろしてはにっこりと微笑み、両手を叩いてみせる。
「我々の本質は『虜囚』にして『従者』。『剣』にして『盾』。『正義』にして『悪』ですよ」
「それとそのメイドさんの格好になんか関連性があるの?」
「関連性はありません。ただ私はメイドとかが好きなのです」
「……あ、そう。なんかそう真顔で言われるとど〜でもよくなってくるわぁ」
「貴方もそのタキシードは趣味なのでしょう?」
「これはファッションだからい〜の。つーかジェラートって男? 女?」
「だからヴェラードです。その質問は私にとっては意味を成しませんよ。私は単なる影ですから」
既に突っ込む気力を失ったのか、オラトリオは適当に調子を合わせて会話を切り上げた。
二人がこの場所にやってきた目的は勿論桐野香澄にある。世界の変革が始まろうとしている今、星は確実に彼を中心に回りだす。
彼の選択がこの世界のルールを変え、レートを変える。命も善悪も主義主張も、彼の行い一つで変わってしまうかもしれない。
だからこそ着目する。それは彼ら異形の存在とて例外ではなく。故に彼から目を離す事は出来ないのだから。
「ヴェラードは知ってたんじゃないのぉ? あそこにマグナスがいるって」
「まぁ、彼女がフェリックス機関に居る事は承知していましたが、これは予想外ですね。ですがいい意味で世界は加速するのではないでしょうか」
「あんたが何したいのかぜんっぜんわかんないし興味もないけどさぁ〜……」
そこまで口にしてオラトリオは言葉を中断した。頬杖をつきながら眺める遠き戦場。そこを舞う銀色の翼が齎すものがなんなのか。気にならないと言えば嘘になる。
「興味が出てきたでしょう?」
見透かすようなヴェラードの言葉、視線。オラトリオが不機嫌そうにそっぽを向くと、黒いメイドはにっこりと微笑んだ。
放たれた無数のミサイルは各々軌跡を描いてはジルニトラへと向かっていく。
それらの爆発の向こう側、銀色の翼を広げた影が落下する。両手に構えた刀で滑空するような動作と共に接近するハイブリッドを両断した。
隊列を成すハイブリッドの先陣を切って接近するのは三機のステラデウス。チェーンソーを携えた三番機が接近し、キルシュヴァッサーに襲い掛かる。
「桐野香澄っ!! そちらから出てきてくれるなんて好都合だわっ!!」
「ステラデウスか。模擬戦の予定が本番になっちまったな」
「その余裕……気に入らないわねっ!!」
三番機の繰り出す攻撃を次々にかわしていくキルシュヴァッサー。周囲から同時にハイブリッドによる射撃が飛来した瞬間、香澄はショートジャンプを発動させていた。
空ぶったチェーンソーの先から消え去った目標を探し動揺するステラデウスを他所に、後方でハイブリッドをまた一機切り倒すキルシュヴァッサー。振り返る頃には既に目の前に居て、反応出来ない速さの脚が飛んでくる。
頭部を蹴り飛ばされ、思い切り吹っ飛ぶステラデウス三番機。香澄はコックピットの中、鋭い視線を向けたまま溜息を漏らしていた。
「…………訊いてもいいか? ステラデウスの女」
ハイブリッドの攻撃を回避する為に荒野を駆け回り、空中へと跳躍する。
「お前らチームステラデウスは何の為に結晶機に乗っているんだ?」
「何の、為に……!?」
「理由も無く、そんな力を振りかざしているのかって訊いてんだよ」
上空から降下するキルシュヴァッサー。その速さは目にも留まらず、三番機へと襲い掛かる。
彼女の危機を救ったのはリーダーのステラデウスだった。男はサーベルでキルシュヴァッサーの攻撃を弾くと至近距離で刃を交える。
「桐野香澄、と言ったな。ウサギ頭のパイロット」
「あんたがリーダー、か?」
「チームステラデウスリーダー、キリク・アンダーソンだ」
「へぇ……。そう――かいッ!!」
キリクの剣を弾き、交差する対の刀が彼の機体を切り裂こうとした刹那、背後から振り下ろされたチェーンソーがキルシュヴァッサーの肩口に袈裟に食い込んでいた。
火花を散らして刻まれる装甲にキルシュヴァッサーは屈むと同時にステラデウスの脚を払い、腕を掴んでもう一機のステラデウスに投げつける。
二機纏めて串刺しにしようとした瞬間、遥か後方から香澄目掛けて放たれる弾丸があった。それはキルシュヴァッサーの手の甲を確実に弾き、刀が指先から零れる。
同時に発火し激しい勢いで煙幕を巻き上げる弾薬に舌打ちし、香澄は刀を拾って背後に跳んだ。
「すまん、助かったハリー!」
「くそ、あの野郎化物かよ!? どんだけ高性能なんだ、日本の結晶機はよォ!!」
「チェーンソードで叩き斬ったのに、ピンピンしているなんて……」
完全に布陣を敷きなおしたステラデウス部隊。一方キルシュヴァッサーは左肩にダメージを受け、仕切り直しを要求されていた。
ダメージは大したことは無かったが、ステラデウス部隊の背後からは国連の戦車が断続的に砲撃を行い、空中では戦闘機がジルニトラに攻撃を続けている。
勿論ミスリルの力を持つこれら二つに対して有効打であるとは言えないが、集中的に囲いを作られた戦場は精神的にプレッシャーがかかる。キルシュヴァッサーはともかく、ジルニトラに対して絶対的な信頼を寄せているわけではない香澄は戦艦に残してきた仲間たちのことが気がかりだった。
「……貴様は何故、我々が戦うのかと訊いたな。それは我々が軍人だからだ。誇りある合衆国の栄誉ある軍人だから、だ。貴様の方こそ何をしている? いくらライバルチームだったとは言え、貴様とて人類を守る為にキルシュヴァッサーに乗っていたのだろう? 何故貴様は人類に牙を剥く」
「あんたらは知らないだろうが、結晶機ってのはロクなもんじゃねえんだよ。ミスリルと何も変わらない、化物じゃねえか」
「……お前は、そんな事を気にしているのね」
三番気、エルザの声が香澄をひきつける。少女の語る口調は穏やかで、強い決意を帯びていた。
「我々チームステラデウスはそれを承知で結晶機に乗っているわ! 自らの身体を、ミスリル化したのも自分の意思よ!」
その言葉は少なからず香澄を動揺させた。キルシュヴァッサーの中、言葉を失って目を見開く香澄は息を呑み、苛立ちを露にする。
「記憶を失って、身体は化物にされて……。そうまでしてミスリルを殺したいのか」
「何を甘ったれた事を言っている! 私たちは軍人だ! お前たちのような、ゴッコ遊びで学生が乗っているわけじゃないのよっ!! ハイブリッドの適合者もみんな自らの意思でミスリル化することを選んだ! 覚悟がないまま力を持っているお前とは違うっ!!」
チェーンソーを構えたステラデウスが迫る。目前にまで迫るエルザの機体に香澄は目を細め、歯を食いしばる。
「自分で好き好んでミスリルになって……それで敵を殺して幸せ、か。だったら――――」
銀色の翼が広がる。羽ばたくそれは目には見えない小さな小さな銀色の光を束ねて空を覆い、世界を銀色に染め上げて行く。
嵐の中心部、渦巻く光の中で瞳を輝かせるキルシュヴァッサーの中、香澄は小さく呟いた。
「だったら、その力の為に消されても文句はないだろ……?」
大地を銀色の光が覆う。その景色をジルニトラのブリッジからマグナスは見下ろしていた。
キルシュヴァッサーの翼は結晶塔と同じ。微粒子の結晶を噴出して世界を染め上げて行く。大地の色が銀色に変わったのならば、そこは既にキルシュヴァッサーの支配領域に他ならない。
「キルシュヴァッサー……そして桐野香澄、か。成長は順調なようだな」
微笑みに歪む口元。香澄は雄叫びを上げながら駆け出す。その背中には銀色の翼を携えながら。
早さも力も先程までとは比べ物にならない。近づいてきていたステラデウスを胴体から真っ二つに切り落とし、銀色の光の中に姿を消す。
ショートジャンプと攻撃、そして光による迷彩。丸ごと銀色に包み込まれたハイブリッドたちは何が起きているのかもわからないまま次々に切断されていく。
めまぐるしい速度で消滅して行く味方の反応に戸惑うキリクとハリー。しかし何も見えないただただ銀色の世界において、二人に出来ることは何もなかった。
嵐が止んだ時、そこには大地に倒れる二十二機のハイブリッドの姿があった。塗れた刀を振るい、大地を赤に染め、キルシュヴァッサーが顔を上げる。
「無茶苦茶だぞ……アイツ!?」
「…………よくも! キルシュヴァッサアアアアアッ!!」
サーベルを構え、駆け出すキリク。香澄はただ一瞬の動作でその両腕を切り落とし直後、刃をその胸に突き刺そうと前に出た。
「――――下がってください、ステラデウス」
その銀色の剣を阻んでいた者が居た。
つい先程、何者も存在しなかったその場所に黒いキルシュヴァッサーが立ち塞がっている。漆黒の鎌を携え、蒼くはためくマントの向こう、ぎらりと輝く金色の瞳を持って。
香澄はその姿に見覚えがあった。忘れるはずがなかった。自らが生み出す事をよしとしてしまった化物。キルシュヴァッサーと同じ姿をした黒いミスリル――。
「キル、シュヴァルツ……?」
「うん。久しぶりだね、香澄君」
全く予想していなかった声に香澄の身体が震える。通信機越しに聞こえてくる声はだがしかし確かに彼女の物で。あの雪の夜、別たれてしまった道が目の前で交差していた。
「響……? 冬風響か!?」
キルシュヴァルツの鎌がキルシュヴァッサーの剣を弾く。二機は同時にショートジャンプし、同時に後方へと下がる。
再びのショートジャンプ後、二機は空中で刃を交えていた。空中で二度三度、刃を打ち鳴らし香澄は舌打ちする。
「何でお前がキルシュヴァルツに乗っている!? ありすはどうしたっ!!」
『ありすならここにいるよ、お兄ちゃん』
目の前の結晶機から聞こえた声に愕然とする。その一瞬の隙を突いて放たれたキルシュヴァルツの蹴りはキルシュヴァッサーの脇腹に直撃し、よろめいた機体を掴んで大地へと落ちて行く。
キルシュヴァッサーを大地に叩き付けた衝撃で荒野に亀裂が走った。歯を食いしばる香澄の視界、太陽を背にキルシュヴァッサーの首を掴む漆黒の機体の姿がある。
「ありす……お前、本当に結晶機に……ッ!?」
『そうだよ、お兄ちゃん。ありすはお兄ちゃんを……桐野香澄をやっつけなきゃいけないの』
「あ、ありす……」
『だからキルシュヴァッサーは……壊さなきゃいけないのッ!!』
振り下ろされる鎌。その時香澄はなんの反応さえ示さなかった。
脳内はただ驚愕が支配し、思考に取れる容量は一切なかった。動揺した香澄に防御手段など思いつくはずも無く、呆然とただ成す術も無く頭を潰されるはずだった。
しかしキルシュヴァッサーの片手が鎌の刃を掴んで止めていた。ぎりぎりと、力の押し合いになる中、コックピットで香澄は目を見開く。
「何をしているの、香澄」
「……銀」
香澄の背後、冷静な表情で立つ銀の姿があった。それは彼にしか見えない幻のようなものだったが、そんな事は関係ない。
彼女は香澄の手に自らの手を重ねる。操縦桿は勝手に動き、香澄が何も考えていないというのにキルシュヴァッサーはキルシュヴァルツを脚で投げ飛ばした。
「このままじゃやられるわ、香澄。あれは普通の結晶機とは違うから」
「でも、銀……。あれにはありすと響が……」
「香澄」
優しい声で耳元で囁き、銀は香澄をじっと見つめる。その瞳の向こう側、見ているだけで思考が麻痺するような美しい光に香澄は完全に魅入っていた。
ごくりと生唾を飲み込み、深く深呼吸する。銀は優しく微笑む。それだけで香澄の全身を支配していた強張りのようなものは解けて無くなっていた。
「……大丈夫?」
「ああ」
「戦える?」
「勿論」
「じゃあ、一緒に行こう」
「分かってる」
キルシュヴァッサーの瞳が輝きを取り戻す。二対の刀を携え、大地を疾走する。
連続での空間跳躍。目前に迫っていた刃を防ぐ事が出来たのは、響とありすが対キルシュヴァッサー戦術を研究してきたからに他ならない。
しかし先程までのキルシュヴァッサーとは全くの別物である事を嫌でも認識させられる。鎌は上から振り下ろされた太刀二本で大地に叩き落され、逆手に構えなおした刀は首を刈り取ろうと左右から同時に襲い掛かる。
「くっ!? 香澄……君っ!?」
両腕でそれを受け止める。腕に突き刺さった刀を手放し、キルシュヴァッサーは小さく跳躍する。空中で縦に回転し、振り落とされた脚が肩口に突き刺さる。
装甲を食い破るように食い込んだ脚を引き抜き、背後に跳躍しながら更にキルシュヴァルツの頭部を蹴り飛ばす。
吹き飛んだ黒い機体の両腕に突き刺さったままの二対の太刀がキルシュヴァルツを大地に磔にし、動きを奪う。響がしまったと思うよりも早く、新たな刀を手にしたキルシュヴァッサーが目の前に迫っていた。
「香澄ッ!!」
止めを刺そうと迫るキルシュヴァッサーの行動を阻害したのは遅れて到着した不知火の切り込んだ一撃だった。香澄はそれを回避し、後方に跳躍する。仕切りなおしになるキルシュヴァッサー目掛け、後方からハイブリッド隊の射撃が飛来する。
「よせ!! 余計な事をするなっ!!」
イゾルデの叫び声が届くよりも早く、キルシュヴァッサーが密集した機体たちに手を翳す。僅か一瞬の閃光の後、空間ごと抉り取られ、ハイブリットの隊列があった場所には巨大なクレーターが生み出されていた。
消え去った無数の命を何の感傷も無く見つめる香澄とキルシュヴァッサー。その美しい姿に恐怖さえ覚える。
「香澄、君……?」
戦いたくなどなかった。
そんなつもりなどなかった。
だが実際にそれを敵として見つめた時。敵として相対した時。
そんな事を言っている暇などあるのか。そんな余裕などあるのか。自らに問い掛けている余裕など、あるものなのか。
銀色の機体はまるで神か悪魔ように元仲間たちの前に立ち塞がる。圧倒的な、絶望的な力を持って、最強の敵として。
「構えろ響!! 香澄が相手なら、油断をしたら殺されるぞッ!!」
「で、でも、イゾルデ……!?」
「言いたいことはアイツを倒して言うんだ!! 某たちはあいつの存在を過小評価しすぎていた……ッ!!」
イゾルデの脳裏に過ぎるのは彼が知ってしまった真実。そして自らが仲間たちに黙ったままの嘘。
それを知った上で香澄が今目の前で敵として立ち塞がるのならば。そこに恐らくは迷いはない。
何よりも桐野香澄という人物の弱点は不安定な精神にあった。正面からやりあえばどれだけ恐ろしい力を持つかというのは見ての通りなのだから。
「ありすも響も覚悟を決めろ! 生半可な気持ちで奴の前に立てば、命はないっ!!」
桐野香澄という人間が持つ精神的な『ぶれ』や『揺れ』といったものの正体がもし、彼自身の中になかったとしたら。
彼本人ではなく、彼にはどうしようもない部分でぶれ、ゆれ、そして暴走していたとしたら。
イゾルデの中には一つの仮説があった。そして響もそれはずっと前から気づいていた事だった。香澄の意思で今、彼は本当に刃を手にしているのか。
桐野香澄という人間の向こう側、確かに世界の悪意を感じる。もしもそれが無かったならば、彼女たちも香澄についていったかもしれない。
「――香澄君っ!! 香澄君は今、本当に『香澄君』ですか!?」
香澄は答えない。コックピットの向こう側、桐野香澄は姉の姿をした少女に背後から抱きしめられ、無表情に仲間に刀を向けていた。
恐れていた事が現実になったと響は思った。いや、それはそうなると分かっていたのに今まで放置してきた自分の責任なのだとも思う。
目の前の少年にまとわり着く不可解な言動。繰り返される暴走。戦いの中に常に身を置かねばならない理由。世界の悪意の根源。少年が戦う意義。
「……ありすちゃん」
息を呑む。
「香澄君は……。本当にまだ、香澄君のままなのかな……」
その質問にありすは答えなかった。ありすにはわからなかったのかもしれない。
響の胸の内側にある黒いモヤモヤした思いは彼女を煩わせる。だが今は考えている余裕がない。キルシュヴァッサーと桐野香澄が立ち塞がるというのであれば、戦わなければならない。
戦って、キルシュヴァッサーを封印する。そうしなければこの世界は歪んだまま、彼の中心にねじれて切れてしまうのではないか。そんな不安が付きまとう。
「やろう、イゾルデ……。香澄君を……。キルシュヴァッサーを、倒す!」
鎌を手に取るキルシュヴァルツ。響が見つめるキルシュヴァッサーのコックピットの中、銀色の髪の少女は微笑を浮かべたまま香澄に頬摺りする。
「――誰にも渡さないわ」
凍てつくような、冷たい微笑と共に。
「香澄は、わたしだけの物」
黒と白の機体は刃を構え、互いに睨みあう。
二つのキルシュヴァッサーの戦いの火蓋が切って落とされた。