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その命、重さは如何に(2)


乾いた音が響き渡る雨の中、打たれた頬は信じられないくらい熱かった。


「てめぇええ……ッ! 何でアレクサンドラを討った!? 言って見ろよこのクソ野郎ッ!! 何で殺そうとしたァッ!!!!」


胸倉を掴み上げ、叫ぶ香澄。 打ちのめされた頬を押さえながら海斗は呆然とそれを見つめていた。

撃沈され、炎を巻き上げながら沈没する軍艦。 海に落ちてそれを真っ赤に染めたエルブルス。 残骸と粉塵と炎と雨の中、二人を止める者は居なかった。

海に飛び込み、ずぶぬれになった香澄。 その前髪から絶え間なく落ちる水は流れる涙さえも押し流していく。 海中より引き上げられたアレクサンドラは同じくずぶぬれのままコンクリの上に横たわっていた。

かろうじて一命は取りとめている。 だがいつ命を落としてもおかしくはない。 一向に戻らない意識とじわじわと冷え込んでいく体温が香澄の焦りを煽り続ける。

そして何よりも、水の冷たさを忘れさせるほど熱く胸の内で煮えたぎる怒りが彼から冷静な思考を奪っていた。 仲間であり、親友であるべき少年を殴り飛ばし、その胸倉を掴み上げたのはその為である。


「お前にアレクサンドラの何がわかるんだよ、海斗……! 助けるって……そう言ったじゃねえかっ! 信じてたのに……! お前を信じてたのに……っ!!」


「……彼女の能力は香澄ちゃんを一瞬で殺せるものだった。 仕方が無かったんだ。 彼女が君を、狙っているように見えたんだ……」


「そんなわけがねえって言ってるだろがっ! アレクサンドラが俺を殺す訳が無いんだよッ!!」


「それは言い切れない! 香澄ちゃんは実際に彼女に殺されかけたじゃないかっ! ボクが止めなかったら君はアレクサンドラを殺していた! 香澄ちゃん、それは感情論だよ! ボクが止めなかったら君の命が危ないかもしれなかった――それが事実だ!」


「………………ぁあ、そうかよ……っ! てめーはあくまでもアレクサンドラを信じないんだな……」


小柄な海斗の身体を突き放し、歯軋りしながら俯く香澄。 よろめきながらその姿を見つめる海斗は口を紡ぎ、表情を変えずにただそこに立ち尽くしていた。


「香澄ちゃん……。 君は……どうしてそこまで彼女を信じるの? ボクは、香澄ちゃんが無事ならそれで……」


「助けたつもりか……? 誰がそんな事頼んだんだよ……」


ずぶ濡れのアレクサンドラを抱きかかえ、香澄は肩を震わせる。


「俺は……海斗。 お前ならアレクサンドラを救ってくれるって信じてたんだ。 助けてくれるって……」


「香澄ちゃん!」


海斗の声は届かない。 雨の中、遠ざかっていくアレクサンドラと香澄の姿。 その向こう側に救急ヘリが下りてくるのを確認し、海斗は伸ばしかけた手を引っ込めた。

じっと、自らの掌を見詰める。 その背後、駆け寄ってきた響が海斗の上に傘を差す。


「海斗……」


「ボクは……。 香澄ちゃんを、守りたかっただけなのに……」


ぽつりと呟いた言葉は雨音に掻き消された。

誰に思いも、どこにも届かない全てを洗い流して駄目にする雨は、それから数日間東京フロンティアに降り注ぎ続けた。



⇒その命、重さは如何に(2)



あれから時は過ぎ、今日から新学期だ。

しかし俺は全く学校に行く気がしなかった。 夏休み後半は自分でも何をしていたのか殆ど覚えていない。

ベッドの上に寝転んだまま、ぼんやりと天井を見上げる。 そこにある染みの数は既に暗記してしまった。

馬鹿馬鹿しいくらい時間を無駄に過ごした。 今まで十八年間生きていてこんなに無気力に過ごしたのは……二度目かもしれない。

何だか全てが嫌になった。 ついこの間まで皆で手を取り合って学園祭の準備をして……。 戦ったり訓練したり、辛い事もあったけど充実していたのに。

もうずっと電源を入れていない携帯電話はテーブルの上で埃を被っている。 部屋からもろくに出ないから最後に食事を摂ったのもいつだったのか記憶にない。


「俺、なんでこの街に来たんだっけ……?」


うわ言のように呟いた言葉。 自分でも理解が出来ない状況。 俺はこんな風に堕落する為にこの街に来たのだろうか。

ゆっくりと身体を起こす。 シャツの胸元を開け、大きく溜息を着いた。 と、同時にドアがノックされ、小さく開いたドアからありすが顔を覗かせた。


「おにーちゃん……? 今日から学校だよ?」


「…………ああ。 悪い……。 判ってるよ」


「じゃあさっさと起きて! 最近引きこもりみたいな生活になってるよ!? おひげも剃る!」


「……ああ。 ごめん」


「……ちょー上の空なんですけど。 ねぇお兄ちゃん、大丈夫……? どっか具合悪いの?」


「そういうんじゃないんだ。 問題ない」


立ち上がりありすの頭をぐりぐり撫でて部屋を出る。

ああ、本当にどうしてしまったのか。 これほどまでに自分が打ちのめされている理由を考えても、それがよくわからない。

洗面台で顔を洗い、髭を剃る。 鏡に手をついてみても、そこにある自分の顔色は決してよくならない。 何か大切なものをすっぽり失ってしまったかのようだ。

制服に着替え、ありすが作った朝食を食べる。 どちらにせよだらけていられる時間は終わってしまった。 宿題も何もやっていないが、もう別にどうでもいい。

ありすに心配をかけないようにきちんと完食し、眼鏡をかけて気持ちを切り替える。 いつもどおりの桐野香澄で居られるように、胸を張って。


「ねえ、お兄ちゃん……? この間の……港の事件の事なんだけどさ」


「……悪い。 僕は先に行くから」


「あ、ちょっと!?」


ありすの言葉を無視して家を出る。

まだ残暑も厳しく長袖を着て歩くには少々辛い日差し。 深く息を吐き出し、ゆっくりと学園に向かう。

結論から言うと……アレクサンドラの生死は不明だ。

その後どんな扱いになったのかもわからない。 どこに搬送されたのかもわからない。 何もわからない。

流石に政府もバカじゃない。 アレクサンドラの個人情報は隠匿され、しかしお陰で何一つその情報は入ってこなかった。

病院に見舞いに行くことも、花を上げる事ももう出来ない。 もう、会う事もない……。 生死の事実も、彼女があの時どうして俺の名前を呼んだのかも、何も……何一つわからないまま。

学園祭の片付けはとっくに終了し、元通りの姿を取り戻していた。 一生懸命準備した学園祭も、こうしてさっぱり消えてしまうと夢のようだ。

夢、だったのかもしれない。 初めての仲間、友達……。 そうした信じられる、信じてもいいと思える物との出会い。 そして俺は自分で思っていた以上にそれを信じていた。

考えれば考えるほど嫌気が差す。 さっさと校舎に入り、教室に向かおうとした時だった。 廊下の壁に背中を預け、俺を待っている姿があった。


「桐野君……」


「…………」


思わず足が止まる。 冬風は真剣な表情で俺を見つめていた。 しかしその視線はどこか悲しげで、鞄を握り締め俺に何かを言おうとしている。

その空気がもう面倒臭かった。 俺はもう普通でいい。 誰かの特別になったりするから、ああいう目に合う。 大切なものを大切なものが怖そうとする。

視線を背け、通り過ぎようとする俺の腕を掴み、冬風は言葉を思案していた。 振り返り、その腕を払う。


「あ……っ」


小さく声をあげ、引き下がる冬風。 それに背を向け歩き出すと、何やら懐かしい展開になった。


「待って下さい! 話を聞いて!」


「……それは、第三共同学園生徒会長としての命令、か?」


「え……?」


俺が転入してきたばかりの時、冬風はそう言って俺を強引に従わせようとした。

胸ポケットに手を突っ込み、取り出したものを廊下に投げ捨てる。 それを見下ろし、冬風は唇を噛み締めていた。


「それ、もういらないから」


何の脈絡も無く落ちた生徒手帳。 それを拾い上げ、両手で抱えて冬風は俺を見る。 その視線が妙に気に入らなくて舌打ちした。

それっきり、彼女はもう追ってはこなかった。 教室に入り席に着くとがやがやと五月蝿いどよめきが気持ちを癒してくれる。

人ごみの中にまぎれていれば目立たない。 誰かの特別になることもない。 自分が掛け替えの無い存在ではないと教えてくれる。


「何の為に……か」


授業を受ける事に集中した。 宿題は一つもやってこなかったので、後で片っ端から怒られる気がする。

日比野は俺を見ても何も言わなかった。 それはある意味気が楽でありがたかった。 昼休みになると黙って教室を出てカフェテリアに向かう。

ガーデンエリアの中央、噴水の傍らにあるベンチでパンを食べる。 生徒会室には寄り付かなかった。 それは放課後になっても同じだった。

真っ直ぐ教室を出て校門を潜り、帰路を急ぐ。 もう全てが面倒くさかった。 自分で好き好んでこんな街に来たんじゃない。 政府の意向で仕方が無くだ。

それもどうせキルシュヴァッサーに適応できるからとかそんな理由だろう。 だったらこの街に居る理由なんてもうない。 ただ惰性で通い、帰路に着くだけの一日。 本当にどうでもいいものだ。

家に帰り、ベッドの上に寝転がる。 もう何もしたくない。 何をしてもただ傷つけあうだけ、傷つけるだけ……。 嫌というほどそれを思い知らされた。

こんなにも胸が苦しいのは、きっとアレクサンドラのせいだけじゃない。 彼女を守りたいと思ったのに守れなかった悔しさは、自分の力不足……そして、過去の甘さのせいだ。

信じあえると思って頼っていた仲間たち。 やり直せると思った友情。 距離が縮まったと思った生徒会長。 全て馬鹿げた幻想だった。

キルシュヴァッサーという力が如何に恐ろしいものか俺はよくわかった。 あれは何でもかんでも破壊してしまう化け物だ。 大切なものさえ、人の命さえ、軽々しく奪い去る。

パイロットの意思も、自由も権利も奪って……それでもミスリルと戦わせようとする組織も、結晶機も、全てが馬鹿げてる。 どうせなら知らないまま一般人として生きて行きたかった。 そうしてアレクサンドラと出会わなければ、海斗と再会しなければ、こんなことにはならなかったのに……。

原因の一端は自分にもあるのがよく判っていた。 だからこそ、もう関わりたくない。 自分の無力さの所為で大切なものが傷つき、居なくなる……。 それほど耐え難い悲しみもない。


「キルシュヴァッサーに乗る事さえ許されない俺に、あそこで何が出来るって言うんだ……」


海斗の戦いぶりを改めて確認して思った。 海斗は俺よりずっとうまくキルシュヴァッサーを扱える。

冬風も海斗がパイロットになったらいいと言っていた。 戦力的には既に問題ないとイゾルデだって。 だったら俺が居る意味って何だ?

居るだけで全部滅茶苦茶だ。 ただ居るだけ。 何も出来ない守れない……。 信じた仲間とさえ上手くいかない。 ああ、馬鹿げている。

何も考えたくない……。 瞼を閉じて深く息を吐き出す。 そうだ。 俺は、もう他人と関わらないって決めたんだ。 壁を作って生きるって決めたじゃないか。

でなきゃ裏切られるんだ。 どんなに愛していても、どんなに信じていても、どんなに口では信じてるっていっても、人間は居なくなる。 親父も、姉貴も、みんなそうだった。 勝手な理屈で滅茶苦茶にする。 台無しにする。 信じれば信じるほど、それがどうしようもなく自分に向けられた刃になる。

だから、裏切られたから。 二回も、大切な居場所を失ったから。 だからもう作らないって決めたじゃないかよ桐野香澄。 何でまた、同じ過ちを繰り返すんだ……。

そうしてどれくらいぼうっとしていただろう。 日も暮れ、真っ暗闇に包まれた部屋の中で一人。 ありすも気を使っているのか、部屋に入ってくる事はなかった。

静かな夜。 ふと聞こえたノックの音に身体を起こす。 扉を開くと、そこには意外にも今朝決別したはずの冬風が立っていた。


「夜分遅くにごめんなさい。 でも、どうしても返さなきゃいけないものがあって」


「返さなきゃ、いけないもの――?」


戸惑う俺の手を取り、彼女が握り締めらせた物――。 それは、俺が投げ捨てた生徒会手帳だった。

埃は綺麗に取り除かれ、布で磨かれたようでさえある。 俺の掌の上からぎゅっとそれを握りこみ、彼女は辛辣な表情で言う。


「どうしても話をつけなければならないと思うから……。 時間、もらえるよね?」


有無を言わせぬ冬風の言葉。 俺は黙って頷いていた。 それは決別を完全に示すチャンスでもあったから。

二人で家を出て、向かった先はあの公園だった。 海斗と姉貴、三人で遊んだ公園――。 ブランコは取り潰されて今は不自然な空白が広がっている。

小さくてそれほど明るさも期待できない外灯の下、向かい合う。 距離はとても近く、その気になれば触れられるだろう。


「その……海斗と話してくれませんか? 例の件は、二人の間にあった認識の差異と優先順位が生んだ事故だったんだよ」


「そうかもな」


「じゃあ……?」


「でも、それとこれとはもう話が別なんだよ、冬風響……」


海斗は俺を守ろうとした。 そんなことは判っている。

でもだからって、その為に他人を殺す……。 そんなやり方をするエースにはついていけない。 たとえ幼馴染で、親友で……相手が俺を想ってくれているとしても。

あの日も俺は言った。 そんな事は頼んでいないと。 その言葉に尽きるのだ。 俺は。 俺のせいで誰かが犠牲になるのなんて絶対にいやだ。


「その為なら死んでもいい……。 本気で俺はそう思ってる」


眼鏡を外し、ワイシャツの胸ポケットに収める。 冬風が目を細め、静かに唇を動かした。


「敵対する人間よりも、仲間である君を軽視しろって事……?」


「あいつは敵じゃなかった。 だからこの場合その質問は無意味だ。 逆に訊くぞ、冬風。 お前は仮に何らかの原因でミスリルにでも寄生されて俺たちと敵対する事になったとして……海斗に討たれて本望か?」


「はい。 それくらいの覚悟はあります」


「じゃあ、俺がミスリルに寄生されたら……? イゾルデは? 佐崎は? 木田は?」


俺の問い掛けに息を呑む冬風。 流石に即答は出来なかったらしい。 口ごもり、俯いて視線をそらした。


「なあ、仲間を守る為なら……何やってもいいのか? 自分の命が奪われる覚悟くらいは決めようと思う。 そういうのも良くわからなかったが、いくつか死に近いものを体験して、ようやくその覚悟の重さって物に気づいてきた。 それで討たれて、残された人間はどうなる? 大切な人を失って、悲しむ人はどうなるんだ?」


「……それは」


「俺は俺の所為で誰かが傷つくのが耐えられない。 俺が居たってしょうがないじゃないか。 なあ、何で俺を生徒会に入れたんだ? どうして俺をキルシュヴァッサーに乗せた……?」


冬風の肩を掴み、問い詰める。 そもそもお前たちがそうやって俺を引き入れなかったら、あんな事にはならなかった。

暴走したキルシュヴァッサーでエルブルスを滅茶苦茶にすることも。 滅茶苦茶にされたエルブルスが暴走することも。 そして俺があの場に居なければ……俺さえ居なければ……海斗だって……。


「特別な力何か無いんだよ、俺には……。 海斗のほうが何倍も上手くやれる。 それで余計な事考えないで済んであいつがもっと多くのものを救えるならそれでいいじゃねえか。 一体何が気に入らないんだ?」


「海斗は貴方に戻ってきて欲しいって言ってるんです! それに貴方が可哀想だから……っ!」


「また、それか……。 『海斗が』とか、『可哀想』だとか……。 お前はお前自身の目や耳で、思いで俺を見ようとしねえ。 いつも他人の言葉、他人の評価、そういうもんばかり気にしてやがる……。 俺のやってる事が間違いだって誰に言えるんだよ? お前にそれが言えるのか? 自分で好き好んで選んだ生き方だっ! 可哀想なんていわれる筋合いねえんだよっ!!」


「…………桐野君も、そうじゃない」


思わず身体が固まる。 冬風は俺を睨み返しながら、小さな声で抗議する。


「桐野君……本当は力が無くて悔しいだけでしょ? 海斗のほうがキルシュヴァッサーを上手く使えて、銀も海斗に懐いてる……! 力も才能も海斗のほうがあるのに、貴方の大切なものを守ってくれなかったから駄々をこねているだけじゃないっ!!」


頭の中が真っ白になった。 それは謂れの無い誹謗中傷――というわけではなかった。 きっとそう、俺の中にはそうした想いが確かにあったのだ。

姉貴に似た姿の銀。 それが平然と懐く海斗。 生徒会長でありリーダーである冬風には信頼され恋心まで抱かれている。 才能に溢れ、実力も十分。 キルシュヴァッサーのパイロットとして海斗以上の存在がいるようには思えない。 ましてや俺のような人間が……。


「昔はどうだったか知らないけど、今は海斗の方が上なのは当たり前でしょう!? 彼は桐野君より何倍も努力してあそこにいるの! ノウハウも何も無くて、毎日が命の危険だった! それを乗り越えてあそこにいる彼を、貴方が詰る資格なんてないっ――!!」


流石に黙っていられなかった。 胸倉を掴み上げ、桜の木に叩き付ける。 苦しげに片目を閉じて身悶える冬風を見下ろし、俺は黙り込む。


「貴方のことが大事だから! これ以上ないくらい、大事だから……! だから、貴方の為にエルブルスに止めを刺したんだって、どうして判らないんですかっ!?」


「そんな事は判ってるんだよッ!!」


「だったらどうしてっ!?」


「笑ってたんだっっっっ!!!!」


夜空に響き渡る怒号。 頭の中が真っ白になる。 五月蝿い呼吸が自分の物だと気づいた時、腕から力が抜け冬風は胸元を抑えながらずるずると木を背にその場でよろめいた。


「笑ってるんだよ、あいつ……。 人の命奪ったかも知れないのに……全然泣かない。 悲しそうな顔もしない。 あいつの表情は常に笑ってるんだ。 そんな奴信じられるかよ!? 俺の為……!? それを信じろっていうのか!? 人の命笑って奪える奴相手に! 信じろっていうのかよっ!?」


「少なくとも、海斗は貴方を信じてる……。 信じられなかった弱さは貴方の所為です」


「俺が悪いって言うのかよ……」


「違います……。 そういう事じゃないんです。 話し合う努力をせずに信じる事を止めないで欲しいだけなんです!」


「信じてどうなる!? 信じたところでまたあいつは笑って討つんだよ! 大切な物を! 大切な人を! それを! 親友がそんなことするのを傍で見るのが辛いって何で判らないんだ!?」


「笑うしかないんですっ!」


静まり返る公園。 冬風は俺の胸を弱弱しく叩き、指先でシャツを小さく掴み、俯いた。


「彼の苦悩も判らないくせに、判ったような事を言わないで……っ! 彼の笑顔の重さを……知らないくせに」


「…………」


「私が……奪ったんです! 彼から悲しみも、苦痛も……! 彼は私の所為で無くしたんです! 泣き顔を……! だからせめて、その笑顔が嘘にならないようにしてあげたいじゃないですか! 本当の意味で笑顔を上げられる貴方に縋るしかないじゃないですか! それ以外に私が彼にしてあげられる事なんてないんです! 何も! 何も!!」


胸を叩き、ずるずるとその場に膝を着く冬風。 ぽたぽたと零れ落ちた涙が砂に吸い込まれ、黒く染みを作っていく。


「信じるのが間違いですか? 裏切られるのが苦痛ですか……? 何もしないで傷つく事から逃げているのは貴方じゃないですか。 どうして信じないんですか。 私たちを……」


「…………許せないんだ。 自分自身が……。 俺は人を信じられるような人間じゃない。 信じてもらうような、価値何て無い……。 俺は……うそつきだから」


だってそうだろ。 俺がもし本当に誰かを信じられるなら。 信じるだけの価値のある人間なら。

姉貴は傍を離れなかった。 親父は居なくならなかった。 一人になんてならなかった。 孤独になんてならなかった。

アレクサンドラを傷つける事も。 海斗を殴る事も。 何も。 何も。 こうして冬風を傷つけることだって、なかったはずなんだ。


「許しなんて……誰もくれない」


顔を上げた冬風は涙を拭いながら立ち上がり、赤い目で真っ直ぐに俺を見上げた。


「誰も自分を許せないんだよ……。 誰も許してもくれないんだよ。 その権利は自分だけしか持たないから。 他人と一緒にいれば傷つくよ。 でもその傷は、貴方が誰かと触れ合った証じゃないの……?」


全く同じ事をアレクサンドラにも言われた。 そして俺は……もう彼女を傷つけたくないと。 そんあ証なんて教えたくないと。 あれほど願ったのに。


「…………怖いんだよ。 悪いかよ……? 不安で仕方が無いんだよっ! 大切になればなるほど皆傷ついて居なくなるっ! 俺の傍を離れていくっ! いやなんだよもうそんなのはっ!! 裏切られたくないんだよっ!!」


「だったら信じてくださいっ!! 私は……私は、桐野君を裏切らないからっ!」


胸に手を当て、叫んだ冬風。 それは明らかな嘘だった。

そんな保障の出来る人間なんているわけがない。 絶対に裏切らないやつなんていない。 それは真理だ。

そう、誰もが気づかぬうちに誰かを傷つけ誰かを失っている。 それが当然の世界の中で、そんなものを求めるだけ無意味。 そして相手がそれを肯定すればするほど――嘘臭さは増していく。


――うそつき。


そう、彼女が言っていたように。 俺もまた、同じく想う。

その嘘の何と甘美なことか。 そしてその嘘がどれだけ自分を傷つけるか。

騙し騙しでも、それでもそれに縋るしかない人間は、だったら何を信じればいいのか。


「貴方が必要なの……。 貴方じゃなきゃ駄目なの。 チームキルシュヴァッサーリーダーとしても、第一共同学園生徒会長としても、冬風響としても……。 私はもう、貴方に頭を下げる事しか出来ない」


「…………」


「信じて……」


何故、他人相手にここまで切実になれるのだろうか。

俺の手を取り、濁りの無い眼差しで真っ直ぐに俺を見つめる冬風。 それでも俺は信じられなかった。 それは誰かが悪いわけじゃない。 俺に勇気が無かったから。


「貴方が戻ってくるの、待ってる。 ずっと待ってる。 信じてる……。 桐野香澄は、戻ってくるって」


「勝手な……」


「勝手でもいい。 それでも信じてる。 心の底から……貴方を信じてる。 嘘や方便だけじゃない。 私、この数ヶ月間貴方と接して……だから、信じられる。 貴方は誠実で、本当は優しい人だから」


俺の手をぎゅっと両手で包み込むように握り締め、それから冬風は目を閉じた。 ただどうしようもない後味の悪さだけが残り、言葉さえ出てこない。

そんな俺を見上げ、冬風は涙を拭きながら笑った。 それは彼女なりの覚悟だったように思える。 そう、口にするだけではない……行動に反映した覚悟の形。

俺に背を向け、去っていく後姿を見送る。 呆然と立ち尽くし、言葉もなく、ただただ俺は黙り込み、そうしてその場に膝を着いた。


「――――嘘つきだよ。 俺も、お前も……」


自分の価値を定められない人間はどうすればいい。 自分の嘘を正せない人間はどうすればいい。

仮面を被って生きていくしかないのか。 それとも……誰かの期待に応えるために努力するべきなのか。

わからない。 結果は一つ。 大切な人は居なくなった。 一度や二度だけではない。 三度も四度も……失った。

これ以上、失いたくない。 その時はっきり気づいた。 俺は、冬風を失いたくなかった。 傷つけたくなかった。 それなのに、俺は……。


「…………馬鹿すぎるな。 どうしようもない」


空を見上げ呟いた。

それから暫くの間、そうして呆然と立ち尽くしていた。


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