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友達と、呼べるのなら(2)

正直こういうシーンが一番苦手。


「……そんなに眠いの?」


というのは、目の前に腰掛けた響のセリフである。 ちなみに俺が思い切り欠伸をしたのが原因だ。

どうにも眠いのは、つい先程まで爆睡していたせいだろう。 自慢じゃないが最近は寝不足だ。

俺と響以外の誰もが楽しそうに遊んでいるのは室内プール。 50メートル、8レーンのプールサイドに組まれたビーチパラソルの下、テーブルの上にノートパソコンを広げ、響は水着のままトロピカルドリンクをストローで飲んでいた。

室内設備としては恐ろしく充実したこの空間にはちょっとしたウォータースライダーのようなものまで存在する。 冬だというのに日差しは強く、室温は暑い食らいだった。

流石にコンタクトレンズのままというわけにもいかないのだろう。 眼鏡をかけた響は水着の上に羽織ったワイシャツのボタンを緩めながら手で顔を扇いでいた。 暑いのなら泳げばいいのに、という俺の視線を無視してカラッポになったドリンクでストローを鳴らす。

俺はつい先程来たせいで完全に出遅れた状態にあるが、他の面子は全然そんなことは気にしていないようだった。 プールの中を美しいフォームで往復クロールし続けるイゾルデと離れた場所でボールを追いかけている木田、佐崎、アレクサンドラ。 何と言うか、本当にただバカンスに来ただけにしか思えない。

というかイゾルデはここまできてタイムを計らなくてもいいんじゃないか。 水着も競泳用だし……。 いや、ここまで来てパソコン弄ってる響もどうなのかと思うが。


「パソコン弄ってないで泳いだらどうだ? 暑いんだろ?」


とりあえずそのまま考えた事を口にしてみると、響はテーブルの上に突っ伏しながらストローの水滴をテーブルの上に点々と落としては黙り込む。 何か俺は気分を損なうような発言でもしてしまったのだろうか。


「そういう香澄君は泳がないんですか?」


「ん? ああ……正直さっき起きたばかりで眠い。 というか、もう子供じゃないんだしプールなんかで遊ばなくても……」


「下らない事を言うな小僧。 若いうちは何事も全身全霊で楽しんでおくものだ」


振り返るとそこにはいつの間にか土派手な水着を着用した社長が立っていた。 ワインのボトルを直接ラッパ呑みしながらニヤリと笑っている。

確実に酔っている……いや、普段から酔ってるようなものなのだろうかこの人は。 テーブルの上にワインボトルを置き、同時に俺と響の腕を取る。


「そら! 遊んで来いっ!!」


「どわああああっ!?」


「ひぇぇぇええーっ!?」


水中に投げ込まれた二人。 直ぐに水面に顔を出すが、この辺はどうも深くなっているらしい。 水深3、4メートルといったところか。

社長は既に俺たちのことは放置してプールサイドにマットを敷いて寝転んでいる。 本当に自分勝手な奴だ……っていうか、響は眼鏡かけたまま水中に投げ込まれたんじゃ……。

と、その姿を探すがどうにも見当たらない。 首をかしげて水中を見ると、響がじたばたして口から泡を吹きながら沈んでいた。


「……泳げねーんかいっ!!」


一人でツッコんでから水中に響を回収しに行く。 パニック状態なのか、大暴れする響の肘に顔面を強打されながら何とか水面へと浮上した。


「わーっ! わぁーっ!! 死ぬー! 死んじゃうーっ!! ふあー! あーっ! あああぁーっ!!」


「やめろ! 暴れるな! 先に俺が死ぬだろうがっ!!」


「絶対離さないで離したら死んじゃう本当に泳げない普通に無理絶対死ぬあと十秒くらいで死ぬおぼれる沈没するーっ!!」


全力でしがみ付く響は泣きそうになりながら一息に叫んだ。 そんなことをいわれても、おぼれかけてパニック状態になった人間を水中から引き上げるのは結構な体力が必要だ。

幸い投げ込まれた直後で陸に近かった事もあり、何とか二次災害という形にはならずにすんだ。 プールサイドに上に倒れた響はシャツと髪から水滴を零しながら嗚咽を殺して泣いていた。


「無理……無理……もう無理……本当に無理……」


ぶつぶつと何か呟いている響。 そりゃプールサイドでいじけてパソコンいじってるわけだ……。


「……フッ。 クックックック……」


しかし、あのパニクり方ったら無かったな。 子供だってもうすこし冷静だろうに。

笑いをかみ殺していると、目ざとく振り返った響が殺意を込めた目で俺をじっと睨みつけていた。 しかし面白い物は面白いのだから仕方が無い。 つい堪えきれず大笑いしていると響は泣きながら頭を叩いてきた。

その弱弱しいげんこつを片手で防ぎながら笑っていたら、もうなんだか色々なことがどうでも良くなってしまった。 この状況のことも、キルシュヴァッサーの事も、ついでにこいつにビンタされたことも。

まあ、そういうこともあるんだろうな。 人間なんだし。 気分の問題――って、やつなんだろうか?



⇒友達と、呼べるのなら(2)



「人間はね、陸上で生活する生き物なの。 水中に町がある? 水中に未来がある? 人間の世界は地上。 そう、地上なの。 水中に適応出来ない事は決して不思議な事なんかじゃないの。 それは進化の過程で確立された人間の地上に対する適応力の副産物に過ぎないの」


と、長々となにやら先程から呟き続けている響は長い髪を後ろで束ねながら目を細めている。 目を細めているのは恐らく視界を確保する為なのだろう。 陸に上がっても尚機嫌は直らず、顔を真っ赤にして言い訳を繰り返していた。


「……笑うなあーっ! もー! もおーっ!! 生徒会長なの! リーダーなの! 目上の人に対する態度ってものがぜんっぜんなってないよ、香澄君はっ!!」


「ハイハイ、すいませんね。 ところで準備運動はまだですか?」


「……だって、イゾルデが」


プールサイドに座る俺の傍ら、一生懸命身体を伸ばす響。 その隣では一緒に準備運動をするイゾルデの姿があった。


「遊泳前にはまず準備運動……これが大事だ。 ほら、もっと背中を伸ばして! いっちに! いっちに!」


「い、いっちに……いっちに……!」


「身体が硬いぞ響! 運動不足じゃないのか!?」


「うえーん……。 だって私デスクワークだもん……」


イゾルデは手を抜くという言葉を知らないのだろうか。 全力で準備運動するそのきびきびとした動作と身体の柔らかさにはいちいち驚かされる。

それに対し響はなんとも頼りない。 元々体力があるようには見えないし、ちゃんと食べてるんだろうか? という細さである。 ぎこちない動きで身体を伸ばす響は既にその時点でいっぱいいっぱいで顔を真っ赤にしながらしゃがんだり立ったりを繰り返していた。


「しかし、響の摂取する栄養素は主に胸に向かうのであろう。 そのせいで頭にも栄養が通わず、ちょっとおかしな子になってしまっているのだった……」


「……オイ」


振り返るとそこには水面から顔を出す三人の姿があった。 ニヤニヤしながら小さな声で人のモノローグに介入してきた木田は白い歯を見せて笑っている。


「いや〜、普段露出がないからなー、響もイゾルデも。 眼福だろう、香澄ちゃん」


「そういう問題か……? あいつらのズレた状態の前でそんな事を考える余裕は……」


「いやいや、皆までいうな香澄ちゃん! 座っているのは下から揺れる二人のおっぱいをながめるた……めええええええっ!?」


地上から木田の顔面の上に飛び降りると盛大な水しぶきがあがった。

ぷかりと浮かんできた木田をシカトしてアレクサンドラの隣に浮上する。 アレクサンドラはニコニコしながら二人の準備運動を眺めている。


「……アレクサンドラは泳げるんだな」


「ロシアに居た頃色々な訓練を受けたからね。 イゾルデはそれ以上みたいだけど」


あいつはもう特訓マニアみたいなもんだろ。 何もいわずとも素振りやら筋トレを始める具合だ。 もう一種の病気だといってもいいだろうな。


「……香澄はどう思う」


何やら真面目な表情で二人を眺める佐崎がこちらに顔を向ける。


「何がだ?」


「響のあのスタイルの秘密だ。 普段まるで動いていないいかにもトロそうな響があんなに細くて出るところは出ているのには何か秘密があるに違いない。 イゾルデが特訓狂で全身引き締まっているのは兎も角、響のあのおっぱいは神秘でしかない……」


この生徒会はこんなやつばっかりなのか?


「確かに響先輩のスタイルは日本人離れしてるかな? あたしは何で胸があんまり大きくならないんだろう?」


と、呟きつつ自分の胸を鷲づかみにするアレクサンドラ。 思わず同時に水中であるにも関わらず倒れそうになる俺と佐崎。 さて、どうツッコんだものか……。


「気にすんなってアレクサンドラ! 胸は大きけりゃいいってもんでもないぜ!? それに胸が大きいと頭が悪くなるというジンクスがあってだなぁ〜」


「そうなんだ。 だから先輩二人はあんなかんじなんだ」


それはどういう意味の発言なのだろうか。 アレクサンドラ本人が笑顔なだけに真相は謎である。

復活してきた木田を隣に並べ、四人揃って下から二人を見る形になる。 どうにも妙な状態になってしまった。


「よし、準備運動終了だ! 行くぞ響! まずは水に顔をつける練習からだ!」


そこからですか。


「はあはあはあ……! や、やっと準備運動が終った……。 も、もう息が……っ」


そしてあんたはどんだけ体力ないんですか。

仕方なく響に合わせ足がつくコースにまで移動する。 恐る恐る水中に足を踏み入れた響は急に野生の世界に放り込まれた飼いならされた小動物の如くキョロキョロキョロキョロ挙動不振を絵に描いたような素振りをしている。

腕を組み、堂々とした態度のイゾルデを正面にすると二人はどうにもデコボコに見える。 この組み合わせはいいのか悪いのか、よくわからんな……。


「兎に角顔をつけること、それからバタ足の練習だ。 響の身体は某が支えるから、響は両手で私の肩を掴んで水中に顔をつけてバタ足をするのだ」


「……い、いきなり難易度が高すぎるよう〜」


いやいや。 料理する前にさあ、まずは包丁とまな板を用意しましょう、って言うくらいの難易度じゃねえか。


「とにかくやってみることだ。 さあ、どんとこい!! それでも男か!?」


「女だようーっ!」


泣き言を呟く響は両手でひっしにイゾルデにしがみ付き、バタ足をしようとするのだが、予想外の問題が発生した。

一生懸命イゾルデにしがみ付こうとする余りフォームが滅茶苦茶になるということ。 そして顔を上げようとするとイゾルデに近づきすぎて高身長&大きさ的な関係で一々イゾルデの胸に顔を押し当てて響が窒息しそうになっていること、である。

ちゃんと腕を伸ばしていればもう少し問題が無さそうなものだが、そもそも響は水に浮かないのである。 自然とビビってイゾルデにしがみ付くと、胸に顔を埋める状態になる。 そのなんともいえない奇妙な状態のやりとりを俺たちは口を開けっ放しのまま唖然と眺めていた。


「……なんてコメントすればいいんだこれは」


「イゾルデ先輩、身長高いから」


「そういう問題か……?」


しかしこれでは全く進展しない。 仕方が無く佐崎がビート板と子供用の浮き輪を持ってくることにより状況は一応の好転を見せた。

一昔前のアニメのキャラクターがプリントされた浮き輪を身体に通し、ビート板を手にする響。 その姿が妙に似合っていて無性に笑えるのは言うまでも無い。


「笑うなあっ!!」


という本人の抗議も空しく笑いの渦が広がる。 とりあえず水に浮くようになった響はビート板にしがみ付き、一生懸命足を水面にたたきつけていた。

さて、何故こいつは今までここまで泳げないまま生活してこられたのだろうか。 小学生の時とか中学生の時とか普通に水泳の授業あったろうに。

最初は全員で響の無様な姿を眺めていたのだが、一向に前に進む気配のない水しぶきを巻き上げるだけのバタ足に飽きたのか、いつの間にかそれを見ているのは俺とイゾルデだけになってしまった。

他の三人は水の上にビート板を繋げて道を作り、それを駆け抜けられるかという遊びをしている。 アレクサンドラが走ろうとして水中に転落し、水しぶきが上がるのを俺はぼんやりと眺めていた。


「……某は響の運動音痴を少々侮っていたようだ」


「まさかここまで泳げない人間がいるとはなー……。 俺もビックリだ」


「はあはあ……。 も、もう無理……。 足が動かない……」


「そしてこの体力の無さ……。 響、それでもチームキルシュヴァッサーのリーダーか?」


「リーダーかどうかと運動能力は関係ないもん!」


「とはいえ、こんなんじゃそのうち戦場でうっかり転んで死にそうだな……」


「……香澄君のばーか。 いじわる。 香澄君が死んじゃえばいいのに」


最近こいつ俺に対する遠慮ってもんが消滅してねーかくそったれ。


「もういいよー……。 私一生陸上で生活していくから……。 お風呂とシャワー以外で身体の30%以上が水に浸かることは絶対無いようにしていくもん」


「実際それでも困らんのだろうが、諦めてしまうのは良くないぞ。 帰ったら普段の特訓に響も参加すれば良いではないか。 体力がつけばとりあえず浮くんじゃないか?」


それはどういう理屈なんだろうか。 そもそも響じゃ基礎体力が無さ過ぎて全く着いてこられないだろう。

頭をぽりぽり掻いて溜息を着くと、じろりと睨まれてしまった。 こっちの考えが読まれているなんて事はないよな……?


「まぁ本人が嫌がるのを無理矢理やっても仕方があるまい。 香澄、私と競争しないか? 一人でタイムを計っていても実は退屈なのだ」


「そりゃあそうだろう。 つーか無理、お前出鱈目に早いじゃねーかよ」


「フフフ、なんだ情けないやつだな。 男なら強がりの一つでも口にしてみてはどうだ」


「強がりと見栄は違うぞ。 まあどっちにしろお前はやれっていうんだろうけどな」


何故か二人して準備運動を始める。 かなり念入りに身体を伸ばし、イゾルデと同じ動作で手足を動かす。

勿論イゾルデに勝てるとは思わない。 先程コースを泳いでいたのが既に速いが、あれが全力という事もないだろう。 だがしかし、勝負事となれば負けるつもりはない。

負けず嫌いである自覚はある。 水泳はそれほど得意ではないが、あれだけ特訓してるんだ。 一応女であるイゾルデに負けるわけにはいかんだろう。


「まあ、仕方ねえ。 やるか」


「うむ。 よし、6番と7番でやろう」


「了解」


プールサイドで膝を抱えてタイルにのの字を描く響をほったらかし、俺たちはその後コースを何度か往復した。

何と言うか、イゾルデと一緒に居ると気が楽だ。 裏表が無いし、ちょっとやそっとでは揺るがないだけの強い意志を持っているだけにこっちがブレそうになっても落ち着かせてくれる威厳みたいな物を感じる。

まあ、社長の孫娘でブシドー趣向なんだからそれくらい当然とも言えるのかもしれないが、正直今までイゾルデのお陰で何とかやってこれた部分は大きい。 大きいのだが、何故こう二人になると一々暑苦しい展開になってしまうのか。


「まさか香澄に遅れを取るとはな……不覚」


「……いや、僅差だろ。 俺が女だったら負けてたんじゃ……」


「ん? 何故だ?」


いや、なんていうか。 水の抵抗の問題で?

どっかりとあぐらを掻いて座り込み、水滴の零れる前髪を悔しそうにいじりイゾルデ。 正直疲れるが、身体を動かすのは結構好きだ。 余計な事を考えずに済む。


「あー……。 平和だな」


思わずぽつりと呟いた言葉。 相変わらずビート板で遊んでいる連中とプールサイドでいじけている響。 俺たちはこうして何故か真面目に水泳やっててぐったりしている。 これが平和でなくてなんだというのだろうか。

普段は生きるか死ぬかの戦い、失うか得るかの選択、立ち向かうか忘れるかの感情に揺り動かされ、ちっともゆっくりできる間なんて無かった。

六月末にこのチームに入って四ヶ月。 まだ半年にも満たないのかと思うと本当に気が遠くなりそうになる。

毎日が怒涛の連打で、様々な思いの濁流に飲み込まれるようにしてここまで走ってきてしまった。 しかし、本当は順序が逆だったのかもしれない。

もっとこういう、普通の時間を俺は過ごすべきだったのだろうか。 そうして素直に今を楽しんで幸せを噛み締められたら、失う事もなかったのだろうか。


「……なんて、な」


もう考えても仕方のないことばかり。 いつまで引き摺っているのか、俺は。 全く情けないったらありゃしないな。


「どうした? 何一人で納得して清清しい顔をしている?」


「いや。 まあ確かに清清しくはなった。 疲れたらなんだか色々どうでも良くなったよ。 ありがとな、イゾルデ」


「礼には及ばん。 仲間だろう」


立ち上がったイゾルデは腕を組んだまま俺の隣に立ち、軽く肩でぶつかってきた。 その笑顔によろけながら苦笑する。


「やあ。 羽は伸ばせているかい?」


声に振り返ると、そこにはスーツ姿の男性が立っていた。 傍らにはメイド……多分この別荘のメイド……が、彼の荷物らしき鞄を抱えている。

三十代前半くらいの男性だろうか。 子供の俺が言うのもあれだが、若い割にはかなり落ち着いた雰囲気がある。 微笑を浮かべ、俺たちの傍らに立ち首をかしげた。


「久しぶりだね、イゾルデ。 それとこっちは……桐野香澄君、かな?」


「……はい。 イゾルデとは知り合い……い、イゾルデ?」


ふと隣を見てぎょっとしてしまった。 イゾルデの顔が真っ赤になっていたからだ。 今にも蒸気を吹き上げてお湯が沸きましたよといわんばかりの顔。 真ん丸くなった目が挙動不審に揺れている。

状況が理解出来ない……。 何が起きているのか。 常に堂々と腕を組んで仁王立ちしているのが当たり前のイゾルデが、何故こんな……。


「……だ、大丈夫か……? イゾルデ? おーい?」


肩を叩いた瞬間俺の身体は宙を待っていた。 何の予備動作もないところから腕を取られ、そのまま水中に投げ飛ばされる。

本日二回目の感覚に思わずああ、こいつら師弟関係なんだなあと思いながら赤いスーツの女とブシドードイツ人を脳裏に思い描きつつ、俺は水中へ……。

盛大な水飛沫をあげ〜……ってのはもういいか。 水面に顔を出すとイゾルデはいつの間にかタオルを身体に巻いてなんだか妙にくねくねした動きで男と話していた。

いや、くねくねしてるっていうか……もじもじしてる? そうだ。 いつも背筋を張って大股で刀を片手に歩くイゾルデ。 その動作は極めて男性的だ。 男の俺から見ても男らしいのだから、それはもう間違いないだろう。

それが急に女の子っぽい動きになったので凄まじい違和感を覚えるのだ。 思わず首をかしげていると、背後から肩を叩かれた。


「か〜すみっ」


「アレクサンドラか……。 バカ二人はどうした?」


「うん。 ビート板片付けるんだって。 あの男の人、あたしたちのお目付け役らしいから、危ない遊びは無かった事にするっていってた。 証拠隠滅?」


お目付け役。 つまり如月重工かエアハルト社の人間ということだろうか?

仕方が無く水中を移動しそういう事に詳しそうなリーダーの下に泳いでいく事にする。 プールサイドにあがり、膝を抱えたままの響の隣に立つ。


「響、あの人は?」


「……その前に、アレクサンドラちゃんのおっぱいに腕を挟まれる気分はどうなのかな?」


何か妙に柔らかいと思ったら腕にしがみ付いたアレクサンドラが……。 いや、お前はなんでそこで満面の笑みなんだ?


「香澄君って意外と普通に鬼畜だよね」


その評価はなんなんだ。 俺が何をしたっていうんだ。


「あの人は日本政府の人だよ。 東京フロンティアの公安所属員。 普通の人よりも特殊なポジションで、様々な法律やルールの外で動く事のできる所謂諜報員みたいな人だね」


「そんなのがいるのか……。 イゾルデのあれはなんだ?」


「……あれってなに? わあっ!? イゾルデが女の子になってる!?」


そのリアクションはチームキルシュヴァッサーのリーダーとしてどうなんだ?

まあそれも仕方ないくらいイゾルデの状態は異常だ。 思わず駆け寄って行ってしまった響が滑って転ぶのを見て俺とアレクサンドラも後を追う事にした。


「ひざすりむいたー……」


「バカ……音痴なのに走るからだ」


涙目になる響を引き起こし、何故かアレクサンドラと響に挟まれた状態で男の下に駆け寄る。


「……桐野君、またすごい状態で戻ってきたね」


「……俺にも何がなんだか……」


「ま、まあ始めまして。 僕は、如月崇行。 君たちの監督役だ」


「如月……? じゃあ、崇行さんも?」


「あ、いや。 僕は如月重工の関係者のようで違ったりするんだよ。 如月の出身だけど、会社には勤めてないからね……」


何やら複雑な事情があるらしい。 とりあえず如月家の人間……つまりあの社長の家族だか親戚だかということか。

それはつまり佐崎の親戚でもあり、イゾルデとは旧知の中であり……ややこしいな。 兎に角、政府の人間とだけ覚えておけばいいだろう。


「今日は姉さんを引き取りに来たんだ。 会社を抜け出して勝手にバカンスしてるって連絡を劉生君からもらったからね」


「成る程……。 やっぱりあの人はサボってきてたのか」


「ははは……。 まぁ、君たちにはあとできちんと挨拶に伺うよ。 キルシュヴァッサー計画も次の段階に進む時が来たようだし、ね。 それじゃあちょっと姉さんと戦ってくるから、君たちは離れていてね」


「はい。 …………ん? 戦う?」


全員で首を傾げながら崇行さんが社長の元に歩いていくのを見送る。 社長は日本刀を構えて崇行さんに切りかかり、崇行さんはそれを白羽取りで受け止めていた。

それから何故か格闘戦闘が始まり、社長は壁を両断し、屋外へと逃げ出していく。 宗助さんがそれを追いながらレシーバーのようなものに叫ぶと同時に各地から黒服の男たちが湧き出し、社長を追いかけていった。

何だかもう深く考えたら負けな気がして俺は目を閉じる事にした。 暗闇が広がる瞳の中、何も見なければきっと世の中から苦しみは消えるんだろうなぁとか考えていた。


「今の物音はなんだ……って、おい!? 壁に穴が!?」


「社長がぶった斬ってったわ」


「またあの人か……」


来るなり頭を抱える佐崎。 全く持ってご愁傷様といわざるを得ない。

何やらばたばたしたまま妙な空気になってしまったが、壁に思い切り穴があいて寒くなった事もありプールからは上がる事になった。

各々シャワーを浴び、一度部屋に戻る事になった。 とりあえず夕飯まではまだ時間があるので、それまでは自由行動である。

しかし部屋に戻ったところで俺は響と二人きりになるわけで。


「足平気か?」


「うん。 私普段から救急セット持ち歩いてるから、これくらいへっちゃらだよ」


普段から救急セット持ち歩いてるっていうのは自慢できる事なのか?

まあ、あちこち転んだりすりむいたりしてるんだろう。 普段から怪我しているうちに痛みにも慣れたという事だろうか。

プールサイドで走って転んで怪我をするとは小学生みたいなシチュエーションだが、まあ実際転びやすいのも事実。 ベッドの上に腰掛けて膝に消毒液を塗っている響の足元に膝を着き、足首に触れる。


「……き、きゅうにどうしたの?」


「足首捻ってただろ。 湿布とか無いのか?」


「そんなに痛くないから平気だよ……いたぁああーいっ!?」


「痛いんじゃねえか」


「香澄君が捻るからでしょ!?」


「いいからさっさと湿布と包帯」


「……強引だなーもう」


受け取った救急セットは妙に本格的だったので治療に困ることはなかった。

細い足首に包帯を巻いている間、響はずっと黙って俺を見下ろしていた。 俺も黙って作業を続け、包帯の上から肌に触れきちんと巻けたかどうかを確認する。


「……香澄君、さ」


「ん?」


顔を上げた俺の目の前に出されたのはトランプだった。 響は顔を赤くしたまま視線を反らし、消え入りそうな声で呟く。


「……トランプ、する人?」


何故そんなに遠慮がちなのかわからない。 いやまあ、今までの俺の態度を考えればそうなるのも仕方ないのかもしれないが。

今まで善意や信頼、様々な物を突っぱねてきたし裏切ってきた。 今更俺に対して遠慮なく、なんていったところで彼女がそうしてくれるはずもない。

ケースごとトランプを受け取り、中身をシャッフルする。 俺の手際に驚く彼女に手を差し伸べ、テーブルへと移動する。


「昔、貧乏だった頃暇つぶしに毎日姉貴とやってたんだ。 ルールは何がいい? 一通り何でも出切るぜ」


「……プロなんじゃん。 じゃあ、私が一番得意なのね」


「なんでもいいぞ。 何がいい?」


カードをシャッフルしながら訊ねると、響はほんわかとした笑顔で言った。


「ばば抜き」


そんな事だろうと思っていた俺は溜息と苦笑を浮かべ、シャッフルしたカードを響の手元に飛ばした。


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