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いざ、思い出と共に(1)

フェリックス機関編。


白い雪に包まれた大地を突き進む銀色の影。

降り注ぐ銃弾の雨を物ともせず、ミサイルさえ切り払い、炎の中から顔を上げる。

両手に構えた巨大な拳銃から放たれる弾丸は戦車もヘリコプターも戦闘機も一撃で打ち貫き破壊する。

ロシア国内、国連軍基地の一つであるその場所はキルシュヴァッサーによる襲撃を受けていた。銀色の機体は防衛戦力を破壊しつくし、基地へと突き進む。

近づく者は切り捨て、動く物は何一つ残さない。怪物を前に人間に出来る事など何も無く。無意味な抵抗の先、香澄は全てを破壊する。

火を噴き、崩れ落ちる基地。爆薬が基地全てを吹き飛ばし、地獄の業火の向こう、キルシュヴァッサーはゆっくりと歩みを進める。

炎を背に、蒼い空を見上げ。手にした刀を鞘に戻し。ただ燃え続け、何もかもを灰にする輝きの中、力なく項垂れる。

破壊の後に残るのはその感触と途方の無い世界の広さだけ。コックピットの中、香澄は自らの掌をじっと見詰めていた。


「――大丈夫よ、香澄」


香澄の背後、その肩に手を乗せ微笑む人物が居た。

それはかつて銀と呼ばれていたこのミスリルのコアであり、今は更に進化を遂げ、今や香澄と大差ない年齢にまで成長していた。

姿形は限りなく桐野秋名のそれに酷似する。その声も、挙動さえもが全て彼女を彷彿とさせるものだった。


「香澄は一人何かじゃない。わたしがついてるから。香澄がどこに行っても……どんな事になっても」


背後から香澄の身体を抱きしめ、香澄は目を閉じる。触れた指先に残る感触は確かに現実であり、それは今信じるに値するものだった。

それが偽りだとしても。虚像だとしても。最早真否や是非など問う事に意味は無く。故に香澄は瞳を開く。

マントに姿を隠し、疾駆する。その姿は太陽の光を弾き、世界の色に溶け、どこへともなく消え去った。



⇒いざ、思い出と共に(1)



「――――間違いありません。グランドスラム現象です」


荒野に風が吹いていた。

見渡す限り何もない、朽ち果てた世界。かつてはそこに生きていたはずの数え切れない命さえ、今は一つとして感じ取れない。

風に白衣を揺らし、桐野綾乃は世界を憂慮する。傍らに立つ如月朱雀は葉巻に火を点け、腕を組んでクレーターを見下ろしていた。

フロンティア計画と呼ばれる計画があった。それは、一度訪れた滅びから立ち直り、人類がその脅威と戦っていく為に必要なものだった。

グランドスラムにより消滅した都市を、対ミスリル戦闘用として再構築するフロンティア計画。その街では当たり前のように人々が生活し、何も知らぬうちに脅威に晒されていた。

ミスリルを監視し、その動向を調査し、人間とミスリルとの間に存在する習性、法則を知る為にフロンティアは存在していた。

フロンティア計画に関与する全ての街がミスリルの手により滅ぶ可能性を秘め、同時に人類の最前線でもあった。その街は今再び訪れた二度目のグランドスラムにより、跡形も無く消滅してしまった。

その何もかもが消え果てて見渡す限り何も無くなった大地の中。何も無くなっているべきその場所に巨大に聳え立つ塔の姿があった。

かつてその場所に存在した結晶塔よりも何倍も巨大なそれは、長年結晶塔について研究を行ってきた綾乃にとっても未知の存在だった。報告を受け、即座に調査に訪れた彼女にとっても当然予想出来ない存在だったのである。


「あの結晶塔は、やはりそうか」


「はい。グランドスラム現象……『あちら側』からのアクセスにより生み出された物でしょう。こちらとあちら、二つの境界線が緩みはじめている証拠です」


「ブチ折れんのか」


「……残念ながら、不可能ですね。それにあれを折った所で、事態は全く好転しませんから」


「象徴という事だろう? 気に食わんよ、それだけで。あんなものはこの世界の大地に必要ない。一刻も早く、速やかに全てぶち折れてくれる事を祈って憚らんよ」


吐き捨てるように語る朱雀の傍らに立ち、綾乃は結晶塔を見上げていた。

彼女にとって結晶塔はその人生の全てであり、そして自らが命を賭して戦うに値する存在だった。


「原因は何だ、桐野」


「わかりません」


「正確な答えでなくてもいい。お前の個人的見解を聞きたい」


「……そうですね。私のごく個人的な見解で宜しければ」


振り返り、綾乃は朱雀をじっと見つめた。朱雀は深々と煙を吸い込み、盛大に吐き出し、それから舌打ちをした。


「……やはり、あの男か? 奴の事だ、キルシュヴァッサーの覚醒に伴い、行動を開始してもおかしくはない。どうだ? 奴なのか?」


「……確信はありませんが。憶測ですが……その通りです」


アダム・ゲオルク・リヒテンブルグ。

恐らくは偽名。その出身は不明であり、ミスリル関係の研究機関を転々とした後、フェリックス機関の機関長となった男。

キルシュヴァッサーという結晶機の基本構想を生み出し、そしてその後に生み出された全ての結晶機の親とも言える研究者。そして、桐野綾乃の夫であり、桐野香澄の父であった男。


「アダムの遺産、か……。とんでもないものを招き入れてくれたものだよ、全く……」


「第二のグランドスラムの発生は彼の計画が第二段階に進んだ事を意味します。近いうちに、キルシュヴァッサーは真の役目を果たす為に動き出すでしょう」


「そうなれば、この世の終わりがやってくるわけだ……」


表情を顰め、葉巻をクレーターに投げ捨てる。

アダムという男の経歴は常に闇に包まれている。フェリックス機関を抜け出した後、ドイツのエアハルト社に接触し結晶機を生み出すためのノウハウを伝授し、自らもまた結晶機の開発の為に尽力した。

その後、エアハルト社と如月重工が手を結んだ事により、アダムもまた日本へ渡り、その後結晶機開発実験途中の事故で死亡したというのが公式の記録である。

しかし、アダムが生きている事を綾乃も朱雀も理解している。そして今、彼の思惑がこの世界の全てを飲み込もうとしている事も。


「とっととアダムを捕まえて、結晶塔をぶち折る方法を聞き出すしかあるまいよ。時間が惜しくて仕方が無いな」


「まずは逃亡したフェリックス機関と接触しましょう。香澄君も恐らくはそうするでしょうから」


「そういえば確かあいつはフェリックス機関の検体をつれていたな。資料では確認したが……」


「六番検体、アレクサンドラですね。アレクサンドラ・ゲルマノヴナ・シェルシュノワ、です」


「香澄より先にアダムの尻尾を捕まえるぞ。この世界の法は人間が守っているという事を奴に思い出させてやる」



「香澄っ! はい、これプレゼント!」


そう言ってアレクサンドラが俺に渡したのは黒い眼帯だった。

一体どこで購入してきたのかはさっぱり分からないし、そもそも何故これを買って来たのかもわからない。

モスクワグランドスラムの発生から一週間が過ぎた。俺たちは今、モスクワフロンティアの旧市街地に宿を取って生活している。

結晶塔周辺は全て跡形もなく消し飛んだが、そもそも一度目のグランドスラムでモスクワは壊滅したわけではなかった。街の北端部を中心地とした爆発は南端部を跡形もなく消し去ることはせず、東京同様にスラムを残していた。

が、二度目のグランドスラムにより都市部が完全にぶっとんだこの街では旧市街地と呼べるのはこのスラム地帯だけである。

元々東京フロンティアのスラムとは違い、この街のスラムには人が暮らし、生活の営みがあった。勿論暮らしているのはロクな人間ではないのだろうが、お尋ね者である俺たちにとってはその方が逆に都合がいい。

服装も荷物もすっかり現地調達が済み、キルシュヴァッサーはスラムの奥地に隠蔽してある。この近隣の基地への攻撃は凡そ終了しているので、今は次の目的地の決定及び第二のグランドスラムの原因を探っている最中だった。

アレクサンドラに渡された眼帯は見れば新調したらしい彼女のそれとおそろいだった。確かに多少は変装するなり何なりしたほうがいいのだろうが、片目を塞ぐというのは危険感知能力的にもどうかと思うのだが……。


「流石に研究機関も動き出してるみたいだね。如月重工も近いうちにこの街に来るだろうね。いや、もしかしたらもう来てるのかも」


市街地の見回りから戻った海斗が紙袋に入ったパンをテーブルに置きながら報告する。

俺は国際的に命を狙われる存在になってしまった以上、うろうろと街を歩くことは出来ない。既にこのスラムにも結晶機関係者が多く入り込み、セカンドグランドスラムの研究の為の陣取りをしている頃だろう。

そういう意味では海斗は使える人材だ。まず命を狙われていないし、顔も覚えられていない。そもそも死亡と同義の行方不明扱いになっていたのだから、行動の制限は一番少ない。

そして何故か海斗にはミスリルの女が着いてきていた。やたらと派手なピンクの髪が超絶目立っている女は以前戦闘になったサザンクロスというミスリルらしい。


「……何よ?」


「別に。ただ、ミスリルの癖によくついてきたと思ってただけだ」


「アンタたちだって似たようなもんでしょ? それに、アタシはアンタにじゃなくて海斗についてきただけだから」


と、こんな調子で何もしなくてもこいつはどうにも俺に対して喧嘩腰だ。まあ、片腕をぶった切ってしまったのだから恨まれていても仕方ないが。

お陰でサザンクロスの腕は片方しかない。サングラスの向こうから覗く桃色の瞳も俺を見る時だけは随分と鋭く見える。

何だかんだ言っても、今はまだ上手くやっているほうだ。初めて遭遇した時俺たちはそのまま殺し合いに発展しそうになったのだから。

それを止めたのが海斗で、結局お互いの言い分はなあなあになってしまったまま俺達は何故か同行している。ミスリルは全て滅ぼすつもりだが、何だかんだでサザンクロスは役に立つミスリルだ。とりあえず外国語に精通している時点で俺たちにとっては重要である。

ロシア語なんてわかるわけねえ。アレクサンドラがロシア語ぺらぺら……まあ母国語だが……なのと、人間として生活していた当時、国際的な仕事に就いていたお陰で世界各国の言語に詳しいサザンクロスがいなければこうして宿を取ることさえ難しかっただろう。


「香澄ちゃんもサザンクロスもそんな目くじら立てないで、ご飯食べたら? とりあえず食べれば一日が幸せになること間違い無しだよ」


「……お前のその楽観的な考え方がうらやましーよ。ったく、緊張感って言葉を知らないんだな、お前は」


「あははっ。香澄ちゃんにそういわれても、残念ながらボクは何とも思わないんだなぁ」


そう言ってパンを差し出す海斗の手からそれを受け取り、仕方なく口に運ぶ。

資金的にもそんなに余裕はない。行き成り海外逃亡したのには勿論理由があるが、軍資金が少ない以上生活はかなりギリギリだ。

元々俺だけでも大変だというのに、アレクサンドラに銀、さらには何故かサザンクロスと海斗まで着いてきている。こうなると宿代と食費だけでも結構な負担だ。

そこは各々何とか出し合うという、どうにもかっこ悪い展開で乗り切っている。親父の残した金にも手をつけて、今は何とか持っている状態だが、当然こんなのは長くは続かないだろう。

だから、これからは恐らくもっと手段を選ばない戦いをしなければならなくなる。当然の事だ。この世界全てに敵対する大逆人となるのならば、そのくらいはやって当然の事だろう。

海斗が作ったスープを飲みながらそんな事を考える。中学生の家出じゃないんだから、もう少し計画的にすべきだというのは分かっている。ただ、何と言うか……とにかく目先の自由に縋りつきたかったというか。わかっている。大分馬鹿なことをしたものだ。

だが、結局モスクワフロンティアに来たのは無意味ではなかったし、そうせざるを得ない訳もあった。俺の隣、ベッドに腰掛けスープを飲んでいるアレクサンドラの肩を叩く。


「お前、調子は平気か? あんまり出歩くと、良くないんじゃないか……?」


「ありがと、香澄。でも平気だよ? 具合が悪くなったらすぐ言うから、心配しないで」


「…………そうは言ってもな」


アレクサンドラも俺と同じく過去のトラウマを引っくり返されたらしく、一時期は恐慌状態にあった。

そんな彼女をキルシュヴァッサーを使って牢獄をぶっ壊してまで助けたのは、恐らく俺の中にある感傷の為だろう。

彼女も俺と同じく信じられる人間が一人も居ない孤独を有している。そして俺と同じく、全てを失うような絶望を体感したはずなのだ。

自分の気持ちを分かってもらいたいと考えたのか、それとも分かってやりたいと感じたのか。どちらにせよ、それが無駄なことだと分かっていても俺は見過ごす事が出来なかった。

幸い、俺たちと時間を過ごすに連れて彼女は元の落ち着きを取り戻しつつあった。そんな彼女と俺との間にある共通点が、このモスクワフロンティアへと足を進めさせた。


「海斗、フェリックス機関は街に潜伏してるんだろうか?」


そう、フェリックス機関こそ当面の俺たちの目的だった。

エルブルスを生み出し、パイロットであるアレクサンドラたちでさえ道具のように扱う彼らを許しては置けないし、あんなもんを量産するなら速攻ぶっ潰してやりたいという俺の個人的な怒りもある。

だが、見事にあの日エルブルスを囮に使用して国外逃亡を成し遂げた彼らに聞きたいことが山ほどあるというのが主な目的だった。

あの雪の日、ヴェラードというミスリルに与えられたイメージの中にフェリックス機関の物があった。

キルシュヴァッサーの基本構想を行ったのがフェリックス機関だというのならば、ミスリルや結晶塔について詳しいのも連中という事になる。連中を叩くのならばミスリルの情報には精通しておきたいし、俺もそろそろいい加減連中のわけの分からなさから解放されたかった。

自分自身もミスリルだというのであれば、俺たちのルーツを叩いて潰しておきたい。人間をミスリルにして兵器にするなんて事を、さっさと止めさせなければならないのだ。

それは勿論、今の世界中で行われているのでフェリックス機関に限られた話ではない。だが、ヴェラードが俺にフェリックス機関のイメージを送り込んだのには、何らかの意味があるはずだ。

例えなかったとしても、途方の無い戦いなのだ。とりあえず目先の目標とするものはあったほうがいい。アレクサンドラの賛同もあり、俺達はまずフェリックス機関に接触、それを破壊する事を当面の目標に掲げる事にした。

俺たち同様世界中からのお尋ね者になっている連中がどこにいるのかはさっぱり検討がつかないが、アレクサンドラ曰く、連中は何があっても研究を続行しているのは確実だという。ならば世界中の科学者が注目するセカンドグランドスラムの地……特にお尋ね者ならばスラムに姿を現す可能性はゼロではないはずだ。


「そんなに簡単にフェリックス機関は捕まらないと思うけど……でも、セカンドグランドスラムが起きたのには何らかの理由があるはずだし。フェリックス機関の連中も来てるんじゃないかな……。アレクサンドラの予想が正しければ、だけど」


彼女に視線を向ける。アレクサンドラは黙ってスープを口にしていた。

アレクサンドラにとってフェリックス機関での記憶は思い返したくないものであり、口にするのも憚られるものであることは分かっている。だからそれについて深く訊ねることは出来ず、結局事態は進展しないまま日が過ぎてイク。

このままでいいとは思えないが、誰かに嫌な想いをさせてまで先を急ぐつもりもない。俺は残りの人生全てをかけて全てをぶっ壊せればそれでいいし、時間ならいくらでもあるのだから。


「んで、そのフェリックス機関と接触して香澄はどうするつもりなの?」


「ヴェラードのイメージだけが頼りっていうのも癪に障るが、今の所それしか手が無いしな……」


「ヴェラードねぇ〜……。同じ契約の騎士団ナイツオブテスタメントの中でも、あいつは特別あんたに思い入れがあるみたいだし……。まあ、嘘って事はないんだろうけど……」


「香澄ちゃんは契約の騎士団に気に入られてるんでしょ? じゃあ最初っから彼らに手を貸してもらえばいいじゃない」


「アホか。ミスリルなんかと手が組めるかよ」


「あーら、アンタがそれ言うわけ? アンタだってアタシたちとなんらかわらない、化物だっていうのにさー」


サザンクロスを睨みつける。不穏な空気が流れると海斗が慌てて間に入った。

俺は席を立ち、ベランダへと向かう。深々と息を付いて眺める荒廃した街並。それを俺の隣で眺める銀の姿があった。

ベランダの柵の上に腰掛け、彼女は街を眺める。銀は最近ますます秋名そっくりになってきた。年齢的にも、彼女に限りなく近づいているだろう。

俺と同い年程度にまで成長した彼女は俺にとって最早掛け替えの無い存在になりつつある。結局のところ、いつでも俺の傍に居て俺の為だけに全てをくれるのは彼女とキルシュヴァッサーだけであり、信じられるのも同じなのだから。


「また喧嘩でもしたの?」


「喧嘩じゃねえよ。ただ、相手がミスリルだと思うと……ちょっと胸がモヤモヤするんだ」


柵に身を投げ出し、俺は深く息をつく。アレクサンドラに渡された眼帯を試しにつけてみると、案外とそれは具合良く感じられた。

世界なんてもんは半分も見えていれば事足りるものなのかもしれない。全てを知る事は痛みを背負う事に他ならない。今ならばそう思えるから。


「自分がミスリルだって事を認めたくないから?」


「……もう認めてるさ」


「だったらどうして?」


「認めてるつもりでも、俺の中でどっか吹っ切れてねぇ所があるんだろ」


「あの頃に戻りたい?」


「騙され続けるくらいだったら、知って苦しんだ方がいいさ……」


銀は柵から降りると俺の隣に立ち、顔を覗き込む。それからにっこりと微笑んで、俺の身体を抱いて頭を撫でる。

しなやかな指先は姉貴のそれにそっくりで、俺は少しだけ安心する。まるで数年前にスリップしたかのようなこの瞬間は、多分俺にとって安らぐ唯一の瞬間なのだろうと思う。


「…………親父は、どうして俺たちをミスリルにしたのかな」


俺がミスリルなら。生まれた時からミスリルなら。親父と母さんはどんな気持ちで俺たちを犠牲にしたのだろう。

わからなくなる。昔っから俺たちはほうっておかれていた。だから顔なんて覚えていねーし、かまってもらった記憶もない。

俺にとって姉貴しかいなかったのは。秋名しかいなかったのは。あいつらが俺たちを捨てたせいだから。

でも、それも仕方の無いことなのかもしれない。ミスリルになってしまった子供なんて、やっぱり可愛くはないんだろうから。


「香澄がミスリルでも、そんなのは関係ないわ。わたしがずっと傍に居てあげる。香澄の事を信じてあげる。だから、思うように生きていいのよ、香澄」


「……そうさせてもらうよ。世界の全部が俺たちを認めないんなら、俺も……」


拳を強く握り締める。

この世界はなんて馬鹿馬鹿しいのだろう。

全てが嘘偽りで出来ている。

自分自身さえも信じられなくなりそうだから、全ての衝動に身を任せて生きていくしかないのだと思う。

そうする事でしか。疑わず信じることでしか。今の自分の気持ちを捉えることは出来ないのだから。

その時、部屋をノックする音が聞こえた。サザンクロスがナイフを手に取り、アレクサンドラは拳銃を握り締める。

俺は銀をベランダに残し、扉に向かう事にした。向こう側に立っている人物を覗き込むと、そこにはロシア人の少年が立っていた。

歳は俺たちと同じくらいだろうか。彼は非常に友好的な笑顔を浮かべ、再び扉をノックして言った。


「こんにちは、桐野香澄。貴方を迎えに来ました」


俺は答えない。少年はもう一度、機械的な動作でドアをノックする。


「隠れていても分かります。貴方たちはアレクサンドラを同行させていますね? 彼女の体内に仕込んだ発信機がある限り、貴方たちの位置特定は非常に容易です。我々に敵意はありません。扉を開けてください」


振り返る。アレクサンドラは何も知らなかったのか、驚きの表情を浮かべていた。それがやがて確実な恐怖へと変わり、彼女は身体を抱えて俯いた。

アレクサンドラの体内に発信機? そんなもんを仕掛けられる奴は相場が決まってる。俺は舌打ちし、扉を蹴りつけた。


「名乗れよ、テメェ」


少年は全く怯む様子はなく、淡々とした様子で答える。


「僕は五番実験体。フェリックス機関局長の命により、貴方との会談を申し込みに来ました」


捜し求めていた相手はあっさりと俺たちの前に姿を現した。

一瞬脳裏にヴェラードの姿が横切る。ヴェラードはこのことを予見していたのだろうか? そんな風に考えるほど、展開は容易だった。

薄気味悪さを覚えつつも俺は扉を開いて少年を招きいれた。自称五番実験体は両手を上げた間抜けな姿勢のまま部屋にあがり、それからアレクサンドラを見つめた。

二人は知り合いなのか、見詰め合う視線の間には言葉にならない会話があったように思う。しかしアレクサンドラが脅えている様子を見て俺は二人の間に立ち塞がった。


「さっさと用件を聞かせてもらおうか」


少年は両手をあげたままゆっくりと頷く。

フェリックス機関との接触は、この少年から始まった。

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