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明けない、夜の向こう(3)

「私が居なくなったら、今度はお前に責任を押し付ける事になってしまうな……」


寂しげな表情で呟いた和服の女性。その前に立つ幼き日のイゾルデは彼女とお揃いの着物を着ていた。

真似をしていたのは、きっと彼女に強く憧れていたからだろう。彼女の行くところにはどこにでもついていったし、彼女がやっている事は全て自分もやってみたくて仕方がなかった。

ドイツの文化よりも日本の文化が好きで。サーベルより日本刀が好きだった。おままごとよりも剣術が好きで。可愛らしさより強さが好きだった。

凛と張り詰めた糸のように、彼女は刀を構える。道場の庭の桜の木の下で、流れるような美しい動作で剣を振るっていた。

その所作一つ一つに鮮烈に憧れた。彼女のようになりたいと願っていた。

自分以外の何者かになりたいと願う人間は、常にその誰かに強く依存する。

それが自分とはかけ離れているほどの羨望し、熱烈に崇拝し、それを失った時、強い喪失感に襲われる。

目の前でそれに囚われ、未来を閉ざそうとしている一人の少女に対し、彼女が出来る事はそう多く無かった。


「イゾルデ。私たちが受け継いでいかねばならない宿命は、全ての人類の為にある」


自らが手にしていた刀をイゾルデに手渡し、彼女は腰を落とす。


「この刀はお前にやろう。これからは私ではなく、このお前の刀に誓って欲しい。お前が望む、お前の為に、お前の守りたい物の為に」


ぽろぽろと涙を零し、大きすぎる刀をぎゅっと抱きしめるイゾルデの頭を撫で、彼女はそれでも涙を見せなかった。

強さと弱さは限りなく薄氷一枚で隔たれた想い。弱さを曝け出す事の出来る強さを彼女が持っていたのならば、イゾルデの未来はまた違ったのかも知れない。

ただ、決まってしまった事を今更とやかく言うことは出来ないし、彼女もそれを望まない。イゾルデは強く頷き、自らが姉と呼んだ人物の胸に飛び込んだ。


「忘れないでくれ、イゾルデ。私が如月の人間として、お前に教えてやることが出来た事を。そして、感じてくれ。私が未だ、未熟故に辿り着けなかった様々な想いを。そうすれば私はいつでもお前の傍に居る。お前が信じたい時、私はお前の心の中に居る」


握り締めた刀は忘れられない記憶の欠片。

夢の中で何度彼女との邂逅を果たせば、イゾルデはその思いから解放されるのか。

現実は想いとは違い、何度でも擦れ違い繰り返す。それがどんなに自らが望まぬ事だとしても、繰り返し繰り返し。

何百何千という夜の果てに、忘れていた物を思い出し、手放したくなかった想いを捨ててしまう。そんな空しい朝焼けの中、イゾルデは刀を片手に庭に出ていた。

日本庭園風の中庭の中、刀を抜いてそれを振るう。朝焼けを切り裂くように振るわれた銀色の輝きは儚く、終らぬ世界の再来を誇示するかのようにずっしりとその重さを手のひらの中で感じさせていた。



⇒明けない、夜の向こう(3)



モスクワでのセカンドグランドスラムの原因に、桐野香澄が関与しているという情報がどこからとも無く流れた。

それは当然第三生徒会のメンバーの下にも届き、彼女たちはそれを知る事になる。真偽は兎も角、彼女たちはその現実に胸を痛めた。

冬休みを目前とした高校最後のクリスマス。本来ならば全員で大騒ぎするはずだったその日、メンバーは誰一人として会う事は無かった。

それぞれの胸の内、そして立場と今までの自分たちにケリをつける為に。誰一人として、誰かと時間を分かち合う事は無かった。

すっかり雪の溶けた道を歩く響の姿があった。白いコートのポケットに手を突っ込み、クリスマスの賑やかな夜の中、一人でふと立ち止まる。

他の皆は何をしているだろうか? そんな考えが脳裏を過ぎる。考えたくは無い現実と認めたくは無い現状、そして変える事の出来なかった未来。

後悔と戸惑いだけが胸の中に渦巻く最中、響の後を追い、走るありすの姿があった。二人は肩を並べて歩き出す。やがて響が手を差し伸べると、ありすはその手を取って握り締めた。

二人の共同生活が始まったのは、ありすがキルシュヴァルツと成る事が決定したその日からだった。言い出したのは響の方からで、今は一人で生活しているありすの為を思っての事だった。

響の自宅は都内有数の高級マンションの一室にある。如月関連企業の重役である両親の元に生まれた彼女は資金面で生活に苦労する事は一度もなかった。一人暮らしを反対された彼女に最低限これだけはと親から押し付けられた高級マンションの一室は、冬風夫妻から娘への最低限の思い遣りだったのだろう。

指紋と網膜認証でしか開く事の無いゲートを潜り、長いエレベータの中へ。それからまた長い通路を歩き、ようやく自宅へと辿り着く。

初めてその自宅を見た時はありすも流石に驚いた物だが、あれから数日。この部屋で暮らすようになってからは、流石に慣れという物が生まれた。

上着を脱いで窓の向こうをぼんやりと眺める響の隣、その浮かない表情を見つめるありすが居た。二人の同居生活は勿論これからの戦いを考えた物でもあり、二人はお互いの事をもっと知らねばならなかった。

響は思い返していた。自らがキルシュヴァルツの適合者とならねばならないという現実を前に、その理解不能な事実を日比野に問いただした。


「そもそも、結晶機というものがなんなのか君にはわかるかい?」


「ミスリルと同じ力を持ったロボット……ですよね?」


「そうだね。厳密にはミスリルそのものだ。そもミスリルというものは人間に寄生し、その人間に成り代わる。彼らは人間の姿をしているが、その中身は全く別の存在だ。身体を分解、再構築し、自らの本来の姿を露見させる。結晶機はミスリルという存在を人類が操れるようにいじったものに過ぎないんだよ」


「では、今までの結晶機も……?」


「元々はただの人間だよ。ミスリルもそうだ。ミスリルに寄生され、人間ではなくなった者をコアとして運用し、機体の内側に閉じ込め、従順な力にしたものが結晶機だ」


それはキルシュヴァッサーも、不知火もエルブルスもステラデウスも変わらない。そのどれもが中身は元々ただの人間だった人物であり、その人柱の元に成り立っている。

そんなことは感づいていた。感づいていたのに知らないフリをしていたのは響の方で。だからそれは誰を責める事も出来ず、悔しく拳を握り締める事でしか形に出来ない苛立ちだった。


「本来ならばありす君もただのコアとなってもらいたいところだけど、キルシュヴァッサーのケースを見ているとそれが最善とも言えないようだしね。自立性を持ったコアは相乗効果でパイロットの能力を引き出す可能性を秘めている。国連も如月も日本政府も、キルシュヴァルツにはキルシュヴァッサーの代わりとなることを期待しているからね」


「それを……子供に押し付けるんですか? こんな小さな、ただの女の子に……」


「今更そんな事を口にする権利はないんだよ、冬風君。僕も、勿論君も。そうしなければならなかった。そうしなければ生き残れなかった。東京フロンティアも他のフロンティアプロジェクトも、全てミスリルの侵略により滅んでいたさ」


「……何故、私なんですか? 私は、パイロット適正が無かったんじゃ……」


「ただ単純に今までは君よりもパイロット適正の高い適合者が余ってたからそれでやりくりしていただけだよ。海斗君やイゾルデ、香澄君の適合力は非常に強かったからね。彼女たちに比べれば君は勿論劣っているが、それでも動かせないわけではない」


「そんな事言われたって……っ!」


「何か君は思い違いをしているようだね」


日比野は眼鏡の向こう、冷めた瞳で響きを見下ろす。


「これは命令なんだよ。如月重工としての……国連としての……日本政府としての、ね。君たちに断る権利は存在しないんだ。人類を守る為に、僕らは理不尽を振りかざしてきた。それは君たちもそうだし、今までも、これからもそうだ。可哀想だけど、僕はどうにもしてあげる事が出来ない。君が、君の意思で戦ってくれる事を祈っているよ」


日比野の言葉を無責任と感じる資格はその場に居る誰にもなかった。

誰だって納得など出来ていない。それでもやらなければならないのだ。誰かが。彼女が。

ではやるしかないではないか。そう思い込むしかないではないか。例え相手が元・仲間だったとしても。元・愛した人だったとしても。

現実は甘くはないし、しかし残酷でもない。それは緩々と与えられた猶予を、残酷な現実が待つという未来の前に存在した執行猶予を、無駄に使ってしまったのが悪いのだから。

大人になれば分かる事がある。大人にならねば判らない事もある。大人になりたくてなったのか、それともなりたくなかったのになってしまったのか。

どちらにせよ立場と義務の前に彼女は大人しくなるしかなかった。反論は飲み込み、今の自分に出来る事を探すほかに無かったのだ。


「響さんは、お兄ちゃんの事が好きだったんでしょ?」


床暖房の効いたフローリングの上、膝を抱えながらTVを眺めていた響にありすはまるで当たり前のように訊ねた。

不意をつかれた事もあるし、その張本人の妹であるということもあった。一瞬戸惑った後、響は苦笑する。


「今更もうどっちでもいい事だけどね」


「あたしはそうは思わないな。戦うのに大事な部分だと思う。あたしはお兄ちゃんの事、大好きだし」


「……ありすちゃんはどうして戦えるの? あの桐野香澄君なんだよ? ありすちゃんが、べったべたに好いてたお兄ちゃんなのに……」


「だからこそ、だよ」


ポテトチップスを食べていた指を舐め、ありすは表情も無く顔を上げる。


「ありすはお兄ちゃんの事を助けてあげたいの」


「助ける?」


「うん。響さんはパートナーだから、事前に言っておくね。あたし、お兄ちゃんを倒したらそのままお兄ちゃんを連れてどこかに逃亡するから」


あっけらかんと裏切りを告知するありす。しかし響の中に驚きはなかった。むしろ、あのありすが兄を本気で殺そうと考えているというほうが非現実的である。


「お兄ちゃんを助けられるのはお兄ちゃんと同じ立場にある人間だけだから。お兄ちゃんもきっと今、凄く苦しんでると思うから……」


「……どうしてそれを私に教えてくれたの? 私はチームキルシュヴァッサーの……香澄君と戦わなきゃいけない人間のリーダーなんだよ? 私が貴方の反乱を報告しないと思う?」


「思う」


またもやあっけらかんと言い放ったありすの真っ直ぐな視線に思わずたじろいだ。


「響さんは言わないよ。響さんがどんな人かは、一応分かってるつもりだから」


「信頼してくれてるんだね」


「パートナーになるんだから、当然だよ。だから、嘘はつかない。つきたくないから」


子供ならではの真っ直ぐな瞳に気圧される。ありすはきっと、自分よりもずっと強い気持ちで生きているのだと思い知らされるから。

兄の裏切りや自らのミスリル化、様々な苦難の最中にあるというのに、ありすは強かった。泣く事も無ければ喚く事もない。心の色を奪われた彼女ならば当然の事でもあるのだが、しかしそれはやはり強さに他ならないだろう。

ぱりっと、ポテトチップスをありすが噛み砕く音で我に返った。それから深く溜息を漏らし、額に手を当てる。


「……っとに、ダメだなぁ、私は」


「ダメなんかじゃないよ」


膝を抱え、ありすは指を舐める。


「ダメなんかじゃない」


言い聞かせるような言葉。

それは一体、誰に向けられた物だったのか。



「君とこうして会うのも、随分と久しぶりだね」


クリスマスの寒空の下、如月本社ビルの麓で向かい合うイゾルデ・エアハルトと如月崇行の姿があった。

スーツ姿の崇行は珍しくスカートで出歩くイゾルデの服装を眺め、思わず微笑む。昔馴染みの二人……特に崇行にとってイゾルデは妹のような存在だった。

車に乗った二人はそのままかつて暮らしていた都内に存在する崇行の家へと向かった。元々は崇行が住む家ではなかったが、今ではそこは彼の一応の自宅である。

そもそもあまり帰宅する事のない明かりの消えた家はどこか寂しげに見えた。玄関の鍵を開け、家へと上がる。完全な和風建築のその場所の懐かしい空気にイゾルデは目を細める。

思い出に浸っている余裕はなかった。二人は囲炉裏を囲み、揺らぐ微かな炎を前に対峙する。イゾルデの傍らには、かつて姉と呼んだ女から受け継いだ刀があった。


「せっかくのクリスマスだっていうのに、僕なんかと一緒に居ていいのかい? 君くらい可愛ければ、引く手数多なんじゃないかい?」


「……そんなことは在りません。それは……私は元々、女らしさからはかけ離れていますから」


「そうかな? 今日の服装は似合っていると思うよ。普段の和装も素敵だけどね」


崇行に褒められ、思わず顔が赤くなる。しかし今はそんな事で喜んでいる場合ではなかった。

意を決し、イゾルデは顔を上げる。そんなイゾルデの気持ちを見透かしていたかのように、崇行は缶ビールを傾けながら真剣な眼差しでイゾルデを見つめていた。


「キルシュヴァッサーと桐野香澄の事について……かい?」


「……はい。私は今回の件、正直に言って納得出来て居ません。桐野香澄の情報は勿論把握していたつもりですが……彼の行動の裏にはもっと何か複雑な事情があった気がしてならないのです」


「イゾルデ。僕はエアハルトの人間ではないし、如月の社員でもない。東京フロンティア公安部の人間なんだよ? 国家機密でもあるキルシュヴァッサーの情報を、むざむざ君に白状しろっていうのかい?」


「無理は承知です。ですが今の私に頼れる人は……貴方しかいないのです」


祈るような気持ちで呟いた。

崇行が如月やエアハルトといった家柄の括りを嫌い、会社とは無関係に行動している事をイゾルデは知っている。東京フロンティア内部でも特に結晶機やミスリル関係の情報はトップシークレットとされ、民間への漏洩が最も恐れられている項目である。

公安に所属する彼がそんな情報をぺらぺらと部外者であるイゾルデに話したとなれば大問題であり、それは国家反逆罪以外の何者でもない。死という罪状を突きつけられて当然のそれを、今彼女は目の前の恩人に求めようとしていた。

他の誰にも。親友である響にさえ見せたことの無い、不安と悲しみの入り混じった揺れる瞳。崇行の心を覗き込むように、イゾルデは唇を噛み締めて男を見つめる。その動作はエアハルト家の令嬢として育った彼女らしからぬ、歳相応の物だった。

崇行はビールを飲み干し、あぐらをかきながら深く息を付く。瞳を閉じ、開いて。それからぽつりと語り始めた。


「……桜花が死んでから、もう十年になる」


如月桜花。

如月崇行の許婚だった女性であり、幼少の日、イゾルデと共に暮らした姉代わりでもある。

桜花が死んだ時、イゾルデはまだ八歳だった。その現実を受け止められず、悲しみに暮れていた彼女を慰め、共に過ごし傷を癒したのが崇行であった。

キルシュヴァッサープロジェクト完遂の為、エアハルト社社長である彼女の祖父、さらには両親までもが日本へと移住し生活する事を始めていた当時、イゾルデは仕事で忙しい家族とは会う暇も無く、プロジェクトの為に手を組んだ如月の家で過ごす事になった。

当時は日本語さえ喋れなかったイゾルデは如月の人間に心を開く事はなかった。そんな彼女へと手を差し伸べたのが、この屋敷で暮らしていた如月桜花であった。


「君は昔から、桜花だけにしか懐かなかったね。僕でさえ、口を利いてもらえるようになったのはかなり時間が経ってからだった。君は人見知りが凄くて……。僕は竹刀でぶっ叩かれたこともあったね」


顔を真っ赤にして小さな声で言い訳するイゾルデを見つめ、崇行は優しい笑顔を浮かべる。囲炉裏の炎を見つめ、揺らぐその景色の中に過去の記憶を重ねていた。


「君は桜花に付きっ切りで……。だから、桜花が死んだ時、僕たちは一緒に途方に暮れた。君が目の前で泣いていたからなんとかしなきゃって思って、僕は頑張れた。君がいなかったらきっと僕は立ち直れ無かったよ」


「……それは私も一緒です。崇行が居てくれなかったら、私はきっと心が折れてしまっていた」


「桜花は許婚の僕よりも君の事を気にしていたくらいだったからね。僕は君を守らなければならないと思ったんだ。それはあの日に始まり、今でも変わらない」


真剣な眼差しでイゾルデを見つめる崇行。悲しそうなその表情の原因は勿論イゾルデにあり、彼女はそれを判ってたから言葉を飲み込んだ。


「君ももう随分と大きくなって、見違えるくらい綺麗になった。いい加減、兄貴面するのは止めるべきなのかもしれないね」


「……崇行」


「――結晶機を動かす事が出来るのは、一度でもミスリルに感染した人間だけだ。その感染度合いが高ければ高いほど……より中身が人間とはかけ離れているほど、結晶機との適合力は上がっていく」


人類には理解できない原理で機能する結晶機を、人類が動かす事は当然不可能だった。

そこで人類はミスリルに目をつけた。ミスリルにはお互いの記憶を交換したり共有したり、人格や能力でさえ自在にやり取りする事が確認されている。

それら『ミスリル同士による干渉』を利用し、操縦能力とすることに目をつけた人間たちが居た。


「――『フェリックス機関』」


当時、ミスリル研究において最先端をひた走る日本とドイツに追いつこうと各国は躍起になっていた。

その中でも特に人権的に非道と感じられる実験をも許可され、屍の山を積み重ねながらもミスリルについて研究する人々が居た。


「ロシアはソビエトだった頃から既にミスリル研究を行っていたりもしたから、他国への競争意識は強かった。まあそれは今も変わらないからフェリックス機関が残っているわけだどね」


「では……適合者とは……」


「平たく言えばミスリル感染者だ。響君は後天的だが、ミスリルに取り込まれた経緯がある。当時キルシュヴァッサーのパイロットだった海斗君が浄化したものの、一度ミスリル化した人間は元に戻る事はない。身体のつくりがもう違ってしまうからね」


「……ですが、それは」


「ああ。君はミスリルに寄生された覚えなどないのだろう?」


イゾルデは頷いた。勿論、彼女の記憶の中にそんなものは存在しない。

イゾルデ・エアハルトという少女は今まで確かに少々非凡だったものの、ミスリルになったなどという突拍子も無い設定を所持した覚えはなかったのだ。

崇行の表情が悲しげなのには勿論理由があった。イゾルデは薄々、その正体に気づきはじめる。崇行もそれに気づいたのだろう。語る口調は衰えず、事実を淡々と語っていく。


「当時、日本に流出したその技術を使い、何とかミスリル能力を持ったパイロットを生み出そうとした男が居た。彼は後天的にミスリルを寄生させるよりも、長い時間をかけ身体を完全にミスリルとして再構築させたほうが強い適正を発揮する事を知り、ある計画を立案した」


「まさか……」


「その、まさかだよ。彼は当時まだ生まれたばかりの赤ん坊およそ百人に、ミスリルを寄生させるという実験を行った。その結果……君や、海斗君……香澄君のような、不幸な子供たちが生まれてしまった。その計画が実行されたのが、今から十八年前」


「…………私も、本当はミスリルであると……。そういう事なのですか?」


「そうとも言えるし、そうではないとも言える。そもそもイゾルデ? ミスリルと普通の人間とを隔てるものは、存在しないんだよ。外見的に判断出来ない両者を区別するなんて事、張本人にだって不可能だ」


「じゃあ、香澄はこれを知って!?」


思わず立ち上がるイゾルデ。囲炉裏の中、薪の割れる音が響いた。


「ですが……だって、ミスリルはメモリーバックを行わなければ、生きていけないのでは……!?」


「その通りだ。だから君たちは自らの記憶を消耗して生きている」


イゾルデの瞳が見開かれる。頭の中で繰り返される謳歌の映像。そして、自らが信じてきた過去の全て。


「君たちは思い出をすり減らして生きている。君たちも知らないうちにね。他人の頭の中を覗き込むことは出来ないように、君たちは凄まじい速度で失われていく思い出に気づく事は絶対にない。自分の頭の中を他人と比べることは出来ないのだからね。だから君は今、数え切れない思い出を失いながら生きている事に気づいていないだろう?」


驚きのあまり声も出なかった。それはとても……とても残酷な事実だった。

ゆっくりと消えて行く思い出。そしてそれをあたかも最初から無かったかのように感じ、違和感を覚えない自分。あるいはそこに該当するべきものを、違和感のないように自然と捏造してしまう恐怖。

ぐちゃぐちゃになっていく偽りで凝り固まった記憶の中、自らの信じるべきものさえもが分からなくなる。分からなくなったその先に存在する死に向かい、緩やかに歩き続けているのだ。

その場に膝を着き、愕然とするイゾルデ。彼女は彼女なりにそれを覚悟して此処に来た。しかし、香澄の事を思うと愕然とせざるを得なかった。

孤独な中、自らの大切な記憶を失い続けている事を知ってしまった香澄。その時自分たちは彼に嘘をついてしまった。決定的な嘘を。

記憶を誤魔化してしまえばそれは意図していたのだと誤解されても仕方の無いことだ。香澄の知った二つの事実から来る絶望を理解したイゾルデは胸に手を当てる。


「……何てことだ。これじゃあ、香澄を利用していたと思われても仕方が無いじゃないか」


「事実、人間は君たちを利用している。君たちがいつ裏切るかと監視をつけ、偽りの上に偽りを塗り固めて。僕と一緒に過ごした君の記憶さえ、君が勝手に捏造した……あるいは、僕たち大人が都合のいいように作り変えたものだったとしたら? それを知っても、まだ君は僕と向き合えるかい?」


イゾルデは答えられなかった。ただ息を呑み、沈黙する。沢山の思い出が脳裏を過ぎるが、事実を知った時そのどれもが急激に嘘っぽく見えた。

それはとても寂しい事だった。自分を疑わねばならないという事。大切で大切で仕方が無いものを疑わねばならない事。全てが嘘かもしれない恐怖。

居ても立っても居られないような、叫びだして逃げ出してしまいたくなるような絶望……。それを香澄は一人で味わってしまった。


「どうして……そんな事を?」


「人類はミスリルに勝たなければならなかったんだ。あれを倒せる力を生み出す必要があった。勿論それがいいとは思っていない。僕もそんなことは思っていないさ……」


ビールの空き缶を握り潰し、崇行は深々と溜息を漏らす。苦悩に打ち震えるイゾルデを見つめ、それから静かに瞳を閉じる。


「不知火の調子はどうだい、イゾルデ……」


「……え?」


「…………桜花は、君を望んでいた。だから、君が選ばれた。君の傍に居た。桜花は今でも君と共に居る。結晶機となって」


頭の中が真っ白になった。何一つ言葉が浮かばない中、無意識の内に刀に指を伸ばしていた。

しっかりと握り締めたその冷たい感触は彼女のそれと良く似ている。冷たくて硬くて、もう絶対に触れる事の出来ない存在になってしまった、かつての姉に。


「僕はね……イゾルデ。許婚を奪って、兵器なんかにした如月が大嫌いだよ。勿論エアハルトもね……。でも誰かがやらなきゃならなかったのはわかってるんだ。皆がいやだからって、やらないで済むことじゃなかったのも分かるんだよ。大人になると、もう行き場の無い怒りを他人に押し付ける事も出来なくなる。だから僕は公安なんて中途半端なところで働いている」


イゾルデの傍らに腰掛けると、その肩を叩く。触れられた肩にそっと手を伸ばし、イゾルデはゆっくりと顔を上げた。


「君を守ってほしいと、桜花に頼まれたんだ。君たちは確かに不幸だけど、何も知らずに居れば生きていけるんだ。だから無理を承知で僕もお願いするよ、イゾルデ」


ここでの話は聞かなかった事にしてほしい。

全てを忘れ、何事もなかったかのように、桐野香澄を討ってほしい。


「そうしなきゃ、君も辿る運命は……彼と同じなんだ」


その思いは、妹を思う兄のそれで間違いなかった。

震える手で大きな手を握り締め、イゾルデは頷く。全身の震えは恐怖から来るもので、何を信じればいいのかとたんに分からなくなった今、全てに答えを出すにはやはり時間が必要だった。


「…………少し、考えさせてください」


戸惑いの中の呟きを崇行は聞き届け、何も言わずに時を過ごした。

揺れる炎を眺め、イゾルデは一人でうずくまって涙を流した。自らの思い出に。信じるべきものに。仲間たちの為に。一人で絶望を背負ってしまった彼の為に。

何よりもただ、命を賭して何かを残そうとしてくれた、愛した彼女の為に。

答えは出ずに夜が明けた。

イゾルデは中庭で剣を手にしていた。

振り下ろした刃は朝霧を切り裂いて、まだ見えぬ明日を刀身に映し出していた。


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