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大嫌いな、お兄ちゃんへ(1)

香澄叫ぶシーン多すぎる。

「桐野……秋名?」


「そう、桐野秋名。 えーと……久しぶり、でいいのかな? ありす」


それは、まだ桐野香澄が東京フロンティアに来るよりも前の事。

ある日突然現れた姉は、肩から提げた鞄を下ろしながらにっこりと微笑み、ありすの頭を撫でた。

戸惑う事以外に何が出来るというのか。 ただただ唖然とするありすに、秋名は髪を掻き上げながら言った。


「これからわたしはここでお世話になるから宜しくね」


靴を脱ぎ、勝手に家に上がっていく秋名。 通り過ぎていくその姿を見送り、ありすは首をかしげた。


「…………。 な、なんですとーっ!?」


「そんなに喜んでくれなくてもいいのに」


「そ、そうじゃなくて……えっ? お姉ちゃん!? なんで急に……お兄ちゃんと暮らしてたんじゃなかったの!? 何でうち!? え、全然わかんないんですけど!? ありすが馬鹿なの!? ありすがおかしいの!?」


「……でも、おかしいことや判らないことは決して悪い事ではないと思うわ」


「いやいやいや! おかしいのは絶対お姉ちゃんのほうだって!! 間違いないってばっ!! ねえねえなんで!? お兄ちゃんは!?」


秋名のジーンズの裾を引っ張りながらまとわりつくありす。 秋名は口元に手を当て少々思案した後、少しだけ寂しげに遠くを見つめて言った。


「わたしが居ると……香澄を傷つけるから。 だから、ね? 逃げてきちゃった」


「…………逃げた? 置いてきたの!? お兄ちゃんを一人で!?」


「うん、一人で。 あ、でも心配しなくても大丈夫。 香澄ったらね、一人で何でも出来るの。 炊事洗濯勉強運動、なんでもござれの天才少年だから」


「そういう、問題じゃ……」


わなわなと肩を震わせ、ありすは思い切り息を吸い込み――そして。


「ないでしょぉぉぉぉおおおおおおっ!! この、馬鹿お姉ちゃぁぁあああああんっ!!!!」


そうしてありすが大声で叫んだのが三年前。

そう、香澄の元を去った秋名が笑いながらありすの頭を撫でて抱き寄せたのが三年前である。

そして今少女は、力なくアスファルトの上に倒れこんでいた。 傍らに立つ銀は、その姿を何も感じていない空虚な瞳で見つめていた。


「運命は動き出す。 いずれお迎えに上がりますよ――アルベドの忘れ形見」


銀の頭を撫で、ポケットから少年が取り出したルービックキューブ。 カチリと音を立てて色を混ぜるその姿が遠ざかり、ありすはぼんやりと地面と空を見つめていた。

全身に力が入らず、とても眠たくなる。 その時少女が思い返した景色の中、秋名は香澄と同じように笑っていた。

無邪気で、優しくて。 でもどこか寂しげで、全てを犠牲にしているような……そんな姿。 だからこそ、願ったのだ。 彼女のようにはしないと。 彼だけは守りたいと。


「おにい、ちゃん――」


携帯電話に伸びる指。 震えるそれが力を失い、アスファルトの上で停止する。 瞼が重くなり、ありすはゆっくりと視界を遮った。

通り掛る人々が足を止める喧騒も遠く、救急車のサイレンもやはり遠い。 どこか遠く、冷たい場所に連れ去られていくように。 けれどもそれはそう、眠るように。

桐野ありすは意識を失った。 その一部始終を眺め、それでも尚、銀は一言も口を利かなかった。

まるで感情を何一つ、ありすに対して抱いていないかのように――。



⇒大嫌いな、お兄ちゃんへ(1)



「――ったく、出やしねえ」


結局繋がらなかった携帯電話をたたんでポケットに突っ込んだ。

自分から言い出した事とは言え、海斗も実に全力でぶん殴ってくれたものだ。 もう痛いというより熱い……。


「香澄ちゃん、平気……? ごめんね、ちょっとは手加減すればよかったかな……」


「下らないこと今更言うなよ。 でなきゃ全力で殴られた意味なくなるだろうが……」


「あ、それもそっか。 あはは」


冬風が当ててくれたガーゼの上から傷口に触れる海斗の手を払いのけ、鞄を手に立ち上がる。


「ありすのやつ連絡がつかないな……ったく、自分は俺が連絡なしに遅くなると文句言うくせに」


「そりゃ香澄ん、仕方ねーだろ? だってありすちゃんなら今頃お前の為に夕飯の買いだし中……もごおーっ!?」


無言で木田の背後に立ち、口を塞ぐイゾルデ。 何でありすが夕飯の買出しに出てるなんて判るんだ……?

怪訝な目で木田を見つめていると、佐崎が自分のケータイを俺に差し出した。 その画面にはありすから来たらしいメールが開かれている。

というか、いつの間にメアドなんぞ交換しやがった……。 ありす、付き合う友人は選ばなきゃダメじゃないか……。


「恐らく全員の所に来ているだろうな。 今日お前が海斗と仲直りするのをあの子は見透かしていたらしい」


ケータイを手に取り、画面を眺める。 そこにはありすから生徒会メンバーへの謝罪と感謝の言葉が綴られていた。

ありすは馬鹿の癖に、文字は漢字がびっしり。 それが変換ミスっていたりしてまた馬鹿っぽく見える。 けど、一生懸命書いたことだけは良くわかった。

俺のせいで迷惑をかけたという事に始まり、冬風への感謝の言葉。 何故知っているのか知らないが、俺が海斗を殴った事も俺の代わりにと謝っていた。 そして最後に、そんな俺を受け入れてくれてありがとうと。 くどくど回りくどく書いてあった。


「いい妹さんじゃないか。 お前に似ずに素直でかわいいしな」


「うるさいな、馬鹿。 ったく、ありすのやつ……」


苦笑を浮かべて携帯をゴミ箱に投げ入れる。 悲鳴を上げて走り去っていく佐崎を横目に全員に目を向け、俺は小さく頭を下げた。


「ホント、悪かった。 皆にも少なからず迷惑をかけたな……」


「いーや、構わないぜ! 香澄ちゃんの事なら、この木田君が何でもお見通し……もごあぁーっ!?」


「……貴様は少し黙っていろ」


背後から首を絞めるイゾルデ。 完全に極まっているように見えるが、見なかった事にしよう……。 何か木田なら死なない気がするし。

海斗もイゾルデも冬風も笑って頷いてくれた。 傷つけるも傷つけないも俺次第……自分の力で守って、嘆く前に努力するしかない。

それでまた何かを傷つけ失う事になったとしても……それでも俺は、立ち止まっちゃいけないんだと思う。

ありすに言われ、冬風に言われ、そして海斗に殴られてすっきりした。 そしてわかったんだ。 皆が居るから俺の居場所もここなんだって。

信じるからこそ信じられる。 信じられるからこそ信じるのだ。 片方を失えば失墜する翼のように、人は常にそのアンフェアなやり取りを続けるしかない。

勿論全てを納得したわけじゃない。 でも、ここで引き下がっても現実は変わらない。 俺が殴られた事も、海斗を殴った事も、冬風が叫んだ意味深な言葉も、ありすの抱擁も、アレクサンドラの笑顔も、彼女が俺に向けた刃も、全ては現実にして過去。 それはどうやっても既に変えようがない。

だからこれから起こるそれらすべてからせめて悲しみの色を消せるように、俺は努力する義務がある。 過去をと嘆くのならば。 明日をと叫ぶしかないのだ。 そんな当たり前の事を思い出させてくれたのは、やっぱり自分ではなく他人だった。

顔を上げると、海斗が俺の手を取っていた。 女と見間違うような愛らしい笑顔を浮かべ、それから歩き出す。


「ねえねえ、香澄ちゃんも戻ってきた事だし、皆で再出発を記念して一緒にご飯食べようよ! ありすちゃんの手料理には期待しちゃうなぁ」


「はあ? 全員は流石に入らないんじゃねえか、うちは……。 まあ、佐崎と木田を除けばなんとか……」


「「 除くなっ!! 」」


二人の声が綺麗にハモる。


「つーか夕飯目当てか? 全員分用意するのにありすだけじゃ無理だろ」


「ん〜、でも今日の夜香澄ちゃん復活おめでとうパーティーをしようっていうのはありすちゃんの提案だし、全員に来てると思うけど」


だから買いだしだと判ったのか。 そしてだとすれば、ありすの奴はそれを俺に隠したがるに違いない。

街中で食材を買い込みながら歩くありすが携帯に出た俺の名前に慌て、出るべきかやりすごして驚かせるべきか悩んでいる姿が脳裏に浮かび思わず苦笑してしまった。

でも、そういう下らない事に一生懸命なありすだからこそ、信じられる。 守りたいと思う。 そんなありすだからいい。 そう今は思えるから。


「仕方ねえ。 手伝うとするか」


「あ、ボクも! ボクも手伝うよ!」


「つーか腕を組むな阿呆」


「カップルみたいじゃない?」


「止めろ! 冗談でもそういう気持ち悪い事をいうな……!」


無邪気に笑ういつになくハイテンションな海斗に引っ張られながら生徒会室を後にする。

結局全員そろってぞろぞろと歩き、帰宅する。 ありすの靴は無く、玄関の鍵は閉まっていた。


「もうあれから結構経つのにまだ買い物してるって事は、結構気合入ってるんだね」


「……はあ。 どうせありす自身が騒ぎたかっただけじゃないか?」


「桐野君はどうしてそう素直じゃないのかなぁ……。 素直にありすちゃん可愛くて大好きっていっちゃえばいいのに」


「「 つまりお前、ロリコンかっ!? ぐはあっ!? 」」


木田と佐崎に同時に繰り出した両手の拳が二人を吹き飛ばす。 同時に他の面子を玄関に押し込み、内側から鍵を閉めた。

外から何か叫ぶ声が聞こえたが気にしない。 しばらくほったらかしにするくらいで丁度いいだろう。


「ったく、馬鹿二人が……」


舌打ちしながら部屋に入り、何となく違和感を覚えた。

ありすの居ない家。 それは当たり前のはずなのに、どこか寂しく見える。 ここの所ほったらかしだった銀まで居ないのは、恐らく買い物に連れて行ったからなのだろう。

鞄を置いて台所に入ると、既に準備の途中だった。 その所為で余計に違和感が強くなる。

ありすは悪戯やらドッキリやら、そういう事に対しては手抜きを一切しない完璧主義者だ。 それがふとしたことでポロっとバレてしまうのは愛嬌として、こうあからさまに作業途中で食材買い足しにいきましたー的な状態のまま出かけるだろうか。

まあ、どうせ事前に計画していなかったんだろうが……なんだか帰りが遅い。 何となくもう一度携帯電話を取り出しありすの番号をダイヤルする。

そうしてしばらく通じる事の無かった電話が通じた時、俺は全ての事情を把握した。


「ん? 香澄、どうしたか?」


「…………」


電話に出たのは、警官だった。

そうして俺は知った。 ありすが倒れたという事。 その直前、誰かと話していた事。 そして今、病院にありすが居るという事。

通話を終了しても混乱は続いていた。 何故? どうして? と、脳裏を駆け巡る疑問符。 きっとただならない様子だったのだろう。 集まってきた皆を振り返る。


「……ありすが、倒れたって……」


「え?」


「……今、病院だって……。 俺……悪い! 行ってくるッ!!」


鞄を放り投げ、慌てて玄関を飛び出した。 皆が何か言っていたような気がしたが全て素通りしてしまった。

自分でも無様に走っていた。 訳もわからぬまま。 何故、どうして? 何でありすなんだ?

呼吸の仕方を忘れてしまったかのようだった。 走るのなんてわけないなずなのに、何故か滅茶苦茶に疲れる。 息が荒れて、足が止まりそうになる。

何故だろう。 その理由を考えてようやく至る。 自分が今、どう考えても冷静な状態にないのだと。

不思議と脳裏を横切っていく沢山の思い出たち。 たった六月末から数えてたかだか二ヶ月半くらい。 ただ、それだけの付き合いの妹。

おかえりと言ってくれた彼女の笑顔に始まり、俺の苦悩も彼女の笑顔が打ち消してくれた。

他人だと、自分から居場所を奪ったのだと。 最初はあれだけ憎もうと、壁を作ろうとしたのに。 平然とそれを飛び越えて彼女は俺の心に触れていた。

だからこそ、大切なのだと。 それを失いたくないのだと。 そう願う事を忘れていた。 当たり前のように傍に居て、壁なんて必要のない存在。

無邪気に笑っていつまでも俺はそれを眺めて苦笑しているのだろうと、そんなことを考えていた。

馬鹿が。 馬鹿すぎる。 永遠なんて存在しない――! そんな事、判りきっていたんじゃねえのかよっ!!


「――――ありすっ!!」


病室に飛び込むと、ありすはゆっくりと俺を見つめた。 ベッドの上で身体を起こし、彼女は確かに生きていた。

医師やら何やらを押しのけ、ベッドに駆け寄りありすの手を握る。 その様子はどこにも怪我が無いようで、心の底から安堵した。


「ありす……よかった、怪我はないか? 大丈夫か? 怖くなかったか……? もう大丈夫だ。 俺がついてるからな」


ああ、シスコンだのロリコンだの言われても仕方がない。 それくらい俺は心配だった。 自分より一回りも二回りも小さいこの少女が。


「お兄ちゃん、汗だっくだく……。 そんなに大声出さなくても、聞こえてるよ」


何故かありすの声は小さかった。 いつもは馬鹿みたいに大声で俺に鋭く突っ込みを入れるのに、今日に限ってどうにもしおらしい。


「大丈夫だよ、ちょっと、眠いだけ……。 何だかすごく、眠くて……。 でも、大丈夫……。 ええと……なんだっけ……」


「……ありす?」


どこか、ありすの様子はおかしかった。 寝ているのかおきているのか判らない、そんな状態。 俺の手をしっかりと握り返し、何度も言葉を詰まらせ、最後に彼女は言った。


「……まあ、いいや……。 ありがとう、お兄ちゃん……ありす、寝るね……」


「ああ。 少し安め。 傍に居るからな」


「う、ん……。 おにい、ちゃん……」


小さく呟き、ありすは眠りについた。 そうしてようやく冷静になった俺が振り返ると、そこには何故か日比野の姿があった。

思わず目を丸くする俺。 首をかしげていると、医師たちは日比野に一礼しながら部屋を去っていった。 広い個室に俺と眠るありすと日比野の三人だけという奇妙な構図が出来上がる。


「やはり、桐野君の妹だったか……」


「……日比野先生? どうしてここに……」


しばらく黙り込んでいると、ばたばたと無数の足音が近づいてきて、部屋に生徒会メンバーが姿を現した。

全員が部屋に入ろうとするのだが、出入り口に立っている日比野の所為で中に入れない。 しかし、一人だけ廊下から部屋の中を見つめ、顔面を蒼白にしている奴がいた。


「……ああ、平気なんだ。 眠いだけだって……疲れたのかな。 だからそんな、悲しそうな顔するなよ――冬風」


「……桐野君、ありすちゃんは……」


「ミスリルに寄生されている」


冬風の言葉を続けたのは日比野だった。 それはもしかしたら、責任を背負おうとしたのかも知れないと何となく思った。

だがその言葉の意味を俺は直ぐに理解できなかった。 冷静になっていく頭の中とは裏腹に、身体はぴくりとも動かない。

沈黙が降り注ぐ。 じっと、日比野を見つめる。 何故か動揺しているのに、笑いがこみ上げてきた。


「……な……に、言ってんだよ? 日比野、ありすは、」


「今は寄生直後で休眠状態にあるが、やがてミスリルの意識が彼女の過去を吸出し、それを糧に結晶体が目覚める。 そうすれば彼女はもう目覚めない。 目覚めたとしてもそれはもう桐野ありすという君の妹ではなく、ミスリルの宿主としての器に過ぎない」


「ちょ……っと、待ってくれ……。 悪い、あんたが何言ってんのか、サッパリ理解できねえ……」


ウソだった。 判っている。 その為に組織にいるのだ。 今までもその寄生された人を何人も浄化してきたじゃないか。

でも、俺は知らない。 いや、知ろうとしなかったのだ。 自分たちが倒してきたミスリルに寄生されていた人々が、その後どうなるのか。

全身ががくがくと震えていた。 今、心底恐ろしい。 どうしようもない恐怖に追い詰められている。 だから子供のように、現実を受け入れられない。


「個体によって覚醒までの時間はまちまちだ。 早ければ直ぐにでもミスリルになる。 残念だけど、ありす君はこれから別の場所に移送する」


日比野がそう言うや否や、部屋の外からぞろぞろと白衣の人間が入ってきた。 男たちはありすと俺を取り囲む。


「別の場所ってどこだよ……!?」


「それ相応の場所だ。 ここは病院だ。 こんなところでミスリルが覚醒したらどうなるか君にもわかるだろう?」


「判るけど……っ!! ありすは違う! 他のミスリル寄生者と一緒にするなっ!! ありすは平気なんだよ! 大丈夫なんだっ!! だから触るなよっ!! ありすを連れて行くなぁっ!!」


叫んでいる言葉が余りにも幼稚で、何の根拠も無く。 ただただ虚勢の一言に過ぎないのだと自分が一番良くわかっていた。

だが、それでも。 はいそうですかと明け渡すわけにはいかない。 ありすの前に立ち、両手を広げる。


「桐野君……。 残念だが寄生者に例外はない。 ミスリルの意思を制する事が出来るのならば、そもそも人類は危機に瀕したりはしないんだよ」


「そういってアレクサンドラみたいにどっかへ連れ去っちまうんだろ!? 生きてるのか死んでるかもわからねえっ!! てめえらの都合で他人の命を推し量るんじゃねえっ!!」


「勘違いをしないでくれ桐野君。 彼女をどうこうしようってわけじゃない。 まずここから隔離しなければならないんだ。 わかってくれ」


日比野のいう事は正論だ。 自分の立場も理解している。 今までだって俺たちはそうした人たちを倒してきた。

ミスリルは消さなきゃいけないんだって。 そうしなきゃダメなんだって。 でも、その後どうなるかなんて考えもしなかった。 自分たちの身近なところで起きているって判っていたのに。 危険だって判っていたのに。 俺は結局また――。


「俺は……。 それでも、俺は……っ」


左右から突然白衣の男に押さえつけられ、同時にありすをのせたベッドが動き出す。


「おい、待てよ! 待てって……くそおっ!! ありす――――――ッッ!!!!」


ベッドは遠く、廊下へと出て行ってしまった。 左右の研究員を強引に振りほどき、部屋を出てそれを追おうとする俺を止めたのは、予想もしていなかった顔だった。

目の前に、桐野綾乃が……ろくに家に寄り付かない、俺の母親が立っていた。

白衣を纏った綾乃さんは日比野に目配せする。 日比野は部屋を去り、俺と綾乃さんだけが残された。


「……綾乃さん? どいてくれ、ありすが……」


「香澄ちゃん、よく聞いて。 ミスリルに寄生された以上、覚醒するまで手出しは出来ないの。 それにここに放置しておけば、被害は拡大してしまうわ」


それは教科書どおりの冷静な言葉だった。 それが正しいって事は良くわかる。 でも、それでも、俺はそれに納得出来なかった。


「冷静、ですね……」


何でそんなに平常心でいられるんだよ。 たった一人しかいない……あんたの娘じゃねえか。

何で普通なんだよ。 何で追わないんだよ。 俺じゃねえだろそれをやらなきゃいけないのは。 取り乱して泣き喚いて……でなきゃおかしいだろ。

どうしてそれが俺の前に立ち塞がるんだ。 どうしてありすから俺を遠ざけるんだ。 俺から居場所を奪い去るんだ。 あんたは……あんたはいつもいつもっ!!


「ふざけるな……」


拳を強く握り締める。 思わず殴りかかりそうになった瞬間、木田と佐崎にそれを止められる。

それでも関係なかった。 涙が溢れていた。 歯を食いしばり、拳を握り締め、目を見開いて。 今この瞬間、俺はこの人の姿を絶対に忘れない。


「あんた何なんだよっ!! ありすの母親じゃねえのかよ!? 何なんだ! 何なんだって言ってんだろ、くそぉっ!!」


「……香澄ちゃん。 今の科学じゃどうしようもないの……。 今の段階のありすを救う事は出来ないの……」


「グランドスラムの研究って! ミスリルの研究だったのかよ!! それで大金もらって家を開けっ放しにしてありすを一人にして……っ!! 何であんたはそっち側にいるんだ!? 違うだろっ!! ありすは……それじゃあありすが可哀想じゃないか……」


「その為の研究よ。 誰かがやらなくちゃならないの。 お願い、判って……」


悲しげに、しかし俺に罵倒されるも仕方ないと考える決意の瞳が俺を見つめている。 だが、そんなものを認めるわけにはいかなかった。

現に今、今ありすは眠っているんだ。 今昨日を奪われようとしているんだ。 眠るように、当たり前のように。 何も悪い事をしていないのに。 当たり前みたいに。 当たり前みたいに!!


「だったら今ありすを救ってくれっ!! その為の研究じゃねえのかよ!? 何でいざという時女の子一人、娘一人救えねぇんだっ!? 何でそれでいいって顔してるんだよ!? おかしいよあんたっ!!!!」


「……香澄ちゃん」


「なんであんたはいつもそうなんだよ!? 平気な顔して俺の居場所を奪うんだよ!? 返してくれ……!! 親父を! 秋名を! ありすを!! 奪わないでくれよ、頼むからあっ!! 返してくれええええええええっ!!」


どんなに叫んでも過去は変わらない。 どんなに悔やんでも願いは届かない。

当たり前だとわかっていても。 正しい事がわかって居ても。 自分がその、正しい事をしていないとわかっていても。

どうしてこんなにも辛いのだろう。 やりきれないのだろう。 その為の力を俺は手に入れたんじゃなかったのか。 失わないように、もう傷つけないようにと。 その為に……。

何のために戦ってきたんだ。 俺は一体今まで何をしていたんだ。 ありすに……もっとありすに何かをしてやれたはずだ。 何か、一つでも多く……!


「俺は……何も守れない……。 何も、救えない……。 何のためにここに居るんだ……。 俺は……っ! 俺はぁああっ!!」


「…………ごめんなさい。 香澄ちゃんを、宜しくね」


綾乃さんは木田と佐崎、それからイゾルデと海斗と冬風一人一人に小さく頭を下げ、それから去っていった。

当たり前のようにいなくなった。 俺に何も言わずに。 何も、何も残さずに。 悔しくて涙が止まらなかった。 あんなに一生懸命、あんなにありすは俺を守ってくれていたのに。

何一つ、何一つ返せなかった。 何も出来なかった。 馬鹿だった。 永遠だと思っていた。 楽しかった日々や、優しい思い出が。

そんなわけないって知ってたろ。 そんなこと出来ないんだってわかってたじゃねえか。 だから毎日を一生懸命生きなきゃいけないのに。 それなのに俺は……。


「香澄ちゃん……」


「香澄ん、その……」


「………………。 少し、放っておいてくれ。 頼む……」


俺の言葉を聞き、ゆっくりとその場を去っていく仲間たち。 みっともなく零れ落ち続ける涙は止めようがなかった。 両手を床にたたきつけ、零れ落ちてはじけていく涙の粒を見つめていた。


「ちくしょう……っ。 おんなじじゃねえか……。 何も守れない……何も救えないぃいっ!! 何のために俺は……っ! 何のためにぃぃぃいいいいっ!!」


止めようが無い後悔の嵐の中、張り裂けそうな心をそのまま言葉にしていた。

わかっているんだ。 こんな事してもどうしようもないんだって。 過去は変えられないんだって。

でも、仕方ないじゃないか。 だったら俺に何が出来るっていうんだ。 負け犬の、結局大切な人一人、女の子一人、妹一人守れない俺が。 一体他に出来る事ってなんだよ。

泣き喚いてみっともなく駄々こねて……。 ダサいにも程がある。 でも今はそうするしかなかった。 それ以外の行動なんてありえなかった。

それくらい俺は、ありすの事が好きだったんだって。 大切だったんだって。 今更になって、気づいてしまったから――――。



それから六時間後。 ありすに憑依したミスリルの討伐命令が、国連より下された。


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