一章5『氷の威』
タタタタタタタ、と。
騒乱に包まれ、人々が逃げ惑う上。通りの建物の屋根を、人影が移動していた。
辺りを覆う、温暖な王都には有り得ない霜をもたらす冷気。家屋の甕の水は氷が張り、弾む息は白かった。
『 マザリノモノが……ッ』
凍るのは水だけではなく、路面も屋根もだ。
スピリットの実体化の影響、人間に適される物理法則の適用化。そのせいで、ツルリと滑り落ちそうになった足元の薄氷を睨んで、それをもたらす根源に嫌悪を示した。
『【Winds】!』
減速した躰を精霊血の命令によって風に乗らせ、加速させる。
不可思議。氷の竜巻の影響か離れた此処でも強風が吹いている。質量の無い精霊の躰は制御していないとフラついてしまう。
———また家屋が数軒、氷に串刺し。空へ巻き上げられていくのが見えた。
スピリットは、前界を思い出すそれに感化されてか、更に跳躍する。その速度に最早眼下の人々には風しか感じられず、ただ銀風が過ぎ去っていく。
時には屋根瓦にヒビが入らせて、氷竜巻の元へ。
いつのまにか居なくなっていたレイが、屋根下の通りで避難指示と魔術行使して救助している。それを横目に、自身の胸に余裕を問う。
が、気を研ぎ澄ませて気付くこと。
———空気中の霊力が、竜巻に吸い込まれていっている。
それだけではなく、あの氷竜巻は旋回の勢いのままに、周囲の力あるモノすべてを引き寄せ、その氷にて破壊せしめている。
スピリットは、もしやと、少し肇の葉を緩めると、氷竜巻の方へ僅かな力が掛かっているのが分かった。
『管理情報さえ歪めて……』
そう、目を瞑って深呼吸。
そうして、ゆっくりと開いて。
『【 Komm , Komm 】———………』
——來たれ來たれ。朗々と、紡ぎ出される。
銀透明の波が、スピリットを中心に巻き起こった。
××××××××××××××××××××××××××××××××××××××
竜巻が発生したのは、王都の東区の数多ある街の内の、東区最大のルーヘスト街。
悲鳴、叫声、求救、絶望、諦観、混乱、無理解。
街には、竜巻の豪風の風切り音と舞う氷。人々の慌ただしい騒音と、騒乱。
窮極状態の人間は、思考も行動も狭まって動物の群れと化すことを示してか、大通りには雑然返して他人に構わず走り出す人混み。
武心得のある者は制動に声を張り上げ、子供はバタバタと追突しぶつかり、道端に放り出されている。
辺りには、ルーヘスト南の方角に見える黒々とした渦の所為で、木の葉や軽物が吹っ飛んで、家は地面から引き剥がされそうに軋んでいる。人々は、誰一人として無傷な者は見当たらず、誰かしら何かしら、舞う氷礫によって切り傷をつけていた。
そんな混乱で、剥がれた瓦と藁屋根を駆けてきた何者かが、声を大にして張り上げて叫んだ。
「———…《静まれ》ッッ!!!!」
それは、魔導による覇声。唸り脅す風の中でも、向かい風でも、乱気流でも、よく響くエコーの掛かる。
威嚇の吠声を利用した拡声術だった。空気を震わせて、伝わせて、驚きを人々に伝搬していく。
エコーが消える頃には、人々は、ほぼ足を止めて空を見上げた。まだ、走る者は少なく居たが。
「あの姿……」
「紺碧勲…?」
「だれだ……」
「宮廷魔導師様」
「クライス様だ」
ばさりと、ひるがえる外套。その胸元には、紺碧色のリボンに繋がる宝石に、精密極まる王国の紋章が彫られている勲章が付けられている。
———〈紺碧勲〉と云うもの。御伽噺が元になった勲章だ。
国家専属魔導師と区別を付け、国王専属の名誉ある宮廷魔導師に与えられる。
紺碧、と云う由来。
曰く、王家に広く伝えられるもの。
簡単に言うならば。
[昔、国が興ったばかりの時代、川向こうの軍事主義の強国が、国内にある鉱山目当てに侵略を仕掛けた。当然隔絶した明らかで埋められないな差が存在し、王族の首は鼻先三寸。絶体絶命だった——]
省略したが、こんな感じの語りから始まる物騒なおとぎ話だ。
それには、こんな一節が載っている。
彼の者、そうかたくりき。曰く、
現世ニ賢者ハ非ズ
現世ニ穢レハ非ズ
現世ニ発展ハ非ズ
故ニ我在リ 世界ハ残滓ヲ遺ス
タダ在るノハ ヒトツノ光珠ノミ
———なりと。
のちに残る言葉がこれだ。王は助けを要請し、対価を条件に協力を取り付けた。
『ラヴェの氷壁』『ダレスの奇跡』『アルメリアの祝福』が有名なものとして挙げられる。
その卓越した魔導の術に倣い、因み、彼の者の固有色の『紺碧』が告げられた。
「っていうか本当にこれ丸っ切り連盟の戒律のひとつなんだがなぁ」
その呟きの意味はわからず。
ともかく、レイは思考を巡らす。
(寒っ……息白いし、氷の竜巻とか意味不だし、寒冷タイプの魔力災害か)
白く吐き出される息が視界に映る。指先は、魔力を巡らせていないとロボットみたいにカチカチで、眼下の人々は寒そうに震えている。
体感、零度近く。渦の近くでも無いのに、怖い限りだ。かなり強い魔力災害だ。
ざわ、と沈黙するレイに人々がざわつく。
レイは、思考の海から引き戻され、手馴れた手つきでスペルを筆記しながら、再度魔導を張って口を開いた。
継続型のは常態で行使しなければだから面倒くさい。
「あー、……《聴け、民衆ら》」
「《心を落ち着かせて、怯えずにいろとは言わない。
ただ、過度の恐れからの過失を用心して、自分だけではなく周囲を見ろ。可能ならば扶け起こせ》」
普段の態度からは想像もしない、いも貴族然とした傲慢な物言。少年の年相応の気配と瞳の光はどこにいったのか、為政者の風格を漂わせていく。
風の唸りのせいで静まるまでにはいかないが、集められた視線を受けて、僅かにうなづく。
「…………《さて、現状だが。
現在、王都東区ルーヘスト街南側広場にて、魔力災害が発生。原因不明だが、家屋全壊の瓦礫と氷礫が巻き上げられて、殺傷致死の可能性がある。
故に一時的避難を、宮廷魔導師の名の下に於いて命ずる》」
本当は、王命でなければ人は動かせないのだが、そこのところは『紺碧勲章』でなんとかしてやる。大量の始末書ばっちこい。
魔力災害の時点で、ざわりと明らかに動揺する大衆。だが、それらの目には『信頼』の光が灯っていた。それは、レイが無知な現代人ながらに築き上げたものだ。
レイは、その毅然とした態度のまま、北を指し示す。
「《———彼方。カンティーナ街へ抜ける北道を通り、第一広場に待機。無論——》」
そこで一旦切り、手をかざす。
「ニス!」
果たしてそれは、座標を定めるしるべ。
人々のいる道全てに、通る道全てに、透明なドームが張られる。それは、王都を包む結界の下位互換である高等魔導。
人々が、その範囲と規模すべてにどよめく。こんなことができるのは、異世界から来たレイくらいだ。王都にも王国にも、肩を並べるものはいない。
「———《避難開始》」
どこからか取り出した杖を、片手に、これでもかと掲げる。らしくない笑みを浮かべた。
ざわざわ、と。人々は防御結界が張ってある道を、移動し始めた。人混みが、あっちにずれていくようだった。




