有限の、永遠の中で(4)
「――――それって、どういう事?」
生じた亀裂の根本がどこにあるかなど、論ずるだけ無駄な事で。
今目の前にある決定的な溝に対し、出来る事も何もない。
降り積もる雪の中、桐野香澄はゆっくりと振り返る。風は無く、音も無い。静か過ぎる世界の中、響の言葉は香澄に届かない。
「ちゃんと言ってくれなきゃわかんないよ……? 香澄君、どうしちゃったの? 最近何か……変だよ?」
予兆ならずっと前からあった。ただそれを見逃していたのも、見つけたそれを手放していたのも彼女。故に誰も責められないし、香澄は当たり前のように瞳を濁らせる。
二人の間にある距離はたったの数メートルだというのに、その距離は底の見えない絶壁で二分されているかのように遠く感じる。早まる心臓の鼓動も、肩に降り積もる雪も、この世界の何もかもが警鐘を鳴らして居た。
白い闇の中、伸ばしても届かない指先はじれったく。霞んで消えてしまいそうなその姿は心許ない。何もかもが軽薄で非現実的にさえ思える幻想的な景色の中、それでも帰ってくる言葉は変わらない。
「お前たちとはもう一緒に居られない」
二度と聞きたくない言葉を二度言われる苦しみに胸が締め付けられる。
しかしその言葉を欲するのも、その言葉を確かめたいのもやはり彼女の選択で。故にそこにはきっと罪は無く。在るとすれば大人になりきれない甘い心だけだった。
「俺は、人間じゃないから」
香澄は丁寧に、繰り返す。その言葉を自分に言い聞かせるように。そして泣きじゃくる子供を、そっと宥めるように。
「俺は、ミスリルだから」
凍りついた前髪から雫が零れて堕ちる。
流れ続けては決して止まる事の無い時は。当たり前のように最初からそこにある世界は。
きっと誰に対しても平等な結末など、用意はしてくれないのだから。
⇒有限の、永遠の中で(4)
「……もう起きても平気なの? イゾルデ」
「うむ。鍛え方が違うからな。これくらい、どうってことはないさ」
本人がどう感じているかは兎も角、それはやせ我慢だった。しかしそれをわざわざ言葉にする必要性は感じない響は小さく息をついてその手を握り締めた。
昨晩より振り続ける雪は今、東京フロンティアの街を白く塗り替えようとしている。寒さと寂しさが降り注ぐ病室で、響は傷だらけのイゾルデを見つめては心を痛ませていた。
傷だらけのイゾルデ。暴走した香澄。同じく正気を取り戻さないアレクサンドラ。三つの要因とそれらが相互作用する現実に手も足も出ず、ただただやりきれない思いだけが胸に積もっていく。
この病室に入るつい数分前まで響はアレクサンドラと面会を行っていた。尤もそれは面会と呼べるほどの行為ではなく、無論意味さえもなかったが。
「……アレクサンドラ、どうしちゃったのかな。まるで私たちの事、見えてないみたい」
「……状態は相変わらず、か。佐崎に概要だけは聞いているが……」
「対象者内部にある強力な悪意のイメージを逆行させる能力――。そんな風に判断出来るかな。人の心の傷口を抉って、中身を引き抜くような攻撃だよ」
握り締めるイゾルデの手に込める力が自然と強くなった。響の意思とは関係なく震えるその手の意味を、親友であるイゾルデは良く理解している。
イゾルデもまた、自らの無力感に打ちひしがれていた。包帯が巻かれた自らの手をじっと見つめては静かに目を細める。
「某がやつの攻撃を受けなかったのはただの偶然だ。香澄とアレクサンドラは……何も悪くはない」
「それ、香澄君に言ってあげてよ……。あの人私の話全然聞かないの。むしろなんか……そのぅ……」
「――無視、か? あいつも分かりやすい奴だな。容易に傷口を他人に曝け出さないあのツンとした態度を見ていると、某は猫か何かを思い出すよ」
「猫、かぁ……。それくらい可愛気があればまだいいのにね」
苦笑を浮かべるイゾルデとは対象的に響は深々と溜息を漏らした。しばらくそのままぼんやりとベッドを眺めていたが、見る見る内にその両目に涙が堪り、それが決壊しそうになると同時に響は友の胸の中に飛び込んでいた。
「イゾルデ〜……! どうしよう、私どうしたらいいのかな〜っ!!」
「いててて……っ!? こ、こら……怪我人に何をする……」
「鍛え方が違うっていったじゃない!」
「それとこれとは話がだな……」
と、そこまで口にしてイゾルデは口を閉じた。それから繋いでいない方の手で響の頭をそっと撫で、自らもまたその温もりに瞳を閉じる。
本音を言えば、不安と後悔に苛まれているのはイゾルデとて同じ事だった。いくら心と身体を鍛えても、彼女たちは所詮未熟な人間に他ならない。表面上はどれだけ冷静を取り繕っても、絶対的な経験不足がその両足へと必死に絡みつく事もある。
むしろそれは本当に子供であるよりもより重く、より頑丈に。自らの足で立って歩かねばならない、自らの言葉で想いを伝えなければならない、自らの頭で考え、判断しなければならない。そう強く意識するような立場と年代にある事がより彼女たちを苦しめていた。
子供だからと言い訳などもう出来ない。けれども決して大人ではないし強くもなりきれない。中途半端な心と立場の成り立ち、与えられた自由と権利が時に思考を遮る存在になり得る。
ただ命令に従うだけならばどれだけ楽か。誰かに保障され、誰かに導かれ、誰かに正される行いならば、きっと迷う事もない。
特に響がリーダーとしての重荷を背負っている事をイゾルデはよく理解していた。そもそも彼女は本来ならばこんな所に居るべき人間などではないのだから。
「……お前はもう少し普段から気を抜いた方がいい。いざとなったとき脆いのは普段が頑丈だからだ。砕けて散れば元に戻すのは時間がかかる」
「自分のニュートラルくらい管理しろって事でしょ……? それくらい、分かってるけどさ……」
顔を上げた響は涙を拭いながら視線を反らす。鼻を鳴らすその様子は本当に参っているようであり、そしてそれはイゾルデの前でしか見せない姿だった。
「ああぅう……。全然上手く出来てないよ、私……。全然、何にも……」
「それはお前だけの問題ではないだろう? 我々はチームなのだから」
「でも、前は海斗が居たから……。海斗はやっぱり、私たちの中で大きい存在だったんだよ。彼が居なくなったから、私だって……」
「それは香澄を責めているということか?」
イゾルデの言葉にはっとする。顔を上げると、イゾルデは寂しげに微笑んでいた。
「そういうわけじゃ……。そんな、つもりで言ったんじゃないよ……。わかってるくせに……意地悪」
「だが事実だろう? お前の根本にあるその迷いのようなものは、海斗がいないから生じているものだ。その原因になった香澄を許しきれて居ないのはやはり問題なんじゃないか」
イゾルデの言葉は尤もな事だったが、それでも響は言い返したい気持ちでいっぱいだった。
今までも香澄の気まぐれな行いや我侭にだって目を瞑ってきたし、歩み寄る為の努力はしてきた。自分勝手な言動ばかりを繰り返し他人を受け付けない香澄の心を何とか開こうと努力したし、海斗が居なくなってからも憎しみと立場との両立を何とかしようと試行錯誤した。
その為にトランプもしたし食事もした。当たり前の友達であるように触れ合った。ふと気を抜いた瞬間脳裏を過ぎる悲しい言葉も、今まで飲み込んできたのだ。
だが、響は言い返さなかった。正確には言い返さなかったのではない。『言い返したくなかった』のだが。
「……ぎくしゃくしてるよね。やっぱり、チーム全体が」
「当然といえば当然なのだがな。戦いに賭ける思いも価値観も立場もそれぞれ違いすぎる。元々チームキルシュヴァッサーは、様々な勢力や人物の思惑の中に存在していた。それは某たちの代でもそうだし、その前でもそうだ。自由権利と力の行使を許されている我々の背後には様々な組織や人間がその我々が言うところの『自由』を監視している。表面上では分かり合ったつもりでも、立場が違えば語れぬ事も少なくはない」
寂しげに語るイゾルデのネガティブな言葉は響きにとって意外だった。イゾルデの言う通り、それは確かに事実なのだ。
如月の一族の血を引き、何れはその役割につかねばならない佐崎。キルシュヴァッサープロジェクトの共同開発者であるエアハルト社から派遣され、キルシュヴァッサーの運用状況を監視し報告しなければならないイゾルデ。
ミスリル事件の被害者として孤独を背負わされたものの、本来ならば戦いに全く無関係な木田。ミスリルを憎み、圧倒的だが非常に不安定な力を所持せざるを得なかった香澄。そして何よりも――。
「お前は海斗に救われたという理由で自主的にチームに加わった。だが今その海斗は居ない……。理由というもので言えば、お前が一番危ういんだろうな」
「……イゾルデ」
「お前は海斗がミスリルの脅威から救った人間だろう? 海斗にとってもお前は守るに値する理由だった。だからこそお前たちの間にあるのはただの関係ではなかった。互いに互いの理由を補足し合う、必要な立場だった。だからこそお前は海斗が好きだったんだろう?」
「……好きだよ、今でも。海斗はいつも、一人で戦ってたから。海斗はみんなと一緒にいてもどこか一人だった。いつも影を帯びていて……だからそんな彼をちゃんと笑わせてあげたかったんだ」
その理由を、香澄とイゾルデはもう知っている。
かつて存在した前世代のチームキルシュヴァッサー。そして海斗がそこに所属していたメンバー唯一の生き残りであるという事。元々誰がキルシュヴァッサーに乗っていて、そして何故今香澄がキルシュヴァッサーに乗っているのか。
それらの様々な事情は香澄を取り巻く環境の中では当たり前に知る事の出来る事だった。特に情報の管理を一括して行っていた響にとってはとても容易い。イゾルデはかつてのキルシュヴァッサープロジェクトについての事情をエアハルト本社より聞き伝わっているし、佐崎も同様に如月の人間として知らねばならなかった。
その誰もが口を閉ざし、香澄に伝える事を躊躇ったのはそれが躊躇なしに語れるような内容ではなかったからだというのは、恐らく言い訳になるのだろう。本当に仲間だと思うのならばどんなに過酷な現実とて突きつけてやらねばならない事もあるのだから。
非常にもなりきれず、嘘もつけず。かといって素直にはなれず、口を閉ざした。桐野香澄という人間が背負う重すぎる十字架の意味は、香澄と触れ合えば触れ合う程その重さを増して行った。
「……何だか、重たいね」
呟いた言葉はとても当たり前に口から零れ落ちた。
「私たち、どうしてこんなにかみ合わないんだろう」
祈るようでさえあるその様子にイゾルデは答える術を持たなかった。
二人の間に沈黙が広がり、意図せぬ内に重苦しい空気が漂い始める。何がやりきれないと言えば、恐らくそこにあるのだろう。
問題点がわかっていても。それを解決しようとすれば、何かを傷つけ何かを失う事になる。それが痛いほど分かっているから、どうにも動きが取れないから。
嘘で取り繕った表面上だけの関係……。分かりきっていた。それでもそこに大切な思いを見出したくて彼女たちはもがいていた。
光の無い海の底で。真横でさえ見えない暗闇の中で。伸ばした指先に触れる微かな感触が本物なのだと、信じたくて仕方が無かった。
今はそれがとても頼りなく思える。自分たちのしてきた事にどれだけの意味があり、これから先どうなっていくのか。見えない未来のイメージに脅え、不安で押しつぶされそうになる。
「……弱いね、私たち。特に私は……リーダーなんかやるべきだったのかな? 佐崎君とか、イゾルデのほうがよっぽど向いてるのに……」
「……某や佐崎としては、勢力に関係のない第三者にやってもらいたいという思いはあったがな。如月とエアハルトも所詮は別の企業であり、志を同じくしているとは言い難い。だが何より我々は、お前だからこそその役目を預けられると判断したのだ」
「何を根拠に?」
「根拠などない。根拠のある事など、この世にはそうそう存在しないよ響。強いて言うならば……女の勘だ」
余りにも無根拠な理由だというのに堂々と言い放ったイゾルデに思わず笑みが零れる。
「どうしたら強くなれるのかな……」
握り締める掌。あの日、相対したミスリルの言った言葉が脳裏から消せない。
それはずっとずっと前、何も知らなかった彼女が目にした恐ろしい怪物の瞳が訴えかけていた物と全く同じだから。
ミスリルという脅威を前に、彼女は何も出来なかった。ただ涙を流し、おびえながら逃げ惑う事しか出来なかった。
本当は分かっているのだ。強くなんてなれなかったのだと。何も、何一つ出来なかったのだと。
香澄に対して言葉を尽くしたわけでもなく、想いを伝えきったわけでもない。キルシュヴァッサーに向き合おうとしなかった香澄をチームに引き込んだのも、結局は海斗の力があったから。
「私まだ……何もしてないよ」
悲しい時、いつも誰かが傍に居てくれた。
危機に陥った時、いつも誰かが救いの手を伸ばしてくれた。
香澄を迎え入れたのは自分の力ではない。海斗を失って悲しみに暮れていた時、その罪の在り処を背負ってくれたのは香澄だった。
そのどうしようもない、努力の足りない、自分の弱さに甘えている自分自身が、何よりもどうにも。どうにも、許し難かった。
「……多分、罰なのだろうな」
イゾルデの言葉に顔を上げる。
「我々は、言葉を尽くす事をしなかった。お互いにあの場所に甘えていたんだ、きっと」
立場や役割なんて関係ないくらい、生徒会室での時間は楽しかったから。
「だから、甘えていたから、かみ合わなくなる。だから今度こそ……今度こそ、本当に分かり合えるようにしよう。今の我々ならば、それが出来るはずだから」
「……うん。嘆いてたって、どうにもならないよね」
不安だらけの今を変えたかった。
「どうにかしなくちゃいけないんだよね」
それがどんな事になるのかは勿論判らない。
「ちゃんとするよ、私……。責任とか……あと、色々あるしね」
「…………」
責任の所在を明らかにするのは難しく、恐らくそれはどこにもない。
そんな風に香澄が感じるのは、格子付の病室の中に閉じ込められ、膝を抱えているアレクサンドラを見たからだろうか。
光の届かない場所で、小さな声で何かを呟き続けるアレクサンドラ。それをただ格子の向こう側から眺めることしか出来ない自分。
二つの存在がどうしようもなく無力を訴えかける。あの時、アレクサンドラの言ってくれた仲間という言葉の温かさが逆に胸を締め付けていた。
「なあ、アレクサンドラ……。俺は、信じてもいいのか……?」
自分の心の在り処が此処なのだと。
守りたかったものや信じたかったものが、真実なのだと。
それら全てのものが虚構により生み出された物ではないのだと。
「今の俺に何が出来るのかがわからないんだ……。皆を信じたいけど……信じられないよ」
完全な泣き言だった。こんな状況にあるアレクサンドラにさえ甘えようとしている自分自身に吐き気がしたが、それでも香澄には他に言葉をかけられる人がいなかった。
皆居なくなってしまった。母は死に、父は消え、姉は自らの手で殺め、妹は自らの手で未来を奪ってしまった。仲間だと思っていた人々の中には嘘が紛れ込み、本当の気持ちはどこにあるのかさえ判らない。
ただ一人、今の香澄が信じる事が出来るのはアレクサンドラだけだった。戦う為に仕立て上げられた哀れなエルブルスの操り人形――。その立場と過去だけが、香澄が唯一本気でぶつかり合った彼女だけが、今の想いを打ち明けられる唯一の存在だったから。
握り締めた冷たい鉄格子は決定的な距離を香澄に突きつける。伏せた視線も、冷たい空も、今は全てが程遠い。
「戦っていいのか……? キルシュヴァッサーと共に……。こんな、俺が……」
「――良いのではないでしょうか? それこそ貴方に与えられた権利と自由なのですから」
何の気配もなかった場所からの声に慌てて振り返ると、そこには看護士らしき女が立っていた。しかしそれは一般の看護士と呼ぶには少々妙な外見をしている。
漆黒の看護服に長い長髪。金色の瞳と血を零したかのように赤い唇が闇の中でなお輝きを放ち、香澄をじっと捉えている。
「そんなに構えずとも大丈夫ですよ。怪しい物ではありませんから」
「……お前が怪しくないならこの世の殆どの人間は怪しくないと思うぞ。なんだその格好は……コスプレか?」
「似て非なるものですよ。やれやれ、黒くあることの美学は常々他人の理解を得がたいものですね」
女は香澄の手を引くと部屋の外へと連れ出し、そのままどんどん歩いていく。警戒しつつもそれについていってしまったのは投げやりになりつつある香澄の心境のためだろう。
雪の降り積もる中庭に出ると、女は振り返って微笑んだ。胡散臭いその笑顔と連想するには随分と無愛想だったが、香澄はかつて同じ場所で出会ったフランベルジュの姿を思い出していた。
「ここならば良いでしょう。邪魔も入らないでしょうし」
「……用件は何だ、ミスリル」
「――お見通しでしたか。では遠慮なく」
伸びた黒い影が女を包み込むと、その姿は溶けた粘土のようにぐねぐねと蠢き、やがて新たな形を生み出して行く。
そこに立っていたのはヴェラードと呼ばれる黒いミスリルだった。仮面の向こう側から覗く瞳が香澄を捉え、影は静かに収拾していく。
「始めまして、桐野香澄様。私の名はヴェラード。貴方の忠実なる僕です」
「……何言ってんだお前? 何でミスリルが俺の僕なんだよ」
「はい。それは貴方が我々ミスリルを従える存在であるからして」
あっけらかんと言い放ったヴェラードの言葉に香澄は目を丸くした。
理解不能な状況を前に、仮面の向こうの素顔は伺い知る事が出来ない。当たり前に様に恭しく頭を下げるヴェラードは敵意の欠片さえ見せず、香澄はその所作に戸惑いを隠せない。
「正確には、我々の王が認めた存在が貴方であるということですが。いえ、もうそんなことは関係ないのでしょうね、貴方の場合は」
「どういうことだ」
「オラトリオと遭遇して気づいたでしょう? 貴方の頭の中にある様々な記憶に……。故に今迷っている、と……そんなところでしょう?」
「それがどうした。俺がミスリルである云々とは関係ねえだろ」
「関係ありませんね。ですが逆にお尋ねしたい、香澄様」
身を乗り出し、ヴェラードは指先を香澄の眼前に伸ばし、問う。
「人と同じ外見をし、人と同じ心を持ち、人と同じ言葉を話す我々ミスリルと人間。それを見分ける手段を貴方はお持ちですか?」
「……それは」
「貴方自身がミスリルではないと、言い切れる根拠は? 貴方の中にある記憶が貴方の物である保障は? ミスリルは他人の記憶を貪り、それと同化し、人格を形成する存在です。『さも自らが体感したかのように』経験を取得し、進化する。その進化の果てに生まれた人格が今の桐野香澄ではないのだと、そう否定できるだけの証拠は?」
目の前の男が語る言葉は恐ろしいほどに説得力を持つものだった。言っている事は全て正しく、そして香澄の中に生じた疑問を一撃で吹き払うほどの物だったから。
姉を殺した記憶も。そして殺された側である姉の記憶さえも。それどころか記憶を吸い出したありすの思い出も、その過程も。全てが今は頭の中で渦巻き、ハッキリと認識出来ないものの様々な記憶が確かに香澄の中に存在している。
その上、姉を殺した記憶が消えてしまった理由も。そうするに至る理由さえも消えてしまっている訳も。常識的な回答では満足させることの出来ないものばかりだから。
全身を包み込む悪寒は寒さの所為ではない。自分自身がヴェラードの言葉に納得しかけている為である。
震える香澄の手を取り、ヴェラードは姿を変えてみせる。目の前で闇に描かれたその姿は、香澄が自らの手で壊した最愛の姉の物だった。
目の前に桐野秋名と全く同じ姿をした物が立っている。あの頃と変わらない姿で。それが堪らなく恐ろしく感じるのは、巨大な嘘の塊に他ならないのだと香澄が認識しているから。
「わたしは死んだけど、記憶は貴方が継いでいる。わたしは香澄の中に生きているの」
「……う、うわあああああっ!?」
ヴェラードを突き飛ばし、背後に歩みを進める。しかし視線を外すことは出来ず、二つの影は見詰め合う。
「わたしを殺したのは香澄だけど、わたしを死に追いやったのは人間なのよ? だから、香澄は何も悪くないわ」
「……うっ、うそだ……! 姉貴は……! 姉さんは……! 秋名は……っ!」
「本当の事よ、香澄。貴方はまだ、メモリーバックの仕方と整理の方法がわからないだけ。それさえ出来れば思い出すわ。人間がわたしを裏切った記憶だってね」
伸ばされるしなやかな指先が恐ろしい。香澄はそれを手で振り払い、逃げるようにその場を後にした。
足をとられる雪道の中、必死で逃げ回る無様な姿。それは必死に現実から逃げようともがく、哀れな子供の姿に他ならなかった。
雪の中、もつれた足の所為で転げまわる。立ち上がったその先に、桐野秋名は屈んで香澄を見下ろしていた。
「桐野秋名は、人間とミスリルの共存を望んでいました」
ヴェラードの言葉、口調。それは悲しげに香澄に語りかける。
「それを知った人間たちは、貴方の姉である桐野秋名を死に追いやったんです」
「………………嘘だっ!! 嘘だ嘘だ嘘だ、嘘だうそだ、うそだうそだうそだうそだうそだあああああああっ!!!!」
「真実が知りたくはありませんか? 桐野香澄」
目の前に居たのは姉ではなく、ヴェラードだった。
黒衣の男は香澄に手を差し伸べる。その手を取り立ち上がった香澄は今にも泣き出しそうな顔で身体を小刻みに震わせていた。
「ミスリルの全てが人間と争いたいわけではないのです。この世界で何とか普通に生きて行きたいのです。それを認めなかったのは、人間の方なのです」
「………………」
「真実は貴方の友人がご存知でしょう。確かめて見ては? 貴方の親友の言葉から。幼馴染の言葉から。彼女の仲間だった、彼の言葉から。貴方が判断し、貴方が決めなさい」
ヴェラードに触れた指先から一瞬で香澄の頭の中に様々なイメージが流れ込む。息付く間も無く問答無用に脳に送り込まれたイメージに思わず吐き気を催しながら、少年はヴェラードを見つめた。
「私の言葉が信じられないのであれば。信じられる言葉で。真実をお探しなさい」
背を向けて去っていくヴェラードの背中を見送り、香澄は雪の中一人で取り残された。
頭の中に刻み込まれた親友、進藤海斗の居場所を頭の中で反芻し、少年はその場で一人叫びを上げた。
誰に届くわけでもない絶叫は空しく夜の闇を切り裂き、言葉も無く香澄の心を押しつぶしていた。
〜キルシュヴァッサー劇場〜
*もう四十部かあ……編*
ありす「祝! 四十部達成〜! 本編がずううううっと暗いからあとがきくらいテンション高くいこーっ!! というわけで、四十部も続きましたが!?」
海斗「続いてるね〜……。当初六十部で終るの目指してたわけなんだけど……。終る気配が見えないね……」
木田「何が凄いって今だ何もかも中途半端なところだよな」
海斗「レーヴァテインで四十部って言ったらもう結構進んでたよーな」
木田「テンポ悪いよな」
海斗「ていうか暗いよ……」
ありす「うがああああああっ!! レーヴァテインと比べて〜とか言うな!! 泣くよ!?」
海斗「これから明るくなる……んだよね?」
ありす「そうに決まってるよ! 落ちるとこまで落ちたらあとは上がる! これ鉄則!」
海斗「信じていいんだよね、それ……」
ありす「そんなわけで四十部過ぎちゃったけど、無事ここまで続ける事が出来ました!」
海斗「これからも見捨てないでやってください」
ありす「ありがとうございまーす! せんきゅーべりーまっち!」
木田「……テンション高っ」
というわけで、はい。神宮寺飛鳥です。
更新を待っている人がいるかどうかはわかりませんが、もし居たら最近更新遅くてすいません。色々やっていたらなんだか時間が過ぎてしまいました。
え? 色々って何、って? それはまあ、TRPGとか……とは女神転生オンラインとか……。
あとはブログ書いたり……他の人の作品読んだりしてます。空想科学祭も無事終了し、色々と気が抜けたりしているわけです。
色々な事同時進行だから全部ちゃんと進まないという状況。時間が無いにもほどがあるだろう。
ちょっと短編とか書いてみようかなとか思って書いてみたりもしましたよ。でも評判は微妙ですよ。短編苦手ですよ。長編でも評判は微妙ですよ。長編も苦手だったら僕は何をすればいいんだあああああああっ!!!!
という、意味不明なテンションですが皆さんありがとうございます。読者様様でございます。
以下、更にどうでもいい事。
僕、香澄が嫌いっぽいです。
リ〇ドは結構動かしやすかったんですが、香澄君は十八歳という中途半端に大人な年齢なので馬鹿をやるにも真面目になるにも中途半端で、青春の苦悩を絵に描いたような恥ずかしい男の子なのでとっても動かしづらいのです。
『こいつ読者的にもどうなんだろうなあ……』といつも不安になります。まあリ〇ドの時もそうだったんですけどね。主人公書くのって難しいです。
自分の中で初の眼鏡主人公なのですが、こいつ眼鏡つけたり外したりが激しすぎると思います。彼の中でスイッチの切り替えなんでしょうが、だからってつけたり外したりめんどくさいと思うんですよね。
実際にこの間伊達眼鏡で生活してみたんですが、眼鏡って大変。コンタクトレンズにした響さんは正解ですね。でも目に異物突っ込むとか僕の中ではありえないわ。
当初僕の中で香澄君は絵に描いたような熱血キャラになる予定だったのですが、その予定はかなり遠回りになってしまいました。さっさと熱い男になってほしいのですが、どうにもそうは行きません。
四十部も過ぎたし、そろそろ彼には成長してほしいところ。元が割りと大人しかっただけにきっかり心が入れ替わらないから問題だ。
そして気づけば眼鏡+委員長になってる響さん。全然タイプじゃないはずなのにいつもこんなのが気づけば生まれている気がする僕。どうせ二部の主役は彼女とかですよ。
とかまあ、色々ありますが兎に角頑張ります! さっさと完結させて次の作品書きたいし! がんばるぞ! がんばるぞおおお!!