月光、舞踏会(3)
「宜しかったのですか? マスター」
「何の事だ?」
「エルブルスの適合者を此処まで運んだ事です。 彼と引き合わせて何をたくらんでいるんですか?」
「別に何も企んではいない。 いくらあいつがアルベドの弟だろうが所詮運命を変える一手には程遠い。 今回のはまぁ、ただの気まぐれだな」
「気まぐれ――。 そんな理由でここまでわざわざ?」
「ああ。 『面白くなりそうだから』……理由はそれだけで十分すぎるくらいだぜ? フランベルジュ」
二人の男女だった。 巨大な改造バイクとサイドカーに二人は腰掛け、校門を潜っていったアレクサンドラを見送っている。
その二人はこの学園祭中の第三共同学園前という空間において尚異質だった。 気ぐるみやコスプレ衣装を纏った生徒さえ平然と出入りするその場所で二人が異質だったのは、その纏っている雰囲気が少々おかしかったからかも知れない。
バイクに跨った男は長身。 漆黒のライダースーツをで全身を覆い、髪は真っ赤に染めた長髪。 ヘルメットからはみ出した髪は風に靡いて真紅に輝いている。
サイドカーに座って双眼鏡で校内を覗き込んでいる相棒である女は蒼い髪に服装は白いメイド服という異様な格好であった。 何より旧世代の変身ヒーロー物を意識して改造を施されたそのバイクそのものが異様に目立っている。
「それにしても学園祭か……。 何か事件の匂いがするぜ。 こうしたイベント事にはトラブルがつき物だからな。 正義の味方の血が騒ぐ」
「そんな事よりマスター、先程からこちらに警官が走ってきているのですが」
「何だ、俺のサインでもほしいのか? 困った警官だぜ。 仕方がねえ、フランベルジュ! マイマジックペンを寄越せ!」
「そんなものはありません。 それより早くバイクを出してください。 ここ、駐車禁止です。 それにさっき速度オーバーで注意されたのぶっちぎったじゃないですか。 止まってたら捕まりますよ」
「わかってねぇなフランベルジュ。 速度オーバーした俺が悪なのではない。 速度制限を設ける世界が悪なんだぜ?」
「いいから早くしろ」
「ごふうっ!?」
男の脇腹に鋭く食い込んだメイドの肘。 みしみしと奇妙な音を立て、男は深く身悶える。
しかし女は無表情に双眼鏡を覗いたまま。 それをいそいそとしまうと、悶える男の背中を叩き、発進を急がせる。
「くそう! これは戦略的撤退だ! いや! 昨日に向かって前進なんだっ!! 俺は逃げてねえぞおおおおおっ!!」
わけのわからない言葉を叫びながら轟音と共に動き出すバイク。 それを追いかけ、無数のパトカーが校門前を通り過ぎて行った。
⇒月光、舞踏会(3)
正直、ここまで自分が混乱している理由がよく判らなかった。
今日はなんと言うか、厄日なのだろうか。 さっきまでうちのチームのリーダーの泣き言につき合わされ、今は別のチームのパイロットの隣に座っている。
片足を骨折しているアレクサンドラは当然この人の多い中を歩くのは都合が悪い。 当然俺たちは先程の俺と冬風のように、人気のないベンチに腰掛ける事になった。
傍らに松葉杖を立てかけ、アレクサンドラはぼんやりと人の流れを眺めている。 女と言うのはこう、ぼんやり眺めるのが流行っているんだろうか。
「びっくりしたでしょ?」
「……ああ。 びっくりどころじゃない。 病院から出ていいのか?」
「だめ……かな? でもいいの。 もう、勝手に行動してもあたしを叱る人は居ないから。 自由って事なのかも。 解き放たれてるよね、今……」
無邪気に笑うアレクサンドラ。 その右目の眼帯を見る度に、自分のしてしまった取り返しの付かない痛みが胸を締め付ける。
そうしてつらそうな顔をしているのがばればれだったのだろう。 アレクサンドラは優しく笑い、唐突に俺の頭を抱きかかえた。
「そんな顔をしないで、香澄。 あたしも香澄を傷つけたんだから」
「あ、アレクサンドラ……っ! こ、こういうのは……人目がな……」
「気になる? 恥ずかしい?」
「……あ、ああ。 というか、なんだこの状況は。 誰か教えてくれないか」
腕を放し、アレクサンドラは悪戯っぽく笑う。 あの日格納庫で出会った、エルブルスを見上げていた少女の姿がそこにはあった。
あの日、あの場所で出会い、俺たちは紛れもなく殺しあった。 慈悲も無く、遠慮も無く、故にそれは殺し合いに他ならなかった。
死にたくないから仕方が無いんだと泣き喚きながら、俺たちは刃を振るった。 それがどれだけ恐ろしい事であるか、俺はよく理解していなかった。
決めたつもりだった覚悟は安易なもので、事実目の前に居る傷だらけの彼女を見るだけで気分が悪くなる。 この場所から逃げ出したくなる。 どうしようもなく。
もしも自分の罪を忘れる事が出来るのなら、俺は是非そうしたい。 全てを忘れ、都合のいい自分を被ればまたラクになれるのに。
「それにしても本当にどうしたんだ? 急に……ここに来るなんて」
「うん。 あたしね、エルブルスを降ろされて……あれからずうっと考えたんだけどね。 どうしたらいいのか、もうすっかりわからなくなっちゃって」
ぼんやりと、空を見上げるアレクサンドラ。 彼女は言っていた。 自分の生きる意味を失ってしまったと。
エルブルスに乗って戦う事だけが彼女の生きる目的だった。家族をグランドスラムで失い、故郷も過去も無く、ただエルブルスに乗るために生きてきた。
そうした自分の根本にある大切なものをすっぽりと失ってしまった気分は俺にも良くわかる。 生きる目印を失った人間は、どうしたらいいのか……。 今でもよく、判らない。
新しい指標を探す事も出来ず、過去に執着しいつまでも立ち止まったまま。 時間は流れる事を忘れたように重く両肩に圧し掛かり、その事実さえ認められない。
だから嘯くのだ。 自分を欺き、忘れたつもりになる。 思い返せば辛いだけだから、せめて前に進んだ事にして。 誤魔化して生きる今が、幸せなのかどうか。 あらたな指標を得たのかどうか、正直判らない。
「許して欲しい、とは言えない……。 俺は君の居場所を奪った。 この手で直接……。 キルシュヴァッサーの所為になんかしない。 俺は……」
「……どうして香澄は、そうやって傷つきたがるの?」
「――え?」
「香澄は会った時からずっとそう。 笑う度、自分の胸にナイフを突き立てているみたい。 どうしても許せなくて、だから傷つけたくて……。 香澄は自分が辛いって判っているのに、それを忘れようとしている。 忘れる事なんて出来ないのに」
何も言えなかった。 そんなつもりはなかった。 それでも否定できなかったのは、恐らく心のどこかで俺がそれを望んでいたからなのだろう。
そう、全て忘れて生きていければ……。 誤魔化していければ、嘘を付ければ。 傷つかない道なんていくらでもある。 何かを憎んで忘れればいい。
それでも俺は割り切れず、未だに自分を恨み、過去を望んだまま足踏みをしている。 冬風に偉そうな事を言ったくせに、本当は同じなんだ。 そう、俺とあいつは良く似ている。
真っ直ぐすぎて、だから空回りする。 そしてその結果大切な人を傷つける……。 昔の自分に良く似ているから、気に入らない。 受け止められない。 同族嫌悪というものだろうか。
溜息をついて、苦笑して。 ああ、仕方が無いんだって自分に言い聞かせる日々。 それは確かに鋭く俺の胸を貫いていた。 そう、ナイフのように。
「判ったような事を言わないでくれ。 自分で好きで選んだ生き方だ。 他人にとやかく言われる筋合いはない」
「判るよ。 あたしも同じだから。 心の中がカラッポの人間は、同じ穴に敏感だから。 香澄も同じはず。 あたしに対しては、仮面を被る必要なんてない」
否定できない。 そう、俺たちの関係は刹那的なものだった。 確約もなく、根拠もなく、故に擦れ違う事が当然の出会い。 今こうして向き合っていても、俺は少なくとも他の誰よりも彼女に本音を打ち明けている。
それはきっと俺たちの距離感がいつ崩れてもおかしく無いほど儚いからだろう。 彼女はいつ俺の目の前から居なくなってもおかしくない。 もう、会うこともないと思っていた程に。
「痛いのならね、我慢出来るよ。 あたし、慣れてるから。 それより傷があるほうが、嬉しいと思う」
「傷が……嬉しい?」
自らの眼帯を指先で撫で、アレクサンドラは頷く。
「痛みがあれば、忘れない。 痛みだけはどうしたって身体から消えないから。 心も身体もそれはずっと覚えてる。 痛みは自分以外の誰かがいた証拠になる。 昨日の確約、明日との契約。 だから痛みは好き。 まだ生きてる証拠だから」
結晶機に乗っているという事は、もしかしたら彼女にとって生きる意味だけではなかったのかも知れない。
過去を、感情を、様々な自分の何かを彼女は結晶機に捧げてきたのだろう。 そしてそれはいずれ俺もそうなるかも知れないIFの姿でもある。
もしもミスリルや、結晶機……そうしたものと関わることで己の過去を失う事があったとしても。 痛みだけは忘れない。 それは生きた証拠になる。 痛みを与えてくれた誰かの存在を、忘れる事はないから。
「香澄は『辛い』痛みだけしか無かったあたしの身体に新しい痛みをくれた。 だから、香澄の事は忘れない。 香澄が心の中からいなくなっても……香澄が世界からいなくなっても。 あたしがどこかへ消えてしまっても……それでも残るものがある。 それって素敵な事、だよね?」
夕暮れの中、振り返って笑った彼女の姿が脳裏を過ぎり、強い痛みが胸を締め付ける。
そうだ、痛みがあれば忘れない。 忘れられないんだ。 どうしても、魂に刻み付けられてこびり付いたその痛みを拭うことなんて出来ない。
「……消えてしまうとか言うなよ」
思わず俺は口走っていた。
「解き放たれて自由になったんなら、人生これからだろ? 自分の人生を始める時じゃないか。 君にはこれから沢山の未来が待ってる。 幸せも……もっと強い痛みも」
気分が悪くなるのは、きっと偽善を口にしているからだ。
「新しい痛みも、記憶も、君は作っていける! まだ終わって無いんだ! 居場所なんて何処にもないっ!! 自分で作らなきゃ意味が無いんだよ!!」
そう、それは偽善だ。 途方も無く依存していた何かを失った時、どんな気分になるのか俺はわかっているのに。 意味もない励ましの言葉を叫んでいる。
それは、自分自身に嘘を付く行為でもある。 俺は切実に訴えかける。 アレクサンドラに、そして桐野香澄に。
「だから……消えることなんてないんだ。 居ていいんだ、君だって。 この世界の中に……。 居て、いいんだ」
馬鹿馬鹿しいと思う。 何マジになってんの? と自分を笑いたい。
それでも俺はそれを他人事のようには思えなかった。 俺と彼女はよく似ているから。 似すぎているから。 そして彼女の持ついつ消えてしまってもおかしくないようなその雰囲気が、あの人に似ていたから。
居ていいんだって。 消える必要なんかないんだって。 まだ自由になれるんだって。 それはいつでもよくて、今すぐにだって籠は開くんだって。 教えたかった。
「香澄に感謝してる。 会えて……良かった」
彼女はそう言って深く息を吐いた。 安堵したような、疲れたような。 どちらとも取れない複雑なものだった。
眼帯を外した右目を開くと、その目は灰色に染まっていた。 何も捉えない瞳。 何も映さない瞳。 それは外傷ではなかった。 きっとエルブルスの代償。
「香澄の所為じゃないから、安心して……。 もう少し、あたしも自由に生きてみるよ。 どうしたらいいのかは、まだ判らないけど……」
「何か俺に出来る事があったらなんでも言ってくれ。 そうだ、連絡先……えっと、ケータイ持ってるか?」
何故か慌てて携帯電話を探す俺が居た。 何故なのだろう。 もう一度会いたいと思っているのだろうか。 正直、よく判らなかった。
アレクサンドラを傷つけてしまった自分。 居場所を奪ってしまった自分。 居場所を失ってしまった喪失感を知る自分。 彼女が会えて良かったと言った自分。
そのどれもがきっと嘘で、本当で。 だから判らなくなる。 どれが本当でどれが嘘なのか。 自分が何をしたいのかさえ。
そうして慌てる俺の手を取り、彼女は片目を瞑って笑った。
「人間に触れるの、すごく久しぶりな気がする」
「……そうか」
「もっと触ってもいい? すぐ、忘れてしまわないように」
首を傾げる彼女を強く抱きしめていた。 何故そうしたのかは、何度も言うがよくわからない。
状況に流されたのだろうか。 それとも彼女が美人だったからだろうか。 両方かもしれない。 でも本当の理由は薄々感づいている。
俺が抱きしめていたのは彼女であって彼女ではなく。 俺であって俺ではなく。 だから俺たちは嘘を付いていた。 お互いに嘘を付き、自分にさえ嘘を。
下らない時間だった。 そうしてしまったのはきっと自分たちが愚かだったからに他ならない。 俺はただ何も考えないよう、華奢な身体を抱きしめる。
「……どうして、忘れてしまうんだろうね」
――――どうして……人は永遠じゃないのかな。
彼女があの日呟いた言葉。
その答えは未だに、見つけられないで居た――。
第三共同学園地下格納庫は、スポンサーであり技術提供者である如月重工の工場と地下で繋がっている。
元々地下に張り巡らされていた交通路も、グランドスラムにより丸ごと消滅してしまった今、地下空間を通っているものはそう多くない。 空いたスペースを利用し、如月重工は輸送用の線路を作る事にしたのである。
お陰で外部の人間に悟られる事もなく地下から内密に物資を運搬する事が出来る。 キルシュヴァサーも同様の方法で地下から運ばれてきたのであった。
「いやぁ〜、イゾルデ君の協力もあって、ようやく実働か。 キルシュヴァッサー二号機」
修理中のキルシュヴァッサーの隣に並べられた赤い装甲の結晶機。 それは近年開発が進められていたキルシュヴァッサーの二号機であった。
テストパイロットにはイゾルデが選抜されており、白兵戦闘能力に特化した次世代型の結晶機として構想が進められ、ドイツ寄りのデザインだった一号機に比べ和風なデザインをされている。
デザインだけではなく性能、装甲なども変化が加えられ、キルシュヴァッサーの名を持つもののそれは全く別の結晶機であると言える。 故にそのコードネームである『不知火』という名の方が開発者の間では一般的だった。
不知火を見上げる日比野。 その傍に歩み寄る足音に振り返ると、そこには白衣の女性の姿があった。
「おやおや。 こっちに戻ってらしたんですね、桐野博士」
「お久しぶりです、日比野先生」
白衣の女、桐野綾乃は手にしたファイルを胸に微笑んだ。
不知火は主に如月重工が開発した機体である。 基本構想こそキルシュヴァッサーのものを受け継いではいるものの、不知火の設計を行ったのは日本人の開発者であった。
そのうちの一人、名簿の中には桐野綾乃の名前もあった。 如月重工の結晶機開発室に所属する彼女は、不知火の基本的な動作ロジックを生み出した重要な人間である。
「随分と趣味的なデザインになってしまいましたが、日本政府と如月重工が深く関わっている異常妥当なものでしょうね。 パイロットのイゾルデさんも、和風デザインがお好みのようですし」
赤い外装の合間から覗く肩には不知火という漢字がペインティングされている。 武装も巨大な太刀がメインと、和風を全面に押し出している。
デザインを指示したのはほかでも無いイゾルデなので、それは当然のことのようにも思える。 苦笑を浮かべながら資料を手渡すと、綾乃は真剣な瞳でキルシュヴァッサーを見つめた。
「模擬戦で大破したと聞いていましたが、随分と修復速度が速いですね」
「自己修復機能が働いているんですよ。 彼女自身が一日も早い戦線復帰を望んでいるんです。 自分の真の宿主の為にね」
「話は窺っています。 香澄ちゃん……彼の叫びに応え、目を覚ましたと」
「彼のお陰かどうかはわかりませんが、少なくとも無関係ではないでしょうね。 あの機体の成り立ちを考えれば当然でしょう」
「……因果なものですね。 出来れば彼女と彼を引き合わせることだけは、したくなかったのですが」
悲しそうに唇を噛み締める綾乃。 その肩を叩き、日比野はキルシュヴァッサーを見上げた。
「彼らが悪魔になるか天使になるか、それはきっと僕たちにかかっている。 彼らを守れるように、精一杯役目を果たそう」
「……そうですね。 それがあの人との約束でもありますから」
二人の視線の先、二機のキルシュヴァッサーは出撃を待ち、跪いていた。
日が暮れて、夜になり。 俺は校門の前に立ち尽くしていた。
彼女はここにいてはいけない。 怪我のこともある。 病院に戻さなくてはならない。 タクシーを呼び、俺は彼女を病院に戻した。
そうして日が暮れるまでの間、俺は彼女と過ごした。 何故そうしたのかはわからない。 ただ、アレクサンドラが居なくなった後、とても空しい気持ちに陥った。
結論から言うと、俺たちは何もしなかった。 ただぼんやり学園祭を眺めていただけだった。 何も、彼女に思い出さえ残せなかった。
携帯電話さえ持たないという彼女に握らせた自分の連絡先のメモ。 しかし彼女から連絡が来るかどうかはわからなかった。 ただ、必要とされたなら応えたい……そんな都合のいい考えが脳裏を過ぎる。
眼鏡を外し、額に手を当てる。 自分の瞳から零れそうになっているものが涙だと気づいた時、そのセンチメンタルさに思わず笑ってしまった。
踵を返し、人ごみの中にまぎれると気が落ち着いた。 これだけうじゃうじゃ人がいるのだから、俺の事を見ているやつなんていないだろう。
そう、だから。 人の中にまぎれ、嘘を付き、それの何が悪いっていうんだ。 そうするしかないじゃないか。 そうしなきゃ、理解してしまうじゃないか。
「だから、俺は……」
俺は、なんだというのか。
言い訳でもするつもりなのか。 まったく、馬鹿馬鹿しい。
「……冬風のやつ、うまくやったかな」
零れた言葉。 興味が沸いて体育館に向かう途中、俺は脚を止めた。
木陰で泣きじゃくる冬風と、その肩を抱いて慰めている海斗の姿が見えたからだ。 二人に何があったのかはよくわからないが、少なくとも悪い雰囲気ではない。
「よかったな」
ふと、気づけば微笑んでいた。 悲しい時に一人でないということは幸せだ。 だからそう、冬風は恵まれている。
校舎に入り、階段を上る。 最上階の生徒会室よりさらに上、屋上に出た俺は無言で歩き続け、フェンスに指を絡ませる。
こんなに高いところからでも、彼女を見つけることは出来ない。 こんなにどこまでも続いて居そうな空だって、彼女には届かない。
「秋名……。 どうしていなくなったんだ……。 どうして……」
未だにどうしても拭い去れない過去の痛み。 強くフェンスを握り締め、歯を食いしばる。
アレクサンドラにはやられた。 あれだけ何重にも重ねていた嘘の仮面をあっさりと外されてしまったのだから。
こうして前に進めず女々しくあの日の再現を祈り、夜空を見上げている自分。 何の為にと、何故と、いつの間にか理不尽に理由を求めては胸に押し込める。
あの頃から何か変われたのだろうか。 キルシュヴァッサーに乗るようになり、この生徒会に入って。 結局変わった事なんて何も無い気がする。
変われるのだろうか。 キルシュヴァッサーと共にあることで真実に辿り着けるのだろうか。 その先にある未来は、俺が望んだ色だろうか。
そしてそれを得たとしても、失ってしまうのではないか。 永遠なんて無いことは判っている。 手に入れてもまた失うのであれば、俺はもう何も手にしたくない。
カラッポなら寂しいけど、何も失わない。 だからそれでいい。 それ以上なんて望まないのに。
「香澄」
声が聞こえて思わず固まった。
今日という日は本当についていない。 きっと厄日か何かだ。
ゆっくりと振り返る。 そんなはずはないと判っているのに。 それでも振り返らずには居られなかった。
月明かりが照らし出す祭りの夜に、誰も居ない孤独のステージで、彼女は踊っていた。
とても小さな、姉貴と同じ姿をした。 思い出の中に居る、秋名と同じ姿をした。 ミスリルという名の、化け物が。
くるくると、くるくると。 舞っては揺れるその銀色の影に、俺は思わず見惚れていた。
「見つけたよ、香澄」
彼女は小さな声でそう囁いて、両手を広げて微笑んでいた。