一章5『挨拶は未だ』
『にん、げん?』
再び呆然と呟かれるその言葉に、蒼髪の青年は訝しげに眉をひそめる。
「…はい」
蒼髪紅瞳の、白基調のいわゆる騎士服というものに身を包み、腰に剣を吊るす。わたし(顔は見えないが)と外見年齢は同年代であろう青年。
青年は、ベッドの近くの椅子に腰掛けていたのを立ち上がり、カツカツと歩み寄る。
ふ、と記憶が過り、短く息を吐く。
呆然と呟いた[人間]という語。それは、ずっと前、もしかしたら二百年くらい前かもしれないけど。
『身体を態々持つ奇種』『欲望とは人間なのかね』『コロコロ何もかも変わり過ぎて』『やっぱり理解出来ないのよ』『分かれないのよ』
そのとき、確かこんなことを言っていたのを覚えている。
降る雨はいつも滲みて痛み。四角形で白亜の 建物という建物はほとんど崩れ落ち。狂った現象に、つられる狂った世界が為す、崩壊を進ませる〈あれ〉。
あんな、惨状を。
輝いていたであろう世界をここまで壊した、壊せた存在があることを。
信じられなくて。でも、そこに現実はある。
故に、深く、深くそれだけは忘れられずに。
『………人間』
再度、今度は正しく紡ぎ出される言葉。
あちらからは見えないであろう目を、すぅ、と睨むように細める。掛け布を握っていた手を離し、いつでも霊術の合図である指弾を出来るようにする。
未だに寝起きで高次元の身体が痺れて鈍いからこそ、それしか出来なくて。
―――でも、すぐさま〈肇葉〉を発さなかったのは。
その反応に、青年は肩をすくめて。
「些か不本意ですが仰られる通りです。
私は、ハイドレンジア・K・シレスティアル。貴女の側にいるよう命じられた近衛騎士にございます。
不躾ながら貴女の名を伺っても宜しいでしょうか?」
左手を胸に、右手を剣に添え、一礼。
れっきとした、うつくしい騎士礼に、かなり昔な為に見覚えありながら分からないわたしは首を傾げ、警戒を一段階引き上げ、無言になる。
「そう警戒しないでいただきたいのですが。まぁ、仕方が無いのかもしれません。貴女と私では種族が違いますから」
わたしの持ち上がり始めた手が、ぴくりと反応。
開き始めていた口も、〈肇葉〉を発することはなかった。
『…………レイリョー』
なにかの、意味の伴わない呟き。
『………お前は』
「……?」
問いの前にあった沈黙は。
銀瞳に宿る光が、僅かに揺れた気がして。
『―――、何でもないわ』
今の呟きの反応を観察したような沈黙。わたしは、疑問符を浮かべる ハイドレンジア何某を一瞥した。
『………』
「………」
両者の間に、静寂が訪れる。ただ単に、会話が途切れただけかもしれないが。
しかして先に破るは、わたし。
『ハイドレンジア・K・シレスティアル、と言ったわね。まぁ良いわ』
「……?」
『訊きたいのは、ひとつよ』
わざわざ名を復唱したにも関わらず、捨て置いて好き勝手に訊く。
何故か、ぴり、と空気が張り詰めた感覚。
『―――神代は人世へ移り変わり、万緑の世界は、白亜の世界へと改悪された。
お前等人間は、己の欲のまま世界を作り変えた果てに破壊し尽くしていった。そして、自滅したのは4000年前…いえ、もっと前ね。
―――――何故、滅んだ人間が存在する』




