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7 前日譚、地中より愛を籠めて(前)

 愛する夫ルイス、娘セイラ、そしてカタリナという人間に関わってくれた心優しい皆様へ。





 こうして自分自身のことを文章にして伝えることは、これまでに片手で足りるくらいしかしてこなかったもので、上手く書けるかわからないけれど、最後に伝えるべきことはすべて伝えることにします。

 今まで話してこなかった私自身のことと、私が何を思ってこれから起こるであろう出来事に臨もうとしているかを、はっきりと書き残します。


 私はここから東へ三つ町を越えたところにある、海辺の町で生まれました。

 家は俗に言う良家というもので、大きな屋敷に、たくさんの使用人が働いていました。けれど、私はあまり家族との思い出も、使用人との思い出もありません。彼らは皆、私の扱いに困っていたようで、それは後に理由が判明するのですけれど、とにかく私という存在を腫物のように扱っていたのです。父も厳しい人でしたから、今では想像もできないほど身体の弱かった私に向ける目は、役立たずを見るそれでした。母とは、もう顔も思い出せないほど、会ったことがありません。

 それらの理由は、後に判明します。なかなか衝撃的ではありましたが、冷静に受け止めたあたり、私も父の子なのだとぼんやり感じてしまいました。父はどんなことがあっても、冷静な人でしたから。


 幼い頃の私は大きな病を患っていて、何度生死の境を彷徨ったかわかりません。寝台の上でただひたすらに窓の外を見つめ、退屈な毎日と、死の恐怖とに怯えていました。その頃から私は退屈というものが嫌いだったのです。部屋から出ることなんて滅多にありませんでしたから、当然、友人と呼べる存在など、一人もいませんでした。

 強いて言うならば、私の友人は、父が持ってくる本だけでした。父はとても冷たい人ではありましたが、親としての義務だけは果たそうと、私の望みはほとんど叶えてくれました。良い教育も受けさせてくれました。部屋から出られないのは退屈だろうと、ボードゲームに付き合ってくれることもありました。

 そう、私は父が嫌いではなかったのです。娘を役立たずだと感じてしまっていることを、父はよく自覚し、苦しんでいたのです。良き父になろうと努力していたことを、私はちゃんとわかっていました。父は冷たい人ではありましたが、誠実な人だったのです。


 月に一度、父は私の体調に気を配りながら、私を大きな教会へ連れて行きました。私の病が治るよう、神に祈りを捧げたのです。父に倣い、私もよく神に祈りました。

 そのおかげか、医者に完治は難しいと言われていた病が、奇跡的に完治したのです。それを聞いて、父は私の前で初めて笑いました。それがとても嬉しくて、私も久し振りに笑いました。


 それから、体力をつけるために、屋敷の中を歩き回るようになりました。外へ行くにはまだまだ体力が足りなくて、父にも心配をかけてしまうからです。

 そうしているうちに、自然使用人たちともよく顔を合わせるようになったのですけれど、彼らは皆、まだ私にどう接すればいいのかわからないようで、あまり仲良くはなれませんでした。

 あるとき、屋敷の中を散歩していると、あまり好感を持てない使用人が、私に声を掛けてきました。彼女の笑みが不気味に見えたのを覚えています。

 彼女が話すことは、信じ難いものでした。私は耳を塞ぎ、聞かなかったことにしました。


 けれど、そう上手くもいきませんでした。酒に酔った父が口を滑らせて、母が、本当の母ではないことを、私に教えてしまったのです。

 私は今ある居場所を壊さないために、口を噤みました。聞かなかったことにしました。父の本に挟まっていた、産みの母親と思しき女性のスケッチ絵を見つけても、見なかったことにしました。

 ああ、あの使用人が言ったことは、本当だったのだと、悲しくて死んでしまいそうでした。


 月日は流れ、私の家は燃やされました。父も母も、皆天に還ってしまいました。親類もおらず、私は天涯孤独の身となり、一冊の本と当分の生活費になるくらいの財だけを持ってその町を出ることにし、隣町の唯一の友人の家族を頼りました。

 通っていた図書館で出会った友人の家族は皆優しく、私を快く迎え入れてくれました。何か恩返しはできないかと、私にできることはすべて手伝ったつもりです。世間知らずな娘でしたから、むしろ邪魔になってしまっていたかもしれませんけれど。

 自分で言うのも何ですが、家庭教師に厳しく勉強を教えられていたため、それなりに頭がいい自信がありました。友人の弟と妹の勉強の面倒を見てやったりして、少しでも多く役に立とうと努力をしました。


 私にはささやかな趣味がありました。それが、執筆です。より良い文章を書きたくて、努力を重ねていたのが功を奏したのか、十六のとき、私の本を世に出すことができました。

 現在の私を見れば、最初から上手くいっていたように思われることが多いのですが、それは自信を持ち、堂々としているように見えるよう振る舞っているからでしょう。実際には、そう簡単にはいかなかったのですけれど。

 私は作家になるには圧倒的に才能が足りていませんでした。何かを創作するという行為は、努力だけではどうにもならない部分も多く、文章には自信がありましたが、その物語は、ありきたりな内容とも言えました。


 そんなとき、またも私の居場所を炎が焼き尽くしてしまいました。

 友人の家が燃やされたのです。私と友人以外は皆、炎に呑まれてしまいました。

 真っ先に放火を疑われたのは私でした。ちょうどその日、両親の遺産の手続きのために、以前暮らしていた町へ戻ろうと家を出ていたのです。出火した時間帯は、まだ家の近くにいたので、更に疑われる原因になってしまいました。

 もちろん私はやっていませんから、なんとか無実を証明することができました。しかし、悲しみに溺れる友人を救うことは、私には到底不可能でした。私ができたのは、親戚の元へ身を寄せることになった友人に、いくらかのお金を持たせることだけでした。それがどれだけ友人を傷つけたか、よくわかってはいました。


 生きていくためにはお金が要ります。遺産もいつまでもあるわけではありません。生きていくために、私はひたすらに書きました。書き続けました。

 そして、気付いたのです。発想がつまらないものならば、現実から種を拾って来ればいいのだということに。現実にも案外劇的な話は転がっているもので、それを使えばいいと気付いたのです。

 そうして、作家カタリナの作風ができあがりました。私は時に血を吐くような努力をしながら、現在の地位を手に入れたのです。


 町から町へと様々な場所を転々としながら、私は次々と本を世に出していきました。時にその姿を、死に場所を求めているようだと揶揄されれば、その揶揄すら本にしました。私は私自身をも種にしました。

 ふと私は、産みの母親が訪れたという町へ向かいました。そこは穏やかな町で、とても気に入る町でした。

 ここに私を産んだ母が訪れたのだと思うと、なんだかくすぐったく思えました。父の妻であった方の母は、母親と呼ぶにはあまりにも関わりが薄く、どちらかというと会ったこともない産みの母親の方を、母と呼びたくなりました。


 今思い返せば、とても恥ずかしいことに思えますけれど、私はそのとき、死ぬつもりでこの町にやってきたのです。産みの母親に一目でも会えたのなら、もう思い残すことはないと思っていました。

 色々な出来事を物語の種にしてきました。時に他人に憎まれることも、恨まれることもありました。私は私自身がどれだけ性格の悪い人間であるか自覚しているつもりで、できる限り他人にはよく見られようと、いつも笑ってごまかしていたのですが、それでも鋭い人はいます。私の性格の悪さを見抜いて、私を嫌いました。自業自得だと反省しましたが、しかし、やはり私は性格が悪いようで、それすらも他人のせいにしてしまいました。

 疲れていたのです。そんなことの繰り返しで、そこまでして生きていく必要はあるのかと、疑問に思ってしまったのです。

 最後に一つ、今までにないほど醜く暗い、読んだ者を深淵へと引きずり込むような物語を書いて、母親に会って、そして死のうと思っていました。


 ですが、母に会うことは叶いませんでした。もうすでに、母は死んでしまっていたのです。町の人々に好かれていたという母は、この町で数年暮らし、病によって命を落としたのだと。

 とても残念に思いましたが、人はいつ死ぬかもわからない存在ですし、何より聞くところによると母はずっと私のことを気にかけてくれていたようでした。それがとても嬉しくて、泣いてしまいました。


 母はとても美しい人でした。絵で見た母はまるで天使のようで、私は母のことをこっそり天使と呼んでいました。

 その天使の眠る場所へ足を運ぶと、そこから見える景色は、言い表せないほど美しい風景でした。

 町はずれの、寂れた土葬墓地。母の名と同じ花を手向け、久し振りに私は神に祈りました。そして、死を望みました。


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