序
やっちまったんだZE☆
「どうして……人は永遠じゃないのかな」
時々無性にやり切れない想いと衝動に駆られ、どこへでもなく駆け出したくなる時がある。
そんな時は決まって空は鮮やかな夕焼けに染まり、俺の全てを照らしては燃やし、焦燥感を煽り……余計な事を考えさせる。
考えたく無いからこそ走り出したくなるのか。 もしかしたら理由は逆なのかも知れない。 勿論そんな事を考えるのは、無意味だとは知っているが。
「永遠って言葉が、誰にでも平等で……。 当たり前のように、ずっとずっと続けばいいのに」
あの日もそう、空は真紅に染め上げられ……まるで何かに炙られ燃えるように、雲は朱を溶かして尚流れ、鮮やか過ぎる景色は瞳を曇らせる。
街の向こうに沈んでいく紅。 ただそれを彼女は見送り、静かに目を細めていた。 全身に光を浴び、光沢する髪を靡かせ、静かに囁く。
それは歌のようだった。 いや、俺にとってはきっと歌だった。 だから傍に居てその声を聞く事は、唯一俺の心を静める方法だった。
夕日が良く似合う人だった。 鮮やかな朱は地味な格好が多い彼女を美しく照らし出し、その光陰は俺の目を引いて止まない。
恋していたのかもしれない。 きっと愛していた。 それでも彼女との間にある溝は埋まらず、埋めようともせず、だから当然埋められず。 背中を見つめるだけの俺が彼女にして上げられる事なんて何もなかった。
だからそう、無性にやり切れない衝動に駆られる時は決まって。 決まって、夕暮れ時なのだ。
「ね、香澄? 香澄はずっと、わたしの傍に居てくれるよね。 居なくなったり、しないよね」
彼女は振り返らない。 俺は静かに熱い空気を肺に吸い込み、空を見上げる。
どこまでも続いているようで、本当は有限な空。 なんだってそうだ。 本当の永遠なんてどこにもない。 無限と言う言葉は、幻想に過ぎない。
だからずっと傍に居ることなんて出来ない。 出来るはずがない。 判っている。 それはきっと、彼女も。
「……ああ」
それでも俺は、彼女の後姿に答える。
「居なくならないよ。 ずっと、傍に居る。 あんたの傍だけに」
恋だったのかもしれない。 けれどそれは愛だった。
俺の言葉を聴くと、決まって彼女は振り返る。 そう、お決まりのやり取りだ。 だから俺は次の瞬間を見逃さないように、そっと息を潜めた。
「……うそつき」
そう言って笑う彼女の姿は今でも瞳に焼き付いて離れない。 それはきっと、幾度と無く俺がその姿を美しいと感じたからなのだろう。
今はもう戻らない夕暮れ時。 走る事でしか取り戻せなかった刹那。 今はもう居ない彼女を思い、俺は夕暮れを見上げる。
「うそつきはあんたの方だ」
囁く言葉は誰にも届かない。
もう誰も居ない。 全てがくすんでしまった燃えるような景色の中、俺は立ち尽くす。
大切な人が居なくなってしまってから、もう三年が経とうとしていた――――。
銀翼のキルシュヴァッサー
駅に降り立つと、真昼の太陽が強く世界を照らし出す。
何時間ぶりかに浴びた直射日光は焼きつくような痛みを瞳に齎し、思わずそれに手を翳す。
日の強さは夏と言ってしまっても過言ではない六月末。 五年ぶりに帰って来た故郷は懐かしいと言うよりは後ろめたいと言う気持ちの方が強く、思わず溜息が零れた。
最低限の荷物だけを纏めたとは言え、大きなキャリーバッグは流石に重い。 人の流れは激しく、立ち止まるわけにも行かず、押し流されるように足を踏み出した。
空へと突き抜ける沢山のビルは光を映し出しては反射し、あちこちに輝きを無差別にばら撒いている。 シャツの胸元のボタンを一つ緩め、荷物をしっかりと掴み直す。
かつて住んでいたはずの町。 かつて故郷だったはずの町。 それなのにそこにあるのは思い出よりも痛みが多く、思わず逃げ出したくなる。
だが、そんな非現実的な手段を選ぶわけには行かない。 ズボンのポケットに手を突っ込み、そこから一枚のメモを取り出す。 そこには一応、自分で纏めた今日の予定が記されているはずだった。
「…………迎えが来ているんじゃ無かったのか?」
溜息は尽きない。 眼鏡を外し、静かに空を見上げる。
眩い光を放つのはビルだけではない。 その向こう側に見える巨大な結晶が、この東京という町を照らし出していた。
全長500メートルと言う大きさを持つ円錐型の巨大な結晶。 街に突き刺さるようにして必要以上に存在をアピールするそれは、町を離れた時から変わらずそこにあった。
東京グランドスラム――という、事件があったのが俺の生まれる二年前。 突如現れた結晶塔の周辺を根こそぎ吹き飛ばし、巨大な大穴を開けてしまった『自然現象』だ。
グランドスラム以降、東京は殆ど完全に壊滅し、日本の首都は京都に移された。 その後この街は結晶塔と呼ばれる未確認鉱物とグランドスラムの研究の為、一時期は研究者たちが集う街になった。
両親がそのグランドスラムの研究者だった事もあり、俺は絶望的なまでに壊滅した東京という街で幼少の時代を過ごした。 その頃の東京はビルなんて無くて、仮設住宅と瓦礫の山が広がるだけの被災地だった。
それがたった二十年の間にこれだけ復興したのは人々の努力の賜物なのだろう。 東京という街は完全に消滅し、今は以前とは違う生まれ変わった東京がそこには広がっていた。
そう、だから。 破滅後急激に成長したこの東京という街に懐かしさを覚えろと言う方が無理な注文なのだ。 自分にそう言い聞かせ、凄まじい人波にもみくちゃにされながら何とか歩き続ける。
あてにならない地図とこれまたあてにならない昔の勘を頼りに歩き続けると、唯一見覚えのある施設を発見し、思わず寄り道する。
細い細い坂道を駆け上がると、そこには小さな公園があった。 桜の木が一本あるだけで、遊具なんてブランコと滑り台と砂場しかない、とても小さな公園だ。 それでも小さな頃、俺はよくここで遊んでいた。
「…………懐かしいな」
錆付いてしまったブランコの鎖を指先で撫で、思わず過去に想いを馳せる。
過去の記憶はどれも自分の胸を締め付ける物だと判っていても、そうしてしまうだけの懐かしさがあった。
沢山の記憶の名残に囲まれながらブランコに掛けるとぎしぎしと異常に軋み、ぶっ壊れるんじゃねえかと一瞬不安になる。
そうして見下ろす東京という街は、道も舗装されビルは乱立し、無機質であるが故の美しさを持つ街になっていた。 だがそれでも、今もこうして古臭い部分は残っている。
見下ろせばまだ舗装されていない地区もあるし、それは少しだけ緊張感を解いてくれる。 胸を撫で下ろしたわけではないが、安堵の息を付き立ち上がると、背後に人の気配を感じた。
「十八にもなってブランコ漕いでるなんて……頭大丈夫?」
振り返るとそこには小さな女の子が立っていた。 パンクファッション、とでも言うのか。 黒を基調とした装いはよく似合っているように見えた。 やたらめったらダメージ加工が施されているのはどうかと思うが。
それにしても会うなり頭大丈夫とは随分と礼儀のなっていない小娘だ。 見たところ俺よりも一回り、二回りは年下だろうか。 というか、何故俺の年齢を知っているのか。
「……まさか、覚えてないとか言わないよね?」
「…………」
腕を組み、考え込む。 少女の機嫌は見る見る悪くなっていく。 青筋でも浮かび上がりそうな様子で、大股に歩み寄ってくる。
「良く見なさい! ほらっ!! 何か言う事あるでしょ!?」
「…………えぇと」
困ったな、全く判らない。 とりあえず何とか状況を打開しようと、俺は微笑を作る。
「ああ、思い出したよ。 君は確か……」
「やっと思い出したの……? ありすの事忘れてるなんて、お兄ちゃんどうかしてるんじゃない……?」
「ああ、そうだったね。 すまない『ありす』」
誰だこいつ。 ありす? ありす……ああ、思い出した。 桐野ありす――俺の妹じゃないか。
「すっかり可愛くなっていてわからなかったよ。 ごめんな、ありす」
にこやかに微笑み、ブロンドの髪を撫でる。 随分と整った顔つきをしている妹が居た物だ。 余りにも長い間存在を忘れていた所為で完全に判らなかった。
それにしてもこれが妹か……。 小さい。 とても小さい。 自分の背が高い事は自覚しているが、それにしても身長が……。
「お兄ちゃん、なんか失礼な事考えてない……?」
「そんな事はないよ、ありす。 懐かしいな、元気にしていたかい?」
「………………」
ありすは黙り込んでいた。 特にまずいことは何も言っていないと思うのだが、気まずい雰囲気が流れる。
明らかに睨まれているような気がするのは気のせいだろうか? ありすは腕を組み、頬を膨らませてそっぽを向いた。
「お兄ちゃん、駅前で待ってたのにありすの事スルーしたでしょ……」
ああ、そう言われて見ると居たような気もする。 しかし妹がこんなんになっているとは普通思わないだろう。 昔は普通の気弱な少女だったぞ。
それにしても一々めんどくさいやつだ。 そんな事を気にしていたら話が一向に進まないだろうに。
「久しぶりの都会で緊張したんだよ……。 あっちじゃあんなに人は居ないからね」
「…………ふーん。 お兄ちゃんは東京が嫌いなんだ」
「いや、そういうわけじゃないけど……」
どう答えれば機嫌がよくなるのかわからない。 ああ、本当に面倒くさい。
思わず溜息を漏らし、視線を逸らす。 こんな奴にこんなところに釘付けにされているだけで既に時間の無駄だというのに、これが妹となると先が思いやられる。 第一印象は大事だからとりあえずここで機嫌を取っておいて、良好な兄としての関係を構築しておくべきだろうが……。
「悪かったよありす。 許してくれ」
苦笑しながらその頭を丁寧に真心込めて……嘘だが……撫でると、アリスは上目遣いに俺を見て言う。
「お兄ちゃん、昔から何かあるとすぐ人の頭撫でるよね」
「そうかい?」
覚えてねえ。
「うん、そう。 でもまあ、嫌いじゃないから、いい」
もっと撫でろと言わんばかりに目を閉じ、頭を突き出してくる妹。 その頭をなでなでし続ける俺。 一体この状況は何だ……。
そんな風に考えていると、満足したのかありすは笑顔を浮かべ、その場でくるりと回ってみせる。 ステップを踏むようなその動作はこの小さな雑草だらけの公園には相応しくなかったが、それでもステージを演出してしまうのは彼女の可憐さが成す技だろうか。
街を一望出来る場所に建ち、青々とした桜の木の木陰で彼女は両手を広げ、無邪気に笑った。
「おかえりなさい、香織お兄ちゃん! そしてようこそ――――日本特区東京フロンティアへ!」
銀色に輝く結晶塔から吹く風が頬を撫で、髪を梳いていく。
きらきらと輝いては眩しさを強制的に人に与えるその輝きを一瞥し、心の中で呟いた。
ああ、退屈な日常が始まったんだ――と。
日本特区、東京フロンティア。
今は無き首都の面影を再現する事、そして結晶塔を研究する事に余念のない日本国内最新鋭の大型人工都市。
俺の故郷。 始まりの場所。 失った場所。 今はもう無い幸せの世界。 そして、今日から俺が生きなければならない絶望の街。
「よろしくね、お兄ちゃん!」
小さな手を差し出し微笑むありす。 その笑顔はとても柔らかく、絶望と言う言葉からはかけ離れているように見える。
その視線を遮るように瞼を閉じ、俺は差し出された手を握り締めた。
「ああ。 よろしく、ありす」
この世に永遠なんてない。 この世に真実なんてない。 この世に愛なんてない。
それでも生きている俺は、何の為にここに居るのだろう。
銀色の風が吹きぬけるこの街で、俺は立ち尽くしていた――。