契約の、騎士団(1)
「これが、昨日の香澄の戦闘の映像」
響のノートパソコンに映し出された夕暮れの中に立つキルシュヴァッサー。 その両腕には太刀が二つ握られている。
以前のキルシュヴァッサーが標準装備していたものより一回り長大で、より威力を上げた代わりに扱いやすさを代償としている。 それを華麗に振り回し、左右から近づくミスリルの頭を同時に刎ね飛ばす。
動きに無駄はなく、そして何よりすばやい。 一瞬で首を失ったミスリルの上半身と下半身が永遠の別れを告げるのも刹那の問題だった。 既に戦闘不能にあるミスリルを細切れにし、踏み潰したキルシュヴァッサーは瞳を輝かせて空を見上げていた。
「……強いですね。 物凄く」
それが響の第一印象だった。 映像を記録していた木田もその光景を前にただ息を呑む事しか出来なかった。
生徒会室には木田と響、それから佐崎の姿しか存在しない。 パイロットは相変わらず放課後の特訓中であり、香澄に付き合って今日も夜までそれが続くであろう。
ミスリルの襲撃は全く停止したわけではなかった。 勿論不定期に現れるのである。 だがその度に香澄が一人で出撃し、一瞬で殲滅してしまう。
敵も勿論弱くはない。 時には力の強い固体も存在する。 しかしそれらもお構いなしに香澄は片っ端から両断し、そして――。
「あとは見ての通り。 毎度のことだけど、倒したミスリルを食って終わりだ」
ただの結晶となり命を持たなくなったミスリルの肉体を開いた口に投げ込み、むしゃむしゃと食らうキルシュヴァッサー。 その姿は今まで見たどんなミスリルよりも禍々しく、獣のように荒々しい。
ミスリルを細切れにするのは何も無意味な行動ではない。 一口サイズに食べやすく――。 捕食の為には当然の行為だとも言えた。
戦闘が経験すればするほど尋常ならざる強さを得ると同時に少しずつ何かを失っていく銀色の機体。 それを複雑な心境で見つめるしかなかった。
「復帰直後はそうでもなかったけど、最近はもうレベル2の力を完全に使いこなしてるカンジだな。 次のチームステラの連中と当たっても多分香澄なら負けはねーな」
「正真正銘、エースの器か……。 キルシュヴァッサーという機体は俺たちが思うよりもずっと恐ろしい物なのかも知れん。 何と言うか……底が見えない」
「レベルアップのか?」
「それもあるが……。 何と言うか……とにかく不安が付きまとう。 それが俺の杞憂ならばそれでいいんだが」
「んー? でもよ、香澄は完全に力を自分の物にしてるぜ? 暴走してるような雰囲気は全くないし健康状態も至って良好だ。 むしろ最近は鍛えまくりで香澄そのものの体力がハンパねーぞ。 思い違いじゃないか?」
「響はどうだ? リーダーとしての考えを聞かせてほしいな。 何も無計画に木田に映像を記録させたわけではないんだろ?」
「……ん。 まだなんとも言えない、かな。 香澄君には文句のつけようもないよ。 本当に強い。 海斗よりも強いかもしれない。 それだけの覚悟があるんだね」
ノートパソコンを閉じ、響は目を視線を伏せる。 そう、その決意の重さだけ彼の何かは失われていくかもしれないのだ。
それを響は判っていた。 キルシュヴァッサーの力が成長していくという事はより多くのメモリーバックを必要とすることを意味している。 それは即ち宿主である香澄にも彼我が及ぶという事実に他ならない。
だがそれを止める言葉を響は持たなかった。 何を言っても香澄は戦い続ける。 それくらいのことは、言われずとも判るつもりだったから。
小さく溜息をついて顔を上げると、木田と佐崎がじっと自分を見ている事に気づく。 首を傾げる響に二人は顔を見合わせて言った。
「なあなあ響? いつの間に『桐野君』から『香澄君』にレベルアップしたんだ?」
「えっ? あ、ほんとだ……。 いつからだろ?」
唇に手を当ててもそれがいつからかは思い出せない。 あの日、保健室で二人が抱き合った後という事も彼女は忘れていた。
それほど自然に今は名前を呼んでいるしそれに抵抗を覚えない。 指摘された今も『ああ、そういえば』といった具合で特に何か思うことはなかった。
「何だ、レベルアップしたのはキルシュヴァッサーだけではないってことか。 やるじゃないか、響」
「もー、すぐそうやってからかう……。 香澄君はそういう人じゃないよ。 私も香澄君の事そんなに好きじゃないし」
「でも嫌いでもねーんだろ?」
「……そういう意地悪な質問しない。 それより次の模擬戦、対戦表を組まなきゃね。 チームステラデウスとの文字通り三対三のチーム戦」
閉じられたノートパソコンを指先で叩き、響は溜息を漏らした。
その理由が果たしてその対戦メニューにあるのかどうかは、無論本人にも判らない所なのだが。
⇒契約の、騎士団(1)
「あーっ!! めっちゃお腹すいた〜っ!! ねーねー……あれ、誰だっけお前?」
「……ヴェラードです。 もう二十年来の付き合いなのですから、そろそろ名前を覚えて貰いたいのですが……オラトリオ」
「あー、ヴェラードだ! そういえばそんな奴いたなぁ〜……! ねぇねぇ、他の連中は元気ぃ? ほら、あのいっつもオモチャ弄ってるガキとオバン!」
「……キューブとサザンクロスですか? 仲間に対する考慮みたいなものが貴方の中にはないんでしょうね」
「そんなむちゃくちゃいわないでよ。 自分の名前もろくにおぼれられないんだしぃ。 あたしがそんなの一々記憶できるわけないっしょ」
何故か胸を張って笑うオラトリオ。 紫色の髪と紫色の瞳。 外見は少女の物だが、勿論それは仮の姿に過ぎない。
黒いタキシードを着用して笑うオラトリオはシルクハットをヴェラードの頭の上に載せ、にこにこと微笑む。
東京フロンティアには東電の事ながら幾つか電車が繋がっている。 それらの多くは街の外部にある駅に停車し、残りの移動はモノレールかバスに依存する。
オラトリオが降りてきたのも一般客が利用するバスで、バス停周辺には当然人目も存在する。 そこに棒立ちしてオラトリオを待っていたヴェラードが既に目立っていたのだが、そこにやってきたオラトリオの所為で二人は一気に注目の的となってしまった。
周囲に人だかりまで出来ているのだが二人は全く気づいていない。 いや、もしかしたら気づいているのかもしれない。 ただ気にしないだけで。
「あは! 似合ってる似合ってる! ジェラートも仮面外してちゃんとした外見にすれば結構イケてるんじゃなーい?」
「そんな甘くて冷たい感じに間違わないでください。 ジェラード……あれ? ヴェラードです」
「きゃっははは! 今自分で引っかかってたでしょ? ま〜じウケるんですけどーっ!」
両手を叩いて笑うオラトリオ。 肩をすくめて歩き出すヴェラードの周囲、人ごみがざっと一斉に退去し、道が生まれる。
「ね〜ね〜ヴェラードぉ〜。 あ、今度は間違ってないね。 ねえ、おなかすいたー。 何か食べたいー」
「とりあえず身を隠してからにしてください。 それに貴方……もう既に食後でしょう?」
「あは! ばれちった〜!」
舌で口元を舐め、歪むような邪悪な笑顔を浮かべるオラトリオ。 その背後、バスから降りてくるはずの数え切れない人間たちが全員椅子に座ったまま明後日の方向を眺めたまま呆けていた。
溜息をつき、オラトリオの頭を小突くヴェラード。 それから無言でその手を取り歩き出す。
「無作為な捕食は自重しなさい。 ちょっとやそっと食べたくらいじゃもう貴方は強くはならないでしょう」
「ぶー。 だってぇ、お腹すくんだもん。 それに――――人間なんて掃いて捨てるくらい居るじゃない。 減ったって誰も気にしないわよ。 誰もね」
「…………。 まあ、食べるなと言うのは死ねというのと同義ですからね。 ですが、ナイトオブオラトリオとして恥じない行為を貴方に期待します」
「はーいはい。 契約の騎士、我らが女王に誓って……ね。 ナイトオブオラトリオなんて呼ばれたの何年ぶりかなー。 ヴェラードっていっつもカッタイよねー。 あ、カタイやつって言えばもう一人いたでしょ? あの〜、氷みたいに冷たい騎士がー」
「フランベルジュは契約の騎士団を既に三年前に抜けていますからね。 初めは十二人居た騎士も今では何人残っているのやら」
「んー。 もうキングもクイーンも抜けてるし、ナイトだけウロウロしてるのも変な話じゃなぁい? まぁ、あたしは暇だからいーんだけどさ」
二人が向かったのは人気のないスラム方面だった。 その廃ビルの中に入り、地下へと歩みを進める。
そこにあったのは巨大なパーティーホールだった。 巨大な両開きの扉を開くと同時にピアノの音が二人を出迎え、ボロボロに荒れ果てたレッドカーペットの上、同じく荒れた椅子の上に座る数人の仲間の姿が視界に飛び込んでくる。
「あ〜、なつかしーっ! 十年ぶりくらいだっけ? キューブにサザンクロス……バンディット! ていうか普通に居るじゃん、フランベルジュ」
ピアノを弾く前髪の長い少年。 ドレス姿のサザンクロス、制服のキューブ。 そしてその奥、メイド服のフランベルジュがオラトリオを迎えていた。
「んー、バンディットがよく来たもんね。 ていうかぁフランベルジュ、それはコスプレ? あんたご自慢の聖甲冑はどーしちゃったわけぇ?」
「相変わらずねオラトリオ。 一つだけ忠告しておくわ。 個々の個別行動時のプライベードには不干渉であるべし……騎士団結成時からの掟よ」
「ハーイハイ! 今回は契約の騎士団として集まったんだもんね。 ナイトオブオラトリオ、ただ今参上いたしました〜っと」
空いていた椅子の上に腰掛けるオラトリオ。 無視してピアノを引き続けるバンディット以外の視線がオラトリオから壇上のヴェラードに向けられると、いよいよ彼らが結集した理由が始まろうとしていた。
本来ならば騎士団は十二名。 しかしここに集まったのは現騎士団員五名と元騎士団員一名。 たった半数しか集まらなかったのも彼らの協調性の無さを物語っている。
勿論出来る限り全員に声をかける努力をはしたヴェラードだったが、返事が来る来ない以前にそもそも所在がつかめない物が殆どであった。
それも無理の無い話である。 彼らは元々は個の意思を持たない思念体であるミスリル。 それぞれの個体に寄生し、その後後天的に発生した自分勝手な自意識の持ち主なのである。 お互いに殺しあってもなんらおかしくはない彼らがここで一堂に会しても争わないのはそれでも彼らの間にかすかな仲間意識が存在するからに他ならない。
ナイツオブテスタメント――。 それは契約の騎士たち。 主であり王である人間の下に跪き、その命令で人間たちの中で生きてきた。 彼らは生まれた時からの知り合い、つまるところ兄弟のような存在であり、同時に同じ目的を持つ仲間でもあるのだ。
しかし彼らの協調性は失われ今、所在がつかめないどころか離反する物まで現れ始めた。 それらは何故なのか? 理由はシンプルである。 主が不在なのだ。
彼らの王は二十年前、彼らの前から姿を消した。 命令だけを下して。 その時彼らは己の意思で考える事が出来ないただの人形だったが、少しずつ成長し自意識を手に入れた。
そして思ったのである。 『あれから一度も会う事の無い主の命令を聞く必要があるのか』と。
契約の騎士団を語るにはその言葉だけで足りる。 そう、彼らは命令を受け、そして自意識を手にして疑問を抱く。 それこそが彼らであり、彼らの存在意義でもあるのだ。
それでも尚王に忠誠を誓う者たちが居る。 彼らの多くは既に忠誠心よりも惰性で集まっているに過ぎないが、それでもこの場所に集まるという事はまだ王に対して何らかの想いを抱いているに他ならない。
「我らの王はこう命じた。 『お前たちは人に成れ』と。 故に我らは人に近づき、人を知り、理解し、思考し、そして人と比べても遜色ないほどに意思を手に入れた。 今や人間を食らうのが当たり前となり、それぞれの人生を謳歌している事だろう。 それでも諸君らを集めねばならなかった理由はシンプル。 無論全員が予想している事だろうと思う」
ヴェラードの言葉に全員の表情がこわばる。 ただ一人バンディットだけがピアノ演奏の指を止めず、顔色さえも変化しない。
「そう、王の所在が判明したのです。 今はまだ眠った状態にありますが、目覚めれば我らに新しい命を下さる事でしょう」
「……二十年も寝てた王様がようやく見つかったってわけね。 ヴェラードは起こすつもりー?」
「無論です。 我らの使命は王の命令を遵守することにある。 とはいえ、全員がそうする必要はありません。 既にそれぞれ生活があるでしょうしね」
「つまりどゆこと?」
「目覚めさせる手伝いだけしていただければ、王は私一人で守ります。 方法はそれぞれのやり方で、お互い不干渉。 離脱も自由という条件で如何でしょうか?」
「それってほぼ条件なしじゃん。 このままこの場で立ち去るのもOKってことでしょ? ヴェラード忠誠心あるのかないのかよくわかんないね」
「縛って聞く面子ではないでしょう」
それぞれが顔を見合わせ苦笑する。 フランベルジュは腕を組んだ目を閉じ、バンディットの指がようやく止まる。
「………………好き勝手していいなら、僕が一人でやるよ……。 他の連中は信用出来ないから……」
「喋るのおそーい。 いらいらするー。 つーかあんたの力なんか要らないしーっ! あはっ! フツーにあたしだけで王様目覚めちゃうもんねーっ!」
「……うぜぇ。 調子に乗ってハシャいでるんじゃねえよ…………無能が」
二人の視線が交差する。 冷徹な笑顔を浮かべるオラトリオの周辺が歪んだ瞬間、ヴェラードは手を鳴らしていた。
「仲間割れは後で。 兎に角、今は我々の成すべき事を成しましょう。 王を目覚めさせる為に必要なプロセス。 それは――」
「……ここは?」
「お、なんだようやくお目覚めか? 相変わらず暢気な性格してんなぁ」
「…………貴方は!?」
「ストーップ! 今の俺はジャスティスだ。 ただの、ジャスティス。 それ以上でも以下でもねえ」
スラムの廃ビルの一つにあるジャスティスの部屋。 そのベッドの上で目覚めた海斗は目を丸くしていた。
ジャスティスは読んでいた成人向けの雑誌を海斗に投げつけ、己の名前を封じていた。 それは違った意味で効果覿面で、海斗は顔を赤くして視線を反らしてしまった。
ぼろぼろの部屋の中二人きり。 妙な空気と沈黙の中、海斗は呟くような声で訊ねた。
「……何故、ボクを助けたんですか?」
「昔のよしみって奴だろ? 正直俺にもよくわからん。 お前はあの時死んだ方が良かったか?」
「冗談言わないでください。 ボクはまだ死ねないんですよ……。 チーム、キルシュヴァッサーの一員として」
「俺と秋名がいなくなった今、キルシュヴァッサーを動かせるのはお前だけってか? だが、その役目なら秋名の弟が引き継いでるじゃねえか。 強いぞ、あいつ」
「……貴方たちが! あのタイミングで割って入ってこなければ、あんな事にはならなかった! グランドスラム現象……ありすちゃんだって!」
「だが俺が入らなかったらお前はありすを殺していただろ。 それに俺はミスリルだから殺すって考え方はありえない。 敵なら何でも殺すのか? それで本当にいいのか?」
「敵じゃないのなら何なんですか!? ミスリルは……ミスリルは、人にとってよくないものです! 心と思い出を台無しにするんです! 貴方だってわかっているでしょう!?」
ヒートアップするやり取り。 それが停止すると、部屋はよりいっそうの静寂に包まれたような錯覚に陥る。
海斗の頬を汗が伝い、ジャスティスは鋭い眼差しで海斗を見つめている。 足を組んだままソファから動かない男が窓の向こうに視線をやり、静かに溜息を漏らした時。 海斗も若干の落ち着きを取り戻していた。
「秋名の願いはミスリルを滅ぼす事ではなかった。 だから俺はあいつの意思を受け継いだ。 お前はそうじゃないのか? 海斗」
「でも、その結果彼女は居なくなった……。 それが事実で、それ以上も以下もない……」
「……まあ、もう少しゆっくりしていけ。 お前もまだ言いたい事があるんだろ? 俺もそうだ。 まずは気持ちを落ち着けて、冷静にな。 男なら炎は胸の内で蒼く燃やすもんだ。 露骨な感情の炎は全てを遠ざけるぜ」
黙り込み、シーツを強く握り締める海斗。 その視線はジャスティスを見つめては居なかった。
勿論、視線を合わせないのには理由がある。 その理由は様々だが、根本とするものは一つだろう。
例えば苦手意識。 劣等感。 怒りや悲しみならむしろ相手を睨みつけるだろう。 故に視界に入れたくないのは、その存在を肯定も否定も出来ないから。
訓練を終え、汗だくでベンチに座る香澄に差し出されたタオル。 それを持つ小さな手は、彼が今一番苦手とする存在の物だった。
「……銀。 来てたのか」
「うん。 少し、前から」
タオルを受け取り、顔を拭く香澄。 忘れたわけではない。 銀には空間転移能力がある。
一定範囲内を自由にテレポートできる他、宿主である香澄の居る場所にはいつでも自由に転移が可能なのである。
香澄の隣に座った銀はちらりと香澄の表情を覗き込むが、香澄は相変わらず銀を見ようとしない。 その香澄の機嫌を伺う仕草もまた、妹であるありすに似ているのだから余計に頑なになるのも無理はなかった。
彼の心の中にあるのは常に後悔と懺悔の念である。 そしてそれは銀が傍に居る限り絶対に払拭される事はない。 銀を育て、強くし、キルシュヴァッサーという力を得る事こそ全てのミスリルを滅ぼす為の近道だと知っていても、香澄はそう割り切ることは出来なかった。
無論その道を選んだのは香澄であり、それを今更捩じ曲げるつもりも引き返すつもりもない。 ただ銀の存在を容易に受け入れることは出来ない。 それは覚悟とは別の問題だった。
故に銀がこの状態になってから香澄はずっと出来得る限り銀を避けてきた。 勿論その態度に銀も気づいている。 嫌われているわけではない。 むしろ好きだからこそ、その気持ちに素直になれないのだ。
銀は勿論秋名に似ている。 性格や中身はありすに。 だがそれは本物ではない。 極端な話、それは両方とも本物ではなく、偽者の塊でしかないのだ。
それもわかっている。 そして仮に偽者だとしても、二人の面影を持つ以上彼女が香澄に好意的であるという事も。 しかしそれでも、それゆえに素直になれないのである。
「香澄、何か食べたい物ある? 夕飯、どうしようかなって……」
「何でもいい」
「……何か、飲む? 買ってこようか?」
「別にいらない」
「…………」
他人の好意に応えなければ待っているのは気まずい沈黙だけ。 それが余計に状況を悪化させるとわかっているのだが、香澄はそうする事しか出来なかった。
直後、香澄の頭部に衝撃が走った。 イゾルデの手刀が香澄の脳天に命中していたのである。
「香澄! 小さい女の子をいじめて楽しいのか!?」
「い、イゾルデ……。 リアルに痛いぞ……。 手加減とかしないのかよお前……」
「銀。 ちょっと生徒会室で響にいじられててくれ。 某がこの男の根性を叩き直しておく」
「え……? イゾルデ、あんまり乱暴なことは……」
「判っている。 安心しろ」
「……うん。 それじゃあ」
刹那、その場所から姿を消した銀。 そのタイミングを見計らい、イゾルデは再び香澄の頭部に打撃を加えた。
「あの態度はなんだ香澄……? まさか毎日家でもさっきのような状態なんじゃないだろうな……?」
「ぼ、暴力反対……つーか嘘じゃねえかさっきの!」
「嘘も方便と言うだろう。 やれやれ……どうしてお前はそういちいち素直になれないんだ?」
香澄の背後、ベンチに座ったその両肩に手を乗せ、イゾルデは首を傾げる。
視線を伏せ、香澄も考える。 だがその理由は考えるまでもなく、考えれば考えるほどわからなくなっていく。
「そうやって拒絶しても、お前はあれから離れられない。 そういう道を選んだのはお前自身だろう? いい加減認めなければ辛くなるだけだぞ」
「……ああ、わかってるよ。 ありがとう、イゾルデ」
「本当にわかっているのか……? その感謝の言葉、その四分の一でもいいから銀に向けてやれ」
背後から香澄の頭を撫でるイゾルデ。 香澄は目を閉じ、顔を赤くしながら小さく呟いた。
「判ってるさ……。 判ってる」
次に瞼を開く時、香澄の心は決まっていた。
立ち上がり、まだ迷いを残したままの瞳で振り返ってイゾルデを見る。
「……ちょっと、生徒会室行って来るわ」
「ああ。 がんばれよ」
肩を竦め、銀を追って走り去っていく香澄を見送りイゾルデは溜息を漏らした。
「人のことを言えた物ではないのだがな、某も……」
呟いた言葉は誰にも届かないまま、静かに格納庫の中に響いていた。