それぞれの、想い(2)
そろそろネタバレ編に入りたい。
打ち切らないようにがんばろう。
「……は? 受験?」
「そう、受験。香澄君今高校三年生でしょ?」
「ああ。高校三年生だ」
「もう高校三年生の十二月だよ? 卒業なんだよ? その辺わかってる?」
「…………カンッペキに忘れてた……」
そんな休日の午後。生徒会室で響の肩を揉んでいた俺に訪れた新たなる脅威……。
っていうか、マジで何もしてねえぞ。普通受験勉強とか色々……ああっ! なんか色々やってるうちに時間がガンガン過ぎちまったんだよ!!
完全に固まっていると、響は深々と溜息を漏らした。その仕草が何だかバカにされているような気がして気に入らない。
「まあ、実際うちはエスカレーター式にそのまま大学に入れちゃうわけだけど。三学期の期末の点数が悪かったら落第だよ?」
「そ、そうだったのか……。道理で受験シーズンなのにまるでどいつもこいつもいつも通りだったわけだ……」
というか教師連中の口からもそんなの聞いていなかったし、よほど大学に上がるのは楽なのだろう。この街の学生は小学生の時から管理されているわけだし、試験をする必要性は薄いのかも知れないが。
「流石に県外とかに行く子は勉強してるみたいだけどね。ていうか香澄君、進路希望は?」
「……ん? ああ、まずそこからか……。いや、キルシュヴァッサーのパイロットを続けるなら、このまま学生をやっていても動きづらいだけじゃないか?」
「そうは言うけど、君だってパイロットである以前に一人の学生、一人の子供でしょ? 一応将来の事とかちゃんと考えなきゃだめだよ!」
ずいっと身を乗り出して人差し指を眼前に突き出す響。こいつはいつもいつも思うが、意味もなく真面目なんだよな……。
キルシュヴァッサーでの戦いと俺の人生はもう切っても切れないものだ。どちらにせよ何らかの形で俺はミスリルを狩り続けなければならない。
わざわざ学生で居る必要は既に薄いのだ。如月重工の社員として扱ってもらえるんだろうし……。わざわざ大学に入っても意味はないような気がする。
それにこれといって将来やりたい事も無い。夢とか希望とか、そういう曖昧なものも、自分に出来る未来のビジョンもない……。
こうして冷静に自分の未来を考えてみると、猛烈に自分が空虚である事を思い知らされる。思わず溜息を漏らすと、響は頬を膨らませて俺の頭にチョップを叩きこんだ。
「とにかく! ちゃんと将来の事考えて! キルシュヴァッサーのパイロットっていう役割だけに人生全て賭けちゃう必要はないんだからねっ!!」
と、言われても正直困るだけなのだが……。
「……将来の事、か? 何だ香澄……急に真面目な話だな。まあいい傾向だが」
佐崎のヤツに相談してみたところ、そんな答えが帰って来た。読みかけの本を閉じ、佐崎は腕を組んで思案する。
「俺は将来はやはり家業を継ぐ事になるだろうな……。如月重工の社員……これといって他にやりたい事もないのだ、別段問題ないだろう」
「進学はどうするんだ? このまま直ぐに就職するのか?」
「……正直に言うとまだ決まっていないんだ、恥ずかしながらな。仕事といってもやはりキルシュヴァッサー関連になるだろうし、それなら学生の身分でも十分遂行できているしな。暇をもてあますんじゃないかと俺は逆にそこが心配だよ」
休日返上で生徒会室で本を読んでいるようなやつだ。まあそういう風に考えるのが当たり前なのかも知れない。
「お前はお前で事情があるだろう? ご両親と相談してはどうだ?」
「ああー……。うちは親いないからな。親父はどっか行っちまったし、母親は……」
「……ああ、そうだったな。すまんな、気が利かなくて」
「いや、気にしてねえよ。まあいいや、他のやつも当たってみるわ」
佐崎と別れ、廊下を歩きながら考える。
進路なんてものを真面目に考えたところでやはり意味は薄いのだろう。でもそれと向き合う事に意味があるのかもしれない。
俺はどちらにせよ結晶機と共にある。その未来といえば、当たり前のように今の延長線上にあるのだろう。
「……両親と相談、か」
そんなもの、子供の時からしたことねえよ。
結局、綾乃さんとはあの日ありすの病室で揉めてから一度も口を利いていなかった。自分の中であの人の存在の整理がつかないという事と、結局今でもありすの病室での事を俺が許せて居ないという事……。それから、どっちにしろあの人は家に寄り付かないからという理由からだ。
たまに会っても、声をかけられても俺は無視を決め込んで部屋に逃げ込んでいた。我ながら子供っぽいと思う。でもじゃあ、どうすりゃよかったんだよ。
「……ありす」
自分のしてしまった事と向き合うのが怖かったのだろうか。
それとも見舞いに行けばありすに気を使わせてしまうからだろうか。
結局、あれだけ喚いて大切だと言っていた妹と、もう一ヶ月以上顔をあわせていない。
もうすぐ日が暮れて夜が訪れる。俺は気づけば学校を後にし、病院へと向かうモノレールに足を踏み入れていた。
⇒それぞれの、想い(2)
大学というのは俺の人生にとって縁のないものだ。
姉貴は生活費を稼ぐ為、高校を出たら直ぐに就職してしまった。勉強家で誰からも愛された姉貴にはきっと素敵な学生生活が待っていたはずなのに。
今こうして再び前に進もうと暗中模索を始めたからこそ分かることもある。どうにも割り切れない事もある。
「だからって、逃げてる訳にもいかねーよな……」
病院を前に深く溜息を着く。自業自得……といってしまえばそれまでなのだが、どうしてこう俺は一々回りくどいんだろうか。
ありすに会ってどうするつもりなのだろう。ありすと何を話すつもりなのだろう。自分で奪ってしまった彼女の人生に、何が出来るのだろう。
頭の中でそうした未来を想像するだけで胸がきつく締め付けられるようだった。素直に思う……。逃げ出したい、と。
今すぐ走り去って何も無かった事にしたい。それくらい、俺は嫌だった。ありすに会うのが……綾乃さんに会うのが。
過去と向き合うのはどうしてこんなに苦しいのだろうか。泣き出したい気持ちでいっぱいになる胸、震える足を何とか前に進ませる。病院の自動ドアを潜ると、あの日の事が思い出される。
あの日は無我夢中で駆けつけた場所……。なのに今は、足が恐ろしく重い。まるで自分の物じゃないみたいだった。
「……バカか、俺は」
首を横に振る。瞼を開き、静かに歩き出した。
日が暮れた病院の中はどこか静かで、寂しい印象を受ける。歩く廊下に響く自分の足音に耳を傾けながらありすの病室へと急ぐ。
扉の前に立ち尽くし、静かに息を呑む。そうして扉に手をかけようとして、部屋の中に人の気配があるのに気づいた。
誰かが部屋の中を歩いている。ありすに声をかけている。それは決して大きな声ではなくて、よく聞こえなかったが。
扉を開くべきかどうか悩み、ドアノブに伸ばした手をゆっくりと引っ込める。俺が此処で入っていけば、場の空気が悪くなるだけではないか……そんな風に思う。
引き返すべきか、それとも踏み込むべきか。歯を食いしばり悩む俺の目の前で扉は勝手に開き、目の前に見知らぬ人物の瞳があった。
「あ……」
という情けない声をあげ、俺は後退していた。しかしよくよく見れば、目の前に居る人物は何故かメイド服を着用していて……。なんだこいつ。
「……桐野香澄、ですね?」
「……あ、ああ。あんたは……?」
「何だ、香澄か?」
部屋の中から聞こえる男の声。目を向けるとそこにはやたらと長身の男が立っていた。
ロングの金髪。サングラスの向こう側、鋭い眼差しがこちらを捉えている。なんというのだろうか、ライダースーツ……を、着用している。
「ほお。自分から見舞いに来るとは少しは根性が据わったみてえじゃねえか」
「誰だあんた……? ありすの知り合いか?」
視線をありすに向ける。ありすは結んでいた髪を解き、ベッドの上に座っていた。その感情の宿らない瞳に胸が苦しくなる。
じんわりと滲んでくる冷や汗に言葉が詰まる。なんともいえない息苦しさに思わず胸を押さえると、メイドに手を引かれ廊下に連れ出された。
「勇気は評価しますが、そう易々と乗り越えられるようなトラウマでは無いのでは?」
「トラ……ウマ? 何だそれ、あんたには関係ないだろ……」
「強がりは自分の手を見てから言いなさい」
そういって俺の手を掲げて見せるメイド。その手はバカみたいに震えていて、呼吸も滅茶苦茶に乱れていた。
それを認識した途端、全身の力が抜けてその場にがくりと膝を着いてしまう。激しい息苦しさと倦怠感……。言葉に出来ないパニックのような物がいつの間にか全身を支配していた。
「……大丈夫ですか? 少しどこかで気分を落ち着かせた方が宜しいかと」
「……だい……丈夫だって! なんだよあんた、変な格好しやがって……っ!」
「……随分と意地っ張りなんですね、貴方。秋名にそっくりです」
「姉貴を知ってるのか!?」
顔を上げると、メイドのスカートの中がモロに見えてしまった。思わず気まずい空気が流れる中、メイドは無言で俺の顔面を蹴り飛ばした。
それがまた容赦なくて盛大に廊下を吹っ飛び、脇にあった自動販売機に背中を激しく打ちつける。凄まじい痛みに歯を食いしばって耐えていると、メイドは俺の手を取ってまるで人形でも持ち上げるかのように軽々と立たせて見せた。
「いいから一緒に来てください。度が過ぎる強がりは残念ながら惨めですよ」
「ぐ……っ」
殆ど強引に手を引かれ、強制的に病院の外に連れ出される。
暗くなった中庭の中、ライトアップされた円形の果断の中、俺たちはベンチの前に立っていた。座ればいいのだろうが、どうにもそんな気にはなれない。
もう冬だというのに汗が止まらなかった。暑苦しくてネクタイを緩めていると、メイドは鋭く突き刺すような冷たい視線で俺を見つめる。
「少しは落ち着きましたか? 桐野香澄君」
「…………ああ。それで、なんだよあんたら……? ありすとどういう関係があるんだよ?」
「別に、古い友人なだけですが何か?」
「絶対嘘だろ!? ありすは十三歳だぞ!? お前らみたいな怪しいお友達が居て堪るかっ!!」
「外見と年齢、自分が知る経歴だけで相手の過去を決め付ける……。小さい男ですね、貴方は。童貞ですか?」
メイドは何故か先程から俺に対して妙に辛辣な気がする。ネクタイを掴み上げると、ずいっと顔を近づけてくる。
「ありすは良質な人間です。少なくとも貴方みたいに口ばかりで意地を張って意味もなく遠回りを繰り返すような、くだらない人間よりは。そんなありすの過去を貴方が憶測で語るのは筋違い以外の何者でもない」
「…………何で見ず知らずのてめーにそんなこと言われなきゃならねえんだよ? 調子に乗るなよコスプレ女」
余りにもイラっと来たので相手の胸倉を掴み返す事にした。自然と額と額をぶつける事になり、超至近距離でにらみ合う形になる。
そのまま暫く時間が過ぎた。俺たちはどちらからでもなく、同時に手と身体を離す。メイドの蒼い前髪が揺れ、氷のような鋭い視線がライトを反射して輝いた。
「頭どうにかなってんじゃねーかてめえ? このクソ寒い中どういう格好だよ馬鹿が。てめー見てえな変態女に分かったような口利かれたくねーんだよ、死ね」
「……そっちが貴方の本性ですか。品性の欠片も無いですね」
「てめーこそ猫被るのがお上手ですねえ。本性はヤクザかてめえ。普通見ず知らずの男に行き成り掴みかかるかよ」
「一端の男であるかのような振る舞いをしないでください。言葉の意味が穢れますから」
どうにもこいつとは永遠に平行線な気がする。完全に忘れていたが、そういえば今病室にはありすとあのわけのわからん男が二人きりになっているんじゃないのか。
思わず髪を掻き乱す。激しい苛立ちのお陰でさっきまでのわけの判らない苦しさは消え去っていたが、今度は頭の中がぐちゃぐちゃになるくらい目の前のメイドがイラついて堪らない。
「……はあ。もういい。あんたもう帰れよ。俺はありすのところに行くから」
まともに相手をしたところでしょうがない。この手のキチガイさんは基本的に人の話きかねーんだよ。正面から言い合っても馬鹿馬鹿しいだけだ。
そうして背を向けてポケットに手を突っ込んで歩き出すと、背後からメイドの声が俺の脚を止めていた。
「ありすの所に行ってどうするつもりですか?」
思わず振り返っていた。メイドの視線は酷く冷静で、まるでこっちだけが意地になっているかのような錯覚に陥らせる。
「貴方が今彼女の所にいったとしても、出来ることなど何もありません。むしろ彼女の心に負担をかけるだけです。迷惑なんです、貴方の存在が」
「……あ?」
「許しでも貰いに来たのですか? 少し反省したくらいで、過去を変えられるとでも? 無かった事に出来るとでも?」
その言葉は俺の中で恐らくアウトだった。我慢が出来ずに掴みかかり、女を睨みつける。
「図星を突かれて逆ギレですか。程度が知れますよ」
「……てんめえっ!!」
拳を振り上げる。しまった、まずいと思う瞬間にはメイドの顔面に拳を叩き込んでいた。
思い切り吹き飛ばされてレンガ敷きの大地の上を転がるメイド。拳に残る感触は完全に直撃を物語っており、一気に頭が冷静になる。
「……だ、大丈夫か!? 悪い、そういうつもりじゃ……」
慌てて駆け寄るものの、メイドは何事も無かったかのように立ち上がった。そうして俺を見つめ、片手を俺に向けてゆっくりと伸ばす。
「心配には及びません。この程度では全く問題はありませんから」
そう言って女は腕を横に振るう。直後、レンガも花もベンチも一瞬で凍りつき、恐ろしく冷たい風が足元を吹き抜けていった。
見れば自分の靴もスボンも凍り付いている。目の前で起きた理解不能な現象に、俺は一つの結論に達した。
「――――ミスリル」
舞い散る青白い結晶の欠片の中、メイドは黙って俺を見つめていた。
「化け物がありすに何の用だよ……! てめえら! ありすに何かしやがったら……っ!!」
「――やはり、貴方は秋名とは違う」
その呟きは小さい声だと言うのに俺の叫びを掻き消した。余りにも寂しげな、悲しげな呟き……。俺はそのメイドの冷たい瞳に見入っていたのかも知れない。
言葉も出ず、握り締めた拳のやり場も分からずにその場に立ち尽くす。氷の欠片は照明を反射してきらきら輝いて、背を向けるメイドを飾り立てる。
「貴方は秋名とは違いすぎる。だから秋名も貴方を認めなかった。受け入れなかった」
「……何を、言っている……?」
「貴方が彼女にフられた理由ですよ」
「――――は?」
訳が判らないはずなのに、心の中にストンと落ちて音も無く消えていくその言葉に戸惑いを隠せない。
メイドはそれだけ言い残し、ゆっくりと歩いていく。それは俺にも十分、十分すぎるほど追いつける速さだった。だというのに俺は、メイドを追う事をしなかった。
いや、出来なかったのだ。メイドの言葉が心の中で何故か何度も反芻して首を傾げてしまう。何を言っているのかわからないのに、目を反らせない……。そんな不思議な感覚に完全に囚われていた。
再び顔を上げたときその姿はどこにも無かった。我に返った俺は踵を返し、病室へと戻る。
病室の扉を開いた時、そこにはあの男の姿はなかった。開かれた窓から吹き込む風がカーテンを揺らし、ありすが俺をじっと見つめている。
「ありす! あいつらに何もされなかったか!?」
思わず駆け寄りありすに怪我がないか確かめてみるが、これといって外傷はなかった。顔色がよくないのは……相変わらずか。
「お兄ちゃん……。あの人たちは悪い人たちじゃないよ」
ありすの第一声はそれだった。その事実が何だか良くわからなかったが、自分の気持ちを速攻で否定されたような気がして悲しかった。
打ちのめされる俺に追い討ちをかけるのはありすの無感情な瞳だ。自分がそうしてしまった……一向によくなる気配の見えないありすの症状。失われてしまった感情……。それを否応無く思い出させるから。
「もう来ないでって言ったのに……。どうして来ちゃったの?」
「……それは。ありすのことが、心配で……。あと俺、謝りたくて……」
「謝らなくてもいいって言ってるでしょ? それに心配だったら……もっと早く来てくれても良かったんじゃないかな」
それが余りにも正論すぎて完全に言い返す言葉も言い訳も思いつかなかった。黙り込むしかない俺を見て、ありすは静かに疑問を口にする。
「……ねえお兄ちゃん。お兄ちゃんがあのロボット……キルシュヴァッサーに乗っているんでしょ?」
「ありす……」
「……ありすね、本当はずっと前から気づいてたんだ。お兄ちゃんが危ない事してるって。止めなきゃいけないんだって……。でもね、そうできなかったのはありすが弱かったから。お兄ちゃんの心や事情に深く踏み込めば、嫌われちゃう気がしたから……」
目を閉じ、首を横に振るありす。どうしてこんなに悲しそうな顔をするんだろう。俺はここに来るべきではなかったのだろうか。あのメイドの言う通り……。
悩んでいると、ありすは俺の手をそっと握り締めた。冷たいその手から伝わってくるものがあるとすれば……多分、俺への謝罪の気持ちだったんだと思う。
ゆっくりと顔を上げる俺の瞳をじっと覗き込むありす。言葉も無くただ見詰め合っていると、ありすは意を決したかのように告白した。
「ありすね、結晶機になるの」
その時俺はありすが何を言っているのか。自分の妹が、何をしようとしているのか……まるで理解出来なかった。
「もうね、決めたの。ありす、決めたんだ」
そういって何とか笑おうとして、でも笑えなかったありす。目を閉じて、静かに息を付いた。
「……ごめんね、お兄ちゃん」
何を言っているのか全くわからない。理解できないししたくもなかった。
俺はただその妹の手をぎゅっと握り締めて、馬鹿みたいに動揺することしか出来なかった。
それがあまりにも現実味のない言葉で。余りにも……余りにも、馬鹿馬鹿しくて。
何を言っているのか……意味はわかる。でもわかりたくない。俺は震える声で、何故か笑いながら呟いていた。
「……嘘、だろ……?」
ありすは笑いもしなければ泣きもしなかった。
ただただ俺の手を握り締め、俺をじっと見つめていた。
何か大切な、言葉や感情では伝えられない、深くて暖かいものを俺に伝えようとするかのように。