いざ、思い出と共に(3)
「なぁ、アレクサンドラ」
何となく呟いた言葉に恐らく意味はなかったのだと思う。
ただ俺は、自分の膝の上に頭を乗せて眠っている彼女に対してそんな言葉をかけてみたくなったのだ。
夜の闇に包まれた巨大な空を飛ぶ船の中。遊戯室のような場所で沢山の玩具に囲まれて目を瞑る彼女。
声をかけると彼女はゆっくりと目を開いた。俺はその瞳を閉じ、それからゆっくりと首をかしげた。
「どうしてお前はそうやって俺にくっつきたがるんだ?」
きょとんと目を丸くして首を傾げるアレクサンドラ。その様子はまるで俺の質問の意味がわかっていないかのようだった。
アレクサンドラ。初めて出会った日、彼女はエルブルスの前に立つ敵だった。小さな命さえ惜しむ、心優しい敵。
エルブルスという巨大な力に支配され殺しあう事になっても、俺は彼女を憎むことが出来なかった。だってそうだろ? 自分ではどうしようもないでかい力の流れって言うのは、やっぱりあるものだと思うから。
例えば……そう。俺たちが結晶機という力に巡りあった事。そのパイロットになる事を、恐らくはずっと昔から定められていた事。
自分の身の回りにある運命と例えても齟齬のないそれらの力は、いつでも俺たちの歩く道を翻弄し、どちらが正面なのかさえわからなくなる。
アレクサンドラは……どうなんだろう? 時々思う。彼女はいつも曇りのない瞳で世界を見ているんじゃないか、って。
俺たちにはどうしようもなくて。でも諦められなくて。馬鹿みたいに泣き喚いて、それでもやっぱり駄目で。そうやって曇りきった目では見えないものを、彼女は見ているんじゃないか……なんて。そんな事を思う。
アレクサンドラはいつも俺に触れようとする。触れていようとする。手を伸ばし、指先を伸ばし、腕に、顔に、胸に、触れて。抱きしめて、擦り寄って……。その仕草の一つ一つが鬱陶しくて、でも何故か払えない。
今も何故か俺の膝の上で寝ている。他の皆はもう休んでいるというのに、俺だけ何故かこのままだ。勿論、寝ろといわれても寝られないのが本音だったが。
これから世界を相手に戦わなければならないという事。後戻りは出来ないという事。自分の力がこのままどこへ向かっていくのかわからない不安……。沢山の迷いがある。その全てがごちゃ混ぜになったどうしようもない想いを、俺は彼女にぶつけようとしていた。
その疑問の形は先程口先から出やがったわけのわからない質問だった。だが、彼女は片方しかない瞳で俺を見つめ、当たり前のように答える。
「触れていると、安心するからだよ」
「……安心する?」
頷くアレクサンドラ。俺は黙って考える。
「触れて……掴んで。話して、求めて……。抱きしめたり、好きだって伝えたり……。そうしていると、落ち着くから。不安な事はきっと忘れられない。でも、それを乗り越えて行く力をくれる」
思い返す。かつて俺が秋名を頼り切っていた時。寂しくて辛くて泣いていた時。頭を撫でて抱きしめてくれた時。
大丈夫だと囁いてくれた時。昔の思い出を語ってくれた時。永遠を求めて約束した時。嘘だってわかっていても、それでも幸せだった時。
夕焼けの中、走り回った時。誰かの温もりが欲しくて仕方がなかった時。その面影をずっと追いかけ続けた時……。
俺は確かにそれを知っていた。当たり前のように思っていた。誰かが傍に居てくれて、自分を信じてくれる事。自分を好きで居てくれる事。
それがとても幸せな事で。でも失ってしまえばもう戻らない事で。だからいつの間にか、それを手にする事を恐れていた。
アレクサンドラは俺の手を取り、目を細めて笑う。俺が彼女をあやしているのか、彼女が俺をあやしているのか……。どうにもわからなくなった。
「どうしたらいいのかな、俺……」
そんな事誰かに言っても答えなんかないんだってわかってた。
誰かに頼っても結局は自分で何とかしなきゃいけなくて。言葉や想いを伝え合っても、きっとそのうち擦れ違う事になる。
期待したり信じたり、そういうのは馬鹿馬鹿しくて。いや、きっとそれが全て恐ろしかったのだと思う。
あれだけ信じていた秋名が目の前から居なくなって……。俺はきっと、何か人として大切な物を欠いてしまったのだろう。
誰かに答えを求めることなんて出来なかった。怖くて仕方がなかったから。アレクサンドラにそうした迷いをぶつけたのは、多分彼女が限りなく零に近い存在だからなのだろう。
彼女と俺は良く似ている。そして彼女は限りなく、本当に限りなく……。無垢という言葉に近いと思うから。
悪意も善意も、嘘も矛盾も。そんなものはどうでもいい。彼女ならきっと思うままの答えをくれる……そんな気がした。
「香澄は、どうしたいの?」
「……俺? 俺は……そうだな。姉貴をキルシュヴァッサーに乗せて、その事を黙っていた如月重工は許せない。人間の記憶を食らって生きる、全部台無しにしちまうミスリルも許せない。でも、何より許せないのは多分……」
「香澄、自身?」
「……ああ。そうだな。きっとそうだ」
怒りや決意がどんなに俺の心を駆り立てても、ふとした瞬間思う事がある。
俺がしたかった事は。望んでいた事は。夢見ていた日々は。誰かとの絆は。
こんなもんじゃなかったって。こんなんじゃなかったって。こんなんでいいわけないんだって。
冷静になった心が叫んでいる。頭の中ではわかっているのに、認められないその現実に。
「香澄が自分を許せないなら、あたしが香澄を許してあげる」
白い指が頬に触れ、彼女は微笑む。
「でもね、香澄。もし香澄が自分を許せないのであれば、許せるように努力しなきゃいけないと思う」
「……許せるように、努力する?」
「うまく言えないけど……でも、そう思う。そうでなきゃ香澄、ずっと苦しいままだよ」
「…………わかってる。わかってるんだ。なあ、どうしたらいい? どうすればいいと思う? 教えてくれ、アレクサンドラ」
「だめ。それは香澄が、自分で考えて」
はっとする。何だ、何を言っているんだ俺は。
他人に頼ってもしょうがない……わかってる、そんなの。でも、気づけばいつも自分以外の場所に答えを求めている。
何て弱い存在なのだろうか。何て脆い存在なのだろうか。俺はいつも……いつも、自分自身の中で答えを出す事を恐れている。
その弱い自分をどうにかしたいのに。でも、どうにもならないんだ。しょうがないじゃないか。俺は……そんな風に世界を割り切れない。自分の事だって。
じゃあ、どうすればいいんだ。どうしたらいい。何を救える? 何を守れる? 何を残せる……?
何もわからない。どうして俺はこんなに何もわからないんだ。考える事が出来なくなる。論理的な思考が出来なくなる。
考えれば考えるほど頭の中がぐちゃぐちゃになって、何をどうしたらいいのかわからなくなるんだ。一つ一つの選択肢が重過ぎて選べない。
誰かを犠牲にする世界……。そんなものが本当にあっていいのだろうか……。
考えても考えても答えは出ない。
夜は果てしなく長く続く。答えは勿論。やはり一向に出る気配もないままに。
⇒いざ、思い出と共に(3)
モスクワグランドスラム跡地を望む大地に並ぶ無数の巨大な影の姿があった。
国連により派遣された各国の調査陣がグランドスラムの調査を行う中、チームキルシュヴァッサーの姿もそこにある。
隊列を成し、銃を提げて警備に当たる軍人たちの中、彼女たちの存在は浮いて見える。傍らに立つ日比野はグランドスラムの跡地を双眼鏡で眺め、静かに息をついた。
「このへんでキルシュヴァッサーの目撃情報があったらしいのですが……さて、見つかりますかねぇ」
傍らに立つ響は目を閉じ、精神を研ぎ澄ます。かつて索敵能力系に特化したミスリルに憑依されていた彼女は、同じくミスリルの存在を感知する事が出来た。
その力の理由がすでに身体を人ではないものへと変化させられていたからだという事を彼女はまだ知らない。自らの存在はミスリルと一線を画す物だと信じる彼女は、人外の存在を察知しようと心を研ぎ澄ましていた。
しかしキルシュヴァッサーの反応は感じ取れない。元々姿を隠してしまっているミスリルについては探知が出来なかった響が、完全に迷彩に覆われた状態にあるジルニトラの内部にあるキルシュヴァッサーを察知する事は不可能である。
「まぁ、何はともあれまずは現地の指揮官様に挨拶と行こうか。これからキルシュヴァッサーを追って行動することになるとは言え、僕たちも国連軍に所属する事になるからね」
「私も同行すべきでしょうか?」
「いや。朱雀社長がすでに現地入りしているはずだから、彼女と合流して報告するとしよう。君たちは結晶機でキルシュヴァッサーの探索を担当してくれ」
「了解しました」
日比野と別れる荒野の上、響の気持ちは晴れなかった。
この荒れ果てた世界のどこかで、香澄は戦っている。そしてそれを追い詰め、倒さねばならない。その命令が今彼女を強く苦しめている。
溜息を漏らし、踵を返す。兵士たちと擦れ違いながら結晶機の元へと戻るとイゾルデと木田が地図を片手に話をしている姿が見えた。
「二人とも、探索開始だって」
「……そうか。今少し情報を整理していた所だ」
「響も見てくれ。佐崎からまわってきた情報なんで、多分確かだぜ」
一つの地図を三人で囲む。地図にはモスクワフロンティアを取り囲むように設置されている幾つかの基地をマークしていた。
「既に四つの基地がキルシュヴァッサーの襲撃を受けてる。結晶機を持たない国連軍の普通の基地はキルシュヴァッサー相手じゃあ成す術もねえ。皆壊滅だ」
「だろうね……。でも、あっちのー……なんだろう? あれは」
三人の視界の向こう側。灰色のカラーリングの結晶機が並んでいた。その数総勢二十二機。
全て共通の外見を持ち、非常にシンプルな作りをしているものの、間違いなく結晶機である。人型の機動兵器など、結晶機以外に生み出す技術は人類に無いのだから。
ライフルを構え、整列する二十二機のシルエット。その正面には三機のステラデウスの姿がある。木田は既にそれらの情報を得ており、見るのも初めてではなかった。
「俺たち結晶機プロジェクトチームが、最終的には結晶機の量産とミスリルの撲滅を目指して運営されてきたのは知ってるだろ?」
「うん。つまりあれが量産型結晶機……その第一陣、って事?」
「早い話がそうだが、色々とややこしい事情があるのも事実だ」
元々結晶機量産化計画及び結晶機運営コンセプトの基礎はチームキルシュヴァッサーのものが採用されるはずであった。
元来最強の性能を持つキルシュヴァッサーを結局のところ評価として他のチームが越える事は叶わなかったのである。
それはキルシュヴァッサーそのものが持つ力、『時と空間』を操る力に始まり、それそのものが敵を食らう事でスペックアップするなどの『成長性』や他の結晶機の追随を許さない圧倒的な性能に起因する。
そもそも、キルシュヴァッサーは現存する最古の結晶機である。研究や量産化の計画は他のどの結晶機よりも進んでいたし、国連からの支援も最も強かった。
結晶機開発において他国に圧倒的にリードする如月重工とエアハルト社からなるチームキルシュヴァッサーが結晶機量産のコンセプトケースに設定されるのは全く持って滞りなく行われる予定であった。
「そこへ香澄とキルシュヴァッサーの離反だ。エルブルスまで失ってこっちとしちゃ相当の痛手……。そも研究対象であるキルシュヴァッサーがないんじゃ、キルシュヴァッサーの量産化計画は夢に終った……かのように見えた」
しかしそこは国同士の何らかのやり取りによって解決されたと見るべきだろう。
公にはされていないが、そもそも結晶機とミスリルに関する国際的なやりとりは秘密裏に行われている。日本、ドイツの間にどのような動きがあったのかは不明だが、もとより国連に提出されていたキルシュヴァッサー量産計画はそのままアメリカのチームステラデウスへと引き継がれる事となった。
そもそも結晶機量産化計画はまだ成功に至る段階ではなかった。それを実際に完成させ短期間で仕上げてきたところを見れば、アメリカが日本とドイツの研究を引き継いだと見て良いだろう。
「にしたって完成が早すぎるだろ? 噂じゃキルシュヴァッサーがロストするよりも前にアメリカに情報が漏洩してたんじゃねえかって話だ」
「まぁ、そうでもなきゃ無理だろうからね……。あの量産機はどういう仕組みで動いてるのかなぁ……」
「さぁな? ま、それはステラデウスの連中に任せればいいだろ。やつらの開発元、ステラ社はアレに『ハイブリッド』と名づけたらしい。ま、これでアメリカは世界的に結晶機開発でシェアを独占ってわけだ」
「某たちは某たちでやるべき事をやれば良かろう。さて、どう動くべきか」
頭を悩ませる三人に駆け寄る一人の男の姿があった。ライダースーツに金髪の男は響とイゾルデの肩を抱くように背後から三人に混じり、白い歯を見せて笑う。
ジャスティスと名乗るその男はかつてチームキルシュヴァッサーに所属していた。響とイゾルデは同時に溜息を漏らし、元チーム構成員をじっとりと見つめた。
「今までどこほっつき歩いていたんだ、ジャスティス……」
「あ? まぁ、観光? つーか冷てぇなおい、俺もチームメイトだろ? 仲良くしようぜ」
笑いながら響に頬ずりするその男がチームキルシュヴァッサーの前に現れたのは数日前の事。
桐野香澄がキルシュヴァッサーにて逃亡した事を知り、是非ともと協力を願い出てきたのである。朱雀の許可もあり、彼はあっさりとチームキルシュヴァッサーの一員となった。
問題なのは彼の連れである。メイド服の女はミスリルであり、更に言えば元々はチームキルシュヴァッサーに所属していたというのだから、混乱しないわけがない。
「つーか女子にベタベタすんなっ! セクハラだぞ!?」
「あぁん? 俺は顔がいいから別にいーんだよ。イケメンは女の子とべたべたしても犯罪にならないんだよ」
「いや、なるから!? で、フランベルジュはどこ行ったんスか?」
「ああ。キルシュヴァルツでありすとお話中だ。そして俺は邪魔だからといって蹴落とされた。いやぁ、死ぬかと思ったぜ全く」
男が突然現れた理由を知り、沈黙する一同。お先真っ暗な状況の中、一人だけポジティブが度を過ぎたようなこの男の存在は明らかに浮いていた。
「それは兎も角諸君! 俺様に秘策アリだ! キルシュヴァッサーの現在位置、特定出来るかも知れん!」
「本当ですか? ジャスティスさん」
「ちっがーうっ!! 響、それは違うだろう! 教えたはずだ、俺の呼び方を!」
オーバーリアクションで腕を振るって叫ぶジャスティス。完全に気圧されつつ、響は小さな声で呟く。
「……えーと。『師匠』」
「声が小さい!」
「師匠……」
「もっと元気良く! 病は木からって言うだろ!? さあ、気合で叫ぶんだ! しぃしょぉおおおおおおっ!!」
「し、師匠ーっ!」
「ていうか病は木からって何だ……」
「細かい事を気にするんじゃねえ少年! いいか、こいうのはノリでするもんだ。試合前にチーム一丸となって円陣を組み、決意と団結力を高める……そういう儀式なんだよ! そのへんわかるか、ん?」
全くわからなかったが三人はとりあえず頷いておいた。逆らったところでまたよく判らない、分かりたくない会話が続くのは目に見えていたのだから。
ジャスティスは満足そうに頷くと腕を組み、背を向ける。太陽の方角に顔を向け、静かに目を細めた。
「いいか? 結晶機の適合者として俺は超ベテランだ。そのベテランの俺たちがお前たちにキルシュヴァッサーとの戦い方を教えてやるってんだから、師匠と呼ぶのは当然だろう」
「だからと言ってなぜ師匠なのだ? 別に他の呼び方はいくらでもあると思うが」
イゾルデの発言に木田と響が同時に首を縦に振る。ジャスティスはその質問に対し、太陽に手を伸ばし、それから勢い良く振り返った。
「俺はお前たちの先輩! そして能力は俺の方が上! 厳しくも親切にお前たちとの間に育む師弟愛! そして……ラヴ!!」
「……ラヴ!?」
何故か三人は同時に叫んでいた。ジャスティスはさわやかな笑顔でそれに応える。
「反発と理解! 愛と友情、そして勝利ィイイイイイイッ!! いいか、結晶機の戦いで大切なのは戦略や戦術なんかじゃねえ! 愛だ! 勇気だ! 情熱だあああああああああああああああッ!!!!」
「……えーと、なんでですか?」
「いい質問だ響! 愛、勇気、友情……確かに素晴らしい言葉だが戦いの中で力になるのかどうかといえば確かに疑問はじゃっか〜〜ん残る! だが! 結晶機とは、『心の力』をダイレクトに伝えるロボットなのだ! つまり勇気、愛、友情! はたまた失意! 絶望! 嫉妬など、くら〜い感情も力になる!! だが、どうせ強くなるなら明るく元気よくついでに仲良くこれまた熱く強くなりたいだろ!? だからこそ、俺が師匠に相応しいのだっ!!」
「成る程……」
「いやイゾルデ!? 成る程らないからな!?」
「木田君成る程らないってなに……? でもイゾルデはちょっと変だと思う……」
「素晴らしいじゃないか、愛。友情、勇気……そして勝利、か。フッ、まさに男の戦い」
「分かるかイゾルデ! お前は見込みがあるぜ! 一生俺の背中についてきやがれェエエエエッ!!」
何故か分かり合った二人と取り残された二人に完全に空気が分断される。だがしかしジャスティスの言葉はあながち嘘というわけでもない。
結晶機は適合者の精神状態により性能を大きく左右される。同じ結晶機でも能力発動の成否、その能力の威力の上下、そもそも機体性能や適合者からの操作情報の伝達など、それら全てが精神に依存する部分が大きい。
激しい感情を持つ人間ほど結晶機を強くさせる。それはエルブルスに搭乗させたパイロットを極度の興奮状態にさせようとしたフェリックス機関の研究や、桐野香澄の暴走時の戦闘力などが裏付けている。
「故に愛! 愛は世界を救うッ!! いいかお前ら、くだらないことでくよくよ悩んでいる暇があったら愛せ! 愛こそ全ての悪を砕く無敵の力とな……ぴぎぃっ!?」
ジャスティスの言葉が停止した時、その場に居た誰もが目を丸くした。
彼の真上、キルシュヴァルツのコックピットより落下してきたメイドの靴が主の首に突き刺さっていたのである。不自然な角度から差し込まれた破壊力はダイレクトに彼の身体を駆け抜け、一瞬で直立さえ不可能な状態へと追いやる。
さらにメイドは腕にありすを抱きかかえていたのだからもう目も当てられない。おかしな方向に首を曲げたまま荒野をのた打ち回る主を一瞥し、メイドはありすを大地に下ろした。
「マスターの話はあまり真面目に聞かない方が良いと思います」
「え……? あ、ハイ……」
フランベルジュは蒼い髪を棚引かせ、優雅に振り返る。ありすは地面の上にのた打ち回ってやがて動かなくなった男を哀れむように眺めている。メイドは男を蹴り飛ばし、ぴくりとも動かないのを見て少々気まずそうな顔をした。
「彼の遺志は私は引き継ぎます……」
「エ!? 死んだの!?」
「冗談はともかく」
表情が全く変わらないので冗談なのかどうかわからなかった。
「彼の言う通り、ここで悩んでいても仕方がありません。今は皆さんが自分に出来る事を考え、行動する事をお勧めします」
「……今の自分に出来る事、か……」
三人は言葉を失くす。今の自分たちに出来る事などあるのだろうか? それは素直な疑問だった。
仲間と戦わねばならないという辛い現実。今までの戦い全てが無駄になろうとしている今、成すべき事などありはしない。
あるのはただ戸惑うしかない現実と、決して受け入れたくないのに必ず訪れることが分かっている未来だけ。
それでもただ一人、ありすだけは遠くの空を眺めていた。その中で最も幼い彼女こそ、一番今自分がどうしたいのかを理解していた。
自分自身を知り、自分を変えようと決意した時人は一歩歩みだす。己を踏破する旅人となれるかどうかは、全て自分の思い一つに委ねられているのだ。
風に髪を靡かせる少女の後姿。小さなそれを見つめ、響は目を細める。冷たい風の中に身を晒し、それでもきちんと立っている少女。今の自分とそれを比べた時、どうにも情けない気持ちでいっぱいになった。
静かに深呼吸し、落ち着きを取り戻す。まだ全ての絆が断たれてしまったわけではないと、そう信じながら。
「……よし。それじゃあ頑張ろうか。香澄君を見つけよう」
「だが、見つけてどうするのだ? 命令に従うつもりか?」
「それは……わかんない。見つけてから、考える……。それじゃ、ダメかな?」
正直な気持ちだった。今のまま考え続けても前に一歩も進める気がしない。
だからまず、進んでみよう。そうして振り返ってみれば、今まで自分が立ち止まっていた場所も、違った風に見えるかもしれないから。
「まず、やってみよう。それからだよ、きっと。だから、頑張ろう」
響の言葉に仲間たちはゆっくりと頷いた。勿論十割の納得は込められては居ないが、それは響とて同じ事。
ならば今はまずやってみるしかない。少女たちは遠くの空を眺め、今はもう手の届かない友人に想いを馳せる。
戦わねばならないのならば。進まねばならないのならば。せめて少しでも暖かさの残る、全ての思い出と共に。
一歩を踏み出さねばならない。そんな決断すべき瞬間が、彼らの前にも訪れていた。