月光、舞踏会(2)
第三共同学園の地下に存在する格納庫ブロックは、様々な場所に通じている。
地下空間には格納庫の他に簡単な研究施設が存在する。 修理、武装変更、訓練などは全て格納スペースにて行うごうちゃごちゃとした構造だが、研究施設だけは基本的にパイロットさえも立ち入り禁止に成っている。
政府に与えられた特別な認証コードを持つ身分証名証でのみ出入りする事が出来るその研究スペースに足を踏み入れる一人の男もまた、政府に認められた権力者であるのは当然の事だった。
男は格納庫を横切る時に既に異変に気づいてはいたが、研究ブロックに入ってその異変を目の当たりにし、思わず顔を顰めた。
「おやおや、これはこれは……。 お久しぶりですね、崇行さん」
如月崇行。 それが男の名前だった。
基本的に結晶機の開発、対ミスリル戦闘はキルシュヴァッサーに一任しているとは言え、その他にも東京には様々な対ミスリル勢力が存在する。
他国の実験戦場となっているこの東京という町の勢力バランスを守るためには、ある程度入り組んだ勢力図である必要がある。 故に彼らのように結晶機を研究、開発するのとは別の名目でミスリルについて研究を重ねている機関は多い。
もちろんそれは日本に限った話ではない。 結晶機という力のみが制限されているルールの中、各国それぞれの方法でミスリルを研究し、対ミスリルの兵器や対策を講じているのである。
崇行が所属する東京公安警察室もそのうちの一つ。 所謂結晶機と呼ばれる人外の力に頼らず、既存の武装やそこから生み出した対ミスリル兵器でのミスリルの撃退、及びミスリル調査を目的としている。
勿論、現状では対ミスリル兵器の開発でうまく行っていると言えるのは結晶機くらいなものなので、他の組織の役割はミスリルに対する調査、そして情報の操作となる。
日本公安警察室は日本の警察、自衛隊その両方から選抜された人員で構成される日本政府直属の特殊組織であり、チームキルシュヴァッサーをサポートする役割を持っている。
「驚きましたね……。 この数年間、全く目覚める事の無かった彼女が目覚めたとは。 この目で確認するまでは信じられませんでしたよ」
崇行を迎え入れた日比野の向こう、透明な敷居によって区切られた部屋の中、白い椅子に座っている少女の姿があった。
銀色の髪に透き通るような白い肌。 血を流し込んだかのように真っ赤な瞳は薄ぼんやりと部屋を捉えているように見える。
「僕は、今でも信じられないね。 突然の事だったよ。 今朝格納ブロックに出勤したら、部屋の中を彼女がうろついていたんだからね」
「成る程。 いやしかし、元気そうで何よりです。 彼女との付き合いも、もう随分と長くなりますからね……。 思うところもあります……っと、失礼。 ここは禁煙でしたね」
煙草の箱を取り出しかけた崇行は苦笑してそれをポケットに戻す。 日比野はあらかじめ纏めておいた資料の束を崇行に手渡した。
「やはりきっかけはエルブルスとの模擬戦ですか……」
「そうだね。 先のエルブルス戦で見せた暴走状態は恐らく彼女の意思によるものだろう。 こうして普通に座っている分には可愛らしい女の子なんだけどね。 暴れだしたら何が起こるかわからない……まるで猛獣の調教だよ」
「グランドスラムの二の舞はお断りですね。 零番検体キルシュヴァッサー……。 彼女が齎した破滅を私はまだしっかりとこの目に焼き付けていますよ」
「忘れてはならない痛い記憶だね。 キルシュヴァッサーを僕たち人間がどうにか出来ると考えていた事に対する罰だろう。 下手をすれば、彼女は二度目のグランドスラムを引き起こす存在だ。 飼いならされているのはもしかしたら僕ら人間なのかもしれないね」
「ミスリルを倒す為ならば尻尾も振りましょう。 既に捨てたプライドです。 惜しくは無い」
資料に目を通し、崇行はウィンドウ越しに少女を見つめた。 ぼんやりとしつつも、周囲の研究員の言葉に従い素直に検査を受けている少女。 その無垢な瞳が多くの人を殺してしまった事を彼はまだ覚えている。
キルシュヴァッサー計画そのものにさえ、彼は反対していた時期があった。 しかし今は自らがそれを監督することで管理しようと努力している。 所謂キルシュヴァッサーの協力者だった。
「如月重工という組織はこれからどう動くと思う?」
「それは姉に任せていますので。 私は公安警察として出来る限り結晶機の暴走を抑えるだけの事です」
「ではやはり?」
「はい。 キルシュヴァッサーのパイロット候補として彼はまだ不安定すぎる。 不確定要素が取り払われるまで、彼は降板としましょう」
資料を軽く叩く崇行。 その弾いた指先が軽やかな音を立てるその先には桐野香澄の顔写真が貼られていた。
「彼はキルシュヴァッサーの覚醒を誘発する存在だよ。 成り立ちを考えれば当然だ。 彼と共にあればキルシュヴァッサーは進化する」
「だとしても、容認するにはまだ早い。 彼自身の覚悟も決まらぬまま押し付けるにはあまりに重いでしょう、この運命は」
「かもしれないね。 でもそれはみんなそうさ。 大人になるのを、世界はいつまでも待っていてくれるわけじゃない。 抗うも流されるも彼次第……僕はそう思うけどね」
会話はそこで途切れた。 ウィンドウの向こう側、少女が二人を見つめていたからだ。
ぼんやりとした、純粋無垢な笑顔。 ふっと、当たり前のように笑うその姿に、二人は言葉を失っていた。
⇒月光、舞踏会(2)
そうして八月二十日。 第三共同学園の学園祭は無事に開催された。
前日の夜俺たちは一度解散し、家に帰宅した。 これからまた二日間の間ぶっ続けで行われる学園祭の為、泊り込みになるからだ。 一先ず合宿は終了したがまた泊り込みとこれ如何に。
家に一度帰り、荷物整理やら何やらを済ませて学園に戻ったのが昼前の十時頃。 開催されるのが十一時からのため、学園内は開始一時間前という事で兎に角慌しかった。
「よっすー香澄ちゃん! ありすちゃんもおはーっす!」
謎な挨拶をしながら駆け寄ってくる木田。 校門前に立ち尽くして一緒に学園の慌しさを眺める。
「うわ、ひでえなこれ……。 もろカオスじゃん。 ま、俺ら生徒会のやるべきことは既に片付いてるから、あとは勝手にやってもらうだけなんだけどね」
当日の緊急対応の多くは実行委員に任せている。 俺たち生徒会は実行委員に対処できないような重大な問題が発生しない限り今日は仕事も無い。 本題は今日の夜に行われる一日目の総合討論会であり、そこで今日の問題点や改善策を打ち出し、二日目までに施行する。 これが泊り込みになるであろう理由である。
もう慣れてしまったからいいのだが、仮眠室のベッドは女子連中が使って俺たち男子はベンチやら床やらで寝なければならないのであまり泊り込みたくない。 まあありすが木田や佐崎と一緒に寝る事になるよりはマシだから我慢するが。
そもそも泊り込みで合宿する必要があったのかどうかは微妙なところだ。 ほぼ丸一日訓練に使えるというのは俺としてはありがたかったが……。 さて今日はどうなることやら。
「ふむ。 門の前で何をしているんだ、貴様たちは?」
「イゾルデか」
「他の面子はもう中ではないか? まあ、今更慌てるような事は何も無いが、一応生徒会室に集合するとしよう」
イゾルデの言うとおり、門の前で突っ立っていたら邪魔以外の何者でもない。
俺たちはそのまま一緒に生徒会室に移動することにした。 あちこち騒がしい校内も、最上階まで上りきれば静かになる。
最上階には生徒会室以外に何も施設が存在しない。 故にここは学園祭とは関係なく、普段通りの静けさを保っていた。
生徒会室には既に俺たち以外のメンバーは全員揃っていた。 何故か教員の日比野が居ないのがアレだが……こういう時くら居てもいいと思うが、普段から顔は出さないので別にもういい気もする。
全員軽く挨拶を済ませ席に着くと、ホワイトボードに今日の予定が記されていた。 基本的にはここで待機している人員が一人、それから各出し物に問題が無いかどうか一応見回るのが一人。 あとは自由行動で、後退で学園祭を回れるという事だった。
「というわけで、殆ど私たちがやるべきことは今日はありません。 何もないまま当日を迎えるために今まで頑張ってきたわけだからね。 それなんで、とりあえず今日は交代で見回り一名、待機一名って事になるけど、何か問題があれば私か桐野君に報告ということで御願します」
日は浅いが俺も一応副生徒会長である。 何かあったら対応しなければならない……面倒くさいが。
まあ、形式上待機一巡回一ではあるものの、基本的には誰か一人が最低でも一人ずつそうしていれば問題が無いという事で、事実上今日は予定がないようなものだ。
「というわけで、面倒な事はありません。 今日はみなさん勝手に楽しんじゃってください」
冬風が手を叩くと同時に緊張感は崩壊した。 生徒会室はこれから実行委員に明け渡し、運営本部になる。 とりあえず冬風が一人残る事になり、俺たちは全員一度外に出た。
「うーん、なんかわくわくしてきたかも? お祭りっていいね〜! ありす、そういえば学園祭に参加するの初めてかもっ」
「そうなのか? 低学年でも開催、参加の権利はあったはずだが」
「まあ色々あってね。 だから初めてなのはお兄ちゃんとおそろいだよっ」
楽しそうに笑いながら腰にしがみついてくるありすの頭を適当に撫でていると、全体の足が止まる。 その規則正しい動きに乗り遅れ、一歩先に進んでしまった海斗が立ち止まった。
「うわっとと……。 え? みんなどうしたの、いきなり立ち止まっちゃって……?」
「海斗、今日の予定はどうなっている?」
イゾルデが切り出すと、海斗は腕を組んで思案する。 そういえばこいつら、あれから本当に海斗と冬風をくっつかせる為の作戦会議を繰り返していたな。
俺は流石に馬鹿らしくて参加しなかったが、計画はちゃんと続行されていたらしい。 木田と佐崎も至って表情が真剣である。
「予定はないよ? とりあえず適当にぶらぶらしようかな〜と思って。 あ、香澄ちゃん一緒に行く?」
「え? あ、僕は……」
答える前に視線だけ動かしてイゾルデたちの様子を窺う。 すると思わず驚くほど三人は真剣な顔で首を横に振っていた。
「あ、いや……。 とりあえず今日は、一人で……いや、ありすと周ってみるよ……」
「ふーん、そっか。 残念だけど、まぁ学園祭は長いしね。 そういえば夕方頃から気になってる演劇のプログラムがあるから、そこに行こうかな……。 他は適当でいいや」
楽しそうに笑う海斗。 何とかやり過ごす事が出来た。 ほっと胸を撫で下ろしていると、三人は同時に親指をぐっと立てて俺に向けていた。 無論返さない。
「そうだ海斗! 夕方見たいんなら、とりあえず今は生徒会室で待機してたらどうだ? 夕方は俺たちが待機と巡回するからさ」
「うーん、そうしようかな。 それじゃあ僕引き返して響さんを手伝ってくるよ。 それじゃみんな、巡回よろしくね」
全員で手を振って海斗を送り返す。 その姿が生徒会に消えると同時に三人はガッツポーズを取った。
「おい……流石に露骨すぎじゃないか、今のは……」
「心配せずとも大丈夫だ。 海斗はぶっちゃけ天然だからな。 気づいたとしても俺たちなら上手く誤魔化せる」
自信満々に言う佐崎。 何と言うか、こんな事の為に使うような結束力ではないと思う。
腰にしがみついているありすもにやりと笑う。 こいつ、こうしていれば俺がありすと一緒に行くと言い出すと判っていて言い出したのだろうか。 だとするとこいつも妙な結束力の一員という事になる。 我が妹ながら恐るべし。
「では作戦会議に移るとしよう。 某たちにはやらねばならぬ事が多いからな。 フフフフ……」
「…………つかそれ、僕も参加決定?」
「「「 勿論 」」」
重なる声に思わず脱力する。 両肩を落としたのはきっと、俺が降参した証拠だった。
『あーあー。 こちら本部、こちら本部。 香澄ちゃん、聞こえるか? どうぞ』
反応したくなかったが無視するわけにも行かない。 耳につけた小型の通信機に対し返答する。
「……こちら香澄、こちら香澄。 聞こえています。 どうぞ」
『通信状態良好! とか言えよ! どうぞ』
「そんなん知るかボケ どうぞ」
学園祭は大成功だと言えるだろう。 というか、たかが学園祭とは思えないような膨大な人数が目の前を横切っていく。
ちょっとしたカーニバルよりもすごいんじゃないかという客の数。 出し物もかなり本格的で、全員小遣い稼ぎを狙って本気なのがよく判った。
そんな人ごみの中、俺は何故か校門の前に一人で立っている。 ここに到着したのが数分前。 馬鹿連中から受けた指示は『待機』と『通信機』のみで、何をすればいいのかも何も言われていない。
ただひたすら待つだけの時間が流れていく。 そうしてしばらく待機していると、校内から何故か冬風が現れたではないか。
「あれ? 桐野君?」
「冬風さん……? 生徒会室はどうなってるんだ?」
「海斗くんが居てくれるから、私は巡回してこいって追い出されちゃった。 そこで一人で座って何してるの?」
「あぁ、いや……。 それは……」
『君を待っていたんだよ』
「君を待っていたんだよ」
「えっ?」
「はっ?」
思わずそのまま口に出してしまった言葉に凍り付く。 冬風は目を丸くして首を傾げていた。
「ちょ、ちょ、ちょっと待っててくれ。 いいな? すぐに済む。 一瞬だから」
「う、うん?」
冬風の肩を叩き、力強く訴えかける。 そのまま即座にUターンし、玄関の隅、彼女の刺客に立ち思い切り息を吸い込んだ。
「……んの、バッカヤロウ!! 何言わせてんだテメエッ!? 思わずそのまま口走っちまったじゃねえか!!」
『まあ落ち着けって香澄ちゃん! とりあえず香澄ちゃんはこっちの指示通りに動いてくれ。 響から色々と聞き出したいだろ?』
「そんなもんお前らで勝手にやればいいだろ!」
『それがさぁ、前にも何度か似たような事したせいで響ちゃん警戒心強くてなかなかそうもいかないんだよ。 まさか香澄ちゃんが俺たちの手先だとは響だって思わないだろ? な、頼む! お前しかいないんだって!』
そんな事を言われても困る。 そもそもさくっと響が告白してしまえばいいだけの話じゃないか。 わざわざなんでこんな遠回りをしなければならないのか。
『香澄、聞こえるか? イゾルデだ』
通信機の向こうから聞こえる声が変わる。 耳元に手を当て、応答した。
『響が告白できないのはズバリ、自分に自信がないからだ。 これから貴様は響を褒め捲くり、そして最期にその気にさせて告白に持ち込む! それが貴様の役割だ』
「……で、僕は冬風と一緒に学園祭を歩きつつ、冬風が海斗に告白するように仕向けるってことか? そんなに上手くいくか……?」
『とりあえず響きがその気になれば良い。 夕方からの演劇でいい席を二つ取ってもらっているからな。 二人にはそこでロマンチックにデートを楽しんでもらう。 とりあえず貴様は響に自信がつくように擬似デートを成功させろ。 指示はこちらが出す』
ここで拒否してもどうせ後で五月蝿いんだろうな……。 まあ、確かに冬風のやつがさっさと海斗とくっつけば、俺と海斗が話していても睨んでくるようなことは無くなるだろう。
とにかく冬風の俺に対する敵意は俺と海斗の関係性から来ている。 ここらで丸く治めれば、確かに今後活動していく上で気は楽かもしれない。
「……了解。 ただし、あんまりにも変な事言ったら無視するからな」
通信を終了し、溜息を付く。 成る程、こっちの会話は丸聞こえなわけか。 こんなもんどこで手に入れたんだか……。
玄関を出ると、冬風はぼんやりと人波を眺めながら待っていた。 その肩を叩き、とりあえず指示通りに動く。
「ごめんね、響。 待たせちゃって」
「ひび……ふえ!? は、いや……よびすて……うん……え?」
すっかり混乱しているな。 それにしても耳元から聞こえてくる連中の笑いを堪える声が憎らしい。
「どうせなら一緒に巡回しよう。 女の子一人での巡回は危険だからね」
「え、えぇ? ど、どうしちゃったですか……? 桐野君、熱でもあるんじゃ……」
「熱はないが、ある意味君にお熱かもしれないね」
「……本当に大丈夫ですか? 具合が悪いなら休んでいた方が……」
「……すまん、気にしないでくれ。 それより行こう……ここに居てもしょうがないからな……」
「え? あ、うん」
冬風が天然で本当によかった。 さしたる疑問も浮かべず普通についてきてくれている。 通信機の向こうで『香澄ちゃん色男ー!』とか聞こえてきたが、まあ後でそのお楽しみの代価は支払わせてやる。
冬風は背後で手を組みながらぼんやりと屋台を眺めていた。 丁度この辺りは飲食系の出店が多いため、甘い匂いやら香ばしい匂いやらがランダムに飛来してくる。
「響、何か食べたいものはあるか? 某が買ってきてやろう」
「それがし……?」
「ふむ、些細な事は気にするな。 日本男児足る者、些事に気をとられては行かんぞ」
「にほんだんじ……?」
やばい、冬風の視線が段々痛いものを見るような鋭いものになってきた。 俺の威信はどうなってしまうのだろう。
というか、イゾルデにやらせるのは間違いだ。 本当にどうしようもなく間違いだ。 お前は少し黙っていろと叫びたい。 切実に。
「ねえ桐野君、本当にどうかしちゃったの? 何だか今日少しおかしいけど……」
「大丈夫、問題はない。 いくらロリコンの俺でも、妹に手は出さな……佐崎ィッ!! いい加減にしろ馬鹿野郎っ!!」
通信機を耳から外し、大地に投げつける。 雑音が聞こえなくなると随分と気分はすっきりしたが、周囲の客からは物凄い目で見られてしまった。
「これ、通信機……? もしかして木田君の発明品?」
通信機の残骸を拾い上げ、冬風は苦笑する。 どうやらこの調子だと、時々やつらは冬風にちょっかいを出していたらしい。 まるで何も気にしている様子はなかった。
全てに納得がいったのか、口元に手を当て冬風は笑っていた。 なんだかバツが悪くなり、頭を掻きながら視線を逸らす。
「……まあ、そういう事だ。 悪かった」
「どうせ無理矢理やらされたんでしょ? まったくもう……こういう時ばっかり結束力強いんだもん、みんな」
残骸を丁寧に回収し、笑う冬風。 なんだか悪い事をしてしまったような微妙に腑に落ちない気分に陥る。 何と言うか、これじゃあ単純に邪魔しただけだ。
「……お詫びに何か奢るよ。 何がいい?」
「え? ううん、いいって。 桐野君が悪いわけじゃないし、別に私怒ってないから」
「冬風が良くても僕が良くないんだよ。 まあ、適当に買うか……」
財布を取り出して適当に買いあさる。 その間冬風は口をあけてぽかんとしたまま俺を待っていた。
両手にたこ焼きやらじゃがバターやら何やらを持ち、その半分を冬風に預けて歩き出す。 とりあえず落ち着いて話す為に校庭にいくつか設置されたベンチのうちの一つに腰掛けた。
「本当に良かったのに……。 変なところで律儀ですね、桐野君って」
「うるさいな。 人の好意は素直に受け取って置くものだぞ」
「貴方がそれを言うんですか?」
それもそうか。
喧騒の中、まるで俺たちだけは時間が停止しているというか、切り離された世界に居るかのようだった。 酷く盛り上がる学園祭と比べ、俺たちは余りにもテンションが低すぎる。
冬風はじゃがバターを一生懸命齧りながらぼんやりと人々を眺めている。 俺も焼きそばの蓋を開ける。 そういえば昼飯食ってなかったな、俺たち。
「桐野君は……」
先に言葉を投げかけたのは冬風の方だった。 焼きそばを食いながら視線だけ向けると、冬風は相変わらず人々を眺めていた。
「海斗の過去を知ってるんですよね」
「……十年以上も前の事だけど。 正直、僕よりも君たちの方が海斗との付き合いは長いんじゃないかな」
「そうかも知れませんね。 でも、海斗の心の中に居るのは桐野君……貴方なんです」
「何でまた僕なんだ」
「貴方が適合者としてこの学園を訪れるよりも前から、彼は貴方の事を話していました。 余程大事な友達なんだろうと思って、私はそれほど気にしなかったんですが……でもきっと、海斗にとって貴方はそれだけの存在じゃないんでしょうね」
じゃがいもの皮を爪楊枝で器用にはがしながら苦笑する冬風。 だが、その言葉はイマイチ俺には理解出来ないものだった。
確かに俺たちは過去、これ以上ないくらい親友だったと言える。 だが俺たちの間には十年間のブランクがあり、それは埋めがたいものに他ならないのだ。
人が感覚や自己を養う大切な時間を、俺たちは別々に過ごしたのだから。 大切なものの在り処やその定義も、変わってしまっていて当然だろう。
「正直、今でも貴方の事は好きになれません。 というか、貴方でなくても別に構わないんです。 私……キルシュヴァッサーのパイロットは、海斗であってほしいと思っているから」
「……どうしてまた? キルシュヴッサーのパイロットは危険だってわかっているのにか?」
「今の海斗の生きる意味は、キルシュヴァッサーにあるんです。 彼はいつも自分の全てを賭けて戦っています。 だから彼からキルシュヴァッサーを奪ってしまったら……残るものは何も無い気がするんです」
それは言い過ぎではないだろうか。 海斗にだって他の生活はあるだろうし、俺も冬風もそうだ。
ただ、それはないだろうと斬り捨ててしまう事が出来なかったのは、冬風が今にも泣き出しそうなくらい悲しげに空を見上げていたから。 思わずその横顔に見惚れ、溜息が零れてしまう。
「そこまで海斗の事を思っているなら、素直に伝えたらどうなんだ?」
少なくとも、海斗の事を必要以上に彼女は思っている。 守りたいと考えている。 単純に好きとか嫌いではなく、それは海斗にとっての未来を考えた思いだった。 少なくともこんな風に思ってもらえれば、悪い気がするやつなんていない。
それでも冬風は煮え切らない様子だった。 首を横に振り、それからじゃがバターの紙の容器を少しだけ強く握り締める。
「私じゃ、きっと海斗を救えないから……。 だから、せめて守ってあげたいんです。 この世界の悲しみから、彼を」
「海斗の奴も、今の冬風と同じような顔で空を見てたよ。 何かあるんだろ? お前たちにしかわからないような理由が」
二人の過去に何があったのかはわからない。 だが二人とも語ろうとしないのだから、それはわからなくても仕方の無いことだ。
逆に言えば判ってほしいと思っていないのだろう。 それをわざわざ訊き漁るのは野暮というものだ。
「だが、それで俺を恨まれても困るぞ。 第一イゾルデはどうなんだ? 何でお前イゾルデとは仲いいんだ」
「……桐野香澄君。 貴方が持つ結晶機に対する適合能力は非常に強いものです。 恐らく、海斗よりもイゾルデよりも。 それに貴方は海斗にとっても特別な存在……。 貴方の存在がもしかしたら海斗の世界を脅かすかもしれない……。 そんな風に考えてしまう瞬間が、どうしてもあるんです。 悪い事だとは、わかっているんですけど」
「それは嫉妬か?」
「嫉妬……ですね。 言い訳も出来ません。 私より海斗と親しくて、海斗より結晶機の才能があって……。 何だか貴方は、私の持っていないものを全て持っている気がして……。 すごく、惨めな気分になるんです」
気づいてぎょっとした。 冬風は肩を震わせ、涙を堪えていたのだ。 堪えなければならないほど既に瞳には涙が溜まっており、いつ決壊してもおかしくない状態だった。
「本当は、結晶機のパイロットになりたかった。 海斗の代わりに戦ってあげたかった。 もっと海斗を守ってあげたかった。 でも私にはその才能がないんです。 海斗と過ごした、過去も……。 桐野君が羨ましいです。 嫉妬です。 どうしようもなく」
ついに零れ落ちた涙。 ぽたりとじゃがバターの上に落ちて弾けた。 それは勿論、恥ずかしい告白だったのだろう。 自分が嫉妬しているという事実など、普通は受け入れたくないものだ。
だが、彼女はそれと真正面から向き合い、その対象である俺に告白したのだ。 それは恐らくとても勇気の居る行為であり……気分を惨めにさせるであろう。
どんな風に声をかければいいのかわからなかった。 俺はのらりくらりと彼女をやり過ごしてきたが、彼女はいつでも本気だった。
今思うといつでも彼女は怒るのも恥ずかしがるのも文句を言うのも手伝うのも、全て本気だった。 自分と向き合うことさえ、彼女は厭わない。
偽善的な感情を振りかざす人間が気に入らないのは確かだ。 だがそれを全力でやって傷ついている彼女は、恐らくそれを懸命に訴えかける彼女は、醜悪な存在には思えなかった。
「人間なら皆そうだ。 出来る事と出来ない事がある。 少なくとも今も海斗はお前を頼りにしてると思うよ。 あいつはそういう奴だから」
「判ってます。 判ってるんです。 でも、自分に力がないのが悔しくて……。 私、海斗に沢山救われたのに、何も返してあげられないから……」
これだけ楽しくて活気のある日に本気で欝入って泣いてる女の子が居ると言うのもどうなのかと思う。
深く溜息をつき、ハンカチを取り出して冬風の手に握らせた。 周囲の視線が気になってしょうがない。 完全に俺が泣かせたみたいな雰囲気じゃねえか。
「とりあえず泣くなって。 こういう時なんていえばいいのか良くわからないけど……。 でも、自分で何とか心の中で折り合いを付けるしかないだろ」
「……うん」
「自分を騙して、嘘を付いて……。 それでも何とか上手くやらなくちゃいけないんだ、現実は。 だから、僕は……」
「……でも、私はそういう風には割り切れないんです。 力不足も現実も、全ては私の行動の結果だから。 そういうトコ、私たちって決定的に違いますよね」
俺も同感だった。 いまいちこいつと反りが合わないのは、きっとそういうところが関係しているのだと思う。
真正面から何事にも全力で立ち向かい、嘘偽り無く生きようとする冬風。
全てを斜めから見て、偽りの自分を創り、本音を隠して誤魔化す俺。
お互いのその生き方が、いまいち気に入らない。 だからこそ俺たちの間にある微妙な距離感はこれからもずっと狭まることはないのだろう。
「それでも、泣かれると困るのはこっちだ。 強がるのもいいが、少しは妥協して自分を許してやれ」
「……優しいんですね。 普段からそうなら、女の子にもモテるんじゃないですか?」
「茶化すなよ。 期間限定の優しさだ」
「覚えておきます。 貴方に優しくされたい時は、涙を流せばいいって」
全く小憎たらしいやつだ。 笑いながら涙を拭い、そんな事を言う冬風。 だがしかしそれほど悪い気はしなかった。
心のどこかでその潔いが苦労だらけでうまく行かない生き方を俺も認めているのかも知れない。 勿論それは、口には出さなかったが。
「……やだな。 あんまり優しくされると、貴方の事嫌いになれなくなっちゃう」
「嫌いで居たいのかよ」
「どうなのかな……。 泣いてたら良くわかんなくなっちゃった。 自分でも貴方をどうしたいのか、わからないけど……。 でも、嫉妬は止めます。 すぐ出来るかわからないけど……貴方の事、ちゃんと正面から受け止めなくちゃ」
思わず背筋がぞくぞくした。 そんな台詞を良く相手の目の前で言えるものだ。 その辺の度胸だけは据わりすぎて余ってるくらいだろうな。
「ごめんね、桐野君。 迷惑だったよね。 ありがとう」
「いや、こっちも迷惑かけたからな。 これで帳消しにしてくれ」
「あ、ひどい。 迷惑だったって所否定しないんですね」
「迷惑だからな……。 俺が泣かせた見たいな目で見られてたんだぞ」
「ふふ。 やだなぁ、桐野君が泣かせたんじゃないですか」
すっきりとした笑顔で笑う冬風。 しかしやはり、思いはどこか遠くにあるのだろう。 遠くに広がる過去を眺めるように空を見上げていた。
ただその横顔が先程のように重々しいものではなく、少しだけすっきりしたように見えたのだからこの会話も意味があったように思える。
「それじゃあ僕はもう行くから。 それから夕方の演劇、冬風と海斗の分、チケットとってあるらしいから見てくるといい」
「あはは……。 何だかなあ。 でも皆にありがとって言っといてください」
「了解しました、生徒会長殿。 では僕は巡回に行ってまいります」
敬礼の真似事をしてみせると、彼女もそれに応えてくれた。 あの状態でふらふら歩き回るのも妙な話だろう。 巡回は俺がやれば済む事だ。
それにしても佐崎と木田とイゾルデ……後で何か奢らせよう。 結局俺は損しかしてねーじゃねえか。 ありえねー。
ぶつぶつ文句を言いながら歩いていると、歩いていた客と肩をぶつけてしまった。 相手がよろけて倒れそうになるのを見かね、思わず腕を掴んで引き上げてしまう。
「すみません、大丈夫……え?」
「スパシーバ。 また会えたね、香澄」
相手がよろけたのは当然の事だった。 彼女は片足を骨折し、松葉杖で移動していたのだから。
片方を眼帯で塞がれた蒼い瞳で、アレクサンドラは俺に笑いかけていた。