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6 その日、土葬墓地にて

 彼女が死んでいたのは、町はずれの丘にある、寂れた土葬墓地だった。

 その日は空が青く澄んでいて、穏やかな風が吹く過ごしやすい日だった。墓地の道を挟んで向こう側には、真っ白な百合の花畑があり、美しい景色を生み出していた。


 私と彼女の関係は、とても不思議な関係だ。普通では考えられない、奇妙な関係なのだ。

 ただ、あの日、偶然あの墓地で出会っただけ。ただそれだけの関係でありながら、五年もの間、彼女の遺して逝ったものを見守り続けることを約束し、実行してきた。

 彼女と会話したのも、あの日のたった数分だけだった。初対面の相手にそんなことを頼む彼女も彼女だが、それを受ける私も私だと、少しだけ呆れてしまう。

 けれど、五年経った今では、彼女の頼みを受けてよかったと心の底から思う。たった数分しか言葉を交わしていないとはいえ、私は彼女に好感を持った。そして、五人の関係者から話を聞くことができた今、更に彼女という存在に信頼され頼みごとをされたことを、誇りにすら思っている。


 その日、彼女は朝から墓地にいた。徐々に人の多くなっていく町を見下ろし、それらを愛おしむように微笑んでいた。

 偶然その場に居合わせた私に声を掛け、頼みごとをして、血を吐き、百合の花に抱かれて死んでいったのだ。白い花の中にいくつかの赤を咲かせ、ゆっくりと倒れ込み、祈るように胸の前で手を組んだ。そして、最後に「ああ、楽しかった」と呟いた。彼女の血は何故か変色しなかった。


 母親が好きだと言った景色を見に来たのだろう。彼女の娘が、私と同じように偶然そこへやってきた。そこで、母親が倒れているのを見つけて、しばらく目を奪われたあと、端ってどこかへ行ってしまった。

 彼女の娘が青年の手を引いて戻ってくると、青年もまた死んでいる彼女に目を奪われていた。無理もないだろう。彼女の死は、人間の死というには美しすぎた。

 青年もどこかへ行ってしまった。置いて行かれた娘は茫然と彼女を見つめていた。


 青年が連れてきたのは、彼女の夫だった。彼女の夫もまた、死んでいる彼女に目を奪われた。はっと我に返って、青年に人を呼びに行かせた。今度は娘も連れて行かせた。

 彼女の夫はそれを見送った後、彼女に触れ、その死を認める。この世の終わりが訪れたような表情をして、彼女に縋り付いていた。青年が数人の男たちと彼女を担当していた編集者を連れくるまで、彼は彼女の手を離さなかった。


 彼女が何故死んだのか。

 それは、この次のページで、彼女自身が語っている。私は彼女と、直接の関わりはほんの数分とはいえ、間接的には五年関わった。ここでは、私が見た彼女について話そう。


 彼女は良くも悪くも、人間らしい人物だった。

 これほどまで正直に生きた人間を、私は他に見たことがない。様々な特徴を持つ人々に関わってきたが、彼女ほど、自分のために生きる人間はそうそういない。

 そして、彼女は自分が望んだことは必ずと言っていいほど叶えてきた人間だった。とても意思の強い女性だった。その強さは、尊敬に値する。


 自身の半生をほとんど語らない人物だったそうだが、以外にも簡単に、私は彼女の生まれた町を探し出すことに成功した。少々出過ぎた真似かとも思ったが、個人的な好奇心に逆らえず、そこへ向かえば、彼女を知らない者はいなかった。

 きっとそうなのだろうとは思っていたが、なんと彼女は、良家の娘だったらしいのだ。長く続く家柄で、その屋敷から上がった炎は周囲の住民の目に焼き付くほど衝撃的だったという。

 彼女の家族は皆、その火事で焼けたという。助かったのは彼女一人。親類もあまりおらず、頼れるものはなかった。彼女は幼くして、一人で生きて行かなければならなくなった。


 彼女を憐れんで手を差し伸べようとした者も多かったらしいが、他でもない彼女がその手を拒んだらしい。自分は一人で生きていけるからと、明るく笑って言ったらしい。


 だからこその強さなのだと、私は納得してしまった。

 幼い頃から一人で生きることを強いられ、決意したからこそ、彼女はあんなにも強い自分を持ち続けたのだ。自分が生きていくためには何でもした。他人に好かれるために笑って、醜い部分は決して表に出さなかった。


 生きていくために隠さなければならなかった醜さ。それを吐き出す場が、文章だったのだろう。

 私はつい先日、初めて彼女の本を読んだ。彼女に頼まれたことを終わらせるまでは決して読まないと決めていたのだが、ちょうど五年経ち、すべてが終わったため手に取った。

 ああ、彼女という人間は、こういう人間だったのだ。どんなに話を聞いてもわからなかった部分が、その本には綴られていた。


 彼女の多面性は、彼女自身の心にも矛盾を生んでいたのだろう。登場人物たちはすべて彼女自身であり、心に生じた矛盾を打消し確かな答えを見つけるための物語であるのだと、その文章からはっきりと感じられた。

 ひどく悲しい物語だった。自分自身を、否定していくためのものなのだ。彼女という人間を知った後に読めば、苦しくてたまらなくなる物語だった。


 だからこそ、彼女はあのような死を選んだのだろう。彼女の死は瞬く間に広がり、後を追う者が続出した。それは望んでいなかったのだろうが、できるだけ多くの人間に、彼女という人間が存在し、そして死んでいったことを知らしめるために、彼女はあのように死んだのだ。

 彼女はその願いを叶えた。彼女の読者は皆深く悲しみ、彼女と関わった人間は、彼女という人間を忘れることはないだろう。何より、あの死を直接見た者は、永遠に忘れられないはずだ。


 彼女という人間に出会えたことを、誇りに思う。彼女というあり方を知ることができたことを、嬉しく思う。


 その死にどのような意味があったのか、私にはわからない。

 ただ一つ、彼女に何か伝えることができるのならば、私はこう言うだろう。


 あの日、私にこの本を作るよう頼んでくれてありがとう、と。


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